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 入那(イリナ)汐音の黒髪は、今日も綺麗なストレート。触ってみたいけれど、お願いしたことはない。「いいですよ」と言ってくれそうではある。残念ながら、勇気が出ない。

 ずっと冬のアウターばかり着ていたけれど、最近は春服に移行しつつある。つまり、季節を見越した撮影をしなければいけないからだ。スタジオの中は暖かいので、こんな格好でも支障はない。

 時間が空くと、ついつい汐音さんの撮影を見てしまう。何度見ても綺麗だし、常に学びがある。けっして飽きることがない。「美人は三日で飽きる」なんて言葉があるけれど、それはありえない。「名曲は三回で飽きる」ことがないように。

 汐音さんは非常に華奢だ。冬服でないとき、それがよくわかる。細いのに、骨張っているわけではなく、女性らしい丸みがきちんとある。それでいて、天使のように真っ白なのだ。存在そのものが奇跡といえる。

 この人を見ていると、幸せだ、心が洗われる、と思うと同時に、どことなく虚しくなる。というのは、私は勝てない、手が届かない、と感じられるからだ。べつに勝つ必要はないし、触れなくても問題はない。それでも、同じ人間として、圧倒的な力の差があると思わされる。

 その点では、七架の言うこともわかる気がする。私に対して、こんな気持ちを抱いているのではないか。私よりも、明らかに汐音さんのほうが奇跡的だけれど、「身近な存在」という意味では、私を意識せざるをえないのだろうか……。

 その後、私は(ヒトミ)さんと撮影するために、別のスタジオに移動する。お会いした瞬間に、満面の笑みを浮かべてくれる。本当に可愛い。彼女の黒髪も綺麗だけれど、汐音さんよりは短いから、「美髪」の印象はやや薄い。

「今日も寒いよねー」瞳さんが言う。

「そうですね、まだコート着ています」

「うん。ナノちゃんが、お洋服にだんだん興味持ってくれてるのがわかって嬉しいよ」

「あ、はい。やっぱり、ただ着るだけじゃだめですもんね」

「まあね。でもまあ、メイクさんやスタイリストさんはいるし、私たちの意見や好みが反映されるのって、ほんの僅かだけど。あ、べつに不満だってことじゃないよ?」

「はい、大丈夫です」

「こんな可愛い服着れて、綺麗に撮ってもらえて、ランウェイも歩けてさ、可愛いって言ってもらえるなんて……、それだけで幸せだから」瞳さんはにっこりと笑う。

「だって、可愛いですもん、ヒトミさん」

「めっちゃ照れる。だめだよ? 調子良いこと言っちゃ」

「本当ですから」

 瞳さんの頰が紅潮する。まるで思春期の女の子のよう。本当に、私の五つも上なのだろうか。

 瞳さんは、もともとモデル志望だったらしい。小学生の頃にデビューしている。でも、一時期は活動をやめていたようで、高校生になって再始動したという経歴。ただそのときも、あらゆるオーディションを受けては落選する、という苦い経験をしている。それでも、こうしてヘヴンリィを代表するモデルになったのだからすごい。たいへんな努力家だ。

 これらの情報は、ヘヴンリィのバックナンバーを読んでわかったことで、瞳さんから直接聞いたわけではない。彼女は昔話をしないし、私も尋ねるつもりはない。自分の過去というのは、話したくないこと、知られたくないことを多分に含んでいるもの。相手が話さない以上、首を突っ込むのは無礼な行為だ。

