七、クリスマスパーティー?

文字数 24,015文字

 十二月二十四日。
 お父さんは普段ラフな格好だけど、今日だけは別だ。きちんとスーツを着て、白いネクタイを締めている。私も一張羅のドレスを着て、朝から美容院でメイクとセットをしてもらった。お父さんの出席する出版社のクリスマスパーティーは、納会も兼ねている。場所はセンチュリーハイアットホテルの大広間。ここにたくさんの著名人が集まるのだ。
「緊張するなぁ」
「ああ、お父さんは新作についてのインタビューも受けるんだっけ?」
 クリスマスパーティーには、業界関係者も集う。そこで新作の宣伝や、賞を獲ったばかりの新人のインタビューも行われることになっているのだ。
 私たちはダイニングで先輩たちを待っていた。パーティーに招待したお礼、ってわけじゃないけど、みんなでリムジンで会場入りすることになっている。
 お父さんも今は中堅どころの作家ではあるけど、リムジンは初めてらしく、落ち着かない様子だ。しばらくすると、インターフォンが鳴る。ドアを開けると、運転手さんが迎えに来てくれた。
 車の扉を開けると、「こんばんは!」ときれいなハーモニーが響く。中にいたのは、私のドレスなんかよりもシックで豪華な金のドレスを着た菖先輩、男性顔負けでカッコイイブラックのスーツを着こなしている楓梨先輩、ぽわぽわしたピンクのワンピースに、フェイクファーのケープを肩にかけた瑚己羽先輩が乗っていた。
「お、おお! すごい美人さんばかりだな!」
「お父さん、ともかく早く乗って!」
 菖先輩たちと向かい合う形で車に乗ると、お父さんは自己紹介する。
「月海の父の宮間駿介です。ペンネームの方が知られてるかな? 月下海斗とも言います」
「えぇっ! 月下海斗先生ですか!」
 反応したのは楓梨先輩だった。
「ファンなんです! サインしてくださいっ!」
「素敵なお嬢さんにサインを求められるなんてね」
 お父さんは照れながら、車に備え付けてあった紙のコースターにサインして楓梨先輩に渡す。
「月海、お父さんが月下海斗先生だなんて、初耳だよ」
「言うほどのことじゃないかと思ってたので……」
「そんなことないよっ! あたしの中で、好きなアクションのひとりなんだから!」
 お父さんはいろんなジャンルの小説を書く。ある意味器用だということで有名だ。特に評価を受けているのはアクションもの。楓梨先輩はアクションものが好きなのか。彼女らしいといえばそうだな。
「月下先生のことは私も存じておりますわ。先日読んだ『愛と冷情の合間に』も素晴らしかった。小説は芸術品にもなるのですね」
 そう言えば菖先輩、先日ラブロマンスを読んでいたっけ。あれってうちのお父さんの小説だったのか。なるほどね。『知識として仕入れていた』って聞いて驚いたけど、こういう風に使うんだ。私は妙に納得してしまった。
「ボクは小説苦手であんまり読まないんだけど……あ、月海ちゃんの小説は読んだんだ! やっぱお父さんが小説家だから、月海ちゃんの作品も面白かったのかな!」
「……月海の小説、か」
 お父さんは口ごもる。私も自分の小説については、今触れたくない。この小説がきっかけで、花鳥風月は誕生した。それもあるけど、やっぱりお父さんの前ではお父さんを立てなくちゃいけないから。それが私の役目だ。
「私のなんて、大したことないですよ! 父の小説は私も大好きで、ずっと読んで暮らしていましたから!」
「……月下先生、コーヒーはいかがです?」
 菖先輩が車に常備してあるポットから、カップに温かいコーヒーを注ぐ。お父さんはそれを受け取ると、砂糖とミルクを淹れおいしそうに口をつける。
「いや、リムジンなんて乗るの、初めてだから緊張するな。月海はいつもみなさんとこの車で登校しているのか? なんというか……すごいんだな」
 お父さんは驚いたように私を見る。そりゃあ私だって、最初三台のリムジンが家に来た時はびっくりした。でも、慣れというものは怖いものだ。一か月もかからず、私は偽お嬢様のフリを極めたといっても過言じゃない。今まで言えなかった挨拶も、笑顔でおしとやかにできるようになったし、勉強は相変らずダメダメだけど、ファンの女の子なんかもできた。これもすべては先輩たちのおかげだ。
「月下せんせぇ、月海ちゃんは完璧にお嬢様やってるよ~!」
 瑚己羽先輩が屈託のない笑顔で言うと、お父さんは照れくさそうにした。
「はは、うちはそんなお金持ちでもないんだけどね。これはトンビが鷹を生んだ、ってやつかな!」
 こんな具合で、お父さんを持ち上げながらパーティーまでの道のりを進んでいく。センチュリーハイアットに到着すると、お父さんは三人の美少女と娘を連れ、リムジンを降りる。その姿に驚いたのが、ちょうど駅からホテルまで歩いてきていた作家仲間さんたちだった。
「げ、月下! お前リムジン? しかもこの美少女たちは?」
「ああ、娘の友達というか先輩でね。今日のパーティーにぜひ参加したいと言ったから」
「竹中菖です」
「河本楓梨」
「鈴原瑚己羽だよ!」
 三人の先輩たちは名乗った。作家仲間の方々も、一応奥さんや娘さんなど、ご家族を同伴させているが、私たちのところだけ、キラキラと輝いているようだった。
 パーティー会場では、さっそく挨拶回りが始まる。私は先輩たちがいるということで、挨拶はしないで一緒に食事をすることにした。
「わぁ! 大きいケーキだぁ~!」
「瑚己羽、ケーキはデザートだ」
「ね、菖先輩! あっちにローストビーフが!」
 私は三人のテンションに驚きながら、一緒に立食式の料理を取っていく。彼女たちはなんだかんだ言ってお嬢様だ。だったら、このくらいの料理、食べ慣れているんじゃないか? 私が不思議に思いながら先輩たちを見ると、菖先輩が答えてくれた。
「私たちの家がいくら金持ちでも、食事は普通の家庭と変わらないぞ? 月海、あんた、まだ金持ちとか一般人とか気にしているのか? 中身は一緒だぞ」
「そういうわけではなかったんですけど……」
 もう気にしていなかったつもりだったけど、やっぱり先輩たちはちゃんとしていればお嬢様っていう雰囲気が強いから、つい……。
 こんな些細なことを気にしていたら、パーティーが楽しめないよね。
「先輩たち、あっちにシャンメリーがありますよ。これから乾杯ですし、持ってきます」
「私も行くよ。ひとりじゃ持ちきれないだろう」
「ありがとうございます、菖先輩」
 私と菖先輩がシャンメリーを取りに行っている間、楓梨先輩は肉料理、瑚己羽先輩はデザートを取りに行く。その先で、菖先輩は私にたずねた。
「月海、あんたは……お父さん、いや、月下海斗についてどう思っているんだ?」
「え? どうって……尊敬してますよ。それに、私はお父さんに育ててもらってきたんです。だからその恩もあります」
「親に恩を感じる、か。素晴らしい親子関係だな」
「ええ、私もそう思います」
 自然に目を伏せる。私がお父さんを尊敬して、大好きなことは変わらない。これからも、何があっても。
あ、でも、私に好きな人ができたら変わるのかな? そう考えると笑えてしまう。
でも、今は女子高だし、そういう大事な人ができるのは、大学に入ったらかな。いや、大学も今の学園の付属大学に入ったら女子大だから変わりない。親離れはなかなかできないかもしれない。私はそう言う風に、自分の思考を変える。本当のお父さんへの気持ちは、絶対に言えない。言ってもいけない。先輩にも気づかれちゃいけない。真実は私の心の中に隠しておく。それでうまく行くのなら。
