第4話
文字数 5,621文字
◆
それからの数日、私は学校が終わると直ぐに伊織の病室を訪れては、面会終了時間ぎりぎりまで側に付き添っていた。
――すると、美菜ちゃんのことをふと思い出す。
『少し、きつく言い過ぎたかな……』
気付けば美菜ちゃんからのLINEも、一緒に帰ることもなくなっていた。
『明日、学校で謝ろう』
伊織の寝顔を見ながら、私の身勝手な感情の所為で美菜ちゃんを傷つけたかもしれないことに反省する。そして安定した呼吸をくり返す伊織に「帰るね……」と、そう声を掛けて病室を後にした。
「――萌、なんか連絡あったか?」
壮士は刑事さんから情報が入っていないか、日に一度はこうして私に確かめるようになっていた。
「ううん、なんにもない」
今、私は壮士と一緒に同好会部屋で放課後の一時を重い心と体で過ごしている。
今日は検査があるとのことで、伊織には会えないという話を聞いていたからだった。
「早く目、覚めるといいな」
壮士は無線機を調整しながら私に声だけを掛ける。最近、壮士の無線機は日によって機嫌が激しく変わるらしく、今は非常にご機嫌ナナメのようだ。
「……うん」
壮士は本当に調整しているのか、それとも私と目を合わせないようにしているのかは分からなかったけれど、とても優しい口調でそう告げてくれる。
そして、「俺も大丈夫そうだったら、岸谷のお見舞い……行ってもいいかな?」と、ボソッと口にした。
「!? うん! 絶対に喜ぶと思うから、行こう!」
「……ああ」
壮士のホッとした雰囲気が伝わってくる……多分、壮士は一日でも早く伊織のもとを訪れたかったのだろう。けれど自分は行ってもいいものなのかどうかを悩んでいたんじゃないかと思う。
確かに、「なんでこんな恰好してる時に連れてくんのよっ!?」って、伊織に怒られてしまいそうだけど、それでも壮士を連れて行って伊織を元気付けたかった……だって、例え意識がなかったとしても、語りかけるその気持ちは絶対に届くと思うから。
「じゃ、明日早速一緒にいこ♪ 今まで何にも持って行けてなかったから、ちょっとお見舞いの果物とか、これから見てくるね!」
「俺も一緒に行こうか?」
「ううん、お金だけくれたらいいよ!」
「しっかりしてんな(苦笑)。じゃ、俺は動画でも撮ってるわ」
壮士はそういうと、私に千円札を一枚渡して、それから無線機を前にスマホを固定し始める。
「行ってくるね!」
――私は微かに木霊 する響きをそこに残して、部屋を後にした。
「……」
本当は、壮士と一緒に行きたかったけれど、伊織のことを考えたらそんなこと出来るはずがない。
「ちゃんと伊織が元気になって、戻って来てから……」
私はそう呟き、そして、
『正々堂々と』
心の中で、祈るように決意を述べた。
「――先輩」
三階にあるその部屋を出て、私がそんなことを固く誓いながら最初の踊り場まで階段を下りていると、聞き覚えのある声が降ってきた。
「……美菜ちゃん」
振り返ってみると、そこには私を見下ろす美菜ちゃんの姿があった。
私は謝ろうと思って美菜ちゃんの事を探し回っていたのだけれど、美菜ちゃんの姿は何処にもなくて、ずっと見つけられないでいた。
「先輩。わたし、気付いたんです」
「?」
「どうすれば愛されるのかって」
「……美菜ちゃん?」
美菜ちゃんは一段ずつゆっくりと下りてきて、私の前に立つ。
「先輩、愛ってその人の中で最も寄り添って生き続けることだと思いませんか?」
うっとりとした表情を浮かべながら、美菜ちゃんは私の右手を両手でゆっくりと掴み、そして自身の胸元へと押しつける。
「美、美菜ちゃん?」
私は美菜ちゃんのその様子に何か薄ら寒いものを覚えて、その手を振り払うことが出来ずにされるがままとなってしまう。すると美菜ちゃんは私の指の先を一本ずつ擦り付けるようにして制服へと当てた後、満足そうにそっと私の手を元の位置へと戻して、そこから私を通り越して下へ向かう階段の間際まで近づく……そしてその向きをくるりと変え私のことをじっと見つめて微笑んだ。そして、「だからわたしは先輩の為に、この身を捧げることにしました」と、そう言った。
「え?……どういう意味?」
「先輩がわたしの事を一生忘れないように、ずっとずっと一緒に居られるようにします」
美菜ちゃんはそういうと、微笑みを浮かべたまま両手を開いて、そして後ろへと逆らうことなく真っ直ぐに倒れ込む――
「美菜ちゃん!?」
私は何が起きているのか正確に把握できてはいなかったけれど、このまま眺めている訳にはいかないと頭の何処かで思い、美菜ちゃんを助けようと慌てて手を伸ばした――
「!?」
けれどそれを嘲笑 うかのようにして、トップスの裾の部分を掴みかけていた私の指先は、触れた感触だけを残して、ぎゅっと握り拳を作っていた――
ゴォンッ!!