 今日は、小道具として花束がある。何種類かあって、カラーで分けられているようだ。瞳さんと一緒に見てみる。

「お花っていいよね。なんでこんなに可愛いんだろう」

「不思議ですよね。綺麗で、良い香りがして……」

「でも、おうちで飾ることってないんだよね。たまにいただいたときくらいで、自分では買わないなぁ。好きなのに、なんでだろう? お手入れとかも嫌いじゃないのに」

「何でしょう……、私も、植物自体、部屋にないですね。いただくものは、大きくて持ち帰れないものが多いので」

「ふぅん」

「あ、お花は、自分のためのものではなくて、誰かのためのものだから、ではないですか?」

「え、どういうこと?」

「もらうものか、あげるものってことです。自分に買うものじゃなくて。ギフトとか、プレゼントなんです」

「そっか、言われてみれば。えー、なんかますます素敵じゃない? お花ってすごいなぁ」

「そうですね」

「じゃあ、私が選んであげる」

「え?」

「ナノちゃんに花束を。何色がいいかな? ナノちゃん白いから、白じゃないほうが目立つけど、でも主役はナノちゃんだもんね。あえて白系もいいなぁ」

「ふふ。ありがとうございます」

「なんで笑うのよ? 真剣に考えてるのに」

「いえ、なんだか、嬉しいんです」

「そう?」瞳さんは微笑む。「じゃあ、私にも選んでくれる?」

「あ、はい……」

 とはいえ、これからの撮影では、スタイリストさんが選ぶのだろう。衣装も変えて、何パターンか撮るはずだ。

「あっ」瞳さんが声を上げる。

「何ですか?」

「シホちゃんにお花あげようかな」

「シホさんに?」

「もうちょっとで誕生日なの。二月十四日。バレンタインなんだよ」

「あ、そうでしたね」

「知ってた?」

「ヘヴンリィで読みました」

「ヘヴンリィで? あ、プロフィール載ってたっけ。それで覚えられるの?」

「だって、書いてあるので」

「そうだけどさ……」

「お花、いいかもしれないですね。バレンタインというと、どうしてもチョコレートになりそうですけど」

「そうそう。去年もチョコあげたの。あげたというか、一緒に食べた。あの子、甘いもの大好きなんだよね」

「みたいですね」

「今年はどうするんだろう? 彼氏と過ごすのかなぁ」

「彼氏?」

「いや、わかんない。今いるのかどうかもわかんない」瞳さんは笑う。「あ、だめだよ? 私には訊かないでね」

「あ、はい……」

 思歩(シホ)さんに彼氏? と疑問に思ったけれど、そうか、思歩さんはアイドルではない。プライベートの恋愛は自由なのだ。もっとも、秋ヶ瀬にも恋愛禁止の規定はない。

 バレンタインデーには、女性が好きな男性にチョコレートをあげる、という文化がある。由来は何なのか、男性から女性でもかまわないのか、詳しいことは知らない。でも、これも花束と同じで、「相手のために差し出したい」と思っているのだから、素敵なことだろう。

 撮影に入る。白いバックの前で、瞳さんと背中合わせに。そこで気づいたけれど、もしかしたら私のほうが身長が高いかもしれない。また伸びたのだろうか。モデル的には良いけれど、アイドル的にはどうだろう?

 手元のお花から、甘い香りが届く。自然と微笑むことができる。ときどき瞳さんと目が合って、そのときはもっと笑顔に。

 瀬ノ谷(セノヤ)瞳は、太陽のようだ。

 きらきらと輝いている。眩しい光を振り撒いている。その光に照らされれば、自然に温かい気持ちになれる……。

 この光は、どうやって放っているのか。無条件に湧き出ることはない。太陽だって、核融合反応をしているのだ。瞳さんの中で、なんらかのエネルギー変換があるはずだけれど……。

 さきほどの話にもあったように、まずはモデルに対する姿勢だろう。「好き」「幸せ」という気持ちが、いちばんのエネルギーなのはまちがいない。少女の純粋な心が、今も失われずに残っているのだ。

 ただ、瞳さんだって、実際は大の大人。「好き」だけではうまくいかないことは理解しているだろう。気になるのは、なぜモデル活動を休止したのかということ。萌加のように、学業を優先したかったのかもしれないし、家庭的な事情だったかもしれない。それは訊いてみないとわからないけれど、やはり躊躇する。

 最後に、お互いの花束を渡しているシチュエーションで撮る。瞳さんは「おめでとう!」と言ってくれる。なにも祝福されることなどないのに。でも、私も花束と一緒に「おめでとうございます」を贈った。

 お昼休憩になる。控え室に行くも、汐音さんはいない。まだお仕事中だろうか。別の現場で食べるのかもしれない。

「シオネ、来ないのかな? 食べちゃおうか」

「そうですね」

「よし、いただきまーす」

「いただきます」

 瞳さんと二人きりで食べるのは初めて。必然的に、会話の相手は私しかいないわけで、少し緊張する。何を言われるだろう。今日の撮影で、なにか不備があったかもしれない。あれこれ振り返ってしまう。

「美味しい」瞳さんが呟く。箸の先には、からあげ。そのあとに言葉は続かない。

 美味しいですね、と返そうかと思ったけれど、私はまだからあげを食べていない。そこで一口。たしかに美味しい。不味いからあげには出会ったことがない。意図しないかぎり、からあげを不味く作るのは不可能ではないだろうか。料理などしないから、勝手な印象だけれど。

「ヒトミさんは、料理ってされますか?」

「え、何、急に?」

「からあげを食べて思ったので」

「からあげ? からあげ作るかってこと?」

「いえ、からあげに限定せず、料理全般です」

「最近はしないなぁ。しないっていうか、できない。時間がなくてね」

「そうですか」

「でも、時間がないなんて言い訳だよね。そんなこといったら、ナノちゃんのほうがはるかに忙しいでしょ?」

「どうでしょう……」

「料理かぁ、また始めようかな。やっぱり、料理系女子っていいよね?」

「まあ、できないよりはできたほうが」

「シオネはね、料理もすっごく上手なの。すごいよね。天はなんとか与えず、っていうけど、絶対嘘だよ。思うんだけど、そういうセンスの良さって、元を辿れば一緒だと思うの。表現方法が違うだけで、エネルギー? 自体は一緒っていうか……」

「それは、なんとなくわかります。たしかに、シオネさんを見ていると思います」

「でしょ? あの子には勝てないよ」

 勝てない、か。瞳さんですらそう思うのだ。それがわかっただけでも、今の話は有意義だと思えた。

 それに、瞳さんは汐音さんと同い年。私以上に「勝てない」という気持ちは強いのかもしれない。

 問題は、その「勝てない」気持ちをどう処理するかだ。一種の憧れとするのか、いつか追い越そうという目標にするのか。いちばん良くないのは、嫉妬したり、攻撃すること。幸い、瞳さんはそんな人ではなさそうだけれど……。

「あ、そうだ。シホちゃんにあげるお花、見てみようっと」瞳さんはぽつりと言って、スマートフォンを取り出す。

 彼女からの花束なら、どんなものでも、きっと嬉しい。
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