プレゼントの到着
文字数 3,578文字
ある日の放課後のこと、保健室でサトーヨーコ先生はカトリに“相棒“をあてがうことには、ためらいを感じていた。
それは、数日前に赤城隼人を呼び出してアメリカでの心臓の移植手術後の経過や体調をたずねた時のことだった。隼人から奇妙な現象についての告白があったのだ。自分では行ったこともない戦場や外国人兵士の顔、体験したこともない銃撃戦や潜水中の光景が急に頭の中に浮かんでくるということだ。それは隼人が窮地におちいった時から始まったらしい。
今回ヨーコ先生が日本へ派遣された理由は、表向きには新興脅威の世界的拡散を防止するための日本での防衛作戦をバチカンと協力して行うためだ。さらに裏の任務としてはアメリカ政府のための臓器移植による『記憶転移』の有益性と有効性の実証実験のためだ。
アメリカ政府は陸・海・空・海兵隊の四軍において、特殊任務のための特殊部隊を養成・運用・維持している。特に養成のためには莫大な時間と労力と資金を投入し、それを維持するためには養成を継続的に行わなければならない。だが、運用においては隊員たちが負傷や死亡することは避けられない。そこで負傷や死亡した隊員たちの臓器を移植することで『記憶転移』し、隊員たちの今まで得られた経験・技術・知識を“遺産”としてリサイクルすることの調査研究が計画された。これがうまくいけば、“遺産”継承と養成費用の大幅な削減が見込まれる極秘作戦だ。国家機密なので、もちろん同盟国に対しても秘密だ。
ヨーコ先生がこの計画に関与するようになったのは、先生の経歴からだった。ヨーコ先生はアメリカで生活していたが、高校生の時に付き合っていた彼が海軍の特殊部隊を目指していた。そして自分は軍隊で人を助ける仕事をしたいと思い空軍のパラレスキューに志願した。パラレスキューは、四軍の特殊部隊と行動を共にし、負傷者を(時には死亡者を)空軍の輸送隊まで運び、運搬中の治療等を行う戦場の“救急隊員”だ。特殊部隊と同じ行動をする体力や技術を要求され、医療の能力も必要となる一部の者しかなれない部隊の中の極めて珍しい女性隊員だった(先生は“レッドデータガール”と呼ばれていた)。この経歴と日系人ということから、日本でのこの計画に先生は選ばれた。
ヨーコ先生はこの作戦の可能性については懐疑的だった。今の雇用主のCIAは、表にはできないが素晴らしい成果を挙げる一方、昔から突拍子もない作戦や人道的でない計画も数々手掛けていた。この作戦にもある種のいかがわしさを先生は感じていたし、自分の人道感覚にもそぐわないとの思いを持っていた。当然世論もそう思うだろうし、いわんやバチカンをや…
しかし、作戦は開始されており、極秘任務中に瀕死の重傷を負った特殊部隊員の心臓の移植手術をすでに赤城隼人は(ドナーとの相性が一番良かったために選別されて)アメリカで受け、程度は不明だが『記憶転移』しているらしい。今や隼人の能力の目覚めを確実にさせ、その育成を図らなければいけない段階に進んでいる。
ただ、カトリと隼人を一緒に仕事させるのはまだまだ早いと思った。確かにカトリが優秀なことは認めるが、実戦経験は無いし、隼人も現状ではドシロウトだ。“相手”は(報道されず公にもなっていないが)曲がりなりにも銃で武装しているし、二人には訓練が絶対に必要だ。これに対して、本部はいつも通り性急に結果を求めてきている。そのくせ、隼人に『記憶転移』の兆候もない時期から訓練を始めていたら、予算のムダと決めつけたに違いない。いずれにせよ二人には訓練を、特に隼人の訓練時間はしっかりと確保してあげたい、とヨーコ先生は思っていた。
今日の情報交換ではカトリに用意したプレゼントを渡し、全くのシロウトの隼人とペアを組ませることを伝えなければならないが、ヨーコ先生はどちらの話を先にすべきかにも迷っていた。ヨーコ先生は手に持ったペンを親指を軸としてクルクル回す、困ったときにする癖を神経質そうに繰り返していた。
そのときに扉を軽快にノックする音がした。
「ヨーコ、入っていいですか? カトリです」