後頭部を強打したと思われる鈍い音が聴こえ、次いでその頭の重さを軸に後転したあと、体を半回転させながら無抵抗のまま落ちて行く……
――ドタン!
廊下に響き渡る、生々しい着地音。
「美菜ちゃん!?」
私はその光景を手を伸ばしたまま茫然と立ち尽くすように見ていたのだけれど、直ぐに自分を取り戻して急いで駈け下りた!
「美菜ちゃん!? しっかりして、美菜ちゃん!!」
強い刺激は与えない方がいいだろうという判断から、声だけを大きく掛けて、美菜ちゃんの肩を軽く摩るようにしてみたけれど、全く反応がない。
「誰か!? 誰か助けて!!――」
◆
「じゃあ、坂下さんが、自分から落ちたのね?」
「……はい」
今、私は職員室に呼ばれて、担任から事情を聞かれている。
担任はあくまで業務の一環としての立場に徹していて、「大変だったわね」と言ったっ切り、慰める訳でも何でもなく、それどころか寧 ろ私の話から疑う様子さえみせていた。
「……」
あれから美菜ちゃんは、直ぐに病院へと運ばれた。
あの子は一体、なんであんな真似をしたのだろう……。
私には全く理解が出来なかった。何かあるのであれば、話し合えば済むような事なんじゃないかと思う……それとも美菜ちゃんにとっては、解決しないことなんだろうか?
『美菜ちゃん……』
そんなことを頭の片隅で考えながら、担任との淡白なやり取を交わしていると、職員室のドアがガラガラと開いて、教頭に伴われた見たことのある男の人達が姿を現し近づいて来た。
「どうも、棚橋さん。覚えていますか?」
「刑事さん達……ですよね?」
「ええ。先ほど起きた事について、少し事情をお聴きしたいと思いまして。宜しければ、署の方まで一緒にお越し願えますか?」
担任を見る。
担任は教頭を見たあと、直ぐに何かを察したようで、私と決して目を合わせようとはしなかった。
「……はい」
そうして刑事さん達の車で、私は警察署へと向かった。
「――で、あなたの話だと、坂下さんが勝手に落ちたことになっていますが、坂下さんはあなたに突き落とされたと言っているんですよ」
さっきの刑事さん達の若い方が、狭く空気の薄い取調室で私を尋問する。
「!? そんなことありません!」
驚いた。なんで美菜ちゃんがそんな嘘を付く必要があるのだろう。
私はそのことについて考えを巡らせたいと思ったのだけれど、刑事さんの執拗な問い掛けと眼差しが私を犯人だと決めつけているようで、私の思考と感情は自然とそちらの方へと傾き怒りが込み上げていた。
「でもねぇ、棚橋さん。あなたの指紋が坂下さんの制服にきっちりと付着しているんですよ? ましてや胸元に。普通、いくら仲良くてもそんな所に手を持ってったりはしないもんでしょ?」
この間、一人の婦人警官が出入り口の前に立ち私達の話に耳を傾け、先程の年配の刑事さんは若い刑事さんのやや斜め後ろに座って私の言動をつぶさに観察していた。
話によれば、美菜ちゃんは救急者の中で「棚橋先輩に突き落とされた」と、そう話していたらしい。
そして彼女の容体については、病院へ足を運んだこの刑事さん達が先生から聞いたところによると、命に別状はないものの、後頭部の強打による打撲と頸椎の損傷と腰椎捻挫に加えて全身の打撲があり、脳に異常は認められなかったものの、MRI検査で判明したのは、頸椎の損傷で手に痺れが残り、今後、握力に影響が出るかもしれないということだった。
「あれは、美菜ちゃんが私の手を取って触らせたんです! 本当です! 信じてください!」
私は全く信じてもらえないこの状況の中、必死で三人の大人相手に訴えかけていた。すると年配の刑事さんが、「まぁこんなことが起きてしまって、棚橋さんも気が動転されていることでしょう。我々はこのあと坂下さんの回復次第では、もう一度病院へ行って、彼女に話を聞いて来ようと思っています。とりあえず今日はこれくらいにして、明日またお話を伺いたいので、申し訳ないのですが本日は泊まっていって頂きます」と、冷淡に私へそう告げた。
「え?……泊まるって、どういうことですか?」
すると若い刑事さんが、「署の中に泊まってもらう場所があるんですよ。【留置場】、聞いたことありません?」と、地獄の番人のような厭 らしい目つきで補足する。
『それが嫌なら、さっさと吐け』
