前日譚

文字数 4,117文字

「我が弟子。かの有名な御伽噺の一つとしても挙げられる『アラジンと魔法のランプ』ってあるだろ? もし、あれが現実であったら何を叶えてほしい?」
「何すか、藪から棒に」
「お前さんがアラジンだとしたら、何を願う?」

 これは、僕と師匠とのワンシーン。
 三月の頭。昼の一時頃、とある駅近くのビル一階。約、十分を有する長蛇の列を終えた中、やっとの思いでコーヒーショップチェーン店へ入店。自分は桜味のクリームフラペチーノのショートとチョコケーキを頼み、店の奥にある二人用テーブルへ。辺りは、他人の話す声やパソコンのキーボードを入力するタップ音、店内の放送などで環境音が入り混じる。耳を塞ぎたくなるくらいの騒音の数々であったが、そんなことを気にしないくらいの衝撃が目の前には合った。対角線上、腰を掛ける人物。黒のカクテルドレスに鍔が大きめのガルボハットをかぶった座っているだけで百六十は優に超えている女性は、ダークモカチップフラペチーノ、キャラメルスチームマキアート、アイスフォームマキアート、アイスムースフォームラテ、カプチーノ、ハイビスカスを全種ベンティサイズ。加えてサイドメニューから、石窯フィローネスピナッチ&チーズ、チュロ&ディップ、アメリカンワッフル、シナモンロール、バターミルクビスケット、チョコレートチャンククッキー、ポテトチップスシーソルト、ベイクドチョコレートバー、キャラメルワッフル、ニューヨークチーズケーキ、レモンシフォンっケーキを各種一つずつ注文し、テーブル一杯に抱えながら手始めにキャラメルスチームマキアートを手に取りながら先ほどの質問を投げかけてきた。

「で、何をお願いする?」
「いやだから、何なんすか。突然ンなこと言われたって、思い浮かびませんよ。それとも何ですかい。この京都の寒さにやられて狂言を吐き出し始めましたか?」
「あたしはね、世界の男を全員抱いてみたいわ」
「無視かよ」

 そのツッコミ以前に、野望という名の欲望の規模が常軌を逸している。
 是非ともその男の中に僕が入っていないことを願いたいものだ。

「で、お前さんは何が欲しい?」
「はぁ……まぁ、別に今は欲しいモンはないですけど」
「ほう、あたしが美しすぎてお腹いっぱいと」
「あんたは人の話を聞く耳をまず要した方がいいのでは?」
「ちなみにあたしは手始めにお前さんを抱いてみたい」
「公然わいせつ罪で訴えてもいいですか?」

 とことん自分のペースでしか話さない女は、マキアートを一気に飲み干した。どうやら目の前に繰り広げられている数あるサイドメニューやドリンク類を片っ端からではなく、一つ一つ全て飲み終え食べ終えてから次に手をつけるらしい。
 この人の食べる順番なんぞどうでもいいのだが。

「それで、だ。あたしは思うのよ。願い事というのは無限であっても有限である、と」
「そうですか。ところでこの後、ワイヤレスイヤホンを買いたいんですけど、ちょっと付き合って――」
「あたしの話に合わせぬと、ここで破廉恥をさせるぞ」
「……貰おうと思ったけど、師匠の話の方が面白そうなので是非とも耳を傾けさせてくださいな」

 うむ、よかろう。女は満足気に鼻を鳴らしながらシナモンロールを手に取って口の中へ放り込んだ。
 既に公然わいせつという領域を超え、脅迫だった。

「……で、えーっと……何でしたっけ? 議題は?」
「我が弟子があたしにゾッコンというところだ。今は、あたしの胸が何カップかというところで止まっている」
「あんた、自分の話を展開するつもりがあんのか?」
「冗談だよ。半分な」

「半分は本気なんだな」とは言わず。言ったら言ったで面倒だし。

「それで、お願いが無限だけど有限ってのはどういうことですか? 僕の記憶が正しかったらアラジンがランプの魔人にお願いしたのは金持ちにしてほしいって夢でしたっけ。その後はアラジンを誑かした魔法使いとひと悶着あって危機的状況に陥ったけど、倒して金持ちになって終わりですよね。それとあんたが考えるお願いが無限だけど有限という定義にどう結びつくのか分かりかねないんですがね。魔人のお願いで、お願いを増やすのがダメ、ということを前提で無限だけど有限だって言いたいんですかい?」
「いや、違う。私が着眼点を置いているのはそこじゃない」
「じゃあ、どこですか」
「分からないのか? 我が弟子なのに」
「悪いけど、あんたの弟子だから分からねえんだわ」

 睨み合い。目配せ合い。見合って見合ってはっけよい。
 のこったと言う前に僕が先に白旗を上げた。

「……分かりません。分からないからとっとと答えを教えてください」
「ふむ。お願いの仕方が癇に障るが、我が弟子だから許そう」
「心が広いっすね」
「むしろ興奮する」
「撤回します。守備範囲が広いっすね」

