私の恋人

文字数 5,603文字

 午前二時。私はイヤホンを外し、軽く伸びをすると大きく溜め息を吐いた。そのまま机に伏せる。頭が痛かった。生きている心地がまるでしない。ピコンと携帯が鳴る。横目で確認したロック画面に表示されたのは、恋人からのメッセージ。おやすみの文字の後に、彼のお気に入りの犬の絵文字が付いていた。なにがおやすみ、だ。私は腹が立って、起き上がると今度はベッドへダイブした。ふかふかのベッドに沈んでしばらくじっとしていると、さっきまで話していた彼の声が頭の中を飛び回る。
 『愛莉(えり)に会いたい』『俺忙しいから会いに来てよ』『愛莉は俺に会えなくて寂しくないの?』
 ああ、苛々する。会いたいと言ってくれるのは嬉しいことだ。私から会いに行くことも苦ではない。むしろ喜んで行くだろう。今の状況でなければ。
  一昨日の夜のことだった。付き合って五ヶ月になる恋人と、来週に控えたデートについて話していた。恋人は少し遠い所に住んでいて、それ故会えるのは月に二、三回程度だったので私は恋人に会えることをとても楽しみにしていたのだ。何処に行こうか何をしようかと意気揚々と話す私に、彼は言い出しにくそうに言った。
 『ごめん、その日別の予定が入って行けなくなった。バイトその先輩に誘われて断れなくてさ、俺もその日しか空いてなくて。ごめんな』
 もちろんこんなことを言われただけで怒ったわけではない。人付き合いは大切だし、彼が先輩の誘いを断れなかったことも責めるつもりはない。が、同じような理由でデートの約束をおじゃんにされたのはこれで四度目である。流石に腹が立つ。それに加えて相手の先輩は女性である。彼は気付かれていないとでも思っているのかもしれないが。
 他の女との予定を私との予定を放棄してまで入れるなんて、彼は一体何を考えているのだろうか。私の常識では考えられないことだった。そもそも、人との約束がある日に別の予定を上から入れるという彼の行動が理解できなかった。私は呆れて怒ることもできず、半ば投げやりに楽しんでねと告げて電話を切ったのだった。
  そうして自分から私に会う機会を潰しておいて、この有様である。ふざけているとしか思えない。私にだって予定があるのにそんなことを言われても困ると伝えると、今度は怒り出す始末である。理不尽な怒りに厭きれることしかできない。
 
 気分転換でもしようと久しぶりに真白(ましろ)に会うことにした。折角の少ない休みの予定を彼に潰されてしまったので良い機会だ、家でゆっくりするのも良いが、外に出て満喫したい。そう思い、適当な理由を付けて真白へメールを送る。
 『今週末空いてる? 久しぶりに遊びたい』
 『空いてるよ。デートだ! 是非行こう』
 真っ白な可愛い熊が踊る軽快なスタンプと共に、返事はすぐに返ってきた。私はそれを確認すると、携帯を閉じて眠りについた。

  平(たいら)真白は私の良き友人であり恋人である。中学三年生の夏頃、授業のグループワークで一緒の班になったことをきっかけに仲良くなった。志望校が同じだったということも、理由の一つと言えるだろう。それまでまるでお互い興味がなかったのに、今では恋人同士になっているのだから人生とはわからないものだ。
 さて、そんな真白にはとても可愛い(と真白が絶賛している)恋人がいる。私のことではない。もちろん私は可愛いが、私は真白にとって本命ではなく遊びなのだ。まあ、それは私にとっても同じことだけれど。
 そう。私には恋人が二人いる。本命の恋人と、遊びの恋人が一人ずつ。恋人だから、甘い関係だとは限らない。私と真白は、お互いを利用し合っているだけである。

 朝。いつもより多めにセットしたアラームを止めてシャワーを浴びた私は、手早くいつものように化粧をすると二日前から決めておいたワンピースに着替える。鏡の前に座って、髪を結う。半年前に肩まで切った髪は、気が付くと胸のあたりまで伸びていた。
 持ち物を確認して時間を見ると、乗るべき電車の時刻が近づいていた。私は慌てて出ようと最後の確認に玄関の鏡の前に立ち、大切な忘れ物をしていたことに気が付いた。鞄を置いて自室に戻った私は、アクセサリーボックスから土星のネックレスを出した。前回のデートの時に、真白がプレゼントしてくれたものだ。次のデートはこれをつけると約束していた。私はネックレスをつけると再度玄関の鏡で最終確認をした。にっこりと笑顔を浮かべて、世界一可愛い彼女を鏡に映す。今日も可愛いぞ、と自分に気合いを入れて家を出た。
 時間を確認すると残念なことに乗るはずだった電車には間に合わないようだったので、真白に一言メールを送る。しばらく経っても返事がない。まだ寝ているのだろうか。仕方ない。駅に着いたらモーニングコールでもしてやろうと携帯を鞄に仕舞う。と、その時メールの着信音が鳴った。
 『おはよう』
 真白からの返信かと思い確認すると、彼からのメールだった。……朝から気分を上げていたのに、一気に引き下げられる。犬の絵文字がついていることさえ腹立たしい。気分転換なのだから、今日ぐらいは彼のことを考えていたくなかった。私は彼のトークの通知を切ると再び鞄に携帯を入れて目を閉じて、しばらく電車に揺られていた。

