第67話 ホンモノの地獄を見たひとたちとニセモノの地獄を創るひとたち

文字数 2,506文字

 情けない、と賢人は思った。
 散々亡者どもの体を鋸で虐め尽くしてきた青鬼がそのくせに自分自身の痛みで赤子のように泣き喚き散らして怒りを露わにしている。

 くだらない、と思った。

 だから、トドメを刺すことに、賢人はした。

 鬼が首まで出した顔を歪め切って老婆が噛み切った自分の薬指の他人に対する武器たる鋭利な爪で自分の左目の瞳孔をえぐられたその瞼をやはり腕だけ突き出した状態のその手のひらで押さえ、気力と推進力が削がれたからだろうか漆塗りのような黒の平盆の形態をしたブラックホールが河川敷の小さな石ころの上に、ゴワン、と横倒しになった。

 青鬼が下半身を平盆から出そうと左足の膝あたりを突き出してきたところ賢人がその膝頭を足蹴にすると、クオンクオンという愛玩動物もどきの憐れを誘おうとする声を出しながら鬼は膝を引っ込めた。賢人たちは全身を晒した鬼に勝つ自信まではなかった。だから当然ながら情け容赦なかった。

「縛ろう」

 翡翠が神の絵の前で三日間奉納し祝詞を上げていた注連縄三本を三人でブラックホールを少し持ち上げながら、ピン、と張って縦横に搦め捕った。
 そのままガラガラと反射鏡のスタンドまで引きずり神の絵とさっき一本外して鬼の手首を溶かすのに使った地獄の掛け軸との前にブラックホールを白州に引き出される罪人の如くにして晒した。

「翡翠。頼む」
「うん」

 そう言うと翡翠は、ぶわっ、とアオザイのスリットを翻しながら神の絵と地獄・極楽の掛け軸の前にひれ伏し、オリジナルの祝詞を上げ始めた。

「遍く全ての清らかなるモノたちよ。
 遍く全ての誠実なるモノたちよ。
 令和の世の初めにありてか弱き我らの身を憐れみ下しおるならば、
 我が声を聞き給え。
 我が顔を眺め給え。
 我が一挙手一投足に何ら曇り無きことを判別し給え。
 そして、この久遠に仏と神とを呪い尽くさんと欲する愚かで哀れなる悪鬼の神を、二度と悪逆の力の及ばぬ大日の神が統治し給う宇宙のその空間(そらま)へとその辺境の彼方へと放逐し給わんことを願い申し奉る」

 祝詞を終えると、すっ、と白くほぼ直線に近い真っ直ぐな脚を伸ばしそのまま濃いブルーのランニングシューズを爪先立ってそこをコンパスの軸とし、再びアオザイのスリットを、フルッ、と独楽の残像のように翻し、凹んだ腹筋と腰のくびれとやはり真白の臍の下あたりにラインのある下着とを露わにして数度ターンした。

 間違いなく注いでいる日の光の量が増した。

 そして、今日はその太陽の向かいに同じ高度で薄く淡く煌めいている有明の月が。

 日の光と月の光とを充分に受ける900枚の反射鏡と、悪鬼神との攻防で割れ残った88枚の武器たる鏡を遍く神の絵と地獄・極楽のお軸へと照射し給うた。更にその照り返しを受ける漆塗りのようなブラックホールが光の大半は吸収しつつも適量を反射して美しい光沢を見せた。

「浮くよ」

 まるで翡翠のオーダーのように、河原にただの盆として倒れていたブラックホールが注連縄ごと音を立てずに数ミリ〜数センチ地上から離れた。

 そのまま自分たちの目線まで地面と平行に持ち上がって行く。おそらく眞守は研究者たる自分たちの自説によってこの光景を科学的な詭弁を持って詐欺師のように説明だてる手腕はあるだろうがそれをしなかった。

 代わりに眞守は嘔吐して汚した服のままで立ち尽くしていた。

 今度こそ見上げ、ブラックホールを見送ろうとしたが。

「ケン! ケン!」

 雉と野良犬の中間のような動物の鳴き声のごとき音声が残響したかと思った瞬間、ブラックホールがゴワゴワと揺れ始めた。

「ウオア!」

 今度ははっきりと悪鬼神の怒号と認識できる音声と共に、バリッ! と漆器のようなその表面が割れて怒りに満ちたツノを先頭に悪鬼神たる青鬼が頭部・顔面・首・胸板・腕・腹・臍、核弾頭が地下基地から発射されるような高速度でせり出して来た。翡翠に怒鳴りつける。

仏陀(ブッダ)め! 死ねっ!」

 おそらく鰐皮と虎皮とで(しつら)えられた睾丸とペニスを護る下履きと血流が極大となったハムストリングスが視界に入り、その横にだらんとぶら下げられた億人の血を啜ってきたテロリストの卑怯なサバイバルナイフのような武器たる鋸を翡翠の頭部に届くように振り上げた瞬間、

「賢人! 長島をっ!」
「ああ!」

 翡翠の号令で賢人はスマホをタップして長島に『秘密兵器』のGOを出した。長島に嫉妬しながらも翡翠はもはや仏たる赤子を将来この娑婆に産み落とす義務を果たすために石に齧りついても生き延びる決意を固めた。

 長島からまず画像がツイートされてきた。
 そのあと、TLに間断なく一冊の蛇腹の経本の如く連続して膨大な人間のアカウントから賢人のスマホにツイートが流れ込む。

 Miro Nagashimaが全世界のフォロワーに向けてオーダーした、神の絵。

 賢人がフォローしていた写真家の、天岩戸から出てきた天照皇大神宮の額から、近代兵器の光線のように放射状に解き放たれる日の女神のその目も眩むようなまばゆい神の絵の写真をテキストにしてあらゆる国籍の絵師たちが描いたその画像。

 賢人はスマホを高く掲げ、光速を凌駕するのではないかと思えるTLの滝の如く流れるその画像を反射鏡に遍く写し尽くした。

 翡翠が再度怒鳴る。

「阿弥陀如来の化身たる大いなるこの北の地の山々よ! 神の化身たる偉大なる連峰よ! 賢人が奉納(おさ)める絵師たちの神の絵を照り返し給えよっ!」

 この地の民を大地震や暴風から幾千万年と護って来たその聖なる山肌にかかる万年溶けぬ残雪の銀の(きらめ)きが、間違いなく賢人のスマホに映し出される絵師たち渾身の神の絵の画像すべてを幾重にも増幅してエナジー波のように河川敷まで返してきた。

 あらゆる大気の塵芥をはねのけて悪鬼神の眉間に、真っ直ぐに命中した。

「ゴエゴエゴエゴエェエエエエ・・・・」

 出て来たのと同じスピードでまるで排水口に吸い込まれるかの如くに悪鬼の神は残像すら残さずに消えた。

「このまま(そら)へ!」

 翡翠が念じるままにブラックホールは今度は急上昇を始める。
 三人が首が痛くなる角度まで見上げた時。

 もうひとりの悪魔が仕掛けた恐るべき罠が視界に入ってきた。
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