 壇上では、書店の社長がビールをかかげている。そろそろ乾杯だ。私と菖先輩は、急いで楓梨先輩と瑚己羽先輩と合流し、手にシャンメリーを持たせる。
「それでは、今年一年お疲れ様でした! メリークリスマース!」
 所々でグラスがぶつかるカツンという音が聞こえる。私たちはグラスをかかげるだけだ。ごくんとシャンメリーを飲むと、炭酸のシュワッとした感覚がのどにする。うん、おいしい。
「あたしが持ってきた肉料理も食べて! あ、あと、サーモンとか魚のマリネもあったから、あとで取ってこようか?」
「ボクのスイーツも食べてよ~!」
 私と菖先輩は、ふたりの持ってきてくれた料理に舌鼓を打つ。さすがにホテルの料理だ。お腹がへっていたからというのもあるけれど、とてもおいしく感じる。生クリームがたくさんのショートケーキを口にすると、クリスマス気分も感じられる。料理の食べ方も、みんな個性が出ている。私は少しずつ料理をつまむ感じだけど、楓梨先輩は肉メイン。瑚己羽先輩はスイーツオンリーを食べ漁る。それを見ながら菖先輩はゆったりとシャンメリーを口にする。去年もクリスマスパーティーは出席したけど、やっぱり仲間がいるのといないのじゃ違う。私は毎年、お父さんの知り合いの作家さんや編集さんに挨拶周りでへこへこしていて。
「本当はそんなんじゃなかったのに」
「何がだ?」
 菖先輩は私の独り言を聞いていたようだ。気が抜けてつい、口にしてしまったが私は誤魔化す。
「いえ! なんでもないです毎年お父さんとふたりだったけど、今年はみんなと一緒で楽しいな~っと」
「……月海、本音を話してもいいか?」
「なんでしょうか?」
 二年の先輩たちが料理やスイーツの辺りでうろうろしている中、先輩は壁際で私に話しかける。先輩の本音? 一体何が言いたいんだろう。
「……月海の小説を初めて読んだとき、私は驚いた。こんな高度な小説を書ける生徒が、うちの学園にいたことに、純粋に感動した」
「あ、ありがとうございます」
「でも……それはあんたが生きていくための手段だったんだな」
 私ははっとして、先輩の顔を見る。肌は真っ白で陶器のよう。茶色い瞳はまるで宝石をハメられたようにきらきらと輝いている。先輩はどこまで気づいているの? 私の胸は、ドキドキと早鐘を打つ。私がびくびくして隠している秘密を、どこまで知っているのか――。
 だが、その秘密は、お父さんのインタビューで明らかになってしまった。
 インタビューを受ける作家は、登壇することになっている。お父さんも当然、壇上にいる。ひとりひとり新しい小説の解説というか、説明を始める。ここでメディアの気を引いた方が勝ち。場合によっては……というか、小説家によってはだけど、メディアミックスも考えている節を見せれば、ドラマ化や映画化ありきで話を進めることもできる。
 うちのお父さんも、いくつか小説を映画化して成功しているひとりだ。だから今回の新ネタもうまくいけばドラマ化・映画化もあり得る。ただ、話す内容……ストーリーについては、私にも知らされていない。すべてはこの壇上で明らかになるのだ。
「それでは次に……月下海斗さんの新作についてインタビューを」
司会者はお父さんにマイクを回す。「あー」と声のトーンを調整してから話すのが、お父さんの話術。これでマスコミや業界の人たちを油断させるのだ。私はそれを知っている。お父さんから聞いたのだ。マスコミや業界人はどんな新ネタが来るかドキドキしている。その緊張をほぐすためと言っていたと思う。だけど――そのあと発したお父さんの言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けたのは、マスコミや業界の人じゃなく、私だった。
「今度小説化する物語は、女の子四人組の話です。普通の女の子たちが、正義の味方として戦う、ヒロインものを想定しています」
 お父さんが話した内容は、私が先輩たちに見せた、『花鳥風月』の原本と同じ内容だったのだ。
それに驚いたのは、瑚己羽先輩と楓梨先輩。各々食べていたものを吹きだしそうになりながらも、急いで私の元に来た。
「ちょ、ちょっと月海ちゃん! どういうこと?」
「月海、君は何か知ってるの? 『花鳥風月』は君が書いた小説だろ?」
 ふたりが私を責めても、私は変わらないままだ。今までずっとそうだった。お父さんは私の生活費や生きていく中で必要なものを用意してくれる親だ。だけど、お父さんの想像力だけじゃ考えられないストーリーはある。私はそれを補っていたのだ。部屋にあるデスクの、一番上にある鍵のかかる引き出し。ここには私の書いたストーリーのUSBメモリーが入っている。鍵は私が持っているが、お父さんはそこをこじ開けることができたのだ。
 今回の花鳥風月の話。これも元は必要ならばお父さんに資料として渡そうと書いたものだった。だから文芸部の佐々木先輩に読んでもらって、面白いかどうかも判断してもらった。だけど、予定外だったのが雪咲会の面々。この小説のように、正義の味方になりたいと言ってきた。小説はフィクション。だけどもう、このストーリーはフィクションじゃない。リアルだ。でも、私は……。
「月海、あんたの事情、聞かせてもらってもいいか?」
 菖先輩が、会場を出るように促す。私はそれに従い、瑚己羽先輩と楓梨先輩とともにラウンジへと場所を移動した。
「どーいうことなの? 月海ちゃん!」
 真っ先に声を上げたのは、瑚己羽先輩だった。テーブルにはコーヒー。それが、ドンと手を乗せると揺れる。瑚己羽先輩に同調するように、楓梨先輩も足を組んで私にたずねる。
「尋常じゃないよね。お父さんが君の小説のアイディアを奪っている……いや、君から提供しているのか?」
 その言葉に私は首を振った。
「違います。私はお父さんにアイディアをそのまま告げたことはありません。お父さんは……これはと思う作品だけ、私のUSBメモリーから抜き出して使っていたんです」
「要するに、あんたは被害者なのか?」
 菖先輩の問いかけにも、私は首を振るう。被害者ではない。お父さんが私のアイディアを盗んでいたことは知っていた。でもお父さんが仕事をしなければ……売れっ子の小説家じゃないと、私が生活できなかったからだ。もちろん、お父さん原案の小説だっていくつもある。それが売れなかったというわけでもない。だから、いわゆる共同著作というものになるのだろうか。
 黙っていると、菖先輩はすくっと立ち上がった。
「月海、あんたが本当に大事にしたいものはあるのか?」
「えっ……」
 一拍置くと、先輩はため息をつきながらこう言った。
「――『花鳥風月』はこれにて解散する。私たちが小説のキャラクターを演じていたと勘違いされたら、困るのは月海と月下先生だろう」
 私の考えていたラストとは違う結末。こんな風に解散するなんて、思いもよらなかった。菖先輩に無理やり小説を奪われた。そして彼女は私の稚拙な小説に感銘を受け、自ら『花鳥風月』という正義の味方になった。私は最初、お嬢様の遊びだと呆れていたが、本当の彼女たちは元ヤンキーで、小説とは違う刺激が加わった。それなのに、こんなあっさり解散? そんなの嫌だ。こんな終わり方、私は予想していない。それに私の書いた小説のラストとも違う。でも、菖先輩はラウンジから出て行こうとしている。楓梨先輩も、瑚己羽先輩も無言でそれについて行く。
