放課後のクラスにて

文字数 4,524文字

高校3年のあるクラス。

放課後の教室。

夕日がさして陰影がたちこめている。


教室には男子と女子が1人づつ残っている。

名前は 卓也 と 冴子。


2人とも、容姿はイマイチである。

平均以下といっていい。


そんな2人が 窓辺に並んで 夕日を見つめている。美男・美女なら絵になるが、彼らは残念ながらそうではない。

映画のワンシーンを思い出すわ


名前を忘れたけど、とても綺麗な女優が夕日を見てる。ただそれだけの、ありふれたシーン


なぜかはっきり覚えてる

髪が長くて、うっとりするほど綺麗な女優だった

なんていう映画 ?
それが覚えてないの。女優が綺麗だったことしか頭に残ってないの
すごいね。映画の感想がそれだけって

きっと話はつまらなかったんだと思う。でもなんでだろう、気づいたら最後まで見てた。目がどうしても離せなかった。


もしわたしが美人に生まれてたら、全然違う人生だったかも……そんなことを考えながら見てたわ

窓のそとでは、夕日が 空を染めている。悠々と果てのない雲が、オレンジ一色に染まっている。

綺麗
綺麗だ
この時間の夕日がわたしは一番好き

綺麗でまばゆくて、でも、どこか切なくて

放課後の夕日はいつも切ないよね
切ないから綺麗、綺麗だけど切ない
2人は自分たちの世界に没頭していた。
夕日を見ると、はじめてのデートを思い出すわ
僕たちの初デート …

自転車にのって冬の海を見にいったよね

静かな冬の海

夕日が水平線の上できらめいていた
燃えるようだった
紫外線が肌を焼くのも忘れて見とれてたら、加藤君、言ってくれたよね


覚えてる、なんて言ったか?

なんだろう。たくさん話したけど
思いだして
寒くない、とか
ブー。はずれ
じゃあ、カモメが飛んでるね、とか
ブー。飛んでなかった
水が透明で綺麗だね
ブー。むしろ濁ってた
なんだろう
シミ、そばかすに気を付けて


そう言ったわ

シミ、そばかす … 覚えてないけど
言ったの
陽射しが相当キツかったのかな
そうよ。UV対策も教えてくれた
UVまで
嬉しかった


でも悲しかった

え、どうして
わたしのお肌を心配してくれて嬉しかった。


でも、わたしの顔は …


わたしのルックスは、人が心配するのに値しないでしょ

そんなことないよ。僕は大好きだよ
ありがとう


でも

でも ?
冴子は夕日を見る。

切なそうに、空を見上げる …

… やっぱりわたし、ブスだよね


… ブスだよね


その言葉はスロー再生ビデオのように、ゆっくりと教室に響いた。卓也は戸惑うしかなかったが、とりあえず否定するのが唯一の選択と思われた。

そんなことないって
いいの


自覚はあるし、いまさら傷ついたりしないから


偏差値でいえば40点くらい

そんな …

50点ちかくは、いってるよ

ううん
いってるから
ちがうの
ちがわない
ちがうの
なにが
こんなわたしと付き合ってくれてありがとう


そう言いたかったの

一度、言っておきたかったの

それなら僕だって …


部活は3年間ずっと補欠

背も低いし、格好いいところはひとつもないのに


付き合ってくれて本当にありがとう

僕も言いたかった
冴子は、少しうつむき加減になった。なにかを迷うような素振りだった。


(言おうか、言わずにおこうか)


そして、迷いながら口をひらいた。

 … わたしたち、そろそろよね
そろそろ ?
付き合って1月目で手をつないだ


2月目でキスをした


… そろそろ、よね

卓也は、「そろそろ」の意味に気づいて …


  動揺 した。


もちろん、彼はまだ童貞だった。

あ、ああ
ちがう ?
卓也は17才の少年である。とっさの状況に直面し、冷静さをたもてなかった。はやる気持ちのまま、やや前のめりで言葉を発した。
ち、ちがわないっ


僕もそろそろだと思ってた

て言うか、むしろ早急に、一刻もはやくと思ってた

でもね、急ぎたくないの
 …
あわてて台無しにしたくない

初めての経験はいい思い出にしたいの

わかるよ
だから、ラブホテルの休憩とか昼間のサービスタイムでお手軽に済ましたくないの。ちゃんとした場所で経験したいの
ハピネスは

ハピネスでも駄目?

