三十七

文字数 3,919文字

 里中と三田の二人が慌しく新幹線のホームに着いたとき、里中の携帯が鳴った。
「はい。里中です」
「あー、谷口やけど……」
「ああ、ぐっさんか。なにかわかったのかな」
「いま法務局行って見てきたとこなんやけど、例の村上な、あれ、ちゃんと法人登記してたわ。村上本人が代表取締役になってる。本店所在地は、右京区の太秦。『クリーニングパパ太秦』いう名前のフランチャイズ店やってるみたいや」
「うん。ありがとう。いや、その件で、わたしたちもそちらへ行こうとしているところなんだが、実を言うと、きみが調べてくれたことは三田くんが別のラインから調べてくれていてね。それで、いま新幹線のホームにいるところなんだよ」
「あ、そーかー。ほな、二度手間やったんやな」
「いやいや、そんなことはない。ウラが取れたということさ。どの道、そちらに行くんだ。詳しくは、そちらに着いてから話すよ」
「ああ。わかった。ほな、着いたら電話して」
「じゃ、あとで――」
「谷口さんだったんですね」
 三田が訊ねた。「乗車前とは、実にいいタイミングですね」
「ああ。村上の件、早速、法務局へ行って調べてくれたよ。やはり本人が代表取締役になり、法人登記をしていたらしい……」
「バッチリですね。あ、きましたよ。乗りましょう」
「ああ」
 車内は、里中が内心、思っていたほどには混んでおらず、しばらく歩くと二人が並んで座れる席があった。ここにしましょうと三田が言うので、里中が奥のほうへ座った。
 会社では、二人はいつも対面で話をしていた。
 里中には、相手が横にくる組み合わせが奇妙だった。上司と部下という関係が左右に並ぶことによって、まるで親子のように近しい関係になった気がした。
「で、これが、彼が取り仕切った同窓会の集合写真です」
 三田が写真をプリントアウトしたA4判のコピー用紙を里中に見せて言った。「画面が小さかったので、拡大しました。これで、多少は、各人の顔の特徴が捉えられると思うんですが……」
「ああ。これだけ見えていれば大丈夫だ。ましてや三年前なんだから、風体などもそんなに変わっていないだろう」
 里中は、これを機会に、響子や新聞記者など、これまでに知り得た情報などすべて三田に語って聞かせた。
 京都駅に着くと、里中は谷口に電話を入れ、そこから地下鉄で谷口の事務所の最寄の駅である鳥丸丸太町に向かうことを告げた。徒歩の時間も入れて、十五分もしないうちに谷口の待つ事務所に着いた。
「なんや、なかちゃん――」
 二人を出迎えた谷口がソファに腰を下ろしながら言った。「こんなんやったら、別に東京に戻る必要なかったんちゃうかいな」
「ああ。それは、そうなんだが、三田があのアイデアを思いついてくれなかったら、しばらくは様子見のつもりだったんだ」
 里中が、ばつが要そうに答えた。「それと、忘れないうちに言っとくと、あの原稿は本にしないことにしたよ」
「ほう。なんで――」
「娘さんのことや実際の事件性なんかを考えると、やはり止めたほうがいいと思ってね」
「ふむ。それもひとつやな」
 谷口は、愛用のタバコを燻らせながら訊ねた。「ほんで、どないするんや。大の男が雁首そろえて京都くんだりまできて……」
「うん。それで、いまから首実検ということで、村上の店を見に行こうと思うんだが」
「行ってどうするんや」
「どうするって、本人確認をしなけりゃ、警察に通報のしようがないだろ」
「行くまでもないやろ。本人が本人の名前で登記して、自前で会社興してるんやから、それを不正とは言えんやろ」
「しかし――」
「しかしも、おかしもないがな。第一、考えてみぃな。その金のどこにひとの名前が書いたァるんや。本人のもんやない――いう証拠はどこにもないんや」
「!」
 二人が絶句したのを見届けて、谷口がおもむろに口を開いた。
「そやろ。本人が『いや、これは、わしが長年苦労して貯めた金や』言うたら、どう反論するんや。
 法務局から帰る道々、わしなりに考えてみたんやが、こればっかりは一筋縄では行かへん。あの権田いう刑事さんの気持ちが、ようようわかってきたわ。なんにせよ、わしらがいうてるのは推測ばっかりで、物的証拠やない。
 民法は、ものは、それを所持する人間が持ち主やいうことにしとる。それとおんなじ理屈で、一旦手にしてもたら、たとえ盗んだもんであっても、その金は村上のもんいうことになるんや」
「確かに、フランチャイジーの設立資金や保証金が――」
 三田が二人の間に割って入って言った。「美貴さんの保険金から出たという証拠は、どこにもありませんよね。当時の札は別の札に入れ替わっているわけだから、調べようがない。文字どおりマネーロンダリングですよね」
「しかし、その金が――」