また私はひとりになってしまうの? 今まで、冬ヶ瀬学園にいたとき、ずっと私はひとりだった。それでいいとも思っていた。親が作家という特殊な仕事だからいじめもない。ひとりでいても怖くない。いじめさえなければ、おひとり様でも構わない。そう思っていたのに、いざ先輩たちが近くからいなくなると、悲しみすら感じる。寂しいって、こういうときの気持ちなんだと思い出したような気がする。巻き込まれたような形だったけど、先輩たちと正義の味方を気取って、正直楽しかった。花鳥風月として助けた人たちもいる。私はそういう人たちをちゃんとこれからも守っていきたい。
――なんだ、私の答えは決まっているんじゃないか。まだ間に合う。先輩たちはホテルの出入り口で、リムジンを待っている。私はドレスのままで駆けだす。慣れないヒールを履いて、
本当のお姫様たちの元へ。……ううん、お姫様じゃないか。私の大事なヤンキー先輩たちの元へ、私は駆け寄る。
『あんたが本当に大事にしたいものはあるの?』
 答えは最初から決まっていた。だけど、私はお父さんのことがあり、はっきりと言えなかったんだ。私が本当に大事にしたいもの。それは、先輩たちという『仲間』と、『私自身の才能』だ――。
「どうした? 月海。父君のパーティーを抜け出して来たら、まずいんじゃないか?」
「わたしっ……私、自分が本当に大事にしたいものを見つけたんです! それが、フィクションじゃない小説……先輩たちの存在ですっ!」
 菖先輩はにやりと口角を上げると、私の手をつかんだ。
「……で? 今後、花鳥風月はどう動けばいいのかな?」
 楓梨先輩も、瑚己羽先輩もにこっと笑って私を見つめる。私は三人の顔を見まわして、絶対に口にしないと決めていた言葉を発した。
「父の……月下海斗の新作発表会をぶち壊してくださいっ!」
 私はお父さんのためなら、アイディアを奪われてもしょうがないと思っていた。それが私たちの生活費に回るとわかっていたから。今でもその思いは変わらない。私たちがお父さんの新作発表会を壊したら、きっとお父さんに不利益が出るだろう。それと疑惑も。今まで自分の娘の出したアイディアで小説を書いていたんだから。だけど、私はお父さんを潰そうだなんて思っていない。ただ、この小説……『花鳥風月』だけは、お父さんのものにされたくなかったのだ。だってこれは、私と先輩たちを結び付けてくれた、大事なストーリー。いや、もうストーリーなんかじゃない。『小説は非現実(フィクション)』だとお父さんが言うなら、この話はフィクションじゃないから。
 私は先輩たちにこっそり告げた。
「父の小説ができたとき……新作発表の時にまで待っていてください。その日が来たら、私が指示を出します」
 正直どんな内容になるのかもわからない。私の書いた小説は、すべて起承転結まで書き終えたものだ。もしかしたらお父さんはそのまま出してくるかもしれない。それか、少しだけ手直しするか。だが、クリスマスパーティーの新作についてのインタビューの受け答えを聞いたところ、かなり近日中に新作は発表されるだろうと私は感じた。だったらそのときを狙うしかない。
「フィクションが現実よりも面白いってことを、父に教えるチャンスですから」
「おい、誰だ? 月海をこんな風に歪ませたのは」
 菖先輩がたずねると、楓梨先輩も瑚己羽先輩も首を振って、菖先輩を指さす。
「そんなのひとりしかいないじゃないですか」
「そ~そ、菖姉だけっしょ!」
「となったら、私が責任をとって、きっちり父上の新作発表会を潰さないとだな?」
 また菖先輩がニヤリとする。先輩は私の手を取ってくれている。この人が一緒なら、きっと大丈夫。私はひとりじゃない。みんなが、仲間がいる。
お父さんが世間からどういう評価を下されるかはわからないけど、やってみないとわからない。それにすべてがマイナスになるとは限らないんだから。事実は小説より奇なり。だったら、お父さんが責任を負うとは限らない。だったら、やってみるしか手はないのだ。

「お~い、どうしたんだ? 月海。先輩たちと先に帰っちゃうなんて、お父さん悲しかったぞ~」
 私と先輩たちは、パーティーを抜け出して早めに帰宅した。クリスマスイブだったけど、私たちには新しい戦いが待っているから。
 行きはリムジンで堂々と登場したお父さんだったけど、帰りはタクシー。しかも取り巻きのようにいた美少女たちはいつの間にか消えていた。そんなお父さんは作家仲間に「お嬢さんたちにフラれちまったなぁ」と笑われたみたいだった。
 相当飲まされて酔っ払っていたお父さんにお水を渡すと、それをゴクリと飲みこむ。私が何も言わずにいると、お父さんから話しかけてきた。
「……今回のアイディアは最高だよ」
「『花鳥風月』?」
 私も自分のカップでインスタントコーヒーを作る。うん、やっぱりスノウドロップの四百円のコーヒーのほうがおいしい。あの味に慣れてしまうくらい、私は毎日通っていたんだ。
「ねぇ、お父さん」
「なんだ?」
「……『物語はいつも非現実』、『小説がフィクション』だったら、現実は何なの?」
 お父さんはあごをさすると、頭を抱える。私は小さい頃からずっとそう教わっていた。私が今大事にしている小説は現実。この『現実』を『非現実』としてお父さんが作品を出す。こんなスリリングな現実を物語だとして。
 私の質問には答えず、お父さんは逆に質問をしてきた。
「どうした? お前らしくないぞ? お父さんに話してみなさい。いつも二人三脚でやってきたんだから」
「私はお父さんが大好きだよ。それは変わらないから。だから……これから何があっても、戦ってほしい」
「はは、それはお父さんから月海に言うような言葉じゃないか?」
「ふふっ、そうかもしれないね」
 コーヒーの温度が少しずつ冷めていく。お父さんだけじゃない。戦うのは――私たち。ごめんね、お父さん。コーヒーを飲み干すと、部屋へと入る。
 鍵のかかった一番上の引き出し。私はいつもお財布に入れているキーで引き出しを開けると、USBメモリーを取り出す。『花鳥風月』のファイルが入っているのはここにない。きっとお父さんが今持っているのだろう。とりあえず他の小説が入ったUSBをノートパソコンに刺す。『裏切りのワルツ』、『キツネの描いた絵本』、『デイドリームボーイズ』。これはお父さんが別タイトルで世に出した作品たちだ。私の小説だ、なんてもう言うことはない。言うつもりもない。これはお父さんに『あげたもの』。もう私には必要ない。だから、ファイルは消去する。このほうが私にとってもお父さんにとってもいい。ファイルが残っていれば、『花鳥風月』以外のものも私の案だとバレてしまう可能性がある。家にあるものだから、そこまで探されることはないと思うけど、なくしてしまったほうが私の心の整理もつく。
 パソコンをシャットダウンすると、ベッドにもぐる。あとは新作発表会を待つだけ。いつかはわからないけど、今日あそこまで発表していたのだ。きっと一月には発表会があるだろう。
 一年に一度のクリスマスイブ。さすがにもうプレゼントをもらったりすることはなくなったが、私は本当に大切なものに気づかされた。これがサンタさんからのプレゼントだったのかな。 