カトリが空けた扉から上半身を入れてヨーコ先生をさがして、目があったときにお辞儀をして部屋に入って来た。
「どうぞお入りなさい」
ヨーコ先生はカトリを招き入れてイスを勧めた。決めかねていた話の順番は、差し障りの無いプレゼントの件からカトリに伝えることにした。
「カトリに頼まれていた物が届いたから渡そうと思います。相談室に行きましょう」
二人が相談室に入ると、室内の真ん中にある長机にポリカーボネイト製の長方形の楽器ケースの様な物が置いてあった。
「開けてみていいですか? ヨーコ」
好奇心を隠せないカトリの問いにヨーコ先生は微笑みながらうなずいた。カトリがケースを開けるとそこには艶消し処理をした黒い狙撃用ライフルが入っていた。
「ダンケ、ヨーコ! このライフルは初めて見ます。取り出してもいいですか?」
目を輝かせながらカトリはライフルを取り出して持ってみた。
「結構重いですね。何というライフルですか?」
「正式にはM110 Mk1 Mod1 という長い名前よ。あなたの希望のとおりサプレッサーが付いていて、セミオート、高性能のスコープもあるわ。弾は7.62mmだからラバー弾でも充分パンチ力があるわよ。弾丸が250mの距離で10cm内に集弾するようにスカウトが調整してくれたし、火薬の爆発音や弾の飛行音を消すようにパウダーの調整はガンスミスがやってくれたわ。ストックもあなたに合わせて短くしてもらったのよ。銃を撃っても本当にボルトが前後する音しかしないわよ」
「私はSIGしか使ったことがないから、楽しみな反面すこし不安もあります」
「マリーンのみんなは一生懸命やってくれたから、心配無用よ」
四軍の救出活動にかかわったヨーコ先生には、この銃の調整に携わった隊の連中にも顔なじみがいる。みんな難しい調整もイヤな顔をせずに取り組んでくれた。
「カトリ、あなたにはもう一つお話しがあります。あなたと行動を一緒にする人物のことです」
今までのテキパキとした態度から一転して、ヨーコ先生は伏し目がちになった。いきなりカトリにシロウトと組めと言うことには気が引けた。二人がペアを組む前に、隼人の訓練期間を確保するため、それとなく時間稼ぎをしなくては…
「その人物の手配に少し問題が発生したのです」
それまでニコニコしていたカトリの顔に驚きの表情があらわれた。しかし、思い直したようにケースへ眼を移し、持っていたライフルを丁寧にケースに戻した。
「ビッテ! いったい何が起きたのですか?」
ヨーコ先生の方へ向き直してカトリは問いかけた。
「実は予定していた人物が負傷して来れなくなったので、別の人物で補充することになったのです」
ヨーコ先生の苦渋の説明が続く。
「今や脅威による攻撃は、いつ、どこで起こるか予断を許さない状況です。そこでベストでなくてもベターな人材を用いることにしたのです」
ウソをついている。時間稼ぎに必要とは言え、自分は平気でウソをつける人間にはやっぱりなれない、とヨーコ先生は思った。
「その人はどのような組織に所属していたのですか?」
「実力があれば経歴や肩書にはこだわらないのが私たちの考え方です。職務遂行と情報保全の能力は保証しましょう」
またウソをついた。隼人の能力の保証なんて今すぐできる訳じゃない。本当はカトリを窮地に追い込むかもしれないのに…
「あなたを信用しましょう、ヨーコ」
カトリは真剣な目でヨーコ先生の目を見つめていた。
「その人には、どのような任務を任せるのですか?」
胸の内は晴れないままだが、落ち着いた表情でヨーコ先生は話ができるようになった。
「あなたの狙撃を補佐するためのスポッターと後方支援・周辺警戒を任せます。ただ…」
「ただ?」
カトリは、ヨーコ先生の言葉の語尾を上げてオウム返しした。
「ただ… その人物にも準備期間が必要なので、準備ができ次第カトリに会ってもらいましょう。もう少しだけ待ってください」
「わかりました、ヨーコ。それでは連絡をお待ちしています」
カトリはお辞儀をしたあと、ヤル気で目を輝かせながら部屋を出て行った。
週末にも隼人を東富士にあるマリーンの訓練センターへ連れて行って、ひと通り技能を身に着けさせようと強く心に決めた。