そう言っているようだった。
「は!? そんなの絶対に嫌です! 帰らせてください!」
「それが出来んのですよ。まぁ、我慢してください」
年配の刑事さんが窘めるように私へそう告げた後、何処からともなく一通の書面を見せつけて、逮捕したという時間を私に知らせる。
婦人警官がそれを合図に無駄のない動きで私に素早く手錠をかけ、縄で拘束して私を連れ出そうとした。
「!?」
私はショックのあまり声も出せずに、されるが儘 となっていた――。
留置場へ入る前に身体検査が行われて、ブラジャーを没収され、制服から半袖半ズボンという格好にさせられた。それから毛布を三枚持たされて、その中へと入る。
「……」
たまたまなのか、そこは私一人だけの空間で、しんと静まり返っていた。
よくテレビで観かけるような作りだったけれど、その中の雰囲気は全く違っていた。
ひと言で例えるなら、【澱 んでいる……】だ。
勿論、私のように無実の人もいるのだろうけれど、やはり罪を犯した人達も利用している筈のこの部屋は、どこか普通じゃなかった。
「帰りたい……」
その見えないおどろおどろしさに、身が竦む……
そしてそんな所に閉じ込められることになってしまったことが、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
「……帰りたい」
私は一晩中、泣き明かした――
「一番、起きなさい!」
明け方、やっとうつらうつらした頃、朝を報せるブザーと共に留置担当官が私を番号で呼び起こす。
「早くしなさい!」
最初は悪い夢でも見てるのかとぼんやりとしていたけれど、次第に頭がはっきりとしてきて、自分の置かれた状況を嫌でも思い出した。
「……」
泣きそうになるのを堪えて、私はその後、担当官の指示に従った――
「よく眠れましたか?」
午後から昨日と同じようにして取り調べが行われた。
けれど冒頭に一つだけ良い話を聞くことが出来た。それは、昨日のうちにお父さんお母さんへ事情が伝わり、着替えなどの差し入れや弁護士さんの手配なんかを慌ててやってくれていたらしく、そのことを刑事さんから聞いた私は、涙が止まらなかった。
「……いいえ」
今日は最初から年配の刑事さんが尋問担当のようで、「ご両親の為にも、素直に認めたらどうですか?」と、先程の説明が終わって直ぐに対面で切り出してきた。
「私はやっていません!」
ジャージに着替え、スリッパを履かされた私は、たった一日ですっかり被疑者のそれに変わり果てている……
外見だけならもう犯罪者のようだ。
「そうそう、あなたの手荷物を確認したところ、クマのぬいぐるみの中に盗聴器が仕込まれていましたが、何か心当たりはありますか?」
「!? あれは美菜ちゃ……坂下さんから頂いたものです。でも、そんな、盗聴器だなんて……」
唖然とする私を無視するかのように、刑事さんは話を続ける。
「そうですか。それから聞くところによると、なんでも坂下さんに対して、随分と強い口調で何かを言っていたようですね? クラスメートや他のクラスの生徒さんもそれを見ていたようですが……?」
「それは伊織があんな目に遭ったのに、あの子が嬉しそうに〈せっかく二人きりで帰れるのに〉って言ったからです!」
「で、その怒りが溜まりに溜まって突き落とした……と?」
「だからしてません!」
「話を変えますが、あなた、岸谷伊織さんと別れた後、本当に真っ直ぐ帰ったんですか? 本当はそのあと追いかけて石段から突き落としたんじゃないんですか?」
「!?」
「実はですね、岸谷さんが救急車の中でうわ言のように〈萌、萌が……〉と繰り返していたようです。それに走り去って行く女子高生らしき人影を見たという証言もあるんですよ」
「それが私だって言うんですか!?」
「……」
年配の刑事さんは、「そうなんだろ?」という目で私を見る。
「そんなこと、絶対にしてません!」
私は潤む目から、これ以上絶対に涙が零れないように、この後も必死で堪えながら訴え続けた――。
それからの数日、私は学校が終わると直ぐに伊織の病室を訪れては、面会終了時間ぎりぎりまで側に付き添っていた。
――すると、美菜ちゃんのことをふと思い出す。
『少し、きつく言い過ぎたかな……』
気付けば美菜ちゃんからのLINEも、一緒に帰ることもなくなっていた。