一月に入ったら、戦いが始まる。『花鳥風月』をめぐる、私とお父さんの。

「あっけおめ~!」
 インターフォンが鳴り、ドアを開けると、ピンクの振袖姿の瑚己羽先輩が顔を出す。楓梨先輩も瑚己羽先輩と一緒で、今日は女性らしく青い振袖を着ている。普段はパンツが多いけど、こういう格好も似合っているから美人は得だなと思う。そして一番優雅なのは、菖先輩だ。赤の振袖にファーを首に巻いている。
「ああ、お嬢さん方、クリスマスぶりだね」
 となりからひょこっとお父さんが顔を見せる。〆切直前で、前髪はヘアバンドで留めていて、メガネにどてら姿という、あまり人前に出て欲しくない格好だ。
「今日はどうしたのかな?」
「ほら、三が日でしょ。先輩たちと初詣に行くって約束してたんだよ。だからお父さんは引っこんでて!」
 私が背を押すと、お父さんは書斎へと渋々戻って行った。
「……どうなんだ? 小説のほうは」
「明日が〆切なので、推敲作業中ですね。それが終わったら、何回か編集さんとやりとりして……」
「発売日は決まったの?」
「一月末です」
「だったらあたしらも、今日の初詣で気合い入れないとね! ほら、月海も着替えて来て!」
 着替えと言っても、私は振袖を持っていない。だから防寒一番! といった感じで、ジーパンにブーツで、上はダウンジャケットを羽織ってきた。華やかな先輩たちと一緒にいると、黒いダウンジャケットだとかなり不審者かもしれないけど……。
「お待たせしました!」
 リムジンの中で待っていた先輩たちは、私の姿を見て頭を抱えた。
「うーん、一年の始まりにその格好は風情がないよ。子猫ちゃん」
「そうそ! みんな振袖なんだし、おそろいにしよーよ!」
「いや、私振袖持ってないんで…‥」
 楓梨先輩や瑚己羽先輩は無茶をいうけど、さすがに振袖は無理だ。
 私の格好をじーっと見ていた菖先輩は、閉まっていたリムジンの前方席の窓を開け、運転手さんに指示を出す。
「神社に行く前に、私の家に寄ってくれるか?」
 菖先輩の家……。学園長の家ってことだよね。何か忘れ物でもしたのだろうか。少し気になったが、それよりもどんなところに住んでいるかのほうが興味ある。きっと白いお城みたいな洋館なのかな。
 車は振動少なくスーッと動き出す。車内でコーヒーを飲んでいるうちに、あっという間についた。
 場所は都内の一等地。先ほど窓から品川駅が見えた。この辺は地価も高いだろう。そんな一等地に一軒家なんて。
「着いたぞ」
 先輩に言われてドアを開けると、一軒家ではなくマンションの目の前だった。一軒家だと思っていた私は面食らう。高層マンションなので、それでも高級なところだとは思うが……。
 菖先輩は入口でコンシェルジュに軽く手を挙げる。コンシェルジュがいるマンションなんて、やっぱり高級な場所なんだ。一階には軽く商談ができそうなラウンジも設置されている。
「す、すごいですね」
 私が思わず口走ると、瑚己羽先輩がなぜか自慢げに付け加えた。
「最上階にはジム、屋上には露天風呂っていうか、スパも設置されてるんだよ!」
 ジムやスパまで? やっぱり学園長の家らしく、豪華なのか。
 エレベーターがチン、と音を鳴らす。私たちはそれに乗り込むと、二十階のボタンを押す。しばらくの沈黙のあと、二十階に到着した。
「えーと……ドアっていうか、部屋はどこなんですか?」
「ああ、ここのフロアは全部菖先輩の部屋だよ」
 楓梨先輩が当たり前のように言う。全部が先輩の部屋? だけど、一家が住むならこのくらい広くても……そう思った私だったが、菖先輩がさらに驚くことを言った。
「父母とは別々に暮らしているからな。私はここでひとり暮らしさせてもらっている」
「ええっ! こんな場所でひとり暮らしですか!」
 確かに菖先輩はお嬢様だけど、こんな高級な場所でひとり暮らしだなんて、一般庶民の私には到底理解できない。すべてがきらきらして見えて、めまいがしていると、先輩は階にひとつしかないドアの鍵を開けた。
 天井は高いし、一部屋一部屋も広い。そしてシステムキッチン……だが、ここだけは様相が違った。
「ちょっと待ってください。先輩、この大量なカップ麺は?」
「……それを聞くか? 料理はできないわけではないが、作るのが面倒だからな。大抵これで済ましている」
 菖先輩、見た目も頭脳も何もかもが完璧なのに、こんな残念な面があったなんて。私がぽかんとしていたら、瑚己羽先輩が腕を引っ張った。
「月海ちゃん、こっちこっち」
 今度は何があるというのだ。連れていかれた部屋は、和室だった。そこには何枚もの振袖が広がっている。
「今日、どれを着ていくか迷っていたんだよ。ちょうどよかった」
 菖先輩は一枚一枚を私に当てると、晴れ着を選び出した。
「あの、私、私服でいいですから!」
「大きい神社に行くからさ、もしかしたら冬ヶ瀬学園の生徒とかち合うかもしれないだろ? 大丈夫! 振袖の見立ては菖先輩、着付けはあたし、髪は瑚己羽がきちんとセットするから」
「は、はぁ……」
 いいのかな、と思いながらも、菖先輩は緑の着物を私に選んでくれた。楓梨先輩が手早く着付けしてくれると、メイクとヘアセットは瑚己羽先輩だ。
「ほ~い、できあがり!」
「うん、華やかで似合ってるよ。月海」
 楓梨先輩に褒められると、なぜか照れてしまう。菖先輩も口には出さないが満足そうだ。
「よし、改めて初詣に出かけるぞ」

 神社は想像以上に混雑していた。入場制限もしていて、なかなか前に進めなさそうだ。だが、三人はその列を無視して他の場所に並ぶ。
「向こうじゃないんですか?」
「あっちは普通のお参りだろう? 私たちはお祓いもしてもらうからな。『花鳥風月が、これからも活躍できますように』と」
 それって、お父さんの新作発表会をうまくぶち壊せますようにってことかな。私はちょっとだけ複雑な気持ちだった。私が取り戻したいのは『花鳥風月』という小説だけ。他のお父さんの経歴に傷をつけるつもりはない。だから、そのことを神様にお祈りする。『すべてがうまくいきますように』と。
 順番が来ると、さっそくお祓いをしてもらい、お祈りする。
 隣にいる瑚己羽先輩と楓梨先輩も目をつぶって真剣に手を合わせる。ふたりは何を祈ってるんだろう? 耳をすましてみると……。
「むにゅむにゅ……だいえっと~ぉ……」
「そろそろ男に間違われませんように~」
 ふたりの声を聞いた菖先輩が、ついつっこむ。
「それより願うことはあるだろうが」
「菖姉は何をお祈りしたの? 今度の月海ちゃんの件以外にも何か祈ったんでしょ?」
「私は三年だからな。進路についてだ」
 社から出て、外で甘酒を飲みながら、菖先輩はしんみりと話した。そうか。菖先輩は三年生。今年の三月でもう卒業なんだ……。先輩たちと雪咲会を通して関わることになって、まだ一か月。それでも濃密な一か月だった。でも、もうあと数か月したら先輩はいなくなってしまうんだ。そしたら雪咲会は……花鳥風月はどうなるんだろう。複雑な気持ちは顔にも出ていたらしい。先輩はにんまり笑うと、私の頭をなでた。
「心配することはない。手はすでに打ってあるからな」
 先輩が打ってくれた手とは一体? わからないまま、私たちはまたリムジンに乗り、振袖のままスノウドロップへと向かった。
「千種―! お年玉!」
