敵か味方か!? 亀戸との因縁④

文字数 1,505文字

 錦糸町を紹介するはずが、すっかり亀戸の話になってしまいました。(^^;)
 しかし、それもやむを得ないと思われる裏付けがあるのです。

 錦糸町・亀戸地区は1982年に上野・浅草地区、大崎と共に副都心へ加えられました。ご存知でしたか?
 確か、小学生の頃に『錦糸町を副都心に』という話が持ち上がり、子供心にも「おぉーっ!錦糸町が新宿と同じようになるのかぁ」とわくわくした覚えがあります。
 当時の北口は改札がなく、国鉄(現JR)の貨物コンテナ置き場として使われていて、何もない広い原っぱでした。昆虫大好きだった私は、ここへ入り込んでバッタを採ったり、雨水が溜まってできた池でヤゴやゲンゴロウを採ったり。懐かしいなぁ。
 都電が廃止されてバスターミナルへと変わって間もない頃で、南口には都電車庫の跡地がまだ残っていました。
 楽天地の映画館街にはボーリング場もあり、ロッテ会館ではドラフト一位指名された愛甲が入団会見を行い、小学校の写生大会では常に一番人気だった精工舎の時計塔が時を刻み……。いけねっ、江東デパートを忘れてた!

 ちょっと横道にそれて、せっかく出てきた江東デパートのお話を少し。
 物心ついた時には、既に「下町で一番大きなデパート」として何でも売っている、そんな存在だった江東デパート。前身は1930年に開店した白木屋(後の東急百貨店)で、戦後に改修されてから東京都交通局の外郭団体が経営するようになったそうです。
 一階には食料品店やお菓子屋さん(遠足のおやつを買うのはここ)、山用品のニッピン(小六の時に移動教室で使う飯盒(はんごう)を買いました)、二階には切手・古銭の販売(切手集めを趣味にしてました)、ジーンズ専門店(初めてジーパンを買ったのはここ)などなど、当時のデパートには定番である屋上遊園地もあり、思い出がいっぱい。中でも食料品店の一角にあった焼きそば屋さん、細めの麺に濃い目の味付け(色も黒っぽい)の焼きそばが百円で、中学の帰りにちょくちょく友達と立ち寄って食べたのが忘れられません。

 コンテナ置き場は再開発され、アルカイースト(事務所棟)、アルカキット(商業棟)、アルカハビタ(住居棟)、すみだトリフォニーホール(新日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズ)、東武ホテルレバント東京など八棟の高層ビル群に生まれ変わりました。
 都電車庫跡はマルイへ、楽天地の映画館街はLIVIN(現在、パルコへ改装中)へ、ロッテ会館はロッテシティホテル錦糸町へ、精工舎跡はオリナス(ショッピングモール、事務所棟、住居棟の複合施設)へ、江東デパートは東京トラフィック錦糸町ビル(みずほ銀行、商業・事務所複合施設)へと。
 あの頃とは街の表層がだいぶ変わったけれど、新宿とは異なり、再開発地域には必ず住居棟を設けるなど、住居・生活圏と業務・商業圏が近接した地域性を生かした街づくりを目指してきたんだなぁと実感しています。

 東京の副都心と言えば1958年に指定された新宿、渋谷、池袋が有名ですが、現在は1995年に指定された臨海地区を含めて七地区が東京都より指定を受けています。
 このうち、二つの行政区にまたがるのは錦糸町(墨田区)・亀戸(江東区)地区のみ(上野・浅草はともに台東区です)。江戸の頃から築き上げてきた二つの街の関係は、1932年に三十五区が制定されて行政区が分かれた後も続き、今日に至っています。
 まさにお互いを盟友と呼べるような、そんな両町なんです。

 立地だけでなく、心情的にも錦糸町とはとても近い亀戸。
 今度は両町の『食』にスポットを当ててみます。

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