  「遅れてごめん」
 開口一番、真白は私にそう言って軽く頭を下げた。待ち合わせ場所である駅に着いた頃には真白はもう起きていて(それでも寝坊だが)私より十分ほど遅れて来た。
「おはよう。いつものことだから、別に気にしてないけど。本命の恋人との待ち合わせぐらいはちゃんと寝坊しないで行きなよ?」
 私がそう言うと真白はありがとうといたずらっぽく笑う。「髪、伸びたね」
「ああ、うん。今週末には切ろうと思ってる。愛梨も伸びたんじゃない? 切らないの?」
 真白は前髪をもてあそびながらロングは好みだけど、と続ける。私は悩んでるのと返す。真白はふうんとつぶやいて私の髪を撫でると、顔をにやつかせた。
「そのワンピース、すごく似合ってる」
「真白の好み、どストライクでしょ」
「完敗だよ。可愛い」
「可愛いのはいつものことよ」
 私は久しぶりに受ける褒め言葉に素直に喜んで、やっぱり真白と居る時間は大切だと思った。

 その後いつもの映画館に着いた私たちは、今流行りの恋愛映画を観た。この映画は以前彼と観たのだが、私は真白ともう一度観たかった。下らない恋愛。馬鹿馬鹿しく思う反面、羨ましく思う。このままずっと続くはずだと信じて疑うことのない主人公たちのように、私も夢を見ていられたら良かったのに。現実とは酷なものだ。真白も、こんなふらふらしている私を馬鹿らしいと思っているだろうか。
 そんなことを考えながら、字幕を目で追う。スクリーンの中の彼らは、絵に描いたような青春を生きていた。気が付くと、私は涙を流していた。感情移入しやすい性格なのだ。おまけに涙もろい。私は弱い人間だと思う。

 上映が終わった劇場で私はしばらく余韻に浸る。真白はいつものように私が立ち上がるまで待って、劇場を後にする私の後ろについてくる。その後互いに感想も言わず映画館を出た私達は、同じビルのフードコートで昼食をとった。真白は少食だ。今日だって朝ご飯を食べていないはずなのに、サンドイッチ一つで足りると言う。全くおかしなことだ。
 私はうどんを注文して、レジの横に置いてあるおにぎりを二つ追加した。これくらい食べなければお腹が空いてしまう。トレーを持ち席に戻ってきた私を見て、真白はよく食べるなという顔をした。昆布のおにぎりを頬張りながら、映画館に入る前に切って置いたままの携帯の電源を入れる。ふと、通知欄の今朝来たばかりの彼からのメールが目に入る。彼は今頃私と同じようにデート中だろう。少し邪魔でもしてやろうかと、おはようとメールを返す。私はそれだけするとまた食事を再開した。
 今度は鮭のおにぎりを頬張っていると、真白がぼうっとこちらを見ているのでおにぎりを少し差し出しながら食べる?と首を傾げると、真白は首を振って持っていたサンドイッチの残りを口に放り入れた。どうかしたのだろうか特に気に留めもしないまま、私はおにぎりを口に運ぶ作業に戻った。

 昼食を食べ終えた私達は、私の要望で服を見て回ることになった。デートの為ということもあるが、新しい服はいつでも欲しいものだ。真白は私が選ぶより私に似合う服を選んでくれるのでとても助かっているのだ。真白が一緒に居る時こそ服を見なければ。
 まずはお気に入りのお店を回る。可愛くて私の好みの服がたくさん置いてあるお店だ。入り口近くのマネキンが身に着けているワンピースが、目に留まる。淡い桃色で、ふわりと広がるひざ丈のスカート、丸襟でリボンがついている。私は手に取り鏡の前で自分に合わせてみる。
「これ、どう?」
 真白に問いかけると、真白は少し悩んだ後違う色のワンピースを取り出してきた。
「愛莉はこっちの色のほうが似合うよ」
 そう言って、淡い水色のワンピースを私の前に合わせる。なるほど。確かに合っている。じゃあこっちにすると言って、私は桃色のワンピースを元の場所に仕舞う。その後しばらく店内を見て回り、私はワンピースとブラウスを買った。

