第17話 ○ァミチキ

文字数 3,509文字

 伏字にしたのは、商品宣伝になっちゃうからだ。
 これの包み紙は、本当によく落ちていて、ほぼ毎日拾っている。
 てことは、よく考えると、めちゃくちゃ売れてるってことか。そりゃあ儲かってまんな。
 その儲けの尻拭い、無償でやらせてもらってますわ。
 赤と黄色の特徴的な包みは、普通に紙で出来ているから生分解性であって、放っておけば土にかえる。しかしだからといって、ポイ捨てしていいわけではないし、中にお手拭きやその袋や別のプラ包装をねじ込んで捨ててある場合も多々あるから、すべて土にかえるわけでもない。
 この包み紙、派手な色で目立つので、ある意味回収しやすいが、景観を損ねるという意味では、比較的罪の重いゴミだと思う。しかも、鶏唐揚げみたいなものらしいから、揚げ油の油脂と、衣の糖質、強い塩分で、クセになったら止まらない、じつに罪深い食い物であろうと予測する。
 予測する、というのは、俺自身は一回も食ったことがないからだ。
 べつにカネがないわけじゃない。
 あんなカロリーの高そうなモノ、妻に見つかったら怒られるとは思うが、勤務中にこっそり食う分にはバレない。
 現にそうやって、亀○の柿○種は、よく食べている。
 これほどよく包み紙が捨ててある、ということは、よほど旨いのか? と想像はするし、興味もなくはない。
 しかし、それ以上にポイ捨て野郎の仲間になりたくない。というか、ポイ捨て野郎が好む味を感覚として共有したくない、と思うから食わない。
 ○ァミチキほどではないが、セ○ンカフェや、ロー○ンM○CHIcafe、オ○オシェイクのカップも、大変よく落ちている。これらは、カップそのものは紙製で生分解するが、蓋がプラだったり、冷たいやつはカップがプラだったり、ストローがプラだったり、シェイクなどはスプーンがプラだったりするから、それも生分解されたりはしない。
 しかも、どれもカップの中には○ァミチキと同じ、デフォルトでお手拭きや吸い殻、マスクなどが詰め込まれていることが多いから、やはり罪は深い。
 こういうものが、バラバラと単体で投げ捨てられるようになった背景に、やはりレジ袋有料化があるのは、否めないように思う。
 まあ、これまでなら袋入りで捨てられていた、ってだけの話で、そういうヤツがちゃんと処分していたとも思わない。
 コーヒーのカップにしても、これまでだったら、投げ捨てられていたのは缶だったのだろうし、シェイクを好むヤツは、アイスのプラ包装を投げ捨てていたのだと思う。
 現に、マ○クやケン○ッキーのゴミは、店の紙袋に入って捨てられているから、コンビニ各店が紙袋を採用すれば、町に紙袋が溢れるだけかもしれない。
 それにしても、だ。
 さすが売れているだけあって、どの商品も旨そうだし、購買欲をそそる販売形態だと感心するが、俺は結局どれも一度も飲み食いしていない。それどころか、どうもコンビニやファストフードから足が遠ざかってしまっている。
 ポイ捨てしてあるゴミを見ると、前述の通り、買う前から怒りが沸いて『いらんわ』と、思ってしまうからだ。ポイ捨てなんかのせいで、俺の味覚生活が、寂しいものになっているのだとすれば、実に残念なことである。
 最近やっている、コンビニの商品を評価するTV番組もよく見ている。
 廉価でプロ顔負けの味わいのものがあると分かり、更に興味がわくとともに、開発者の努力と情熱には頭が下がる思いだ。
 つまりポイ捨ては、彼等の夢や情熱を踏みにじる行為でもあるわけだが、売る方ももう少しポイ捨てに配慮してもいいのではないか、と思わないでもない。
 どうも、味とコストにばかり重きを置き、その商品が社会に与えるその他の影響を、無視しているように思えてならないのだ。
 どうして、こうもポイ捨てしやすい商品を作るのか。

