泰山に北辰尊星の桜吹雪を【第二話】

文字数 1,847文字

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 ネコ科の動物のような鋭い目。アッシュグレイの髪の毛に、スーツと黒いドライバーグローブ。
 これが破魔矢式猫魔、……探偵だ。
 百瀬探偵結社・総長の百瀬珠のお気に入りでもある。

「美弥子さんとでも話していたのかな、山茶花」
 扉を開けてすぐに、探偵はそう言った。
「なんでそのことを。聞こえてた?」
「いや。山茶花が嬉しそうな顔をしているからさ。もちろん、嬉しそうなのはおれが来たからじゃないだろうし、ひとり部屋で嬉しそうにしているのも変だ。そして、煙草のにおいがする。ベランダで煙草を吸っているときに、隣室の更科美弥子さんとしゃべってたのかな、と予測しただけさ。なにせ山茶花は美弥子さんの〈お気に入り〉だからな」
「お気に入りじゃないよ、猫魔。それを言ったら猫魔は」
「珠総長はおれの〈飼い主〉なだけだぜ。魔女には猫がつきものってことさ」
「ふーん」
「スコッチ・ウィスキー持ってきたぜ。一緒に飲もう」
 酒瓶を持った手を上げて、ウィスキーを見せる猫魔。
「シーバスリーガルの18年ものか。いいね。飲もう」
 僕は猫魔を部屋に招き入れる。


 ダイニングテーブルに氷とミネラルウォーター、それからマドラーとコップを用意する僕。
 猫魔は椅子に座り、それを眺めている。
「あいにく酒の肴がなくてね。モッツァレラチーズならばあるにはあるよ。どうする」
「持ってきてくれるとありがたいな」
「はいよ」
 ウィスキーの水割りを二人分つくる猫魔の向かい側に座った僕は、モッツァレラチーズをスライスしたものを置く。

 酒を飲み交わしていると猫魔は僕の本棚を眺め、シャルル・ボードレールの『悪の華』の翻訳本を見つけ、本棚から取り出して、パラパラとページをめくった。
「山茶花、明日は女子校にお邪魔することになるんだよな。おまえのことだからどうせ〈秘密の花園〉って思ってるんだろうなぁ」
「現実はそうじゃないってことくらいわかるよ」
「だが、百合は憧憬のまなざしで見る者は昔からいるよな。その中でも有名なのが、このボードレール様だよ」
 シーバスリーガルのピリリとした刺激を舌で感じながら、僕は、
「そうなのか?」
 と、猫魔に訊いた。
「そうだよ」
 即答だった。
「『禁断詩編』の、『レスボス』と『地獄に落ちた女たち~デルフィーヌとイポリート~』が、それに該当する。デルフィーヌとイポリート。ギリシア風の名前で、ギリシアと言えば古典悲劇だろうよ。その古典悲劇を抽出して当世風にボードレールは読み替えた。レズビアンを近代のヒロインだ、と組み替えたんだな。ただ、ボードレールがその〈モチーフ〉の先駆者ではなく、先行する作品を書いたり描いた者たちがいる。それを踏まえての、ボードレールだ」
「先達がいたのか」
「ああ。バルザック『黄金の眼の娘』、ゴーティエ『マドモアゼル・ド・モーパン』、デラトゥーシュ『フラゴレッタ』だ。絵画ではドラクロアで百合にボードレールはお目にかかっている。ボードレールが美術批評をやっていたことを忘れちゃダメだぜ。ボードレールはドラクロアの絵の批評の中で〈地獄的なものへの方向にある近代女性のヒロイックな顕示〉について語っている。このモチーフはサン・シモンズに淵源を持っている。シモンズはしばしば両性具有の観念に価値を見いだしていた。シモンズのサークルに、ボードレールもいたことがあるからな」
「でも、『レスボス』と『デルフィーヌとイポリート』じゃ、だいぶ違う印象を受けるな」
「このふたつの詩は、対極的な傾向があるな。『レスボス』はレズビアン賛歌なのに対し、『デルフィーヌとイポリート』は情熱への〈断罪〉なんだ」
「賛歌と悲劇……か」
 ウィスキーをやや多めに口に含む僕。
 猫魔はチーズを囓ってスコッチで流し込んだ。
「ボードレールは、〈芸術の中の百合〉という〈幻想〉を見ていて、現実の百合は見ていなかったんだぜ。ボードレールは近代のイメージの中に彼女らのための場所を置いた。けど、現実の中に彼女らを再認することはなかった、という」

 一呼吸置いてから、猫魔は言った。

「〈堕ちていけ、堕ちていけ、憐れな犠牲者どもよ〉というのが、ボードレールがレスボスの女たちに手向ける最後の言葉だったのさ」


 僕は酔っ払いはじめていた。
 なので、混濁する頭で、
「なるほどねぇ」
 と、頷いただけだった。

「百合賛歌と、百合の悲劇、か……」



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登場人物紹介

破魔矢式猫魔(はまやしきびょうま):探偵

小鳥遊ふぐり(たかなしふぐり):探偵見習い

萩月山茶花(はぎつきさざんか):語り手

百瀬珠(ももせたま):百瀬探偵結社の総長

枢木くるる(くるるぎくるる):百瀬探偵結社の事務員

舞鶴めると(まいつるめると):天狗少女。法術使い。

更科美弥子(さらしなみやこ):萩月山茶花の隣人。不良なお姉さん。

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