「できれば0が四つついた新札がいいな。無論、枚数は何枚でもOK!」
 瑚己羽先輩と楓梨先輩が開口一番催促すると、千種さんはしれっと答えた。
「お年玉なぁ……。ま、代わりにココア無料で淹れてやるから」
「それならマシュマロも入れてもらおうか?」
「お嬢、お願いするならもっと言いかたがあるだろ」
 文句をいいつつも、マシュマロ入りのココアを私たちに運んでくれる。こうしてサービスしてくれるのは、やっぱり毎日のようにここへ入り浸っているからだろうか。
「ぜんざいや汁粉も出していいんだぞ?」
「『いいんだぞ?』じゃねーよ。それ『出せ』って脅迫してるようなもんだろ」
「ちっ」
 菖先輩と千種さんのやり取りも相変わらずだ。このふたりは仲がいいのか悪いのか。
「にしても月海も晴れ着か。馬子にも衣裳だな」
「それって褒めてないですよね……」
 ココアをすすりながら、私がへこんだようにつぶやくと、千種さんは笑いながら「ジョークだって」と言った。
「菖先輩、今日は参拝だけじゃなかったんですか? スノウドロップに寄るなんて」
 たずねると、先輩はふふっと小さく笑う。
「作戦会議だ」
 その言葉に、瑚己羽先輩も楓梨先輩も目を輝かせる。今月末に行われる、新作発表会を潰す方法の相談か。
「月下先生の〆切が明日で、今月の三十一日に新作発表会というのは確定なんだな」
「はい。雁嶺社の一階フロアにセットを組んで行う予定です」
「でも~、新刊出すってだけで毎回大がかりにプロモーションってやってるの?」
 瑚己羽先輩が疑問に思うのは当然だ。普通、新刊が出るとなると、電車の中吊り広告やポスターを出したり、本屋の一番目立つところに置くとか、そういうプロモーションしかしない。せいぜいイベントとしてやるなら、サイン会や握手会程度だ。だけど、今回は記者会見まである。
 私の代わりに答えたのは、楓梨先輩だった。
「月下先生は新刊を結構出す速筆作家だけど、アクションものは久しぶりなんだよ。だから派手にプロモもするんじゃない?」
 私に同意を得ようとこちらを向く楓梨先輩。私はそれに付け足した。
「アクションものだからってのもあるんですけど……実はすでにドラマ化の話も出ているんですよ。役者さんありきで話も作られていて」
「ってことは、俳優さんも来るの~?」
 ココアに入っていたマシュマロを頬張りながら、瑚己羽先輩が首を傾げる。私はこくんとうなずいた。
「だったらなおさら派手に暴れないとな?」
 悪い笑みを浮かべる菖先輩は、手を二回叩いた。すると千種さんがノート型パソコンを持ってくる。
「なんだよ、この扱い。『千種さん、パソコン持ってきてください』くらい言えねぇのかよ」
 ぶつくさ文句を言いつつも、言うことを聞いてくれる千種さんは、やっぱりみんなのお兄ちゃんといった感じだ。菖先輩はわがままな妹というところか。それでも菖先輩は私たちのリーダーとしての威厳もある。
「瑚己羽」
「はいは~い☆」
 瑚己羽先輩の前にパソコンを置くと、先輩はあるホームページを開いて、カタカタと何かコードを打ち始める。最後に出てきたのは、社員IDとパスワード。それも簡単に入力すると、エンターキーをタン! と高らかな音を立てて押した。
「ふふっ、今日のボクも完璧☆」
「完璧って……これ、雁嶺社の内部資料、しかも社内秘じゃないですか! なんで……」
「今の会社って、外部とやり取りする外部用パソコンと、重要な資料をいじるための内部専用パソコンに分かれてるの。外部パソコンと繋がれば、内部と外部のは大抵繋がってるから、IDとパスワードを解読できれば楽勝で資料をもらえるってわけ」
 瑚己羽先輩、前もスマホで倉庫がどこの会社のものかを調べてたっけ。こういうの詳しいんだ。
 瑚己羽先輩の出した資料はステージの設計や当日の位置関係、ポスターのデザインやお父さんに向けてのQ&A、そして超極秘資料であるドラマ出演する女優・俳優の名前まで掲載されていた。それを全部印刷すると、テーブルに戻ってくる。
「だけど俳優まで出てくるんなら、警備も厳重になるんじゃない?」
 画面を見ていた楓梨先輩が、心配そうにあごに触れる。入口から会場に入るだけでも一苦労だ。当然ボディチェックもあるみたいだし、ステージにはたくさんの関係者。そんな中で特攻服のヤンキーが紛れられるわけがない。
「どうしますか? 警備員のフリをして潜入……とか? 警備員の服があればできるんじゃ」
「警備員にしては若く見えてしまうな。特に瑚己羽と月海は。楓梨は適役だがな」
「菖先輩だって、似合わないだろ。ロングヘアの警備員なんて、なかなかレアだぞ」
「むぅ……でも、忍び込めるような方法がないっぽいんだよねぇ。セキュリティをくぐるだけなら何とかなるかもしれないけど」
「ふむ。となると、残るは一択だ」
 菖先輩は席を立ち、カウンターにあった赤いマジックを取り出す。それで引くのは真っ直ぐな線三本。外からステージに向かって一直線。
「月海、あんたは会場にいろ。娘が父親と一緒にいるのは自然なことだ」
「で、でも、だったらこの線は?」
「当日のお楽しみだ」
 菖先輩はマジックのふたをしめると、にやっと笑う。楓梨先輩も瑚己羽先輩も、今の菖先輩の説明で分かったらしく、同じように悪どい笑みを浮かべる。これはもしかして、またひと悶着ありそう? 自分の小説を取り戻すことが、あんな大事件になってしまうなんてこと、私にはまだ予想もついていなかった。
 
学園が始まると、また私たちは仮の姿……要するにお嬢様のフリをして学園に登校するようになっていた。三年生である菖先輩は、もうほとんど登校しなくてもよかったのだが、来ないと悲しむファンがいるとかで、なんだかんだ言ってほぼ毎日学園には顔を出していた。
 私はというと、冬休み明けの復習テストで、なんとかクラスの上位に食い込むことができた。これにはクラスのみんなも驚いていた。それと同時に私を『努力の女神』だなんて言い出し始めて、普段話さない子まで私のファンになったようだった。運動は相変らずダメだけど、勉強に関しては、先輩たちが私に教えてくれたおかげだ。
 もうおなじみというか、毎日通って当然になったスノウドロップに、今日も私は顔を出す。テストを見せると、楓梨先輩と瑚己羽先輩はため息をついた。
「はぁ~、やっとここまでできるようになったか。よかった」
「偉いよぉ~! 月海ちゃん」
「みなさんのおかげです」
「雪咲会のメンバーとして当然だ」
 相変わらず今日もコーヒー片手に何かの小説を読んでいた菖先輩がバシッと言い切る。だけど、私としてはかなりのスキルアップだ。これで成績で1がつく教科も実技以外はなくなると思うし。
 見せていたテスト用紙を自分のカバンにしまうと、私は先輩にたずねた。
「今日は何の小説を読んでるんですか?」
 この間は偶然、お父さんの悲恋ものを読んでいた菖先輩。今回は何を読んでいるんだろう? 気になって聞いてみると、先輩はわざわざブックカバーを取って表紙を見せてくれた。
出てきたタイトルは『ヤマユリの里』。……私のよく知っているタイトルだった。
「月海は器用だな。そこは父親似なのか?」
『ヤマユリの里』は私が書いたホラーだ。そして、それもお父さんの作品として世に出て、ドラマ化、ゲーム化までしている。これをかいたのは中学二年のとき。初めて世に出た私の作品だ。
