第3話 犬の糞

文字数 3,035文字

 
 ウチの犬たちは、もらい犬である。
 中型の雑種犬二匹で屋外飼育、両方ともメス。そして、避妊済み。
 二匹だから倍ってわけでもないが、彼等は毎日二回ずつの食事と二回ずつの散歩を要求してくる。
 そのうち、朝の散歩と二回の食事は俺の仕事。夕方の散歩は妻の仕事だが、それも平日のみで、休日俺が自宅にいる時は、俺の仕事となる。
 もともとは、夜の食事は妻の仕事だったのだが、雪の降る寒い夜、甘え声で替わらされて以来、ずっと俺の仕事にさせられた。
 まあ、それはべつにいい。
 犬を飼う以上は、時間が許す限りモフるべきであって、その機会は多い方がいいからだ。
 犬に限らず、生き物を飼うのはきれいごとでは終わらない。
 病気にもなるしケガもする。年を取れば機能も衰えてくる。
 何より、毎日糞も小便もする。
 ウチの子たちは、自分の小屋では糞をしない。
 必ず散歩のときにするので、俺はいつも専用のバケツと移植ゴテを持って散歩に出る。
 バケツには、『堆肥型生ゴミ処理機』の内容物を二すくいほど入れていく。バケツに直接糞を入れた状態では、歩いていると臭うからだ。
 ずっと臭い続けているなら、鼻も慣れようというものだが、風の吹き具合で臭ったり臭わなかったりするものだから、いつまでも臭い。
 だったら何かでコーティングしてしまえばいい、と考えたわけだ。
 生ゴミの処理物は、籾殻やおがくずに微生物が増殖した状態で、普通の土よりはサラサラしている。試してみると、籾殻やおがくずそのものでコーティングするよりも、臭いも拡散しづらい。
 俺は、彼らの糞を、庭の堆肥置き場に溜めておく。ここには、抜いた草や落ち葉なども堆積してあり、充分に発酵したら、植えてあるカキやクリの肥料として使っているのだが、生ゴミ処理機の微生物は犬糞も分解するわけで、発酵が早い。そういう意味でも有効なのだ。
 まあ、そんな感じで毎日毎日犬糞を溜めていっているのだが、腹立たしいことに、ここに溜まっていく犬糞は、ウチの犬の分だけではない。
 つまり、他の犬の糞も、俺は回収しているわけで、犬糞を片付けない飼い主が、ご近所にいる、ということである。
 俺の散歩コースは毎日同じではないし、毎日同じ場所に糞がされているわけでもないのだが、糞には大小があり、色も形状も混じっている毛も違うので、複数の犬であることは間違いない。
 それに、どうも数からいって、毎日やっているわけでもないようだ。
 それが、そいつが必ず片づけない、というわけでもないということなのか、必ず糞をする、というわけではないということなのか、はたまた必ず散歩する、というわけでもないということなのかは分からない。だが、とにかく犬糞はランダムに落ちている。
 正直なことを言えば、放っておいて自然分解される犬糞など、放っておきたいところではある。
 しかし、いくら分解するといっても何週間かはかかるから、俺が回収してやらないと、その辺が糞だらけという事になる。そうなると、犬を飼う人全体が悪のように思われてしまうかもしれないし、肩身の狭い思いをして犬を飼いたくはない。
 近所にいる最悪の飼い主は、犬糞を回収はするが持って帰らないヤツだ。
 薄手のビニールを持ち歩き、糞を回収してます、というポーズはとるが、これを家に持ち帰らない。人目のないところに来ると、道端や河川敷の草むらに放り捨てて行く。
 ビニールに包まれた糞は、乾かず、雨で濡れず、風化しないし、ハエもマグソコガネもたかれないから、いつまでも分解されない。ビニールに守られたまま、長い時間をかけて中で腐っていくわけだ。わざわざ自然に帰りにくくして、毎日野外に堆積していくわけで、こんな愚かなマネをされるくらいなら、放置された方が一千万倍マシだ。
