21.国境と難民と

文字数 4,330文字

 灰色の空から冷たい雨が止めどなく降り注いでいた。
 水たまりの横で、幼い弟の手を握った少女が、ボロボロのぬいぐるみを抱えて雨に濡れるままに呆然と立ち尽くしている。姉の右足は裸足で、弟は右足にピンク色の少し大きめのスニーカーを履いていた。
 周りの大人達は自分たちが生きながらえることに必死で、幼い二人に手を差し伸べる余裕もない。
 土がむき出しの道の両脇には、粗末な布で作られたテントが幾つもならんでいる。
 廃材を使用した囲い同然の住居に、大人から子どもまで何人ものエメトリア人達が身を寄せ合って寒さを凌いでいた。
 遠く銃声が響き渡った。皆、怯えた顔で見つめ合い、息を潜めて耳を澄ます。
 国連平和維持活動、PKOの部隊が派遣されているこの国境付近のエリアには、エメトリア革命軍も今のところは攻撃してこなかった。
 しかし、それもいつまで持つか分からない。
 東欧の小国であるエメトリアはその隠された本質を知らない各国にとっては出資をしてまで軍隊を派遣するほどの利益が見いだせず、一方でソビエトから東欧に吹き荒れる崩壊と混乱の嵐は、この小国で起きた革命と住民虐殺のニュースすら遠くにかすませてしまっていた。
 それでも派遣されてきたスウェーデンの国連部隊は、装備も人員もエメトリア革命軍の攻撃を防ぐには不十分な上、守るべきエメトリア難民達は膨大で、食料や医療援助もままならなかった。
 ふいに少女の手が持ち上がる。
 自分の手を取った女性が、かぶっていたポンチョを外し、にっこりと微笑むのを、少女は無表情にみつめた。
「女王様?」
 きっと女王の姿を国でみたことがあるのだろうとエリサは思った。
 国では良く、母の若い頃に似ていると言われていたのだ。
 エリサは少女の手を引くと、UNの書かれた国連軍のテントに向かう。
「そんなことをしていても切りが無いぞ。それより先を急ごう」
 同じようにグリーンのポンチョを深めにかぶったカーラが振り返り声をかける。
 戸惑ったような表情を見せると、エリサはそのまま国連軍のテントへと向かう。
 ため息をつくとカーラもそれに続いた。
 
「うわー。去年のトラウマスイッチ発動だよ。あのキャンプの家族、ねずみ喰ってたよ…」
「喰ったなぁネズミ。火であぶって毛抜きして。くせーのなんのってな」
「カレー粉があればまだ喰えるんだけどね」
「蛇、おろして生のまま喰ったよなぁ。細かい骨が口に刺さって嫌だった」
「火使えなかったしな。醤油とみりんが欲しかったよ。ほんと」
「ここは水が豊富だからそこは助かるけどね。水ないの辛い…」
 沖田達三人がようやくエメトリア国境まで近づいたところで、道一杯の難民の群衆と周辺の避難テント群に先へ進むのを阻まれてしまった。
 仕方がないので、フィアットを森に隠した上、装備を可能な限りバックパックに詰めると、そのまま徒歩でここまで来ていた。
 群衆から離れた場所をなるべく目立たないように先へと急ぐ。
 しばらく前から暗かった空から大粒の雨が降り出した。
「だぁあ。雨だよ」
 沖田、吉川は 神保町の石井スポーツで買ったポンチョを着込み、小坂だけはぶつくさ言いながら古風な編み笠をかぶる。
 国内への出入りがどうなっているのか、エメトリアから逃げてきた人達に聞きたいのだが、どこに革命軍のスパイが入り込んでいるかわからないのでうかつに動けない。
 三人はコスプレバックパッカーの風体を崩さず、ともすれば難民ボランティアの体で先を急いだ。
 国境まであと数キロ程度のはずだ。急げば今日の夜には付近に到着することも可能だった。
