最後のライブ
文字数 1,319文字
一世一代の路上ライブを間近に控え、一紗へのプレゼントを用意するため有楽町に立ち寄った。
移動中、駅のホームや建物の鏡に写る自分の姿にぎょっとする。フォーマルなタキシードスーツを着ると、自分でも昇太郎に似ているなと思ったからだ。
目的地に到着すると、催事場はそこそこの賑わいを見せていた。そこでは、千円以上買うと自然環境の団体活動費として一部寄付されるシステムになっていた。
迷った挙句、ぼくは地球をやさしく包み込む動物や花の絵が描かれたカラフルな時計を選んだ。その後、同じ建物に入っていた花屋へ急ぎ、今度は迷うことなく薔薇の花束を買った。
しかし、何かが足りない。
―――秋葉原。
思えば、一紗との出会いはあの街から始まった。
コスプレが脳裏に浮かんだ。
自分はすでに正装していたので、動物の被り物をかぶるに留める。一方、一紗には009のヒロイン役、フランソワーズ・アルヌールの衣装を手渡そう。外ハネの髪型にはぴったりに違いない。
もし、告白の返事がOKなら、即座に着替えてもらい、そのまま万世橋のほうまでゆっくり歩く予定だ。
この案を笑い飛ばしながらも、並んで歩いてくれる彼女の照れた横顔を想像すると、たまらない気持ちになった。
すぐに、有楽町から秋葉原まで移動するつもりだった。
もしあのとき、
もう少し買い物に時間をかけていたら、
ほんの数分、駅のトイレにでも寄っていたら、
メールを打つのに立ち止まっていたら。
空は一面、無垢な青色だったが、鼻孔をツンと刺激する男とすれ違った。
四月上旬とは言え、二十五度まで上昇したこの日、その男だけが明らかに浮いた格好をしていた。こげ茶色のニット帽に、何枚も重ね着したダウンベスト。足元は、薄汚れたフェイクファーのブーツを履いている。よく見ると左右で違う色をしていた。
ぼくはとっさに足を止め、横断歩道のど真ん中で踵を返した。
男の黒く汚れた手には、何枚も重ねた紙袋を持っている。身体を丸めて右足を引きずるように歩くそのホームレスの男を、ぼくは知っていた。
信号が点滅しはじめたとき、その答えにハッ!と気づかされる。
まぎれもなく男は、長年行方をくらましている、実の親父だった。
「親父!」
哀愁を帯びた背中を威勢よく呼び止めたが、本人は歩くのを止めなかった。自分が呼ばれている自覚がないのかもしれない。
ぼくは、足早に追いかけて今度はフルネームで呼びつけた。
「日向正彦!」
そのとき、危険な影が忍び寄ってきた。
一台のトラックが信号を無視して、右手から猛烈な勢いで突っ込んできたのだ。
反射的に親父を背中から突き飛ばす、それで精いっぱいだった。
一瞬にして、視界が反転した。
赤い薔薇の花びらと血痕とが地面に生々しく飛び散った。
最後まで、母スズコのように心の底から親父を見放すことはできなかったが、親父の存在は最後の最後まで子供のぼくにとっては害悪だったかもしれない。
できれば、あと一日だけ、あと一日だけ待ってもらいたかった。
しかし、その願い虚しく、ぼく自身は不帰の客となってしまった。
移動中、駅のホームや建物の鏡に写る自分の姿にぎょっとする。フォーマルなタキシードスーツを着ると、自分でも昇太郎に似ているなと思ったからだ。
目的地に到着すると、催事場はそこそこの賑わいを見せていた。そこでは、千円以上買うと自然環境の団体活動費として一部寄付されるシステムになっていた。
迷った挙句、ぼくは地球をやさしく包み込む動物や花の絵が描かれたカラフルな時計を選んだ。その後、同じ建物に入っていた花屋へ急ぎ、今度は迷うことなく薔薇の花束を買った。
しかし、何かが足りない。
―――秋葉原。
思えば、一紗との出会いはあの街から始まった。
コスプレが脳裏に浮かんだ。
自分はすでに正装していたので、動物の被り物をかぶるに留める。一方、一紗には009のヒロイン役、フランソワーズ・アルヌールの衣装を手渡そう。外ハネの髪型にはぴったりに違いない。
もし、告白の返事がOKなら、即座に着替えてもらい、そのまま万世橋のほうまでゆっくり歩く予定だ。
この案を笑い飛ばしながらも、並んで歩いてくれる彼女の照れた横顔を想像すると、たまらない気持ちになった。
すぐに、有楽町から秋葉原まで移動するつもりだった。
もしあのとき、
もう少し買い物に時間をかけていたら、
ほんの数分、駅のトイレにでも寄っていたら、
メールを打つのに立ち止まっていたら。
空は一面、無垢な青色だったが、鼻孔をツンと刺激する男とすれ違った。
四月上旬とは言え、二十五度まで上昇したこの日、その男だけが明らかに浮いた格好をしていた。こげ茶色のニット帽に、何枚も重ね着したダウンベスト。足元は、薄汚れたフェイクファーのブーツを履いている。よく見ると左右で違う色をしていた。
ぼくはとっさに足を止め、横断歩道のど真ん中で踵を返した。
男の黒く汚れた手には、何枚も重ねた紙袋を持っている。身体を丸めて右足を引きずるように歩くそのホームレスの男を、ぼくは知っていた。
信号が点滅しはじめたとき、その答えにハッ!と気づかされる。
まぎれもなく男は、長年行方をくらましている、実の親父だった。
「親父!」
哀愁を帯びた背中を威勢よく呼び止めたが、本人は歩くのを止めなかった。自分が呼ばれている自覚がないのかもしれない。
ぼくは、足早に追いかけて今度はフルネームで呼びつけた。
「日向正彦!」
そのとき、危険な影が忍び寄ってきた。
一台のトラックが信号を無視して、右手から猛烈な勢いで突っ込んできたのだ。
反射的に親父を背中から突き飛ばす、それで精いっぱいだった。
一瞬にして、視界が反転した。
赤い薔薇の花びらと血痕とが地面に生々しく飛び散った。
最後まで、母スズコのように心の底から親父を見放すことはできなかったが、親父の存在は最後の最後まで子供のぼくにとっては害悪だったかもしれない。
できれば、あと一日だけ、あと一日だけ待ってもらいたかった。
しかし、その願い虚しく、ぼく自身は不帰の客となってしまった。