午後は眠い 1
文字数 3,513文字
特にやることもなく始まった午後は、溜まっている書物の一部を読み終わったところで柔らかな眠気に襲われ何度もウトウトとしてしまう。
しかし睡魔に完全に眠りの世界へさらわれる前に大きな声で毎回起こされるので、残念ながら眠るまでには至らない。ここまで眠いとなると、出来れば一思いに少し眠った方が間違いなく楽になるだろうに、この口うるさい相手は絶対にそれを許さないのだ。
本当に妙なところで融通が利かない。
そろそろこの男を部屋から追い出した方が自分は楽になれるかもしれない、と物騒なことまで思い始めた時。
玄関の方から、明らかに年下と思われる少女が現れた。
玄関の扉の開く音はない。霊たちがこの家の中に入ってくる時、彼らは当然のように玄関からやって来てくれるものの、実体がない故に入り口の扉はすり抜けてくる。そこで黙って家の中に入ってくる無礼さを気にする者が滅多にいないのは、彼らがやってくる際の手がかりになっている案内の賢者の噂のせいだろう。
迷える魂を導く案内の賢者は、常に魂の方が現れるのを待っている。
迷える魂は、どこにいても必ず案内の賢者を探し出せる。
ということになっている。実際、歴史をどこまで遡っても賢者が自ら探しに行ったなどという記録も残っていないので、それは一々どこかへ出向かずに済むように昔の賢者の誰かが噂につけた尾ひれに違いない、と彼女などは思っているが、真偽は謎だ。
そういう噂があるからこそ、この国では時に発生する不可解な現象を見えない霊の仕業と騒ぐことがあったとしても、じゃあ霊が見える賢者を呼べなどと言う者はいないのだ。霊を追い払うために「案内の賢者はここにはいない」と呪いのように繰り返すのが、そこにおける対処策になっている。外国から来る者などはそれが不思議だと思うらしいが、風習というのはそういうものだろう。
そして案内の賢者自身は、案内そのものは絶対義務でもないので霊が現れたところで案内を断ることも可能なのだが、賢者になるだけあって全員が好奇心には勝てないのか、断ったという記録も残っていなかった。
来るもの拒まず、行くもの追わず。訪れた相手に、ただ行き先を指し示す。
そんな感じに割り切れる者ばかりが案内の賢者になっているようだ。
今日二人目の客を彼女は驚くこともなく出迎える。
やってきた客を確認した時点で、さっきまで眠らないよう見張るためなのか側にいた青年はいつもの壁の位置に行ってしまった。
「いらっしゃい。好きなところにどうぞ」
とりあえず来客を黙って見ている必要もないので声をかければ、その少女は驚いた顔をする。
二つに分けて結った肩より少し長い程度のふわりとした栗色髪に、同じ色をした目の、見るからに可愛らしい少女だ。まだ成人してはいなさそうで、着ている衣服の種類や色合いに若さを感じる。そして普通の街娘よりも家が裕福そうな印象。着ている衣服の仕立ての良さが、そういうものにあまり詳しく無い彼女でも分かる程度に。見た限り特別な外出着という服では無い。そういう日常の普段着に金をかけられるのは、だいたい金に余裕がある家だ。
問題はどういう服か、ではなかったが。
いきなり声をかけられて少しオドオドしながら入ってくる様子は、弱々しさすら感じて庇護欲が誘われる。本人に自覚があるかはわからないが、きっとこういう少女が男心をくすぐるのだろう。何気ない動作からも伝わるちょっと頼りなく世間慣れもしてなさそうな仕草は、商人や貴族の大事に育てられた一人娘、良いところのご令嬢という感じだ。
特に羨ましいと思ったりはしないが、まぁ異性に好かれそうな可愛い子だなぁという印象を受ける。
自分だって男ならこういう少女を見れば純粋に第一印象で可愛いなぁと思いそうだ。
「し、失礼します」
控えめな声でソファーの辺りにゆっくり歩いてくる少女を、定位置である一人がけの椅子に座ったままで彼女は出迎え、金髪の青年はいつも通り何も言わず壁際にいる。彼の方は部屋に少女が入ってきたのを確認した時に、興味ないと言いたげに、完全に別の方向を向いてしまったが。
ソファーの前で止まった少女は少し興味深げに室内を見回して。
「きゃ!」
小さな悲鳴をあげた。
