第6話

文字数 1,273文字

「ねえ、香織」
真由美は探るような眼で香織をみつめる。
「何?」
「今日私、吉川君に会ったの」
「そう、あたしは見かけなかったけど」
「彼、用事があるって言って、すぐ帰ったから」
「ふうん」
「彼、高校生の頃と全然変わってなかった。背丈は変わらず、すらりとしていたけれど、手のひらだけでも私の頬より大きかったの、初めて気づいたわ」
何故そんなことを知ってるの、とばかりに香織が真由美に向き直った。
「彼まだ独身らしいわ」
真由美が畳みかける。
「私、彼から連絡先もらったの」
一瞬、真由美と香織の視線が交わったかと思うと、香織は慌てて目をそらした。
「そう、よかったじゃない。彼きっと真由美のこと、気に入ったのよ。連絡とってみたら」
香織は下を向いたまま、灰色の地面をにらんでいた。
「香織、私のこと怒っている?」
真由美はひっそりと尋ねる。香織は無言だ。
「じゃあ、本当に連絡とってもいいのね?」
真由美の口調は少々厳しくなった。香織はまだ黙っている。
「付き合いなんていつも適当にしているなんて言う私が、彼をとったら悔しい?」
まるで挑発するように真由美が言うと、香織の眼から一筋の涙が流れた。
「………くやしいわよ」
香織は、のどを振り絞るようにようやく声を出した。
「だからといってどうしたらいいの。確かに彼だけじゃなくて、あたしも自分勝手なところもあるし、そのせいで別れたのは分かってるわ。それに……」
真由美は、固唾をのんだまま、香織の横顔をじっと見つめている。
「長い間連絡もとってこなかったけれど、あたしをいつも見てくれていて、話し相手になってくれて、背中を押してくれてたのは、真由美、あなただけだけなのよ。あたし、あなたとだけは張り合いたくないの。それに今まで適当な付き合いしかしてこなかったなら、なおさら一度しっかり交際しても良いじゃない。彼は悪い人じゃないわ」
ここまで言うのに、香織はとぎれとぎれだったが、涙を懸命にこらえているようだった。肩を震わせている彼女から目をそらすと、真由美は向こうを向いたまま動かなかった。

「うそよ、うそ!ごめん、香織」
真由美が少し上ずった声でそう口にすると、香織ははじかれた様に、顔を上げた。
「確かに彼から連絡先はもらったわ。でもその訳はね、香織にもし会ったら、それを教えてやってほしいっていうことよ。彼、引っ越しして携帯も新しく買い直したから、番号も変わっていたの」
真由美の口調は明るく、穏やかさが戻っていた。それから彼女は香織に向き直ると、あなたから彼をとるはずがない、もしそうなら、連絡先をもらったことを黙っているから、と安心させ、
「彼とあなたの仲、実は今日もう彼からすっかり聞いていたのよ。彼、あなたのことを忘れられないらしいから」
真由美はそう言うと、ふところから自分の名刺を取り出し、裏に書いてある連絡先を見せた。
「さ、今夜はもう遅いから明日か明後日にでも連絡をとってみて」
香織がそれを受けとると、彼女の涙が名刺の上にいくつも落ちて、インクがにじんだ。香織はしばらく黙って泣いていたが、やっと一言、ありがとう、と絞り出すように言った。
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