 満足な買い物もでき少し疲れた私達は、ケーキの美味しいカフェに入った。ショーウィンドウに並べられたケーキから、私はイチゴの乗ったチョコレートケーキを、真白はラズベリーの乗ったレアチーズケーキを選び、それぞれコーヒーと紅茶を注文した。私は運ばれてきたコーヒーに砂糖もミルクも入れずにそのまま口にする。と、真白はいぶかしげな表情で私のほうを見ていた。
「前から思ってたけど。コーヒーってブラックのまま飲んでおいしい?苦くない?」
「甘いケーキと一緒に頂くのだから、苦くていいじゃない。丁度良いわよ」
「そういうものか」
 納得のいった表情をして真白は紅茶のカップを傾ける。私はカップを置いてフォークでチョコレートケーキの端をすくうとそのまま口に運ぶ。甘ったるいチョコレートが口の中で溶け、スポンジがふわふわと口の中で跳ねる。
「美味しい」
 幸せだと頬を緩ませ堪能する。美味しいものを食べている時ほど幸せな時間はないといっても過言ではない。いやそんなことはないのだが。

 私が幸せに耽っていると、既にチーズケーキを半分食べ終えた真白が私に問うた。
「そういえば、本命の彼とは上手くいってる?」
「……あんまり。というか、何だか最近馬鹿らしくなってきちゃって」
 私はフォークを置いて数日前デートをキャンセルされたことを真白に話した。
「今頃先輩と楽しくデートしてるのよ。私は一ヵ月も前から予定空けて待っていたのに。挙句の果てにはそっちから会いに来いだなんて、一体私を何だと思っているのかしら。」
 大きなため息と共に不満を吐き出し、ケーキを頬張る。
「真白のほうはどうなの」
「まあ、いつも通りだけど。別に喧嘩も何もしてないよ」
 涼しい顔で答える真白が羨ましい。何故私はこうも上手くいかないのか。一番楽しいのは片思いの時と聞くが、全くその通りだと思える恋愛しか経験したことのない私は一体何なのだろう。
 次の人探そうかな、とケーキをフォークでつつきながらつぶやくと、真白は冗談めかしく悪戯っ子のような顔で、紅茶を口に運びながら私に言った。。
「僕だけにしておけば?」
「所詮遊びだって言ったのは誰よ、お断り」
「あら、フラれた」
 真白は面白そうに笑う。全く無責任な人だ。自分にも本命の恋人がいるくせに。そう、私がいくら本命と別れても真白はきっと本命の恋人と別れる気配なんて無いのだ。真白はそれほど本命の恋人に夢中である。私だって真白とずっと一緒に居られたら良いのにと思うことはあっても、恋人としてそうなってほしいとは思わない。私たちはお互いに大切で、でも恋人のようにはいかないのだ。けれど。
「私達は、別に恋人じゃなくていいよね。恋人じゃ、なくても」
 私が不意にそう声を漏らすと、真白は少し驚いたように、それでも冷静に言葉を返してきた。
「そうだね。本来恋人でいることがおかしいわけだし。煩わしくなってまで一緒に居る必要はないよ」
 いつでも、切り捨ててくれていい――そう言う真白の眼は、とても悲しそうに見えた。
「……それができたら、苦労なんてしないわよ」
 私はあえて、恨めしそうに真白を睨みつけた。真白が困らないように、真白が冗談だと思えるように。

  カフェを出る頃には、街は赤く染まり始めていた。手を繋ぎ、駅まで歩いた私達はいつものように、ホームへ降りる階段の前で別れを告げる。
「今日はありがとう。真白と話ができてよかった。今度は真白の服、買いに来よう」
「こちらこそ。そうだね、良い服選んでよ?」
 ふふっと笑いながら、目を細める真白。細身の体に白い肌はとても綺麗で、笑うと頬にできるえくぼが可愛らしかった。
 ふと、隣を制服のスカートを揺らしながら女の子達が通り過ぎて行った。この辺では有名な、お嬢様学校の生徒だろう。
「夏休みなのに、部活かな?何年生だろうね」
 真白が制服の後ろ姿を見ながら言った。私は久しく訪れていない校舎を頭に浮かべながら、真白に言葉を返す。
「うちの学校、結構部活厳しいものね」
 毎日部活に明け暮れている同級生の顔を思い出す。彼女達は休みに入る前も、部活が忙しいので遊びに行けないと嘆いていた。
「それじゃ、そろそろ電車が来るから。気をつけてね」
「うん。真白も気をつけて。」
 私達は手を振って、ホームへの階段をそれぞれ降りて行く。降りた先の、向かいのホームで携帯を操作する真白はとても嬉しそうな顔をしていて、すぐに恋人にメールをしているのだとわかった。電車が来る。真白の、真白のお気に入りのロングスカートが、風に小さく揺れていた。





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