『明日、学校で謝ろう』
伊織の寝顔を見ながら、私の身勝手な感情の所為で美菜ちゃんを傷つけたかもしれないことに反省する。そして安定した呼吸をくり返す伊織に「帰るね……」と、そう声を掛けて病室を後にした。
「――萌、なんか連絡あったか?」
壮士は刑事さんから情報が入っていないか、日に一度はこうして私に確かめるようになっていた。
「ううん、なんにもない」
今、私は壮士と一緒に同好会部屋で放課後の一時を重い心と体で過ごしている。
今日は検査があるとのことで、伊織には会えないという話を聞いていたからだった。
「早く目、覚めるといいな」
壮士は無線機を調整しながら私に声だけを掛ける。最近、壮士の無線機は日によって機嫌が激しく変わるらしく、今は非常にご機嫌ナナメのようだ。
「……うん」
壮士は本当に調整しているのか、それとも私と目を合わせないようにしているのかは分からなかったけれど、とても優しい口調でそう告げてくれる。
そして、「俺も大丈夫そうだったら、岸谷のお見舞い……行ってもいいかな?」と、ボソッと口にした。
「!? うん! 絶対に喜ぶと思うから、行こう!」
「……ああ」
壮士のホッとした雰囲気が伝わってくる……多分、壮士は一日でも早く伊織のもとを訪れたかったのだろう。けれど自分は行ってもいいものなのかどうかを悩んでいたんじゃないかと思う。
確かに、「なんでこんな恰好してる時に連れてくんのよっ!?」って、伊織に怒られてしまいそうだけど、それでも壮士を連れて行って伊織を元気付けたかった……だって、例え意識がなかったとしても、語りかけるその気持ちは絶対に届くと思うから。
「じゃ、明日早速一緒にいこ♪ 今まで何にも持って行けてなかったから、ちょっとお見舞いの果物とか、これから見てくるね!」
「俺も一緒に行こうか?」
「ううん、お金だけくれたらいいよ!」
「しっかりしてんな(苦笑)。じゃ、俺は動画でも撮ってるわ」
壮士はそういうと、私に千円札を一枚渡して、それから無線機を前にスマホを固定し始める。
「行ってくるね!」
――私は微かに
「……」
本当は、壮士と一緒に行きたかったけれど、伊織のことを考えたらそんなこと出来るはずがない。
「ちゃんと伊織が元気になって、戻って来てから……」
私はそう呟き、そして、
『正々堂々と』
心の中で、祈るように決意を述べた。
「――先輩」
三階にあるその部屋を出て、私がそんなことを固く誓いながら最初の踊り場まで階段を下りていると、聞き覚えのある声が降ってきた。
「……美菜ちゃん」
振り返ってみると、そこには私を見下ろす美菜ちゃんの姿があった。
私は謝ろうと思って美菜ちゃんの事を探し回っていたのだけれど、美菜ちゃんの姿は何処にもなくて、ずっと見つけられないでいた。
「先輩。わたし、気付いたんです」
「?」
「どうすれば愛されるのかって」
「……美菜ちゃん?」
美菜ちゃんは一段ずつゆっくりと下りてきて、私の前に立つ。
「先輩、愛ってその人の中で最も寄り添って生き続けることだと思いませんか?」
うっとりとした表情を浮かべながら、美菜ちゃんは私の右手を両手でゆっくりと掴み、そして自身の胸元へと押しつける。
「美、美菜ちゃん?」
私は美菜ちゃんのその様子に何か薄ら寒いものを覚えて、その手を振り払うことが出来ずにされるがままとなってしまう。すると美菜ちゃんは私の指の先を一本ずつ擦り付けるようにして制服へと当てた後、満足そうにそっと私の手を元の位置へと戻して、そこから私を通り越して下へ向かう階段の間際まで近づく……そしてその向きをくるりと変え私のことをじっと見つめて微笑んだ。そして、「だからわたしは先輩の為に、この身を捧げることにしました」と、そう言った。
「え?……どういう意味?」
「先輩がわたしの事を一生忘れないように、ずっとずっと一緒に居られるようにします」
美菜ちゃんはそういうと、微笑みを浮かべたまま両手を開いて、そして後ろへと逆らうことなく真っ直ぐに倒れ込む――
「美菜ちゃん!?」
私は何が起きているのか正確に把握できてはいなかったけれど、このまま眺めている訳にはいかないと頭の何処かで思い、美菜ちゃんを助けようと慌てて手を伸ばした――
「!?」
けれどそれを
ゴォンッ!!
