高飛車な奴らと本物―—ヴィクトリア女王 最期の秘密

文字数 1,627文字

「それで言われたんよ、“わたしの家は三代続いて京都出身なんです”って」
「まじで?」
 大学時代の同級生・麗香とドライブに出かけた。ダッチラム・チャレンジャーという赤いアメ車に揺られながら麗香の大阪営業時代の話を聞いていた。
「うちも考えてみれば三代続いて愛知県出身だけど、三代続いてるなんて一回も考えたことがなかったな〜」
「生粋ってことをアピールしたいんじゃない?相手にとってわたしたちってどこの馬の骨か分からないように見えてるのかもね。まあ田舎出身っていうのは本当だけどね」
 麗香は肩をすくめた。
「今度そんなこと言われたらこう言ってあげればいいんじゃない?“じゃあそれで全ての運使ってしまいましたね”って」

 プライドの高い人たちがドタバタする映画がある。2019年公開の『ヴィクトリア女王 最後の秘密』だ。
 まだインドがイギリスの植民地だった頃、ヴィクトリア女王に記念硬貨の贈呈役としてインド人のアブドゥルがイギリスにやってくる。夫や寵臣を亡くし、華やかな王室に身を置きながらも、人知れず孤独を感じるヴィクトリア女王。インド出身で学歴も決して高くないが、背も高く、顔もチャーミング、そして知らない世界について話すアブドゥルとの交流の中で、次第に女王の心に新しい風が吹くようになる。しかしその風はいつしかイギリス王室を破壊しかねないほどの大きな嵐となっていく…。


※これから先、物語の本編に触れる内容が含まれます。
 正直、主人公アブドゥルに出世欲が有ったのか、本当に献身的だったのかはインド人という彼の立場上いまいちよくわからない部分もあった。しかし、ヴィクトリア女王とその周りのイギリス人の正直すぎる反応に釘付けだった。
 まずヴィクトリア女王の息子をはじめとする、側近の者たち。植民地から来たインド人なんてプライドの高い彼らは断じて相容れない。アブドゥルを女王のいないところでいじめたり、皆裏でコソコソと結託し、アブドゥルをみんなで引きずり下ろし追放しようとするが、一人で名乗り出て女王に抗議をすることはできない。一周まわって清々しいまでの態度である。
 こういった異なる民族が出てくる話では最終的に分かち合い、民族の違いを超えて良き“理解者”が増えたりするものだが、この物語ではヴィクトリア女王以外一貫して変わることはない。この映画は分かち合えない事を、下手したらイギリスの印象も悪くなりかねないほど滑稽なまでに正面から描いている。
 そして側近たちとは反対にヴィクトリア女王の好奇心旺盛だ。インドは植民地なので、ヴィクトリア女王はインド女帝でもあった。それにも関わらずアブドゥルにも普通に会話し、興味が出てきたので、今度はインドの言葉を習おうとする。アブドゥルはインド人だが宗教はヒンドゥー教ではなくイスラム教徒で、言葉もヒンディー語ではなく、ウルドゥー語(ヒンディー語の同系言語に当たり、ヒンディー語との発音による意思疎通は可能だが、文字的にはアラビア語によく似ている言語)を教える。アブドゥルはウルドゥー語は庶民的なヒンディー語よりも洗練された言語だと言う。そこからヴィクトリア女王はウルドゥー語を習い始める。側近たちの反応はある種“普通”な反応だったこの時代に、そんな地位が高いのに、言葉を習ってからはムンシ(師の意味)と呼んで先生として敬ったり、側近たちのアブドゥルへの直訴に対して理路整然と理由を述べ跳ね除ける。その分け隔てのない“普通”な姿勢がすごい。
 やっぱり飛びぬけた人は中途半端にひけらかさないのだ。だってそれが“普通”なのだから。

今回の物語:
『ヴィクトリア女王 最後の秘密』スティーブン・フリアーズ監督
参考資料:
チャレンジ41か国語~外務省の外国語専門家インタビュー~ 2010年2月 ウルドゥー語の専門家 芦田さん
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/challenge/int37.html

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