3、君の一番【万世】

文字数 2,128文字

「ちとせ、なんか悩んでる?」
 髪留めからこぼれた一すじを、指にからめる。おれの髪だって、ちとせの真似をしてずいぶん昔から伸ばしてたから、けっこう長い。そのせいで女とまちがえられることもよくあるけど、長い髪はちとせとおんなじがいいから、気にしない。
 はじめのうちは、「男子が髪伸ばすな」って指導部の先生がうるさかったけど、そんなの人権侵害で訴えるしおれの父親弁護士だしSNSで晒すって言ったら、おとなしくなった。
 ……「実の父親」が弁護士で、「今の父さん」は会社員だけど、うそついたことにはならないもんね。
「悩んでる……ねえ」
 ちとせはつぶやいて、ちょっと視線をさまよわせる。
 ――やっぱ、心当たりある? 
「悩みだったら話してよ。楽になるよ?」
「ううん、悩みってほどのことじゃないの。ただ告白されて、キスされただけ」
「だけ!?」
 おれは飛び上がってた。だってそれ、「だけ」ですませられる話じゃないよ。
「そいつだれ? なんで通り魔とか暴行犯で警察突き出さなかったの!」
 許せない。
 ちとせに両肩をおさえられて、しかたなく座りなおす。
「どこのどいつ? ちとせの唇奪ったやつ」
「ないしょ。教えたら万世(かずせ)、絶対そいつのこと刺しにいくと思うから」
 そいつがどこのだれだかわかったら、地獄の果てまででも追っかけてやる! 
「もういいんだってば。あれは、チワワになめられたみたいなものだから」
「よくない。ちとせはおれのなんだから」
「私は万世の所有物じゃありません」
 頭をなでられて、子どもあつかい。
 たしかに、おれはちとせよりも三つ年下で、まだ中学生だけど。おれ以外のやつがちとせのとなりにいて、ちとせに笑いかけられて、ちとせの唇奪うっていうのは、絶対許せない。許さない。
 ちとせを好きすぎる気持ちと、なんでおれ中二なんだろうって気持ちがミキサーでどろどろにされて、血管に流れているみたいだ。
「ああもうっ!」
 おれはちとせの身体をくるりと回して抱きよせた。
「ちとせはおれだけ見てればいいからね」
 無言のままおれを見る赤褐色の瞳。だけど本当は、その目が見ているのは、おれなんかじゃないってわかってる。
 ちとせがおれを通して見ているのは、おれより五つ上の実のにーちゃん。ちとせから見れば年上のイトコ。
 ちとせは昔から、ずっとにーちゃんのことが好きだ。にーちゃんとちとせが最後に会ったのは七年も前のことなのに、ちとせはにーちゃんを追い続けているんだ。
 ねえ。にーちゃんじゃなくておれを見てよ? おれなら、にーちゃんができなかったこともしてあげられるよ? だからおれを見て。おれだけを好きでいて。
「ちとせはおれよりも、もうずっと会えないにーちゃんのことが好き?」
 肩が、びくっと震えた。
幾世兄(いくせにい)は……!」
 向き直って何かを言おうとしたちとせの口を、おれは自分の唇でふさぐ。
「わかってて聞いてんの、おれは。ねえ、おれじゃ、にーちゃんの代わりにはなれない?」
 それは七年間、おれが思い続けてきたこと。ほんのガキだったころから、おれが思い続けてきたこと。だけどちとせはうつむいて、冷たいことを言った。
「幾世兄は……幾世兄だから。いくら万世でも幾世兄の代わりにはなれないの」
「じゃあ、代わりじゃなくてもいい。ちとせの昔のいちばんがにーちゃんなら、それでいいよ。でも今は、ちとせの今のいちばんは、おれでいさせて?」
 そんなの、嘘。おれは今だけなんかじゃ満足しない。今もこれからも、死んでからだってちとせのいちばんでいたい。
 おれ、あのときのにーちゃんの年を越したよ? 身長だって、あのときのにーちゃんより高いよ? 声も少し低くなった。力だって強くなった。おれはまだ中二だけど。中二だけど、だからこそ、まだまだ成長するよ。そしてもっといっぱい、ちとせを守ってやれるようになるよ。
「ちとせ」
 おれに甘えてよ。ちゃんと守るから。
「……幾世兄と私は」
 ちとせがぽつりと言った。
「ちっちゃいときだったけど、結婚の約束までしたの。小学校に上がってからも、幾世兄は私のことを好きだって、約束は忘れてないって言ってくれた。私、すごくうれしかった」
「初恋は実らないって言葉、ちとせは、聞いたことある?」
「ある、けど」
 ちとせが目をつむって、その頭をおれにもたせかける。
「でも、あの恋が実らないってことのわかりかたが、すごく嫌だった」
 ……うん。あれはひどかった。
「知らなかったなら、今でも幾世兄のことを待っていられたのに」
 ちとせが知らないままだったら、おれの気持ちはどうなってたんだろう? 伝えられないままに、パンクしていたのかもしれない。
「待ってたって、にーちゃんにはもう会えないんだ。おれだったら、にーちゃんよりもちとせを幸せにするよ?」
「気持ちは、うれしいんだけどね」
 気持ち「は」、うれしいん「だけど」。
「……ごめん、もう寝るね。おやすみ」
 ちとせはおれの部屋を出る前に、おでこにキスをしてくれた。
「おやすみ」
 口のなかだけでつぶやいて、自分のおでこをなでた。
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登場人物紹介

沖沢 千歳(おきさわ ちとせ)

高校2年。成績優秀。面倒見は良いが冷めている。大事なものが欠け落ちてしまってから世界の色彩が失われたと感じている。友人がいないわけではないが人とは距離を置き、女子高生らしいはなやかさとは無縁の日々。初恋を大切に抱え、想い続けている。

瀬野 譲(せの ゆずる)

高校2年。千歳に次いで学年2位の成績。顔が良い。儚げ系美少年と校内で有名人。微笑めば歓声が上がり、声を掛けられた女子からは悲鳴が上がる。しかし、千歳には好意を表し続けているが、のれんに腕押しで相手にされない。暗い過去を抱え続けている。

沖沢 万世(おきさわ かずせ)

中学2年。千歳の弟。千歳至上主義。さらさらの長い髪のために街中で女子に間違えられることもしばしば。大変なシスコンと悪友の栄介は評しているが、万世自身は千歳を姉だと思ったことは一度もなく、純粋に恋心を抱き続けている。

鷺野 鈴(さぎの すず)

万世と栄介が出会った、どこぞの学校の美術部員。大変なエリート校らしいが、本人はふわふわとしてとらえどころのない、幼くさえ見える少女。

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