丁度少女からすれば入ってきた方向、背後に当たる位置の壁にいる男を見た瞬間だ。気づいてなかったので驚いたのだろうかそれとも、と思った彼女の耳に、間断なく続きの声が入ってくる。
「ヤベェ、すげー好みの美形がいるんだけど」
前言撤回。
これは令嬢ではないかもしれない。年頃の色恋に興味津々な普通の女学生かもしれない。
少女が口元に手を当てていて、しかもあまり大きな声でもなかったので壁にいる彼まで聞こえていたかはわからないが、彼を確認した途端にらんらんと目を輝かせ始めた少女は、少なくともこちらに聞かれていることに気づいていないのか、更に言葉を続ける。
「あーあんな男が許婚ならなーアタシだって超自慢しまくりなんだけどなー本当何あれ詐欺じゃねって位美形なんだけど夢かなこれ。……あ、やべ痛くない夢かもしんない」
「……お嬢さーん、これは夢じゃないけどあなた霊だから頬つねっても痛くないと思うわよー」
言いながら自分の頬をつねっている少女に、さすがに苦笑いしながら声をかける。
霊によっては生身のような感覚を記憶のように持ってきている者もいるが、霊そのものは感覚が備わっていないという。ほとんどの霊は身体に関する感覚はないらしいので、どんなに自分で頬をつねろうが痛みは感じないはずだ。
それ以前に、ここに来ているからには賢者を探している自覚はあるはずだが。
それを指摘された少女は、ハッと彼女の方を眺め。
「あれ賢者どっち」
真顔で迷っている。
どっちも賢者らしくないせい、なのだろう。朝のノーグもだが、こちらの少女も素直な言動だなと苦笑いが消えない。
「こっちこっち。あっちの顔だけで世の中渡ってる感じのはただの顔だけの男だから」
少女に説明した言葉が聞こえたらしく、その綺麗な顔で今にも仕置きでも始めそうな冷たい視線を送ってくる男は賢者じゃない、と少女に言えば、こっちはこっちで「うわ安心したような残念なような微妙な気持ち。後で連絡先交換したいなー」などと言っている。
ハーミットの方は今回、全く少女を見ないようにしているようなので、聞こえているだろう言葉に対してすら何も言わない。
さっきから少女が色々だだ漏れしているのはそういう癖なのだろう。
似たような癖を持っているので、それをどうこう言えるわけもない。
それに漏れている内容は全部が微笑ましい範囲のものなので指摘することもないだろう、といつも通りに本題へ入る。
「ようこそ案内の賢者の家へ」
微笑んで現在地を告げれば、少女はホッとした顔で笑った。最初の儚げな印象はもうない。
「良かったぁ実は場所間違ってないかってずっと心配しながら来たんすよ」
「迷ったの?」
「やー迷ったっていうより、ここまで目印も看板もないし外からは中見えないから中に入るまで不安な店っつー感じ?」
「なるほどね」
あははと笑いながら説明してくれた少女は、今はもう不安はなさそうだ。
この家は見た目はただの家だし、外に名札を出しているわけでもない。もちろん賢者であるような何かが外から確認できるわけでもないので、確認するまで不安は消えないのだろう。霊用に名札を出してあげたくても、この家の中に完全に囚われている方に何ができるわけもない。扉を開けることすら許されていないのだから。
ここに来てもまだ、低い可能性として賢者を詐称されるという考えを持つ者もいるが、賢者が重く扱われるこの国でその詐称は理由を問わず死罪相当なのでまず誰も進んでしないし、そもそも案内の賢者が話している相手の霊は普通の人間には賢者ですら見えない話せないものだから、そこまで詐称しようがない。
つまり霊にとっては、賢者と名乗られ目を合わせて話しが出来る相手は、高確率で案内の賢者だ。
ほとんどの霊がこちらの名乗りをすぐに信じるのは、そういう理由だった。
決して彼らが皆揃って迂闊な訳ではない。
カトレアをまじまじと見ながら少女が意外そうに言う。
「でも超若くないっすか? 賢者っつーからもっと年寄り想像してたんですけど、おねーさん超美人じゃん」
「あらありがと」
毎度聞く似たような感想に、彼女は特に感慨もなく礼を言った。美醜は個々人の価値観であるが、若さばかりは時間にしか解決できない。