しかし、ヨーコ先生の思い空しく、時の流れは隼人たちを待ってはくれなかった。
それは、数日前に赤城隼人を呼び出してアメリカでの心臓の移植手術後の経過や体調をたずねた時のことだった。隼人から奇妙な現象についての告白があったのだ。自分では行ったこともない戦場や外国人兵士の顔、体験したこともない銃撃戦や潜水中の光景が急に頭の中に浮かんでくるということだ。それは隼人が窮地におちいった時から始まったらしい。
今回ヨーコ先生が日本へ派遣された理由は、表向きには新興脅威の世界的拡散を防止するための日本での防衛作戦をバチカンと協力して行うためだ。さらに裏の任務としてはアメリカ政府のための臓器移植による『記憶転移』の有益性と有効性の実証実験のためだ。
アメリカ政府は陸・海・空・海兵隊の四軍において、特殊任務のための特殊部隊を養成・運用・維持している。特に養成のためには莫大な時間と労力と資金を投入し、それを維持するためには養成を継続的に行わなければならない。だが、運用においては隊員たちが負傷や死亡することは避けられない。そこで負傷や死亡した隊員たちの臓器を移植することで『記憶転移』し、隊員たちの今まで得られた経験・技術・知識を“遺産”としてリサイクルすることの調査研究が計画された。これがうまくいけば、“遺産”継承と養成費用の大幅な削減が見込まれる極秘作戦だ。国家機密なので、もちろん同盟国に対しても秘密だ。
ヨーコ先生がこの計画に関与するようになったのは、先生の経歴からだった。ヨーコ先生はアメリカで生活していたが、高校生の時に付き合っていた彼が海軍の特殊部隊を目指していた。そして自分は軍隊で人を助ける仕事をしたいと思い空軍のパラレスキューに志願した。パラレスキューは、四軍の特殊部隊と行動を共にし、負傷者を(時には死亡者を)空軍の輸送隊まで運び、運搬中の治療等を行う戦場の“救急隊員”だ。特殊部隊と同じ行動をする体力や技術を要求され、医療の能力も必要となる一部の者しかなれない部隊の中の極めて珍しい女性隊員だった(先生は“レッドデータガール”と呼ばれていた)。この経歴と日系人ということから、日本でのこの計画に先生は選ばれた。
ヨーコ先生はこの作戦の可能性については懐疑的だった。今の雇用主のCIAは、表にはできないが素晴らしい成果を挙げる一方、昔から突拍子もない作戦や人道的でない計画も数々手掛けていた。この作戦にもある種のいかがわしさを先生は感じていたし、自分の人道感覚にもそぐわないとの思いを持っていた。当然世論もそう思うだろうし、いわんやバチカンをや…
しかし、作戦は開始されており、極秘任務中に瀕死の重傷を負った特殊部隊員の心臓の移植手術をすでに赤城隼人は(ドナーとの相性が一番良かったために選別されて)アメリカで受け、程度は不明だが『記憶転移』しているらしい。今や隼人の能力の目覚めを確実にさせ、その育成を図らなければいけない段階に進んでいる。
ただ、カトリと隼人を一緒に仕事させるのはまだまだ早いと思った。確かにカトリが優秀なことは認めるが、実戦経験は無いし、隼人も現状ではドシロウトだ。“相手”は(報道されず公にもなっていないが)曲がりなりにも銃で武装しているし、二人には訓練が絶対に必要だ。これに対して、本部はいつも通り性急に結果を求めてきている。そのくせ、隼人に『記憶転移』の兆候もない時期から訓練を始めていたら、予算のムダと決めつけたに違いない。いずれにせよ二人には訓練を、特に隼人の訓練時間はしっかりと確保してあげたい、とヨーコ先生は思っていた。
今日の情報交換ではカトリに用意したプレゼントを渡し、全くのシロウトの隼人とペアを組ませることを伝えなければならないが、ヨーコ先生はどちらの話を先にすべきかにも迷っていた。ヨーコ先生は手に持ったペンを親指を軸としてクルクル回す、困ったときにする癖を神経質そうに繰り返していた。
そのときに扉を軽快にノックする音がした。
「ヨーコ、入っていいですか? カトリです」
カトリが空けた扉から上半身を入れてヨーコ先生をさがして、目があったときにお辞儀をして部屋に入って来た。
「どうぞお入りなさい」