ラブホは嫌
ハピネスはシティホテルと変わらないって、みんな言ってるけど
幸せの楽園、ハピネスだけど
そうか


でも、じゃあどうしよう


ちゃんとしたホテルは国道沿いにないから電車で市内まで行かないと

卓也はいそいでスマホを取りだし、ホテルを調べだした。
サンルートでいいかな。たしか素泊まりのダブルで6千円くらいじゃ
加藤君
ツインだと少し高くなるけど、バイト代が入ればなんとかなるし … えーと、ここをタップして、と
卓也はホテル探しに夢中になりだした。その姿がどこか軽薄にも見え、冴子はすこし幻滅した。
加藤君
7千円でなんとか … んーもうひと声
加藤君
ぎり8千円なら … おー、あった、ありました。ちなみに9千円だと
加藤君 !
少年は我にかえって手を止めた。
加藤君、もしかして童貞を捨てたいだけなんじゃない
そ、そんなこと
わたしじゃなくても、一緒にホテルに行ければ誰でもいいんじゃない
違うよ。僕はそんな男じゃないよ
体目当て
違う
違う ?


じゃあ、聞くけど

なに
なんで付き合ってることを内緒にするの


友達にわたし達のことを言わないの

それは
わたしと付き合ってることを知られたくないんでしょ


恥ずかしいと思ってるから内緒にしてるんでしょ

誤解だ

恥ずかしいなんて一度も

一度も思わなかった ?

これっぽっちも思わなかった ?

 …
感情を吐露した冴子だったが、すぐに後悔の気持ちがわき上がってきた。

 …


ごめん。バカなこと言ってるね

卑屈で、性格も悪いなんて最低のブスね

そう言って、自分の頭をコツンと叩いてみせた。かわいい仕草で空気を変えたかった。笑顔もなんとかして浮かべようとした。

えへ
卓也の心に思いが込みあげた。


自分はこの子を傷つけてきたかもしれない。少女の気持ちを、どこか、ないがしろにしてきたかもしれない。


そう思うと、自分が情けなくなり、どうしようもない焦燥感にかられた。

言う。みんなに言うよ

俺たち、付き合ってるって、みんなに堂々と発表するよ

嬉しい

でも、やっぱり … やっぱり言わないで

言っても笑われるだけ

わたしたち2軍同士のカップルは目立っちゃだめなのよ

 …
知ってると思うけど、中学のとき、いじめられてたわ


だから、自分に彼氏ができるとは思ってもいなかった


加藤君と、こうして一緒にいられるだけで幸せなの

 …
内緒でいいよ


本当に幸せだから

卓也の体が小さく震えていた。

気持ちが昂ぶり、抑えきれずにいた。

志村さんっ
うん
卓也は必死の様子で言葉をしぼりだす。
え ?
ん ?
結婚しよう
えっ
結婚しよう

そしてずっと一緒にいよう。死ぬまで一緒にいよう

冴子は、くすっと笑った。

悪気のない笑い方だったが、卓也は少し傷ついた。

おかしい ?
だって、まだ17だよ、2人とも
卒業してから、いや、就職してからでもいい


勉強して、いい大学をでて一流企業にかならず入るから


そしたら結婚しよう

いい暮らしをして見返してやろう

見返す ?
1軍のやつら

クラスで大きな顔でのさばってる連中を10年後には見返してやろう

 …
一流企業に入ればローンも組める。頭金をそろえてタワーマンションを買おう


最上階に住んで上から見下ろしてやろう。僕、頑張るから

見返すの ?
そう
10年後 ?
10年後
冴子は背中を向けた。

相手の予想外の言葉、そしてかたくなな視線を受けとめきれなかった。


冴子のかよわい背中に、卓也は声をかけた。

志村さん
冴子はためらう。


自分は2軍の人生をずっと受け入れてきた。運命というほど大げさではないが、それに近いものをいつも感じていた。悲しいことだが、それは仕方のない現実だった。生きる術として、その現実と折りあいをつけてきた。


なのに、この少年は何を言いだすのか。ひとの気持ちをかき回して、一体どうしたいのだ。


どこか腹立たしく思えた。


でも


でも、それ以上に、少年の気持ちに寄りそいたかった。

 …


できるかな
できる

2人が一緒なら、なんでもできる

なんでも ?
そう、なんでも
冴子は振りかえった。卓也の目をしっかり見返してきた。
わたしは、どうすればいい ?