 すると突然、難民達のキャンプが両脇に続く道の前方で、銃声と爆音が鳴り響いた。
 悲鳴を上げ、逃げ惑う群衆がこちらに向かってくる。
 顔を見合わせた三人が、一斉に反転して今来た道を駆け戻る。
 群衆に巻き込まれないよう、大きく迂回して近くの森へと駆け込んだ。
 難民達も何人かこちらへと駆け込んでくる。
 沖田達は、段差になったところに滑り込み、腹ばいになって伏せると双眼鏡を取り出して、爆発と銃声の方向を確認する。
 遠くロシア製の高機動装甲車を先頭に、革命軍の兵士を満載したトラックが二台、群衆の中を強引に走行して停止すると、トラックからボディーアーマーを着込みヘルメットを被った、完全武装のエメトリア兵達がバラバラと降り立った。
 指揮官らしき赤いベレー帽をかぶった男が装甲車から最後に降り立ち、何か指示を出している。
 すると、兵士達が難民キャンプへと入っていき、男女10人ほどの難民達を道へと引きずり出してきた。全員、道の真ん中で膝をついて、両手を頭の後に組まされる。
 跪く難民達を見下げながらゆっくりと横に歩いたベレー帽の指揮官が、手にぶら下げていたスチェッキマン・マシンピストルでいきなり一人の男性の頭を打ち抜いた。
 脳症が後頭部から爆発する様に飛び散り、男性が頭から地面に突っ込んで動かなくなる。
 騒然となる群衆。
 悲鳴は聞こえないが、引きずり出された若い女性がパニックとなって逃げようとした。
 ベレー帽が合図すると、AK48を構えた兵士達が女性に向かって発砲する。
 わざとなのか、フルオートで発射された弾丸は、あっという間に女性を赤い肉塊へと変貌させた。
 血しぶきを上げ、紙くずのように地面に沈む女性。
 悲鳴を上げ、鳴き叫ぶ難民達の声がここまで聞こえてくるようだ。
 大きく舌打ちした沖田が、リュックの中から大きめのグルカナイフとマシンピストル、ベレッタM93Rを2丁取り出す。弾倉を確認すると腰の後に付けたフォルスターに2丁とも差し込んだ。
「バカ、なにやってんだ」
 気がついた吉川が沖田のベルトを持って引きずり戻す。
「このまま黙って見ているわけにもいかねーだろ」
「何言ってんだおまえ?一個小隊規模の人数だぞ」
「能力限定解除で潰せんだろうが。お前もハーキュリーから盗んできた、対物ライフル早く組み立てろ」
「馬鹿野郎。俺らの目的はあくまでエリサちゃんの保護だろ。ここで目立つわけにはいかねーだろ!」
「ちょっと待て。動きがあるぞ」
 双眼鏡で監視を続けていた小坂が声を上げた。
 ベレー帽が更にもう一人の女性の頭にマシンピストルを突きつけた時、群衆から一人の、10代後半とおぼしき少女が現れた。
 ジーンズにシャツのごく普通の、一般人にしか見えないその少女は両手を挙げて、兵士達の前に歩いてくる。
 何故か、兵達の緊張が高まるのがここまでわかった。
 油断なくライフルを構えた兵士に囲まれ、それでも青ざめた顔をしっかりと前に向け、赤いベレー帽の指揮官を気丈にも睨み付けている。
 二人の兵士が少女を取り押さえると、指揮官がいきなり腹に蹴りを入れた。
 嘔吐しながらかがみ込む少女の顔を蹴り上げ、後頭部に銃床を振り下ろす。
 うずくまる少女を冷酷に見つめると、その後頭部に銃を突きつけ、何か怒鳴っている。
「あの子が死ぬところを見て今後苦しむのと、この手で奴らを殺して苦しむの、どっちがいい?」
 言うが早いか、沖田は森から飛び出して平原の高低差と少ない遮蔽物をたくみに利用して革命軍兵達へと進んでいく。まるで平原を高速で進むゴキブリのよう。その様は人間とは思えなかった。