「どうして私が書いたってわかったんですか?」
 さらにきいてみると、菖先輩は本に栞を挟み、もう一度優雅な素振りでコーヒーを飲む。唇に触れたところを軽くナプキンで拭うと、カバンから『月下海斗』の小説が何冊か出てきた。
「本人に自覚がないのはわかる。あんたは基本的に文芸部の佐々木真巳と父親にしか読ませてなかったのだろう? 月海が書いた文章には、特徴というかクセがあるんだよ」
 今までクセなんて指摘されたことはなかった。もしかしたらお父さんやお父さんの編集にも気づいていないのかも。私の文章は多少の校正を受けていても、大きな改変はなかったから。
「『~た。~た。~なのかもしれない。~だ』これがある種のリズムになり、読みやすさも感じるが、まったくそれがない小説もある。この文体はまだ幼い。これでも私は本だけはやたら読んできたからな。目は肥えているつもりだ」
「本当だ……」
 書いていた自分は気づかなかった。確かに私が書いた小説には、先輩の言うリズムに当てはまっている。お父さんの書いた小説は、もっと表現が深いというか、想像力を刺激されるというか。リズムがまったくないわけではない。でも、やっぱり私の文章とお父さんの文章ははるかに違う。
「だ、だけど、それだったら、なんでお父さんは私の未熟な小説を使っていたんでしょうか?」
「それは本人に聞いたほうがいいだろう? あんたの父親だぞ」
 正論が返ってきてしまった。先輩たちは私とお父さんの仲の良さも知っている。だからそう言うのだろう。
 本を再びしまうと、この間瑚己羽先輩が出してくれた新刊発表会のステージの地図を取り出す。
――いよいよ明日なのだ。お父さんの舞台を壊すのは。
相変らず先輩たちがどうやって現場に侵入するのかは教えてもらってはいない。だけど、菖先輩からは、私にきちんと当日どうするか指示書が与えられていた。
まず、私はお父さんと一緒にゲストとしてドレスアップして発表会の会場に入る。だけどもちろんいつもの特攻服に着替えなくてはならない。大荷物になってしまうので、楓梨先輩が手を貸してくれた。事前に楓梨先輩に特攻服とバットを、警察から『警備必要品』として送ってもらうことになっているのだ。当然だが、特攻服と金属バットなんてダンボールに入っていたら、開けた人間がびっくりするだろう。だから、中敷きを使って、ダンボールを二重構造にしている。だが、上の中身はクラッカーだけ。『警察が使っている銃の発砲音と間違えないクラッカー』ということで送ったことにする。もちろんそれは当日の関係者が持つ以上の数が入っている。残った分は瑚己羽先輩の銀行から多額の融資を内密に受けている広報部の若手が、倉庫に持っていく手立てになっている。発表会は午後一時に始まる予定。その時間の前に、私は倉庫へ行き、特攻服に身を包むのだ。そして、非常階段を使ってステージに登場する。そこで初めて花鳥風月全員がそろう。
「うまくいくんでしょうか?」
 私が不安げな顔で先輩たちを眺めると、みんなぽかんとしていた。
「何言ってるんだ。月海が自信なかったら、あたしたちが出動する意味がなくなるだろ?」
「そうだよ! 月海ちゃんは~、大事に思ってくれてるんでしょ? ボクたちのこと」
「私たちはな、月海の小説を守るため……というよりも、『私たちを正義の味方にしてくれた恩人』の助けになりたいだけなんだ。月海がやめたいというなら、それで……」
「い、いえ! やめたくなんかないですっ!」
 大きく首をぶんぶんと振る。やめたいわけなんて、ないじゃないか。先輩たちは、私のフィクションをノンフィクションにしてくれたんだ。花鳥風月は――。
「『花鳥風月』は、永遠の最強ヒロインですっ! いなくなったら困りますっ!」
 私が言い切ると、今度は先輩たちみんなで大笑いだ。さっきのニヒルな笑みとは違う。私、何かおかしなこと言ったかな……? 頭の周りをクエスチョンマークが回る。すると、アイスコーヒーのグラスをカタカタ震わせながら笑う楓梨先輩が口を開いた。
「『永遠のヒロイン』なんだ? さすがにあたしはそこまで計算してなかったなぁ」
「ボクもだよ!」
 瑚己羽先輩はアイスを口に入れたあと、長いスプーンでビシッ! と私を指す。
「さすがにおばあちゃんになってまでは無理だよぉ?」
 菖先輩もカップを震わせ、ソーサーがカタカタとなっている。
「ふふっ……こうなったら意地でも続けないとな? 花鳥風月は。だが私が考えていた以上に、作者である月海は純粋に花鳥風月というヒロインに夢を見ていたということか」
「お、おかしくなんてないじゃないですかぁ!」
 ムッとして、私がテーブルに手をつく。それでもまだみんなは笑っている。
たった数か月しか一緒にいなかったのに、私はみんなの笑顔を見ると、ホッとする。先輩たちが楽しそうだと、私までうきうきしてくる。一年間、ひとりきりだったのに、いつの間にか先輩たちのペースだ。私はきっと、小説以上に素敵な先輩たちに、恋していたのかもしれない。 
私の想像していた花鳥風月のメンバー。小説に出てきた女の子四人は、全員同じ学年。これは設定と全然違うけれど、かっこよくて女子生徒に人気な諷(ふう)。かわいいのに、実はハッカーという設定の美鳥。そして、普段は何もできないくせに、参謀役を任されてしまった頭脳派の静月(しづき)にリーダーとして貫禄のある美少女・桜華。まるで今の私たちみたい。
私のキャラクターを殺しはしない。どんなにかわいいアイドルがこの役に就こうとも、相手役としてイケメン俳優が就こうとも、許さない。私にとっての『花鳥風月』は、楓梨先輩に瑚己羽先輩、そして菖先輩と――私の四人なんだから。もうこれはフィクションなんかじゃないって、何で言えるかって? だって私たち花鳥風月は、本当にみんなのために、正義のために、色んな問題を解決してきたのだから。事実は小説より奇なり。そうだ。『奇』だったんだ。私が書いた小説なんかより、お父さんが書く小説より、先輩たちの存在のほうが最高に面白くて、最大のエンターテインメントだったから。
「当日……先輩たちのこと、信じてますから!」
「心配するな。私たちはあんたとの約束は絶対破らない。約束する」
「じゃあ、これかな?」
「ふうちゃん、早い~! ボクも同じこと考えたのに!」
 自然とテーブルの中心に手が集まる。最後、一番上に手を置いたのは、菖先輩だった。
「明日は絶対この作戦を成功させる。そして……『花鳥風月』を月海に戻す! 夜露死苦―っ!」
「夜露死苦―っ!」
「あのさ、その掛け声、うちのカフェではやめてくれないか?」
 グラスを拭きながらつっこむ千種さんの言葉に、全員が真っ赤になる。それでも菖先輩だけは「これが私らの挨拶なんだっ!」と突っかかっていた。

 一月三十一日土曜日、午前十一時。私はお父さんとともに雁嶺社の一室にお邪魔していた。大きな会社とはいえ、テレビ局とは違うのでちゃんとした控室はない。そのかわり、会議室のひとつを控室の代わりとして借りていた。
「何度やってもこういう新作発表会は慣れないな」
「ふふっ、お父さん、冷や汗ひどいよ? お茶でも飲む?」
 いくつかの飲み物の中からペットボトルのお茶を手渡すと、お父さんはごくごくとのどを鳴らして飲んだ。よっぽど緊張しているのだろうということはわかる。それに、この作品はお父さんの完全オリジナルではないから。お父さんも私が了承していると思っている。この『花鳥風月』がお父さんのものとして世に出ることは。