 仕方なく、見つけると俺が回収しているが、燃えるゴミで捨てるしかない。だがそうすると、ビニールは資源ゴミにならず、犬糞は肥料にもならない。エネルギーと資源の無駄だ。
 そいつは、自分の捨てたゴミが自動的に消えているとでも思っているのだろうか、それとも他人に迷惑をかけるのが大好きで、悪意を持ってやっているのであろうか。前者であれば、相当な無知であるし、後者であれば反社会的な人物で、どちらにせよ社会不適合者である。
 同じ場所に捨てていないものだから、足取りから散歩ルートは割り出せたし、糞のサイズなどから、この家の飼ってる室内犬のあの犬だな、ということも概ね分かっているのだが、散歩の時間帯が違うので現場を押さえたことがない。
 まあ、押さえたからといって、直接文句を言う勇気はないので、玄関に張り紙するくらいしかやりようはないわけだが。
 とはいえ俺も、糞はまだしも尿は回収などできないから、やらせっ放しだ。毎日似たような場所で尿をすれば、臭いも蓄積するだろうし、それは迷惑だろう。
 ウチの犬は、散歩中は吠えないが、自宅にいる時によその犬が通りかかるとよく吠えるし、訪問者にも吠え掛かる。夜間や早朝にこれをやられると、自分の犬ながらうるさいと思うから、ご近所はもっと腹が立つかもしれない。
 そもそも犬は、そこにいるだけで臭いもある。抜け毛の季節には毛も飛ぶ。
 犬というのは、ただ飼育しているだけでも、一定の迷惑を周囲にかけているわけだ。
 だというのに、そのうえ糞など撒き散らしておこうものなら、そのうち飼育禁止令が出ても、不思議ではないのではないか。
 犬を飼っていない人にしてみれば、ウチの犬の糞だろうが、不届きな飼育者の放置した糞だろうが、区別がつくはずもないし、つける必要もないのだから。
 犬飼育者はすべて悪、と断じられても、文句は言えない。
 だから、犬飼育者は、犬飼育者のモラル向上を啓蒙しなくてはならない、とも思っている。
 啓蒙しきれず、マナーの悪い飼い主が存在し続けるなら、これはもう犬飼育者が尻拭いをするしかないのだ。
 糞の始末、などというのは、基本中の基本だと思うが、それ以外にもノーリードで散歩しないとか、歩行者に近づかせないとか、公園には踏み込まないとか、犬を飼育するにあたって気をつけるべきことは多々あろう。
 そして、それを守らない飼育者がいる。
 そもそも、気をつけるべきとは思ってないヤツ。
 気をつけるべきとは知っているけど、守る気のないヤツ。
 自分ルールを勝手に作り、守っているつもりで守れてないヤツ。
 やむを得ない事情があって、守れないヤツ。
 俺は、どのパターンも犬を飼う資格のないヤツ、とは思っているが、それでもそういうヤツが間違いなくいる。それもかなりの割合でいる。
 しかも、それも世界的にいることが、以前、フランス旅行して分かった。
 パリのセーヌ川の中州には、オリジナルの『自由の女神像』があることは有名だ。
 だが、そこに行く遊歩道が、パリ市民の散歩コースになっていて、犬糞が多数放置され、ノーリードの犬を連れた地元民が早朝散歩していることは、行ってみないと分からないだろう。
 白人様の住む、世界的な先進文化の街ですら、こうなのだ。
 黄色い猿である我々日本人が、犬糞を始末できるほど知性も教養もあるわけがない。
 犬糞を始末できないか。仕方ないわな。猿だし。
 そう考えれば、あまり腹も立たない。本当に猿程度なら犬を飼う資格なんぞない、とは思うが。
 そうして、今日も俺は犬糞を掃除している。
 犬糞は、俺の庭で発酵され、果樹の根元に撒かれて、秋の収穫を豊かにするのだ。
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