第2話 指揮者を乗せて深夜タクシーが疾走する_

文字数 2,901文字

 ラジオの深夜放送が1時の時報を告げる。もう今から駅に行っても終電を降りて、タクシーを待っている客はいないだろう。私もそろそろ帰るか。
 この時間帯で、客が乗っていない時はパーソナリティが若手指揮者の、このラジオ番組をなんとなく聴いている。番組の紹介webサイトの写真を観ると、なかなかのイケメンだ。

「ここで、リスナーからのメールを読んでみましょう。ラジオネーム、ドムさんからです。ショウさん、こんばんわ。私は、最近妹の影響でオペラ鑑賞にはまっているのですが…」

 自分の送った番組へのリクエストメールが読まれた。その時、反対車線で男性が手を挙げているのが、目に入った。
 私は、素早くUターンして、客の前に止まりドアを開けた。

「すいません。後ろのトランクを開けてくれませんか?」

 私がトランクを開けると、黒いマスクをした若い男性客は、大きなキャリーケースを、積み込んだ。そして、行き先に市北部の山間部の住所を告げる。片道30分程度だ。
 その声を聞いて、私はドキッとした。いまラジオでしゃべっているパーソナリティーの声と同じだ。車をスタートさせたら、いつもはラジオを切るが、今回はつけっぱなしにした。

「お客さん、違ってたらごめんなさい。今、ラジオでお話されているのは、お客さんでは、ありませんか?」

 男性は、一瞬ぎょっとしたが真顔に戻って返事をした。

「そうですよ。今放送しているのは昨日の昼に収録した分ですね。運転手さんは僕の番組のリスナーさんなんですね。ありがとうございます」

「やはりそうでしたか。私はラジオネーム『ドム』で、たまに番組宛にリクエストメールを送信しているんですよ」

「熱心なリスナーさんのタクシーに乗り合わせるとは、すごいめぐり合わせです」

 しばらく、クラシック音楽談義に花が咲いて、あっという間に目的地に到着した。ショウさんが指定したのは、児童養護施設の駐車場である。

「すぐ荷物を置いてきますんで、ちょっと待っていて下さい」

 ショウさんの話によると、荷物のほとんどは、ファンから貰ったチョコレートやクッキーであるとのこと。ショウさんは幼少期に一時期、この児童養護施設に住んでいたことがあり、人気指揮者になった現在は、その恩返しで、こうして、定期的にプレゼントを持ってきているのであった。

「ショウさん、それは素晴らしい行動です。私も、これから帰るだけですので、帰りの料金はいただきません」

「ドムさん、いいんですか? ありがとうございます」

「それでは、次回も私にご連絡下さい」

 私は、おつりのお金と、自分の名刺をショウさんに渡した。


 ◇◇◇◇


 それから、1年に2~3回、ショウさんからメールが入り、荷物を運ぶ日時を決めていた。
 すっかり打ち解けて話すようになったショウさんの本音の話は実に面白い。自分は人気指揮者と世間では言われるけど、収入的には不安定で、自分の車を持つこともできない。
 今の目標は、日本のオペラの聖地、新国立劇場での公演で指揮者となることだが、副指揮者や合唱の指揮者には指名されるものの、全体の指揮者をやるには、まだまだ下積みの仕事をしなければならない。
 先輩指揮者や、音楽評論家の後押しが必要だとか、その他にも音楽業界の裏の話を語ってくれた。
 実は、私の妹もショウさんと同業者で名前を出したら判るかもしれなかったが、あえて話はしなかった。

 次にショウさんからメールをもらったのは、7月のある日だった。それも、いつもは前日のメールなのが、当日に、しかも乗車する場所もいつもと違っていた。

「ショウさん、7月とは珍しいですね」

「あっ、はい。当日の連絡になってしまい、ごめんなさい」

 この日のショウさんの様子は、いつもと全く違っていた。
 こっちから話しかけても、心ここにあらずで、会話が弾まなかった。

「ショウさん。御悩み事があるようですね。恋ですか? 仕事ですか?」

「いやぁ、両方ですかね…」

 それだけ言って、また黙ってしまった。
 帰路も同じで無言である。そして車から降りる時こう言った。

「ドムさん。いままで、ありがとうございました」

 この言葉通り、それからショウさんからの、メールが来ることはなかった。
 念願の車を買ったのだろう。私は一抹の寂しさを感じた。

 ◇◇◇◇

 5年後。
 私はテレビの報道番組で、ショウさんがイタリアのメジャーな歌劇場の音楽監督に日本人で初めて就任するとのインタビューを受けているのを見た。
 その中で、ショウさんのキャリアで転機となったのは、5年前に新国立劇場での歌劇「トスカ」の公演で、本来指揮をする予定であった、女流指揮者が公演初日の前日に交通事故で負傷し急遽副指揮者であった、ショウさんが指揮をまかされることになったことをあげていた。
 その公演を、今度就任するイタリヤの歌劇場の総支配人が観に来ていて、ショウさんの存在を知ったというのだ。

 そのテレビの報道番組の翌日に、何とショウさんからメールが来た。
 指定の乗車場所で待っていると、5分後にショウさんがやってきた。いつものキャリーケースを引く手の反対側は若い女性が腕を絡ませている。

「ショウさん、昨夜のテレビ観ましたよ。ご成功おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 その後は、同乗した女性がショウさんにべったり横について話し始めたので、私はその会話を聞いていたが、ショウさんはこの若い女性と婚約したらしい。
 女性は、某企業グループ一族の令嬢で、さっきまでご両親と顔合わせをしていたとのこと。ご両親は最初猛反対していたが、ぞっこんの令嬢がショウさんと結婚できなければ、死ぬとまで言って押し切ったらしい。ほろ酔いで、しゃべり疲れたのか令嬢は寝てしまい、やっと静かになった。

「あれ、ドムさん。道が違うようですよ」

 やっと気づいたか。このドンファンめ。

「いいえ。ショウさん。私が、あの場所へご案内しますよ」

「あの場所ってなんです?止めてください。止めろ!」

 ショウさんの指示とは逆に、私はアクセルを踏み込んだ。

「ショウさん。あの日、あなたはこれぐらいのスピードを出していたそうですね。再現しようじゃないですか」

「ドムさん! あんたはいったい誰なんだ」

「ようやく気付きました? 

 私は、

 ショウさんの運転する車の助手席で交通事故に遭って、
 
 指揮のできない体になり、
 
 ちょうど1年前に飛び降り自殺した、
 
 ケイコの兄ですよ。

 ショウさんは、オーケストラのドライブはお上手ですが、車のドライブに失敗したんですね。
 ケイコを犠牲にして、自分は大歌劇場の音楽監督になり、大金持ちの御令嬢とご結婚ですか!」

 ショウさんの表情が引きつっているのが判る。車は山間部の下り坂を制限速度をオーバーして疾走した。

「ショウさん。この長い直線の下り坂の終わりの急カーブが事故現場でしたね。あらあら、やっぱりフットブレーキが利かなくなってますよ」

「やめろ。やめてくれ!!!!!」

 私は、事故の実況見分調書に書かれていたショウさんの当時の運転動作を忠実に再現した。

 無邪気に寝る令嬢には悪いが、結果は神のみぞ知るだ。



 おしまい
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