第1話 はじめに

文字数 1,781文字

 一般的に読書をする人や益してその本を製作する編集者に取って、誤字、誤植、脱字、誤表現などの類はあってはならないものだろう。
 だからこそ私はそれ等のものを発見したときに、無上の喜びを感じそこにこそ文学や人間と言うものの奥深さを感じる。
 私自身が売れない小説を書いていると言うこともあるが、それ以上に長年小説を読み続けて来た文学お宅であると言う自負が、それらの文章上の齟齬をこそ愛すべし、と、私自身に訴えるのだ。
 これほどの作家が、何故、どうして、或いはこれ程の一流の編集者が何故、と、繰り返し胸中に呟いた後、そこに秘められた人間ならではの思い違いなり間違いに対し、私と言う文学お宅はロマンを感じずにはいられない。
 それ相応に何度も赤ペンが入れられ、作家や編集者が何度も眼を通したのに、それでも生じる思い違いや間違い。
 私はこう思う。
 既に発刊され市場に出回っているそれ等の単行本や文庫本は、仮に今後修正して再発刊されるとしても、その修正後の本より修正前の本により価値がある、と。
 或いはそれはミスプリントされた切手や紙幣に、異常に高額な値が付くのと同じことだとも言えよう。
 私はそれ等小説に於ける思い違いや間違いを、決して非だとは思わない。
 それ等こそが文学と言う芸術の生み出す、もうひとつの文学であり芸術だと思う。

 人は愚かで必ず過ちを犯すものなのだ。
 
 そして私は生活費を切り詰め僅かながら株式投資もしている。
 投資の世界では長期投資を是とし、個々の企業のファンダメンタルズを元に判断して投資をする、バークシャーアンドハザウェイのウォーレン・バフェット氏を、私は常々太陽であり光であると考えている。
 それとは逆にトランプ大統領の取り巻きのひとりで、物言う株主として著名なカール・アイカーン氏を、月であり影だと思っている。
 私がカール・アイカーン氏を月であり影であると言う所以は、彼の言葉にある。

「世の中には人工知能などの先端技術を研究して金を稼ぐ人がいるようだが、私は人の愚かさを研究して金を稼ぐ」

 まったく以て理に適った言葉である。
         ‐1‐

 とは言え皆が皆カール・アイカーン氏のような考えを持っていては、投資業は疎か産業界全体が成り立たない。
 つまり私が言いたいのは、ウォーレン・バフェット氏とカール・アイカーン氏の何れが良いのか、悪いのか、ではなく、両氏とも投資の世界には必要不可欠な人物で、二人揃って初めて米国の投資業界を語れる、と、言うことだ。
 何となれば太陽と月があってこその地球ではないか。
 文学の世界に於いてもまた然り。
 
 過ちを非として遠ざけているだけでは、人類も科学も況や文学に於いても進歩はない。
 しかし今後AI作家が人間の作家に取って代わる時代になれば、そう言った人間ならではの思い違いや間違いもなくなってしまうのだ。
 AIの書いた文章をAIが校閲し批評し、プロローグもエピローグも解説も、それ等総てをAIがこなす。
 人間はそれ等の文章を読むだけ。
 そうした時代がやって来るのかと思えば、眞に以て残念で何とも寂しい気持ちになる。
 人だからこそ生まれるもうひとつの誤りの物語が其処に潜んでいるかも知れない、と、そんな私の本を読む際のささやかな楽しみも、もしも私がもう少し後で生まれたなら、AIが奪ってしまうかも知れないのだ。
 そう考えると思い違いや間違いのある今の時代に生まれて良かった、と、胸を撫で下ろすのは私だけでは無いように思うのだが如何か。
 文学が文学である所以は、人が人を書き、それを人が読み人が判断し、賞賛も批判も総てを人がすると言うことの中にこそ存在する。
 それは文学だけではなく、映画やテレビ番組或いはネットニュースに到る、人が眼にする芸術や情報総てに言える事のように思う。
 私はAIが悪だとは言わない。
 しかしAIが総てだとも思わない。
 何故なら私は人だからである。
 人だからこそ、迷い、過ちを犯す。
 それらが無くなることは人類に取って理想なのかもしれない。
 しかしそれらが無くなることは、人が人でなくなることを意味するのではないだろうか。
 だからこそ私は誤字、誤植、脱字、誤表現など人間的な産物を愛し、そして讃える。
  
 さぁ、愈々である。
 もうひとつの物語の世界へ、ようこそ。

         ‐2‐
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