Dr.ニコルの検死FILE

エピソードの総文字数=2,545文字

 だが、そんなことなどお構いなしに、ニコルはたんたんと話を進めていく。
「たしか五年前の切り裂きジャック事件の時、被害者はほとんどが中年の女性だったんですよね?」
「ああ、最後の犯行以外はな」
「私はその頃学生でしたが、ちょうどその当時、犯罪心理学というものを勉強していました。ドイツのクラフト・エービングという精神医学者が書いた『性的精神病質』という本の中で、屍姦や快楽殺人について言及している項目があるんですよ」
 聞きなれない言葉を耳にして、デイヴィッド警部の眼が点と化す。
「俺は学がないから、小難しいことはわからんのだ。要するに……、どういうことなんだ?」
「その本によると、この種の犯罪の場合、犯人はターゲットを絞って、自分の欲求を満たそうとするそうです。つまり五年前の切り裂きジャックのターゲットは四十代の売春婦を、今回の“ネオ切り裂きジャック”はおおよそ二十代の若い売春婦にターゲットを絞っていますが、このことからも前回の切り裂きジャックと今回の犯人は別物と推論できるわけです」
「でもよ、警視の野郎は、それを『五年前の最後の事件で二十五歳の女を殺したための宗旨替え』とか言ってやがったんだが……」
「正直言って、それは考えにくいですね。なぜならこういう犯罪的嗜好はよほどのことがない限り、変わることがないものですから。ゆえに五年前の最後の事件は、暗闇で被害者の歳がわかりづらかったか、はたまたよほど老けて見えたかのいずれかでしょう。その方がよほど説明づけられます」
「なるほどな。要するに、俺の推理は正しいってことだよな?」
「さすがに百パーセントとまでは言い難いですが、まず十中の八、九は間違いないかと。ま、少なくとも、切り裂きジャックと決めつけてかかるメリットはないと断言していいでしょうね」
「ようしっ!」
 そう思わず快哉を叫ぶほどに、デイヴィッド警部の奥底からは俄然ヤル気が沸いてきたようだった。なにしろその証拠とばかりに、
「で、その犯罪心理学とやらで、犯人を特定できんのか?」
 期待に眼を輝かせながら、即座にニコルへ問いかけていたぐらいだからだ。
 このなんともわかりやすい反応に、ニコルは思わず苦笑を浮かべる他はなかった。
「それでわかれば苦労はしませんよ」
「なんだ。つまらん」
「いかんせん、情報が少なすぎますからね。まずは情報を集めるところからです」
「情報、か……」
「どうかしたんですか?」
 すると、今度はデイヴィッド警部がいきなりギロリと睨むや、勢い食ってかかってきたではないか。
「お前さん、わかってて言ってんのか?」
「な、なにがです?」
「あのな、俺はいまスティーヴ警視に睨まれてるんだぜ。こんな状態でこれ以上の情報をいったいどこから仕入れろっていうんだよっ!」
「そ、それはそうかもしれませんが、そこはそこ、警部のことですから、他に情報源の一つや二つぐらい持ってるんじゃないのかなぁ……なんて、思ったりしたんですけどね」
 慌てて取り繕うニコル。これでごまかされるはずもなかろうが、そう言わざるを得ない状況となっていたのだから、しょうがない。
 しかし、次いでデイヴィッド警部の口から飛び出してきた発言は、あまりにも意外なものだった。
「ま、ないことはないがな」
「は?」
「だから、ない訳じゃないって言ったんだよ」
「だったらなんで──?」
 なんであんなことを言ったのかと、ニコルは問おうとした。
 だがそれを遮って、デイヴィッド警部の説明がとうとうとなされた。
「いや、たしかにお前さんの言うとおり、俺は売春婦やそこいらのチンピラどもにある程度の顔がきく。そのへんの顔役ともつなぎはつけられる。だからそういう意味での独自の情報ルートはけっこうある方だろう。だが、今回の事件だけはいけねぇ。いくらあたってみても、これ以上はめぼしい情報がとんと入ってこなくて、ほんとお手上げなんだよ」
 この立て板に水の説明にはさすがのニコルも、
「そ、そうですか」
 ただ相槌を打つぐらいしか、答えが見つからなかった。
 すると、今度はデイヴィッド警部からニコルへの、
「そういうお前さんこそ、なにかいい情報源とか持ってないのか?」
 同じような質問。
 だが、もはやテンパっていたニコルにできたのは、
「情報源、ですか?」
 せいぜいがオウム返しに聞き返すことぐらいだった。
「そうだ。警察の正規ルートとはちょいと違う、イレギュラーな情報ルートだ」
「う~ん……」
「できれば俺の独自の情報ルートとかぶってない、お前さん独自の情報ルートがいいな」
「う、う~ん……」
「どうだ? ないか?」
 と、しきりと答えをせっつくデイヴィッド警部。
 一方、ニコルの方は、
「うう、う~ん……」
 と、なんとも難しそうな唸り声を上げるばかり。
 おかげでこんな不毛なやり取りが、もうしばらく続くかに思われた。
 しかし、突如思い当たるものがあったのか、デイヴィッド警部が声高に、
「あ、そうか!」
 言って、ニコルの言わんとしているであろうところを、さらりと代弁してみせた。
「そういえばお前さんは半年前にこっちへ赴任してきたばっかだったよな。それじゃ、さすがにそんな都合のいい情報源なんてねぇか」
 これはある意味警部の優しさだった。思いやりだった。
 なのにそのせっかくの代弁は、すぐさまニコルの発言で全面否定されることとなった。
「ま、まぁ、ないことはないんですけどね……」
 しかも、先ほどの警部の発言とほとんど同じ物言いで。
 これにはデイヴィッド警部の怒るまいことか、怒るまいことか。なんせぐいっとニコルの肩に手を回してきたかと思えば、
「なんだよ。もったいぶるんじゃねえよ。だったら早いとこ、そこへ行こうぜ。案内しろよ」
 張りついた笑顔でそう言うが早いか、ニコルの身体をずるずると引きずりながら、有無を言わさず歩き始めたぐらいだから。
 ちなみにその時、ホワイトチャペルの裏通りには、
「ちょっ、ちょっと、待ってくださいってばぁ……!」
 誰に聞き入られることもない、そんなニコルの悲痛な叫び声だけが、ただただ虚しく響き渡っていた。

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