この分だと、この手の世辞がなくなって話が楽に進むようになるのは後何年先になるかわからないな、と思いつつ。
しかし睡魔に完全に眠りの世界へさらわれる前に大きな声で毎回起こされるので、残念ながら眠るまでには至らない。ここまで眠いとなると、出来れば一思いに少し眠った方が間違いなく楽になるだろうに、この口うるさい相手は絶対にそれを許さないのだ。
本当に妙なところで融通が利かない。
そろそろこの男を部屋から追い出した方が自分は楽になれるかもしれない、と物騒なことまで思い始めた時。
玄関の方から、明らかに年下と思われる少女が現れた。
玄関の扉の開く音はない。霊たちがこの家の中に入ってくる時、彼らは当然のように玄関からやって来てくれるものの、実体がない故に入り口の扉はすり抜けてくる。そこで黙って家の中に入ってくる無礼さを気にする者が滅多にいないのは、彼らがやってくる際の手がかりになっている案内の賢者の噂のせいだろう。
迷える魂を導く案内の賢者は、常に魂の方が現れるのを待っている。
迷える魂は、どこにいても必ず案内の賢者を探し出せる。
ということになっている。実際、歴史をどこまで遡っても賢者が自ら探しに行ったなどという記録も残っていないので、それは一々どこかへ出向かずに済むように昔の賢者の誰かが噂につけた尾ひれに違いない、と彼女などは思っているが、真偽は謎だ。
そういう噂があるからこそ、この国では時に発生する不可解な現象を見えない霊の仕業と騒ぐことがあったとしても、じゃあ霊が見える賢者を呼べなどと言う者はいないのだ。霊を追い払うために「案内の賢者はここにはいない」と呪いのように繰り返すのが、そこにおける対処策になっている。外国から来る者などはそれが不思議だと思うらしいが、風習というのはそういうものだろう。
そして案内の賢者自身は、案内そのものは絶対義務でもないので霊が現れたところで案内を断ることも可能なのだが、賢者になるだけあって全員が好奇心には勝てないのか、断ったという記録も残っていなかった。
来るもの拒まず、行くもの追わず。訪れた相手に、ただ行き先を指し示す。
そんな感じに割り切れる者ばかりが案内の賢者になっているようだ。
今日二人目の客を彼女は驚くこともなく出迎える。
やってきた客を確認した時点で、さっきまで眠らないよう見張るためなのか側にいた青年はいつもの壁の位置に行ってしまった。
「いらっしゃい。好きなところにどうぞ」
とりあえず来客を黙って見ている必要もないので声をかければ、その少女は驚いた顔をする。
二つに分けて結った肩より少し長い程度のふわりとした栗色髪に、同じ色をした目の、見るからに可愛らしい少女だ。まだ成人してはいなさそうで、着ている衣服の種類や色合いに若さを感じる。そして普通の街娘よりも家が裕福そうな印象。着ている衣服の仕立ての良さが、そういうものにあまり詳しく無い彼女でも分かる程度に。見た限り特別な外出着という服では無い。そういう日常の普段着に金をかけられるのは、だいたい金に余裕がある家だ。
問題はどういう服か、ではなかったが。
いきなり声をかけられて少しオドオドしながら入ってくる様子は、弱々しさすら感じて庇護欲が誘われる。本人に自覚があるかはわからないが、きっとこういう少女が男心をくすぐるのだろう。何気ない動作からも伝わるちょっと頼りなく世間慣れもしてなさそうな仕草は、商人や貴族の大事に育てられた一人娘、良いところのご令嬢という感じだ。
特に羨ましいと思ったりはしないが、まぁ異性に好かれそうな可愛い子だなぁという印象を受ける。
自分だって男ならこういう少女を見れば純粋に第一印象で可愛いなぁと思いそうだ。
「し、失礼します」
控えめな声でソファーの辺りにゆっくり歩いてくる少女を、定位置である一人がけの椅子に座ったままで彼女は出迎え、金髪の青年はいつも通り何も言わず壁際にいる。彼の方は部屋に少女が入ってきたのを確認した時に、興味ないと言いたげに、完全に別の方向を向いてしまったが。
ソファーの前で止まった少女は少し興味深げに室内を見回して。
「きゃ!」
小さな悲鳴をあげた。