後頭部を強打したと思われる鈍い音が聴こえ、次いでその頭の重さを軸に後転したあと、体を半回転させながら無抵抗のまま落ちて行く……
――ドタン!
廊下に響き渡る、生々しい着地音。
「美菜ちゃん!?」
私はその光景を手を伸ばしたまま茫然と立ち尽くすように見ていたのだけれど、直ぐに自分を取り戻して急いで駈け下りた!
「美菜ちゃん!? しっかりして、美菜ちゃん!!」
強い刺激は与えない方がいいだろうという判断から、声だけを大きく掛けて、美菜ちゃんの肩を軽く摩るようにしてみたけれど、全く反応がない。
「誰か!? 誰か助けて!!――」
◆
「じゃあ、坂下さんが、自分から落ちたのね?」
「……はい」
今、私は職員室に呼ばれて、担任から事情を聞かれている。
担任はあくまで業務の一環としての立場に徹していて、「大変だったわね」と言ったっ切り、慰める訳でも何でもなく、それどころか
「……」
あれから美菜ちゃんは、直ぐに病院へと運ばれた。
あの子は一体、なんであんな真似をしたのだろう……。
私には全く理解が出来なかった。何かあるのであれば、話し合えば済むような事なんじゃないかと思う……それとも美菜ちゃんにとっては、解決しないことなんだろうか?
『美菜ちゃん……』
そんなことを頭の片隅で考えながら、担任との淡白なやり取を交わしていると、職員室のドアがガラガラと開いて、教頭に伴われた見たことのある男の人達が姿を現し近づいて来た。
「どうも、棚橋さん。覚えていますか?」
「刑事さん達……ですよね?」
「ええ。先ほど起きた事について、少し事情をお聴きしたいと思いまして。宜しければ、署の方まで一緒にお越し願えますか?」
担任を見る。
担任は教頭を見たあと、直ぐに何かを察したようで、私と決して目を合わせようとはしなかった。
「……はい」
そうして刑事さん達の車で、私は警察署へと向かった。
「――で、あなたの話だと、坂下さんが勝手に落ちたことになっていますが、坂下さんはあなたに突き落とされたと言っているんですよ」
さっきの刑事さん達の若い方が、狭く空気の薄い取調室で私を尋問する。
「!? そんなことありません!」
驚いた。なんで美菜ちゃんがそんな嘘を付く必要があるのだろう。
私はそのことについて考えを巡らせたいと思ったのだけれど、刑事さんの執拗な問い掛けと眼差しが私を犯人だと決めつけているようで、私の思考と感情は自然とそちらの方へと傾き怒りが込み上げていた。
「でもねぇ、棚橋さん。あなたの指紋が坂下さんの制服にきっちりと付着しているんですよ? ましてや胸元に。普通、いくら仲良くてもそんな所に手を持ってったりはしないもんでしょ?」
この間、一人の婦人警官が出入り口の前に立ち私達の話に耳を傾け、先程の年配の刑事さんは若い刑事さんのやや斜め後ろに座って私の言動をつぶさに観察していた。
話によれば、美菜ちゃんは救急者の中で「棚橋先輩に突き落とされた」と、そう話していたらしい。
そして彼女の容体については、病院へ足を運んだこの刑事さん達が先生から聞いたところによると、命に別状はないものの、後頭部の強打による打撲と頸椎の損傷と腰椎捻挫に加えて全身の打撲があり、脳に異常は認められなかったものの、MRI検査で判明したのは、頸椎の損傷で手に痺れが残り、今後、握力に影響が出るかもしれないということだった。
「あれは、美菜ちゃんが私の手を取って触らせたんです! 本当です! 信じてください!」
私は全く信じてもらえないこの状況の中、必死で三人の大人相手に訴えかけていた。すると年配の刑事さんが、「まぁこんなことが起きてしまって、棚橋さんも気が動転されていることでしょう。我々はこのあと坂下さんの回復次第では、もう一度病院へ行って、彼女に話を聞いて来ようと思っています。とりあえず今日はこれくらいにして、明日またお話を伺いたいので、申し訳ないのですが本日は泊まっていって頂きます」と、冷淡に私へそう告げた。
「え?……泊まるって、どういうことですか?」
