第57話 母の想い
文字数 3,875文字
『兄さん…これ…』
『偶然、見つけたんだ…あいつの…最期の場所に』
『…』
『受け取れ…お前が持っていた方が…あいつのためにもなるだろうから』
『…ありがとう兄さん、でも…ごめん…この指輪は受け取れない、兄さんに……兄さんに、預かっていてほしいの』
『イリーナ』
『私は、確かにあの人の妻であると同時に、私は
妹は、イリーナは…夫の死を目の当たりにしてもなお
前を向こうとしていた。かけがえのない
たった一人の息子であるシンを、守るために
『イリーナ……分かった…これは俺が預かっておくよ』
『本当に、本当にありがとう…兄さん……どうか、お気をつけて』
『お前も…シンも…元気でな』
それが、妹と交わした最後の会話だった
五年後、再び訪れた時…家の中は既にもぬけの殻で
息子のシンが唯一の生き残るも行方不明となった知り
俺は、血の滲むような思いで探し続けた
それからさらに九年の月日が流れた
姿形も見つからず、既に諦めかけていた俺の元に
ある情報が舞い込んだ。それが、リーフで起きた事件の中に
お前と思しき姿が発見されたということだった
急いで捜索したものの結局見つからず
だがその時の俺は、以前と違って根気強く探し続けた
多くの者達の手を借りて必死に探した
そしてそれが、あの日に繋がった
冬の月、祭りで賑わっていたはずのサクスが
騒動に見舞われる中で
お前を、見つけることが出来たんだ……シン
『シン…!』
もう二度と、失わせはしない
俺は、何があろうと必ずお前を守ってやる
お前は…俺にとっても、最後の希望なのだから
ーーー
ー ブロンズ宮殿 ー
ロック達と話をしてから夜更けのこと
シンは、布団に入ってもなかなか寝付けず
ひとり長い長い廊下を彷徨うように歩き回った
立ち止まっては歩き、歩き出したと思えばまた立ち止まる
窓越しの月や、飾られた絵画や銅像が視界に入っても
昼間のナッドの言葉がずっと頭から離れられないでいた
「まともに戦っても勝ち目が無いのなら…裁きだろうがなんだろうが、守るためならいくらでも利用してやるっ……それが、ナッド=モルダバイトとしての…意地だ」
(ナッド=モルダバイトとしての……意地)
あの言葉に、ナッドの全てが物語っていた
父の仇であるファクティスの魔の手から、人々を守るため
自らの命を賭して戦い続けていた
たとえそれが、最後の一人になったとしても…
そう思わせるほど鬼気迫る彼の想いに
シンは感銘を受けたと同時に
父に対する想いが、溢れそうになる
(…分かってる…分かってるさ…
こんな
感情…もう何の意味もないって………なのに)顔もろくに覚えていないうちに命を落としてしまった父
自分が寂しい時、母が辛い時…どうして家に帰ってこなかったのか
どうして、傍にいてくれなかったのだろうかと…何も知らなかった子供だったとはいえ、父を、激しく憎んだ
父の事を考えるたび、いつも恨みつらみが先に湧き上がった
どうにもならない感情が、幼い心を蝕んだ
そしてその結果が、これだった
母は、父が亡くなっていることを自分がもう少し成長した頃に、打ち明けるつもりだったのだろうが、時すでに遅しだった。まだ十もいかない息子を一人置いていく形で病に倒れたのだから
今となっては、本当に何もかもが遅すぎた
今になって、父の真実を、母の苦悩を知れば知るほど
自分は二人に対し…どう向き合えばいいのか、分からなかった
拭いきれない愛憎と虚無感が…再びシンの心を蝕んだ
そんな深いため息ばかりこぼすシンの前に現れたのは…
「そうやって悩むところも…お前の親父にそっくりだ」
「!…ナッドさん」
「眠れねぇ、みたいだな」
普段は誰も寄せつけないほどに眉間に皺を寄せていたナッドが、いつもより穏やかな目でシンを見つめる
「ナッドさんこそ…眠れないのですか?」
「俺か?俺は多少の仮眠さえ取れれば何の問題もない」
「いいんですか、そんなんで」
「言い換えるなら職業病ってやつだ、気にするな」
口調も、いつもより柔らかく聞こえる
身内と言っても、息子ではない自分に
なぜここまで親身になってくれるのか
正直、嬉しい気持ちと戸惑う気持ちで半々だった
「なぁシン。お前は…マクシィのこと…今でも恨んでるか?」
「!………それ…は…」
突然の問いかけにシンが言葉を詰まらせると
「心配するな。お前がどう答えようと俺はそのまま受け入れるだけだ」
「ナッドさん」
「お前にとって、顔すらも覚えていない父親なんだ…恨みつらみのひとつやふたつあっても、何ら不思議なことじゃないと…俺は思うんだ」
まるで自分の心を見透かしたように語るナッド
でもそれは彼なりの優しさであると理解したシンは