 今、小泉環境相がネット上で叩かれている。
 レジ袋だけでなく、プラスプーンなどを有料化しようという施策が、「無意味」「コストアップ」「本質的でない」などの批判を浴びているのだ。
 まあ、今回プラスプーンだけを規制する、というのであれば、その意見も分からなくはない。
 だが、そもそも目標は『使い捨てプラ製品の廃絶』で、今回も対象はプラスプーンだけではない。さらに一切のプラ包装など使い捨てプラを、将来的には無くそうという話だから、べつに方向性は間違っていない。
 それは、世界的な流れでもあり、大手コーヒーチェーンがストローを脱プラした時には拍手喝采しておいて、進次郎の施策だと叩くってのは、言動にも整合性がない。
 さらにSNS上で、「日本人はマナーがいいのだから、そんな規制は必要ない」という意見が散見されるのには、正直呆れる。
 道端にゴミが少ないのは、投げ捨てるヤツが少ないからではなく、拾う人がいるからだ。
拾う人というのは「マナーの良い人」ではなく「怒りの人」である。
 住民や関係者が、腹立たしく思いながらも毎日のように片付けているから、ゴミが見当たらないだけなのだ。
 それが証拠に、林縁、河川敷の草むら、高速道の脇、河口や内湾の港など、住民がいない場所、関係者の少ない場所に行ってみればいい。そこはあんたらの言う「マナーがいい日本人」がポイ捨てしたゴミが、誰にも回収されずに恐ろしい量、堆積している。
 「マナーがいい」に限らず、誉め言葉ってのは、自分の所属外カテゴリーから言われるべきものであって、自分たちに対して使うべきではない。使った途端に、空虚になる。
 俺も正直、小泉環境相を支持してはいないが、この施策が「無意味」「無駄」ではないだろうと思う。
 前述の、コンビニやファストフードチェーンが、売れ筋商品を、味や製造コスト、流通コスト、利用のしやすさだけで作り出し、やれ儲かった儲かった、さて次はもっと売れるものを、としか考えていないのであれば、それは反社会的行為である。
 俺も本業は企業人であるから、ライバル他社に勝ち、生き残るために、売れる商品開発が重要であることくらいは分かっている。だったら法が全体に規制の網をかけるしかないわけで、プラスプーンの有料化は、決して的外れではない。
 批判できるとしたら「もしかして、優先順位(もしくは方向性)が違うのでは?」ということだけだ。
 危惧するべきは、まずは使い捨てプラ製品の関係者が、仕事を減らすという事だろう。これだけ氾濫した使い捨てプラ製品だ。製造のみならず、流通、卸、販売と、関係している業種は多いはず。これら全体が急にしぼんだとして、日本経済に与える影響は少なくないはず。
 もう一つの危惧は、木製の使い捨て食器が増加して、その影響で国外の森林伐採に拍車がかかることである。
 ただ、これらは杞憂に終わる可能性もある。もし生分解性プラスチックを使用すればいい、となると、製造者も流通者も仕事を失わず、また木も材料にならないから森林も壊されない。
 であるならば一見、いいことずくめのようだが、何のことはない、これでは「ポイ捨て」は無くならない。
 生分解性だからポイ捨てしていいわけではないのだが、ポイ捨てする連中は、ポイ捨てをやめることはないからだ。むしろ「生分解ならいいっしょ」と、ポイ捨て行動に拍車をかける可能性もある。
 生分解プラといえど、自然界での分解には、紙や木材以上に時間がかかるのが普通だから、やはりゴミは散乱することになる。
 山野や海川では、これまで通り野鳥や魚、動物が誤嚥する。さっさと消化できるわけではないから、被害は変わらない。
 もっと言えば、生分解したとして、その分解生成物が無害だという証拠もない。
 添加される結合剤、可塑剤、剥離剤、塗料……これらも生分解するとは限らない。微量であれば無害でも、生分解プラが主流となったら、環境に、人体にどういう影響を与えるか分からない。
 俺は、使い捨てプラ製品の全廃絶には、賛成である。
 だが、それは包装そのものが無くなることを意味しないのだ。『生分解だからポイ捨てしていい』が認識の主流にならないために、その前にやることがあるはずだ。
 『ポイ捨て厳禁』の教育の徹底である。そうでなくては、せっかく規制をしても、絵に描いた餅になってしまう。
 これは、子供の教育だけではない。大人に対してもやるべきだ。公共放送、マスメディアが徹底してキャンペーンを張らねばならない。
 まず「べつに日本人のマナーは良くはない」という認識の共有から、始めるべきだと俺は思う。
 ポイ捨てが、悪しき習慣行動だと認識され、誰もポイ捨てをしなくなって初めて、使い捨てプラの規制も、生分解プラも意味を持つのだと思う。
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