第46話:逃走と予感

文字数 1,654文字

 ホールに出て、一瞬だけ考えを巡らせた。
 すぐに、マルゲリータの部屋で開けた、窓のことを思い出す。

 視線を上に向けると、階段が視界を覆っている。私は少しだけ前進し、左手にある階段の踊り場へ飛び上がった。

 ここ数時間で跳躍の勘が戻ってきたらしく、ほとんど体勢を崩さず走り出すことができた。そのまま、踊り場から左右に伸びる階段のうち、右のそれに向けて足を進める。階下からは扉を開閉する音が聞こえ、続けて幾人かの足音が響く。

 「上です」という声が届いたころには、上階にたどり着いていた。通路の向こう、やや右手にある扉に近づき、跳ね飛ばすように開けた。細く伸びる廊下の先に部屋があり、その一番奥に、開いたままの窓が見える。

 廊下を駆け抜けて、目の前に現れたキャンバスを横へ避けた。背後で扉の開く音がする。スーツを着ているだけあって、早い。

 窓枠に足をかけ、体を回転。
 そのさなか、移り変わる視界の中にガラスのエレベーターを捉え、はっとした。もしかしたら、マルゲリータは……。頭の中に思考が展開する。

 が、その思い付きを吟味する間もなく、廊下をこちらに向かう二名の人影が視界に入った。私は慌てて、部屋の外、窓枠の上部に手をかける。

 腕に力を入れて体を持ち上げた瞬間、キャンバスに何かがぶつかった。見れば、太い縄で構成された網のような物体が、絡みついている。動物を補足するための物だろうか。距離を取っていれば安心、というわけにはいかないようだ。

 窓枠の数センチのでっぱりに足をかけ、渾身(こんしん)の力を込めて上へ跳躍。かろうじて右手で屋根をつかむ。続けて左手で屋根をつかみ、こちらに近づいてくる足音を聞きながら、体を持ち上げた。

 直後、階下から再び何らかの発射音がする。振り返ると、網のような物体が空中で広がっていた。息をつく暇もない。恐怖にかられつつ、がむしゃらに足を前へ進める。

 傾斜のきつい屋根を上って下り、プライベートスペースと共有スペースの間を幅跳び。庭園の方へ横断しつつ、再び屋根を上る。屋根の上部をぐるりと囲うように設けられた通路にたどり着き、手すりを超えた。

 ちらっと振り返ると、二人の姿が下方に確認できる。先頭のアデリンがちょうど、プライベートスペースから共有スペースに飛び移るところだ。

 前方に視線を戻し、通路を直進する。建物の端が近づいてきたところで、再び後ろを確認。アデリンが手すりを超え、通路をこちらに向かっていた。私は再び手すりを超えて屋根を駆け下り、建物の入り口付近、噴水のある広場へ跳躍した――

 ように見せかけ、屋根の淵にぶら下がった。
 二人分の足音が、徐々にこちらへ近づいてくる。

「私は町の方へ行くから、山の方をお願い」
 アデリンの言葉に、もう一人が「はい」と歯切れよく答えた。続けて、視界の右手と左手を人影が通り過ぎる。その瞬間を見計らって、再び屋根の上へ。腹ばいになって、二人の姿を確認した。アデリンは噴水の横を抜け街に至る坂道へ進み、もう一人の警備担当者はピロティの方へ走っていく。思わず、口から安堵の息が漏れた。

 私は再び屋根を上って通路に座り込み、これからの行動に考えを巡らせた。
 やるべきことは決まっている。パドマとともに安全に街を出ていくこと、それだけだ。現在、彼女はコイトマともう一人の警備担当者に確保されているはず。コイトマさえ協力してくれれば、救助はさほど難しくないのだけれど……

 彼女は私たちに理解を示してくれた一方で、先ほどはアデリンの命令に逆らうそぶりを見せなかった。協力してくれる可能性に賭けるのは、少しリスクが高そうに思う。捕まってしまえば、弁明の機会すら与えられないかもしれないのだ。

 一番いいのは、アデリン抜きにマルガリータとコイトマを連れて女王と謁見(えっけん)し、王女に罪を認めてもらうことだろう。そうすればさすがに、言い逃れもできないはず。つまり、鍵はマルガリータ。彼女をおさえないことには、話が進まない。

 そして幸いにも、彼女の消えた先には、思い当たる場所があった。
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