信長のお茶会
文字数 2,250文字
本能寺の炎で焼かれたせいか、へなへなのどじょうヒゲ姿の信長は意外と普通のおじさんに見えた。
だが、その服装は白地に
当時の遊女の出で立ちであるが、まげの先端が扇のように開いてる
月読波奈が必死で笑いをこらえているが、紅色のサイバーグラスで神沢優の表情は読み取れない。
メガネ君に至っては非常に興味深げに信長を見つめていた。
安東要が信長に勧めたのは中国茶、正確には台湾茶であった。
信長は円筒形の
お
織田信長はなかなかの教養人であり、風流を楽しむ茶人であると聞く。
これは話がわかる人物かもしれないと安東要は思った。
にこやかに笑っていたかと思ったら、切れ長の眉の下の双眸が急に鋭い眼光を帯びて、要は一瞬でその考えが甘かったことを悟った。
あまりの迫力と威圧感に言葉がつまる。
信長は少し興味深げに表情を和らげた。
しかも、清明の姿も見えないのに、心話であるのに、そのことをあまり疑問に思っていないようだった。
利休は信長に茶人として登用された頃、晴明神社のそばに聚楽屋敷を建てて、晴明神社の「晴明井」の水でお茶を立てていたようです。利休が秀吉に切腹を申し付けられた際、切腹した場所も「晴明井」のそばだったと伝えられています。
小さくため息をつく信長であった。
いつも強気の信長というイメージだが、意外と繊細な部分もあるらしい。
勘も非常にいい。
信長はにやりと笑った。
晴明の言葉を聞いて、安東要は自分の想像に戦慄を覚えた。
しかし、東日本を救うためにはこれぐらいのことはしないといけないかなとも思った。
本人には非常に気の毒だが、話がまとまってしまったので、漂流する迷宮は次の時空を目指した。
安倍清明の陰陽術で時空を移動する迷宮であるが、時に迷宮時間では3月3日の早朝の話である。
東日本大震災が起こるという晴明の予言の日まで、残りあと7日ぐらいである。
一応、信長とのお茶会してるうちに、長い一日が終って夜が明けたようである。
ちなみに、現地時間で本能寺の変が起こったのは、天正10年(1582年)の6月2日明方(4時頃とする説もある)から午前8時ぐらいと言われている。
現地でも朝が来て、信長の遺体がなくて明智光秀があわてる訳だが、その後、光秀がどんな運命をたどるかは読者もご存じだろう。
ただ、この物語は次回、さらなる過酷な運命が光秀に襲いかかるという『安倍晴明の予言書』に基づいて語られることになります。
ああ、あわれなり、光秀。
(あとがき)
次回、たぶん、「光秀、折檻」という酷いタイトルになる予定。
わくわくする展開に、作者は非常に楽しみです。
本人は気の毒ですがね。