すると若い刑事さんが、「署の中に泊まってもらう場所があるんですよ。【留置場】、聞いたことありません?」と、地獄の番人のような
『それが嫌なら、さっさと吐け』
そう言っているようだった。
「は!? そんなの絶対に嫌です! 帰らせてください!」
「それが出来んのですよ。まぁ、我慢してください」
年配の刑事さんが窘めるように私へそう告げた後、何処からともなく一通の書面を見せつけて、逮捕したという時間を私に知らせる。
婦人警官がそれを合図に無駄のない動きで私に素早く手錠をかけ、縄で拘束して私を連れ出そうとした。
「!?」
私はショックのあまり声も出せずに、されるが
留置場へ入る前に身体検査が行われて、ブラジャーを没収され、制服から半袖半ズボンという格好にさせられた。それから毛布を三枚持たされて、その中へと入る。
「……」
たまたまなのか、そこは私一人だけの空間で、しんと静まり返っていた。
よくテレビで観かけるような作りだったけれど、その中の雰囲気は全く違っていた。
ひと言で例えるなら、【
勿論、私のように無実の人もいるのだろうけれど、やはり罪を犯した人達も利用している筈のこの部屋は、どこか普通じゃなかった。
「帰りたい……」
その見えないおどろおどろしさに、身が竦む……
そしてそんな所に閉じ込められることになってしまったことが、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
「……帰りたい」
私は一晩中、泣き明かした――
「一番、起きなさい!」
明け方、やっとうつらうつらした頃、朝を報せるブザーと共に留置担当官が私を番号で呼び起こす。
「早くしなさい!」
最初は悪い夢でも見てるのかとぼんやりとしていたけれど、次第に頭がはっきりとしてきて、自分の置かれた状況を嫌でも思い出した。
「……」
泣きそうになるのを堪えて、私はその後、担当官の指示に従った――
「よく眠れましたか?」
午後から昨日と同じようにして取り調べが行われた。
けれど冒頭に一つだけ良い話を聞くことが出来た。それは、昨日のうちにお父さんお母さんへ事情が伝わり、着替えなどの差し入れや弁護士さんの手配なんかを慌ててやってくれていたらしく、そのことを刑事さんから聞いた私は、涙が止まらなかった。
「……いいえ」
今日は最初から年配の刑事さんが尋問担当のようで、「ご両親の為にも、素直に認めたらどうですか?」と、先程の説明が終わって直ぐに対面で切り出してきた。
「私はやっていません!」
ジャージに着替え、スリッパを履かされた私は、たった一日ですっかり被疑者のそれに変わり果てている……
外見だけならもう犯罪者のようだ。
「そうそう、あなたの手荷物を確認したところ、クマのぬいぐるみの中に盗聴器が仕込まれていましたが、何か心当たりはありますか?」
「!? あれは美菜ちゃ……坂下さんから頂いたものです。でも、そんな、盗聴器だなんて……」
唖然とする私を無視するかのように、刑事さんは話を続ける。
「そうですか。それから聞くところによると、なんでも坂下さんに対して、随分と強い口調で何かを言っていたようですね? クラスメートや他のクラスの生徒さんもそれを見ていたようですが……?」
「それは伊織があんな目に遭ったのに、あの子が嬉しそうに〈せっかく二人きりで帰れるのに〉って言ったからです!」
「で、その怒りが溜まりに溜まって突き落とした……と?」
「だからしてません!」
「話を変えますが、あなた、岸谷伊織さんと別れた後、本当に真っ直ぐ帰ったんですか? 本当はそのあと追いかけて石段から突き落としたんじゃないんですか?」
「!?」
「実はですね、岸谷さんが救急車の中でうわ言のように〈萌、萌が……〉と繰り返していたようです。それに走り去って行く女子高生らしき人影を見たという証言もあるんですよ」
「それが私だって言うんですか!?」
「……」
年配の刑事さんは、「そうなんだろ?」という目で私を見る。
「そんなこと、絶対にしてません!」
私は潤む目から、これ以上絶対に涙が零れないように、この後も必死で堪えながら訴え続けた――。