正直に胸の内にある想いを吐き出した
「…子供の頃…ずっと母さんの背中を見てきました…それと同時に、俺はずっと父さんの事を…恨んでました。なんで母さんが苦しい時に傍にいないのか…どうして、家に一度も帰ってきてくれないのか…母さんに聞いても、父さんのことは俺がもう少し大きくなってから話すと言って、何も答えてはくれなかった…」
「…」
ナッドは何も言わず黙って話を聞いていた
「でもある日、俺はどうしても父さんのことが知りたくて、母さんにもう一度聞こうとした時……母さん、夢の中で、ずっと父さんの名を…呼んでたんです…」
『あな、た…』
「シン…」
「あの言葉を聞いた時、俺、気付いたんです…父さんはもう、二度と家には帰ってこないんだって…仮に、生きてたとしても…死んだとしても」
「…」
幼かった心が理解してしまった、母の想い
普段の生活ではどんなに知らぬフリをしても
その想いは、夢の中まで隠し通せやしないものなのだと
「どうしようもないくらい憎くて、恨めしくて仕方なかった…けど、あんな風に呼んでたら…俺、文句なんて言えるはずないじゃないですか…本当は俺よりもずっとずっと会いたがってた母さんに…父さんの事が嫌いだなんて、憎いだなんて…そんなこと…は、ははっ…」
母が恋しいと思えば思うほど
尚更父がいなくなったことが恨めしくなりなるばかりのシンであったが、もうこれ以上大好きな母を苦しめたくないと、自分に言い聞かせながら…父の話を聞くことは…二度となかった
二人を喪ったことで、行き場のない怒りと悲しみが心に渦巻く
こんなことならもう一生思い出さない方がよかったのかもしれないと思えるほどに
深く俯くシンの姿に、ナッドが心を痛めると
ポンッ…
「え、な、なんですか…急に」
「辛かったな、シン」
「…!」
「俺はお前の父親でもなんでもねぇ、が…俺は、お前が誇らしい…無事に生きててくれて…ありがとな」
大きな手でシンの頭をくしゃくしゃと撫でるナッド
不器用だけどあたたかい、優しさに溢れたその手に
シンはじわりじわりと目頭が熱くなるのを感じていると
「…気休めにならねぇとは思うが、俺が知るマクシィの事…話してやろうか?」
ナッドの言葉に思わず驚いたシンは
少し考えた後に、ゆっくりと頷いた
ーーー
同じ頃、凍える夜風が吹く宮殿の外にある見晴らしの良い高い建物の屋上で、サイゾウは誰かが来るのを待つようにひとり佇んでいた
(…来たか)
何かに気付いたサイゾウが、手すりの近くまで移動すると
「…はぁ…ったく…もう少し分かりやすい場所を指定しなさいよ」
建物の下から勢いよく飛んで現れたのは
昼間一行の傍を一時離脱していたケイであった
「突然姿を消したそなたが文句の言えた立場にござるか?」
「わ、悪かったわね…こっちにも色々とあって…って、そんなことよりあの子達は」
「みな宮殿にいる…こちらも色々と騒ぎを起こしてしまったからな」
「騒動って?」
サイゾウは昼間の出来事を素直に伝えた
「…アンタたちってば…ほんとに揉め事ばかり起こすのね」
「此度は偶然にも王が現場にいたゆえどうにかなったが…今後はそう甘くはなかろう」
「当然ね…そんな何度も揉め事起こされたらこっちの身がもた……………ん?」
ケイが何かに気づくと
サイゾウが「どうした」と問いかける
「いや…どうやら想像以上に鬱陶しいストーカーがいるみたいでね」
何者かに追跡されていたケイ
ここに来るまでに振り切ったつもりであったが
どうやら相手も一筋縄ではなかった
「このまま宮殿に行くのは危険ね、なんとかしないと」
「ふむ…そうだな」
ケイの言葉を遮るサイゾウは宮殿とは反対方向に進み出した
「どこ行くつもり?」
「このまま街を歩き回る」
「歩き回るって…鬼ごっこじゃあるまいんだから」
「ん?…そのつもりでござるが?」
「!」
妙にキョトンとした表情でサラッと言いのけるサイゾウ
だがそれは鬼ごっこと呼ぶにはあまりに過酷なものになるのを、この時のケイはまだ知る由もなかった
数分後…
「はぁはぁ…っ…なんだあいつら、いったいどこへ…!」
追跡者の正体は、オルティナ
どうやらリンクの行方を探してる途中で
偶然にもケイの姿を目撃してからずっと追跡していた
だがここに来てサイゾウと合流したケイは
彼と共に街を駆け抜けていた
妙なほどに先の見えない行動に
困惑するオルティナであるが…
(アイツら…私に気付いておちょくってるつもりか?相変わらずふざけた奴らめっ……まぁいい、あの娘を見つけ、始末するためなら、どこまでも追いかけてあげるわ……お前達が後悔するほどにね…!)
背中に迫る静寂な牙は
誰にも計り知れない執念の鬼と化す
【終】