 私はホットコーヒーを淹れる振りをして、お父さんから背を向ける。こんなインスタントコーヒーなんて、本当のコーヒーの味を知ってしまえば飲めたものじゃない。それは、小説も同じ。自分の考えたヒロイン。紙の上で遊ぶだけじゃなくて、実在したら? どの小説家だって想像したことはあるはずだ。
 私は当初、お父さんに先輩たちのことを相談した。お父さんは「意外と子どもっぽいんだな」と先輩たちのことを笑った。当然だけど、お父さんはこんな経験なかったんだ。自分の小説を実現する人がいること自体、通常ならあり得ないことだから。
でも、今私には、先輩たちがいてくれる。私の大事なヒロインたち、彼女たちが今日は私を救ってくれる。いや……私もその一員だから、少し違うか。私たち自身が、私たちの物語を守るんだ。
正午になると、会社の人たちがお弁当を持ってきてくれた。私とお父さんは向かい合ってそれを口にする。とんかつで有名なお店のお弁当。カロリーさえ考えなければ、すごくおいしいし、毎日でも食べたいほどだ。
ふたりで黙々と食べていると、お父さんのほうから私に声をかけてきた。
「あの……今更なんだが、いいんだよな? お前は」
「いいって、何が?」
 私が知らないフリをして聞き返すと、お父さんは黙ってご飯を口に運んだ。軽くはぐらかしたが、意味はわかっている。お父さんは、私の小説を自分のものとして発表していいのか、最後の確認をしているんだ。今までの私だったら、何も気にせず大きくうなずいていただろう。 
いや、今私が『花鳥風月を奪わないでくれ』と言えば、問題はなくなる? ……そんなことはない。お父さんは優しいから、『なかったことに』してくれるかもしれないけど、それじゃ根本的な解決にならない。私が『自分で・自分の意思で』物語を守ることに意義があるんだ。
お父さんはきっと忘れている。自分のキャラクターが動く楽しさを。小説を書くことが惰性になっているんだ。だから、編集の人と新作の話をするときは、売れる、読者にウケる、共感するような主人公を持ってくる。主人公を作るところからがすでに商業ベースなのだ。それが間違っているとは、私は思わない。だけど、お父さんに再び思い出してほしいんだ。自分の作ったキャラクターが、紙の上で動き回る楽しさを。だから、私はあえてお父さんから強引に『花鳥風月』を奪う。お父さんがまだ作家じゃなかった頃の、楽しくて、書くことに幸せを感じていた頃を思い出してもらうために。
「なんでもない」
 お父さんはそのままカツを口に入れる。弱虫だとは思わない。ただ、お父さんは大人なだけなんだ。大人だから、素直に口にできないことがある。聞くことができないことがある。私はそれをわかってるつもり。だから……。
「よくわからないけど、今日の新作発表会、うまくいくと思うよ」
 私はにこっと笑ってお父さんを勇気づける。きっとすべてがうまくいく。菖先輩たちがいるのだから。
 お弁当を食べ終えると、そろそろステージのほうへ移動しなくてはならない。私はお父さんにステージ下から見ていることを告げると、そっと倉庫へと移動する。瑚己羽先輩がくれた地図を見ながら、地下の倉庫へ向かう。鍵などはなさそうだ。私はほこりっぽい扉に手をかける。ぐっと力を入れて倉庫の扉を開けると、すっと入る。持っていた小型の懐中電灯を使い、例のダンボールを探すと……あった。クラッカーがまたたくさん入っている。私はそれを雑に取り出し、二重構造になっている底から大事な特攻服を取り出す。服を脱ぐと、だいぶ慣れた手つきでさらしを巻き、特攻服に袖を通す。持っていた鏡を見ながら、アイラインを引きなおし、マスカラとアイシャドウで目元を彩る。マスクをして、髪をまとめれば完璧だ。
「夜露死苦!」
 私はひとりで気合いを入れると、金属バットを持ち、エレベーターで一階のステージへと向かった。
 午後一時。ステージから大きな音楽が聴こえる。それとともに、協賛企業であるテレビ局のアナウンサーの声も響く。
「月下海斗氏の新作発表にようこそおいでくださいました! 私は本日司会を務めさせていただきます……」
 先輩たちは私に『大きな合図をする』と言っていた。それが何かはわからないけど……私はエレベーターホールの端で身を縮こませて、それを待っている。一体合図ってなんだろう。
 そうこうしているうちに、お父さんはステージに上がって新作の話を始めてだした。
「これは、クリスマスパーティーでもお話ししたのですが、普通の女の子たちが、正義の味方になるというストーリーで……」
 お父さんの話はどんどん進んでいく。先輩たちはいつ来るの? そわそわしながら待っていると……。
「あ、あぶねーぞっ!」
「きゃああっ!」
 ブオン、ブオン! と大きなエンジン音をかけたバイクが、三か所から勢いよくガラスでできた壁に向かって突撃してくる。バイクはガシャン! と壁に激突して、穴を作る。ぶつかる寸前でバイクから飛び降りた特攻服にヘルメットをかぶったレディースたちは、金属バットや木刀を持ってその穴からステージに乗り込む。
「来いやぁっ!」
 マイクを奪った白い特攻服の女性が大声をあげる。――あれが合図だ。
「うおおおっ!」
紫の特攻服を翻すと、私も金属バットを持ってステージに向かう。
 楓梨先輩は木刀を器用に振り回し、警備員がステージに上ろうとするのを制御する。
「何なんだ! 君たちはっ!」
「うっせぇよ……、じじい。黙んな」
 瑚己羽先輩はいつもと雰囲気が違う。目つきも。今までは痴漢を捕まえたときも、銀行を襲ったときも、どこかしら余裕があったというか、遊びを楽しんでいるように見えた。だけど、今日は多分本気。これが瑚己羽先輩の裏の顔だ。いつもチャラチャラして緩いイメージだったが、今は違う。金属バットを雁嶺社会長の喉元に当てている。動いたら前からあごを打ちつけるつもりだ。

「斬ること花散らすように、立ち向かう事鳥の如く、その正体、風のようにつかめず、月夜の晩に姿を現す正義の味方! 『花鳥風月!』」

 リーダーの菖先輩がいつもの口上を述べると、会場がざわつく。テレビカメラや雑誌のカメラが、私たち四人を映す。それとともに、イベントの主催者たちは手にしていた台本や資料に目をやる。
「花鳥風月……本当にいたのか」
 お父さんは目を開き、私と菖先輩を足の先から頭までまじまじと見つめる。
 私と目が合うと、はっとしたような顔をした。バレただろうか。それでもいい。私は濃いメイクでマスクをして顔を隠している。それでも親子だから、気づかれる可能性もあると最初からわかっていた。そんなリスクを冒しても、私は取り戻したかったんだ。このストーリーを。
「な、何が目的だ?」
 会長は瑚己羽先輩の冷たい視線にびくつくきながら、質問する。瑚己羽先輩は私に目を遣った。楓梨先輩も。答えるのは私だ。
「――月下海斗の新刊の発表を今すぐ中止しろ。この件に関しては、ドラマ化もすべて白紙に戻せ」
「そ、そんなこと……」
 会長さんは「できない」と言おうとしたのだろう。それを瑚己羽先輩が止める。口を挟んだのはお父さんだった。
「……なぜ、君たちはそれを望むんだ?」