丁度少女からすれば入ってきた方向、背後に当たる位置の壁にいる男を見た瞬間だ。気づいてなかったので驚いたのだろうかそれとも、と思った彼女の耳に、間断なく続きの声が入ってくる。
「ヤベェ、すげー好みの美形がいるんだけど」
前言撤回。
これは令嬢ではないかもしれない。年頃の色恋に興味津々な普通の女学生かもしれない。
少女が口元に手を当てていて、しかもあまり大きな声でもなかったので壁にいる彼まで聞こえていたかはわからないが、彼を確認した途端にらんらんと目を輝かせ始めた少女は、少なくともこちらに聞かれていることに気づいていないのか、更に言葉を続ける。
「あーあんな男が許婚ならなーアタシだって超自慢しまくりなんだけどなー本当何あれ詐欺じゃねって位美形なんだけど夢かなこれ。……あ、やべ痛くない夢かもしんない」
「……お嬢さーん、これは夢じゃないけどあなた霊だから頬つねっても痛くないと思うわよー」
言いながら自分の頬をつねっている少女に、さすがに苦笑いしながら声をかける。
霊によっては生身のような感覚を記憶のように持ってきている者もいるが、霊そのものは感覚が備わっていないという。ほとんどの霊は身体に関する感覚はないらしいので、どんなに自分で頬をつねろうが痛みは感じないはずだ。
それ以前に、ここに来ているからには賢者を探している自覚はあるはずだが。
それを指摘された少女は、ハッと彼女の方を眺め。
「あれ賢者どっち」
真顔で迷っている。
どっちも賢者らしくないせい、なのだろう。朝のノーグもだが、こちらの少女も素直な言動だなと苦笑いが消えない。
「こっちこっち。あっちの顔だけで世の中渡ってる感じのはただの顔だけの男だから」
少女に説明した言葉が聞こえたらしく、その綺麗な顔で今にも仕置きでも始めそうな冷たい視線を送ってくる男は賢者じゃない、と少女に言えば、こっちはこっちで「うわ安心したような残念なような微妙な気持ち。後で連絡先交換したいなー」などと言っている。
ハーミットの方は今回、全く少女を見ないようにしているようなので、聞こえているだろう言葉に対してすら何も言わない。
さっきから少女が色々だだ漏れしているのはそういう癖なのだろう。
似たような癖を持っているので、それをどうこう言えるわけもない。
それに漏れている内容は全部が微笑ましい範囲のものなので指摘することもないだろう、といつも通りに本題へ入る。
「ようこそ案内の賢者の家へ」
微笑んで現在地を告げれば、少女はホッとした顔で笑った。最初の儚げな印象はもうない。
「良かったぁ実は場所間違ってないかってずっと心配しながら来たんすよ」
「迷ったの?」
「やー迷ったっていうより、ここまで目印も看板もないし外からは中見えないから中に入るまで不安な店っつー感じ?」
「なるほどね」
あははと笑いながら説明してくれた少女は、今はもう不安はなさそうだ。
この家は見た目はただの家だし、外に名札を出しているわけでもない。もちろん賢者であるような何かが外から確認できるわけでもないので、確認するまで不安は消えないのだろう。霊用に名札を出してあげたくても、この家の中に完全に囚われている方に何ができるわけもない。扉を開けることすら許されていないのだから。
ここに来てもまだ、低い可能性として賢者を詐称されるという考えを持つ者もいるが、賢者が重く扱われるこの国でその詐称は理由を問わず死罪相当なのでまず誰も進んでしないし、そもそも案内の賢者が話している相手の霊は普通の人間には賢者ですら見えない話せないものだから、そこまで詐称しようがない。
つまり霊にとっては、賢者と名乗られ目を合わせて話しが出来る相手は、高確率で案内の賢者だ。
ほとんどの霊がこちらの名乗りをすぐに信じるのは、そういう理由だった。
決して彼らが皆揃って迂闊な訳ではない。
カトレアをまじまじと見ながら少女が意外そうに言う。
「でも超若くないっすか? 賢者っつーからもっと年寄り想像してたんですけど、おねーさん超美人じゃん」
「あらありがと」
毎度聞く似たような感想に、彼女は特に感慨もなく礼を言った。美醜は個々人の価値観であるが、若さばかりは時間にしか解決できない。
この分だと、この手の世辞がなくなって話が楽に進むようになるのは後何年先になるかわからないな、と思いつつ。