 ダメだ。こっちがボケをしたら話が進まないし、進まずに足踏みし続けていると待ちに待った桜味を楽しめない。
 ここは真面目に聞いてあげることに決めた僕でしたとさ。

「魔人は何でも願いを叶えてくれるのは知っているだろう? アラジンに対して何でも願いを叶えてくれる万能神だ。しかし、万能神と言ってもそれは魔人に願いを懇願者の知能次第だと考える。そこで、有限が生まれると言うことだ」
「つまり?」
「例えば、私がさっきも言った通りに世界の男を全員抱いてみたいという願いを所望したとしよう。しかし、全員の男を抱いた後に残るのは?」
「……満足感くらいですね」
「そう、満足感。満腹感や幸福感、優越感とも言うが。終始、心を満たしてくれる幸福エネルギーは常時最高値だろうよ。だが、それは一時に過ぎない。男も無限じゃあない。決して全員抱いたからと言って、また新たに抱こうとしてもその男が私に惚れていると思うか? 常に順番待ちをしていると思うか?」
「テクニック次第……とまでは言いませんが、まあ、まずないですよね。そいつらも人間ですから。師匠のことを好んで居座る輩もいる反面、さっさと退散したい輩もいる。もっと言うと、相手は人間ですから突然おっちんじまうヤツもいるかもしれない。常にマックス元気のハッスル野郎も十代後半から二十代前半でしょうよ」
「そうだな。そこで、あたしは思う。お願いは有限なのだと」

 証明完了したように満足気にカプチーノへ手を伸ばす女。
 ん? いやいや、ちょっと待てよ。

「……いや、おかしいですぜ。つーか、理屈が成り立っていないですぜ。無理矢理感がアリアリでジッパーを上下させたいくらいですぜ」
「何だ。何が不満だ」
「不満っつーか、それじゃあ証明として成り立っていなんですよ。二等辺三角形の証明問題で、答えが『イラストから見てわかる通り、二等辺三角形だから』と答えられているような感覚だ」
「じゃあ、不満点を述べて見よ」

 不満と言うか、別にそこまで追求したいわけではないが。どこか自分の中で投げやり部分のままで終わってしまい、もどかしさがある。
 …………不満じゃないぞ。絶対に。
「まず、始まりと終わりへの繋げ方が無理矢理過ぎるんっすよ。途中式がない計算だ」
「と言うと?」
「あんたのいうお願いが無限って部分は分かりますぜ。そこは変わりなく納得だ。魔人は何でも叶えてやると言った。だから、無限であることに変わりはないでしょうよ。その後の自分を例に出した酒池肉林での有限って部分だ。どうして有限なんだよ」
「なんだ、そこか」

 女は「くだらない」と言わんばかりに不屈そうにしかめっ面でため息を漏らす。そしてそのまま続けた。「だから、男は有限だろう。謂わば消耗品だ」まるで男を物として見るかのように放った。

「消耗品?」
「そうだ。人間には寿命がある。いつか死ぬし、いつか朽ち果てる。精力に自信がある輩でも、そいつの寿命が来たら精力もクソもない」
「だから、有限だっていうんですか?」
「そうだ。なら、他の物に例えて話してやろう。最も分かりやすいアラジンが願った金持ちだ。アラジンは魔人に『私を金持ちにしてほしい』と頼んだだろう? 魔人は首を横へ振ることなく彼のお願いを聞き受けた。そして彼は金持ちになった。ならば、アラジンはずっと金持ちか? 金持ちを続けられるか?」
「続けられるでしょうよ。だって、金持ちにしてほしいって願いを叶えてくれたんだから」
「それならもし、アラジンが買い物依存症だったらどうする?」
「…………」
「女を買い、食物を買い、欲求を買い、欲望を買う。ありとあらゆる物を買えるだろう。だが、それも消耗品だ。決して無限じゃない」
「……アラジンが倹約家かもしれないじゃないですか」
「そうだな。反対に、アラジンが金持ちになっても決して豪遊をせずに貯金をするつまらない男だったとしよう。金を溜めて金を保ち、ちまちま使う野郎だとしよう。しかし、その金は無限か? 違うだろうよ。金持ちであっても金は無限じゃない。消耗品を買うための対価である硬貨だって、有限だ。いつかはそこが尽きる時が来る」
「なら、金が無限に出る壺を買ったらどう説明するんですか?」
「その壺が割れたらどうする?」
「……割れない壺では?」
「溶かしたらどうする?」
「……溶けもしない壺では?」
「無くしたらどうする?」

 完全に僕は負け戦だった。戦ってはおらずとも、決して敵うことのない論争。薄っすらと自分の中でも答えが見出していた。
 口を閉じてフラペチーノを見つめていると女は、

「つまり、無限ってのはないと言うことだ」

 物悲しくもなく、悟ったように嘆くことなく、ただ淡々と変わらずにくだらないと言った風を醸し続けながらこぼす。

「お願いをした後に残る物は無限じゃない。どれもこれも限界がある。限度がある。上限がある。それくらいに欲望というモノは底知れないけど浅いということよ」
「知ったように言うんですね」
「知ってるからね。けれど、絶対というわけではないのよ」
「……どういうことですか?」
「つまり、ね――」
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