 お父さんだって本当は知っているはず。小説はフィクション。非現実なもの。小説をマネして犯罪に走ったりするのを抑制しなくてはいけない。それでも影響を受けてしまう人間はいる。お父さんは先輩たちを『子どもだ』なんて言って笑ったけど、もう遅い。先輩たちは私のキャラクターになってしまった。このままじゃ『花鳥風月』はノンフィクション小説になってしまう。もちろん私が書いたものと、今の状況は全然違う。
「月下海斗を守るため……。私がそう言っても信用できない?」
 お父さんは軽くははっ、と笑うと、私にしっかりと頭を下げた。
「すまない――」
「『すまない』って、どうするんですか? 先生!」
 大声をあげたのは編集長だ。よくうちに遊びに来ているから、顔は覚えている。編集長はお父さんに近づくと、シャツのえりをつかんだ。
「先生が作り上げた作品でしょう! 企画だってここまで色々考えて、今日やっと発表だというのに、いいんですか!」
「……みなさんにはすまないとしか言いようがない。彼女たちの言う通りにしてくれ!」
「悪ぃな。……というわけだ! テレビ局も雑誌も、耳かっぽじって聞きやがれ! 私ら花鳥風月はフィクションじゃねえ! 非現実でもねえ! リアルなんだよ! ――リアルを小説には、できないんだよ……」
「月海……」
 お父さんがつぶやいたのが微かに耳に入った気がする。
すると菖先輩が木刀を高く掲げると、楓梨先輩と瑚己羽先輩がステージの真ん中に集まる。四人が背中合わせになると、隙を見つけて警備員たちが飛びかかる。私は精一杯バットを振り回す。ただ私に近づかないようにしてもらうためだ。それでも抱え込もうとする人は、瑚己羽先輩が後ろから首をバットで締め、引き離す。
「行くぞっ!」
 私たちは押しかかる人波を払いのけながら、開けた穴から外に出る。すると、ちょうどいいタイミングで、黒いバンが来た。ドリフトすると、ドアが自然と開く。そこに菖先輩が手をかけ、走行中の車に次々とメンバーが乗り込む。
「月海っ、根性ぉっ!」
「は、はいっ!」
 一生懸命手を伸ばすと、楓梨先輩と瑚己羽先輩が両腕をつかむ。なんとか車に乗り込むと、私たちは現場から逃げた。
「あの、今日運転してるのは?」
 前でハンドルを握っている人は、目出し帽を暑苦しそうに脱ぐ。
「ち、千種さん!」
「ま、臨時のバイトみたいなもんだ。元から車やバイクを手に入れたりしていたのは俺だしな。もちろん、お嬢からきっちり金はいただいてるけど」
「お前の店は儲かってないからな。仕事を与えてやってるだけ、ありがたく思えよ」
「へいへい」
 菖先輩と千種さんは相変らずだ。
車は途中でナンバープレートを外し、塗装シールを剥ぐ。黒い車は真っ白に変わり、別モノだ。それからまた車に乗り込み、今度はゆっくり安全運転で、スノウドロップへ向かった。
 いつものようにロッカールームで着替えると、先輩たちは先に出て、いつも通り各々のドリンクを飲んでいた。
「お疲れ~っ! 月海ちゃん、ボクたちニュースになっちゃってるよ~!」
「『月下海斗氏の新刊発表に、謎のヤンキー!』だって」
 二年の先輩たちは、スマホで先ほどの様子を見ている。
「正体とか、バレないでしょうか……?」
「問題ない。警察方面は楓梨、各メディア対策は瑚己羽がいる」
「任せてよ!」
「ボクだって☆」
 みんなが私に視線を送る。菖先輩もいつも通り。何もなかったかのように、コーヒーを飲んでいる。千種さんも今はカウンターで、カップを拭いている。
 お父さんは観衆の前で、私に頭を下げてくれた。私の小説、『花鳥風月』も戻ってくるだろう。これからお父さんはきっと、私たちリアルの花鳥風月について追及されると思う。会社の新刊発表会をぶっ潰してしまったのだから。小説やそれに関係する企画に携わった人たちには謝罪しないといけないとも思う。でも、私はそれだけで済めばいいと思っている。もっと最悪なのは、今まで私の小説を題材にしていたことがバレることだ。お父さんは、この一件で多大な迷惑を各方面にかけた。それは全部私のせい。自分の宝物を取り返したいというわがままのせいだ。でも、またこの小説よりも面白いものを一から作ってほしい。お父さんなら絶対できるって信じているから。
 帰宅してしばらく。夕飯の準備も終わり、ずっとお父さんを待っているけど、まだ帰ってこない。時間は午後十時。やっぱり私のせいで帰るのが遅くなっているのかもしれない。
 リビングの明かりだけをつけて、私は待つ。十時半。やっと鍵が開く音がした。
「お父さん!」
 スリッパをパタパタと音を立てて玄関に向かうと、マフラーを取ったお父さんが靴を脱いでいた。背中は少し寂しそうに見える。やっぱり私のせい?
 立ち上がって、スリッパに履き替えると、お父さんは私の頭を笑顔でなでた。
「ただいま。夕飯、まだあるか?」
「もちろんだよ!」
 今夜のおかずは、肉じゃがと湯豆腐、てんぷらだ。どれもお父さんの大好物。私のせいで苦労をかけてしまったから……。そのお詫びも込めて。
 お父さんはイスに座ると手を合わせて食事を始める。私も「いただきます」をしてさっそくご飯だ。お父さんの様子をうかがうと、おいしそうにおかずを食べている。
「悪いな、気を遣わせてしまって」
「ううん」
「お父さんは最低な人間だったな。娘の作品に手をつけていたなんて……。お前の才能に付け込んで、何度も何度も作品を盗んだ」
 今まで箸でおかずを口に運んでいた手が止まる。うつむくと、テーブルに水滴が落ちているのがわかる。
「お父さん、いいの。過去のことは。ただね、私は今回の小説……『花鳥風月』だけは渡せなかった。ほら、去年の十二月だったかな。初めてお父さんに雪咲会のこと、説明したの覚えてる?」
 私は笑いながらお父さんに雪咲会のことを話す。三人の先輩のことはクリスマスパーティーに同行したから記憶も新しいはずだ。私はお父さんにだけ、本当のことを告げた。
「あのね、雪咲会のお嬢様たちは、実は元ヤンで――花鳥風月のメンバーなんだ」
「えぇっ? 今日のヤンキーたちが、もしかしてあのきれいで華やかなお嬢様たちだったのか?」
 かなりびっくりしたようで、思わずテーブルを叩いて立ち上がるお父さん。その驚き具合に私はつい吹き出してしまう。お父さんの気持ちはよくわかる。私も一緒だったから。
「事実は小説より奇なりだったってこと。正義の味方に憧れていた元ヤンお嬢様が、フィクションをノンフィクションにしちゃったってわけ。私も最初はどうかなって思ったんだけど……自分の考えていたような空想が現実になったら、止められなくなっちゃった」
 笑顔を浮かべると、お父さんは私の頭をなでた。
「そうか……。でも、もうお父さんもお前の作品に手をつけたりは絶対にしない。もしお前がお父さんを許せないなら、今まで発表したお前の作品も全部……」
「それはダメだよ。大丈夫。私は立派にお父さんを越える作家になります!」
 私はお父さんの手を払うと、おかずに箸をつける。今まで胸に秘めていたことをお父さんに打ち明けられた。それに、小説も戻ってきた。うん、今夜はいつもよりご飯がおいしい。この夜のお父さんはみんなに謝罪したりして疲れていたはずなのに、とても饒舌で機嫌もよかった。ご飯を食べた後も晩酌をして。それを見た私は安心し、自分の部屋へ入った・

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