ヨーコ先生はカトリを招き入れてイスを勧めた。決めかねていた話の順番は、差し障りの無いプレゼントの件からカトリに伝えることにした。
「カトリに頼まれていた物が届いたから渡そうと思います。相談室に行きましょう」
二人が相談室に入ると、室内の真ん中にある長机にポリカーボネイト製の長方形の楽器ケースの様な物が置いてあった。
「開けてみていいですか? ヨーコ」
好奇心を隠せないカトリの問いにヨーコ先生は微笑みながらうなずいた。カトリがケースを開けるとそこには艶消し処理をした黒い狙撃用ライフルが入っていた。
「ダンケ、ヨーコ! このライフルは初めて見ます。取り出してもいいですか?」
目を輝かせながらカトリはライフルを取り出して持ってみた。
「結構重いですね。何というライフルですか?」
「正式にはM110 Mk1 Mod1 という長い名前よ。あなたの希望のとおりサプレッサーが付いていて、セミオート、高性能のスコープもあるわ。弾は7.62mmだからラバー弾でも充分パンチ力があるわよ。弾丸が250mの距離で10cm内に集弾するようにスカウトが調整してくれたし、火薬の爆発音や弾の飛行音を消すようにパウダーの調整はガンスミスがやってくれたわ。ストックもあなたに合わせて短くしてもらったのよ。銃を撃っても本当にボルトが前後する音しかしないわよ」
「私はSIGしか使ったことがないから、楽しみな反面すこし不安もあります」
「マリーンのみんなは一生懸命やってくれたから、心配無用よ」
四軍の救出活動にかかわったヨーコ先生には、この銃の調整に携わった隊の連中にも顔なじみがいる。みんな難しい調整もイヤな顔をせずに取り組んでくれた。
「カトリ、あなたにはもう一つお話しがあります。あなたと行動を一緒にする人物のことです」
今までのテキパキとした態度から一転して、ヨーコ先生は伏し目がちになった。いきなりカトリにシロウトと組めと言うことには気が引けた。二人がペアを組む前に、隼人の訓練期間を確保するため、それとなく時間稼ぎをしなくては…
「その人物の手配に少し問題が発生したのです」
それまでニコニコしていたカトリの顔に驚きの表情があらわれた。しかし、思い直したようにケースへ眼を移し、持っていたライフルを丁寧にケースに戻した。
「ビッテ! いったい何が起きたのですか?」
ヨーコ先生の方へ向き直してカトリは問いかけた。
「実は予定していた人物が負傷して来れなくなったので、別の人物で補充することになったのです」
ヨーコ先生の苦渋の説明が続く。
「今や脅威による攻撃は、いつ、どこで起こるか予断を許さない状況です。そこでベストでなくてもベターな人材を用いることにしたのです」
ウソをついている。時間稼ぎに必要とは言え、自分は平気でウソをつける人間にはやっぱりなれない、とヨーコ先生は思った。
「その人はどのような組織に所属していたのですか?」
「実力があれば経歴や肩書にはこだわらないのが私たちの考え方です。職務遂行と情報保全の能力は保証しましょう」
またウソをついた。隼人の能力の保証なんて今すぐできる訳じゃない。本当はカトリを窮地に追い込むかもしれないのに…
「あなたを信用しましょう、ヨーコ」
カトリは真剣な目でヨーコ先生の目を見つめていた。
「その人には、どのような任務を任せるのですか?」
胸の内は晴れないままだが、落ち着いた表情でヨーコ先生は話ができるようになった。
「あなたの狙撃を補佐するためのスポッターと後方支援・周辺警戒を任せます。ただ…」
「ただ?」
カトリは、ヨーコ先生の言葉の語尾を上げてオウム返しした。
「ただ… その人物にも準備期間が必要なので、準備ができ次第カトリに会ってもらいましょう。もう少しだけ待ってください」
「わかりました、ヨーコ。それでは連絡をお待ちしています」
カトリはお辞儀をしたあと、ヤル気で目を輝かせながら部屋を出て行った。
週末にも隼人を東富士にあるマリーンの訓練センターへ連れて行って、ひと通り技能を身に着けさせようと強く心に決めた。
しかし、ヨーコ先生の思い空しく、時の流れは隼人たちを待ってはくれなかった。