第21話 ある男の回想Ⅰ

文字数 2,912文字

「ふざけるな! あの赤子のために一体何人死んだと思ってる? なめてるのか貴様?

あれは人ではない。魔物だ」

おがくずのような地面に足の速い雨が降りしきる。城下とはいえ、緑がないわけはなく、城の内部の庭園には、まだ生い茂る草木とぼこぼこした砂地があった。

雨で湿ったそんな地を均すように子供は砂地の山の一つを蹴りつける。

「ははっいいか、バイロン。あれとて、好きでああなったわけじゃない。わしとて王の意向に背くのも吝かでないが、かといってお前の意見の片棒を担ぐのもごめんだ。泰然として、流れるものだ。命とは」

「水のように、移ろうものか? あれが果たして変わるかな?」

はっと笑って、少年は対する初老の賢者、バルト・オークリーに唾を吐く。

夜の城内庭園は、まだ城の灯に浮かんで揺らぐ陽炎のようで、現実感のやや希薄な夜のそこでは昔から城に住む者達の、大小さまざまの、毒、が飛び交う。

「まあわからんのも無理はない。バイロン・セザール、お前はまだうい。そんな背丈で、よくまあ啖呵が切れると感心するが、それでも自分の経験がまだ達していないことくらいは理解があるだろう。はよう大人になれ。そして唯一の期待株として、城に招聘されている事の意味を考えよ」

「意味などない。王族でもない囲いのまじない師風情でいい気になるなよオークリー。俺があの赤子程度いつでも捻り潰す度胸もないとでも? 俺は常日頃から民を大事にする王になれと向こうの国の親父から言い聞かされてきた。民を国と思い、民を自分の体と思い、民の願いを己の人生の進路と思い、泣く者がいれば寄り添い、死する者いれば慈しみ、怒りあれば代弁者に、苦しめる者あるならば、それを駆逐する。私の婚約者である、アルファ・ルカナビアは優しい性根の女だ。10も違う赤子の妹ともあれば、それが何であれ、守ろうとする女だ。それだけではない。婚約者の俺にすら気を配ってあれと私を会わせないように無理をしている。俺は心配なんだ。民が、彼女が、いつかあれの災いに触れて、嘆き苦しむ日がくるのが」

雨が一片オークリーの眉におちて彼はすかさず、手で拭う。それをバイロンはついに共感してくれたのかと、誤解した。誤解はすぐに、彼の、しかしという一言で露と消える。

「おぬしがどういおうが、あれはまだ赤子じゃ。いくら王とて、子殺しの上に赤子殺しの畜生道を渡ってまで、国民感情に忠実でいる義理はない。あれが災いを呼ぼうが、人を殺そうが、所詮は人の領分を超える事は出来ぬ。災いは恐らく、気のせい、で、母殺しは恐らく、助産婦の腕が悪かっただけじゃ。育ての婆が死んだのは、単なる持病。つまり、あれはあれと呼ぶ者に心と経験と教養が足らぬだけのこと。学べ。バイロン。お前はまだ見込みがある。アルファと協同してあれを苦難から守れ。約束だ。好きだろうお前、約束」

けっとまた、山を蹴って、バイロンはオークリーからも庭園からも離れて宛がわれた部屋に向かう。

 約束はされるのは好きだが、するのは嫌いだった。

 実際問題。

あの赤子に何ができると彼自身思っている。

夜に浮かぶ満月の偉大さに比べたら、我々など羽虫のごとくで、とくにバイロンなどその半分にも満たない。赤子にいたっては更に小さい。小さい生き物にできることなど限られていると、理性ではそう訴えている。

しかし同じく理性でそれを否定するあらゆる事象が彼の頭を惑わしていた。

何か嫌な予感がしたのだ。あの赤子がおぎゃあと生まれて、彼女の付き添いで、ベッドまで見に行ったあの日、すぐに彼女の母の危篤が知らされ、バイロンはたまたま、その第六王女となる、赤子の顔を拝みに行った。奇跡でできたような笑顔。アルファ似の顔がそこにあった。

「どう、バイロン。これが私の妹よ、赤子の癖にどっか垢ぬけてるでしょ。これはべっぴんさんに育つわ」

「たしかに君に似た可愛い笑顔だ。ただ顔の形というより、単純に笑顔の印象が似ている気がするぞ」

あらっとアルファは持ち前の笑顔で振り返る。その視界にはバイロンがいて、その先に、彼女の姉たちがいた。2人の姉は虫の居所が悪そうに怖い顔をしている。

第5王女のアルファとこの妹はそれまでに生まれた王女たちとは腹違いである。母が違う故、何か、気にくわないものがあったのかもしれない。年上の自分たちを差し置いて、妹のアルファが女王候補であることも理由の一つだった。

「ねえ、そうよねえ。たかが子供程度で騒がしい。いちいち呼びつけないで欲しいわ」

「きっと自慢したいのよ。自分たちの母の方が優れた血を持っていると。あんたらの母は給仕だってのにね。お笑いだわ」

アルファは唇をかんだ。ぎゅっと手の中の昔バイロンがあげたぬいぐるみを握りしめ、

「ねえ、でもさ。あれってあれよねバイロン? 例のやつ」

バイロンはすぐに彼女が何を言うのかわかっていたから、乗ることにした。

「毒よ毒、お父様がいってたわ。毒を持つ蛇には、小さい奴もいるそうよ。絡みついてきそうで嫌だわ」

 二人で笑ったのを覚えている。

 それから、赤子の様子を見た後で、彼女の危篤の母の様子を見に行き、そこで大層な愁嘆場となった。母が死に、その後、あの笑顔の満ちた彼女の顔に陰りが見え始めた頃に、更に乳母の老婆が死んだ。ベビーベッドの手前で胸を押さえて蹲っているのを、兵が発見し、すぐに王城全体に知れ渡った。

 それがどこでどう市井に知れたのか、いつの日か、城下では密かに色々な不穏な噂が飛び交うようになっていった。

 第6王女が生まれたあたりから何かおかしい。天災がやたらと多い。嵐が続いて、港に出稼ぎに出ていた夫が死んだ。池の水が干上がっていた。子供が病気にかかった。

ライノーツ南方の土地で同じ病が次々と発生している。もう何人も死んでいる。

きっかけとなったのは、隣国の一つの村が、皆似たような病で壊滅した辺りからだ。程なくして、国に戒厳令が敷かれ、国交は断絶した。その時の噂の一つとして、鎖国したのは、何か良からぬものを隠す為じゃないかと、気付けば噂は王族の心の病に移ろっていった。

もちろん、そんな事を誰が言ったかしれたら、処刑されるのではないかという懸念が市井の人間に少しもないわけではないが、王はこの頃まではまだ心穏やかな善良な王として、信頼があったのである。

それが変わったのはいつの日だったか。気づけば災害があれば第6王女のせいにされ、バイロン自身も父の教えを裏切れず、民の噂にも耳を傾けるべきだと、気丈だった。

バイロンは今でも、あの日のアルファの笑顔を思い出しては悩んでいた。

よくバイロンを気遣う、友達のような間柄のオークリーの言葉も耳に痛い。

それでも、バイロンは心に決めていた事があった。王からの主命である。

マクイ・ルカナビア第六王女は生後月を三つ経て牢に移すと。その立会人として、将来有望な隣国の貴族セザール家が子息にしてルカナビア王家第5王女の婚約者でもある、バイロン・セザールを指名すると。



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登場人物紹介

後々記載するにゃ

実は前に出した分を削除してしまったので再投稿にゃ

因みに吾輩は作中で喋る猫として登場するにゃ

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