何を頑張ればいい

一緒にいてくれるだけで
ううん。わたしも頑張りたい


わたしは仕事と家庭を両方頑張るわ。2人で頑張って頭金をはやく用意するの。20代でタワーマンションを買うの。どう ?

幸せになろう
2人が手を取りあおうとした、その時だった。


ガラガラ …


ドアが乱暴に開けられ、同級生の男子が入ってきた。木島と森川の2人だった。サッカー部のレギュラーで、いつもクラスの中心を陣取る、いわば1軍だった。


卓也と冴子はあわてて手をはなし、距離をとった。

あー、なんかだりーな。部活、さぼりてえ
レギュラーはずされんぞ

木島らは荷物を取りに戻っただけらしい。荷物を取ってすぐに出ていこうとするが、出しなに2人に気づいて

お前ら、なにしてんの
ん、別に
お前ら付き合ってんの、まさか ?
卓也は、1軍メンバーと話をすることはめったになかったが、たまに話をすると声がうわずってしまうという癖があった。
ち、ち
お、まじかよ
ちげーよ

付き合うわけねーし。冗談言うなっつーの

じゃ、なにしてんだよ。2人っきりで
たまたまだよ
たまたまにしちゃ
だから付き合うわけねーって。こんな
こんな ?
 …
ブスとは ?
木島と森川はゲラゲラと笑った。容赦のない笑いだった。人を傷つけても平気な人間、傷つけるという自覚もないまま気軽に人を傷つけ、その行為に優越感すら抱きかねない人間の笑いだった。


廊下のほうから声がした。部活の仲間がせかすように


「なにしてんだ、行くぞー」


と叫んでいた。木島と森川は


「おいーす」


と軽く返事をかえし、なにごともなかったようにドアを出ていった。


卓也と冴子はしばらく無言で立っていた。自分たちを哀れな存在として実感した。とくに卓也のほうは、自分の情けなさに打ちひしがれていた。

言ってくる

俺たちは付き合ってるって、みんなに言ってくる

そういって、ドアのほうへ走り出した。
待って
卓也は一瞬足をとめた。しかし、すべてを振りきるように廊下へ向かった。
待って、加藤君 !
 …
いいの。無理しないで
 …
いつか見返そう。幸せになって、必ず見返そう
 …


できるよ、加藤君なら

 …
放課後の鐘がグランドのほうで鳴っていた。優しい音色で夕方の空気をそっと震わせていた。
行こう

今なら昼間のサービスタイムに間に合うよ。行こう、ハピネスに

幸せの楽園、ハピネスに
卓也は、とまどいながら聞いてみた。
ラブホでいいの ?
冴子は静かにうなづいた。手を差しのばし、卓也の手を強くにぎりしめた。
行こう
ハピネスに ?
そう。ハピネスに
卓也にとって待ちつづけた瞬間のはずだった。しかし、喜びはなかった。それどころか、早くこの場を立ち去り、ひとりで部屋にこもりたかった。
いや、ダメだ、ダメだ、ダメだ

僕はそんな価値のある男じゃない。僕は、僕は …

冴子は突然つま先立ちになり、自分の顔を卓也に近づけた。そして、目をみつめ、薄くリップをひいた唇を少年の口元にそっと重ねた。
大丈夫


私は一緒に行きたいの

好きな人と一緒に行きたいの

 …
加藤君は ?
 … 行きたい
じゃあ
冴子は手に力をこめ、しっかりと卓也の目をみた。
行こう
 … うん、行こう
ハピネスに
ハピネスに



幸せの楽園、そこはハピネス

きっと何かが待っている


2人に幸あれ


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

加藤 卓也

志村 冴子

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色