 里中が鼻白んだ表情で言い募った。「誰の手許にも届いていないというのは、紛れもない事実なんだよ」
「そやから言うて、村上が盗んだいうことにはならんやろ」
 谷口が里中のことばを受けて言った。「ましてや、受け取った本人は、死んでしもてるんやで。そんな大金が、あの橋の下にあったいうこと自体、誰も知らんし、警察も関知しとらん。事実かどうかもわからん。
 しかもや。吉田の死体にしたところで、ほんまに村上が殺ったんかどうかもわかってへん。後藤田はんやないけど、なんらかの事情で『たまたま川の中に滑り落ちた』だけの死やったんかも知れん。そしてたまたま漁夫の利で、村上がその金を頂戴しただけなんかもわからん。すべては、闇の中のできごとなんや――」
「うーん」
 里中も、三田も、異口同音に腕を組んで押し黙ってしまった。
「でも、少なくとも任意同行を要請して――」
 三田が、暗闇から一条の光を見つけたような表情で口を開いた。「金の入手先について事情聴取することくらいは可能なんじゃないでしょうか。彼が借金の形に家を取られ、ついこの間まで一文無しのホームレス生活を送っていたのは、誰もが知る事実なんですから……」
「そやから、それが物的証拠になるんか――いうてんにゃ」
「…………」
「警察かて、あほやない。情況証拠だけでは想像の域を出んとかなんとかいうて、相手にしてくれんやろ。まずは、なんか決定的な証拠がないと、捕まえられへん。ここは、イチから考え直したほうがええんかも知れん……」
「イチから、というと――」
 里中が問うた。
「たとえば、金を横取りしたはずの付上が、なんであの原稿の存在に気づかへんかったんか。気づいてたとしたら、なんで、あの原稿を残しておいたんかいうこっちゃ――」
「なるほど――」
 三田が頚いて言った。「あの小説には、保険金が入ってきたことが書いてありますもんね。その金がなくなったら、真っ先に疑われるのは自分だから、当然、原稿はきっちり処分するはずです」
「そやろ――」
 谷口は、よくぞ気がついてくれたという風に顔をほころばせて続けた。「小説の中身はどうなってるか知らんけど、本人は吉田が小説を書いてたことは知ってたはずや。そうやとしたら、その中身に興味持たへんもんやろか」
「その点は、しかし、小説の中では、村上はその手の読み物に興味がないことになっている。しかも、原稿は鞄の中に入っていたそうだから、おそらく……」
 里中が言うと、
「おそらく――」
 谷口が先を促した。
「読んでないんじゃないかと……」
「その根拠は――」
「吉田自身も書いているが、いくらなんでも同居人の鞄の中まで見やせんだろう」
「うむ。もはや他人の関係やないからな」
 谷口は口をへの字に曲げて続けた。「では、読んでないとしよう。読んでへんとしたら、つぎは、どんな可能性が考えられるか――いうことやな」
「たとえば、なにかの拍子に、段ボール箱の中の現金そのものを見てしまったとか……」
 三田が言った。
「あり得るな」と谷口。
「小説によると、吉田自身は、段ボール箱の中身を原積用紙だと思い込ませることに成功したように書いている。だが、実際は――」
 里中が言って、
「見られたこと自体、吉田自身が気づいていないとしたら……」
 三田が応じた。
「それも、あり得るな」
 三田のことばを首肯して谷口が言った。「いずれにしても原稿が存在してたことだけは間違いない……」
「――とすると、村上は原稿ではなく、金にだけ興味があった」
 三田が言った。「こうすれば、すべての辻褄が合ってくるんじゃありませんか」
「うむ」
「やはり、ここは――」
 三田が両方の手でこめかみを抑えながら言った。アイデアを考えるとき、いつもする癖であった。「陽動作戦で、村上をおびき出すしかないでしょうね」
「いいね」
 里中が同調した。
「確かに、使えるアイデアや。早速、作戦練ろう」
 谷口が声を潜め、三田を見詰めて言った。「で、どうやる――」
「そうですね。われわれが目撃者になって、彼を脅迫するというのはどうです」
「ますます、いいぞ――」
 里中が興奮した声で言った。「じゃ、こうしようよ。脅迫する役は、ぐっさんにやってもらう。同じ関西弁を使うんだし、目撃者であっても不思議じゃない。われわれ関東の人間では、いかにも不自然だ。しかも、ぐっさんの声はドスが効いている。脅迫するには充分な怖さがある」
「なに言うてんにゃ。わし、そんな怖わないで――」
「ま、ま、そこは我慢していただいて、ぜひ一役買ってもらおう」
「そうですね。まさに打ってつけですよ、谷口さん。ちょっとコワモテの大阪ヤクザで凄んでみたら、どうです――」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み