 ため息をつくと、吉川は自分のバックパックを開きライフルの部品を取り出して、瞬く間に組み上げる。サイトの調整を5秒ほどで完了してバイポッドを立て、スコープ内に装甲車のガソリンタンク部分をポイントする。
 双眼鏡を持った小坂が、
「距離1100。湿度75%。対象付近で右から風速5m。ノッチで右に2、上に3。指揮官クラスから目星付けてくから片っ端からぶっ放しな。ビットスタート」
 順番に兵達の位置と特徴、距離、予測風速を吉川に伝えていく。
 バレットM107。対物狙撃銃と呼ばれる、歩兵が持てる最高威力のライフルの一つ。.50BMGと呼ばれる12.7mm弾丸、NATO弾の2倍近い大きさの弾丸を使用する。焼夷弾、徹甲弾、炸裂弾、曳光弾等があり、劣化ウランを使用した弾丸もある。
 沖田の敵との距離が50メートル圏内なった刹那、爆発するような発射音。
 少女の後頭部に銃を突きつけていた男の頭がスカイのように爆ぜた。
 パニックなった難民達が我先にと逃げるタイミングを見計らって、装甲車に三撃。重い装甲車が三度跳ねて爆発した。
 ローザの目を盗みちゃっかりハーキュリーズのペイロード内から武器を盗んだ三人は、ライフル弾も数種類確保していた。吉川が今使用したのは、徹甲弾と劣化ウラン弾のハイブリッド。この世でもっとも凶悪な弾丸の一つだ。
 革命軍兵士が騒然となりつつも、周囲への警戒フォーメーションをとりはじめるが、副官、リーダー格らしき兵達が人形のように次々に吹き飛んでいく。
 混乱に乗じて、沖田はスルスルと前方へと進むと、三点バーストにしたベレッタを無造作に片手撃ちで兵達に撃ち込んでいく。ボディアーマーを着ているので、9ミリでは殺傷能力が極端に落ちてしまうため、露出した額、喉、眼球に執拗にそして、正確に弾丸を撃ち込んでいく。
 接近し左手のグルカナイフをふると、顔の半分を切り落とされた兵士が数歩歩いて仲間の兵士に倒れ込む。
 革命軍兵士のアサルトライフルが火を噴き、何発かが沖田に当たったように見えた。
 ほんの一瞬動きがとまるも、そのまま平然と動き続ける沖田。
 ライフルを撃った兵の頭が、徹甲弾で吹き飛んだ。
 沖田が走り抜ける。すると、兵士達が血しぶきを上げて倒れ込む。
 それでも訓練された兵士達は戦列を立て直しつつ沖田に向かってライフルを斉射し続ける。
 弾丸を高速移動で避け、或いはその身に受け続けながら、沖田の動きは止まらなかった。
「 スミェールチ! !」
 恐慌した兵士が叫ぶ。
 まさに死神のように暴れ狂う沖田と、遠距離から大型ライフルの連続支援に、指揮官を失った兵達の混乱は頂点に達した。我先へとトラックへと乗り込み、一部の者は走りながら、その場から逃げ去っていく。
 沖田は最後に、少女をトラックに引き上げようとしていた兵達を、グルカナイフとベレッタの近接戦闘で、血しぶきを上げてすべて沈めた。
 少女の傍らに膝をつくとそのまま軽々と抱え上げ、大きく迂回しつつ吉川達のいる森へと走り向かう。
 吉川と小坂は森の中を移動しつつ、残兵がいないチェックを開始。危険がないと分かった時点で沖田に合流地点を無線で連絡する。
「死神って言われたらしい」
 無線機をしまった小坂が苦笑いを浮かべた。
「去年は、イラー・アルマウトだったな…」
 吉川が青ざめた顔でわざと口元だけ微笑んで見せた。

To be continued.
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