第二十二話 対立候補

文字数 2,736文字

 亡くなったヘンドリックの家は商家が立ち並ぶ地区にあった。
 家は六百㎡の敷地に建つ二階建ての石造り建物だった。庶民の家と比べると大きいが、他の商家の家と比べると、小さかった。

 玄関扉をノックする。使用人と思われる老いた白髪の男の使用人が出てきた。
「こんばんは、この度はご愁傷様です。ゴブリン軍との折衝に当っているキルアです。エルマさんにお会いしたいのですが、取り次いでもらえますかな。大事な用件です」
「少々お待ちください」と使用人はキルアを玄関で待たせると、建物内に戻って行った。

 使用人はすぐに戻って来てキルアを家に招き入れた。
 家の二階にあるこぢんまりしたロビーから二階へと続く階段を上がる。上がって少し進んだ場所にある部屋に通された。

 部屋は十二畳ほどの部屋で、簡単な応接セットがあった。部屋には調度品の類がほとんどなく、サッパリとした部屋だった。窓には赤いカーテンが下ろされていた。
 使用人が部屋から出ると、黒い服を着た一人の女性が部屋に入ってきた。女性の身長は百五十㎝、褐色肌をしている。顔は面長で黒髪を肩まで伸ばしていた。瞳の色は黒で、優しい目をしていた。

 女性は気が張った顔をして、気丈に尋ねる。
「こんな夜に、何のご用でしょうか。夜遅くの来客は良い報を持って来ないといいます。キルアさんの話も、おそらくそうでしょう」
(警戒しているね。まあ、立候補に当って、知恵を付けた人間がいるんだ。おそらく、こうなりますよ、くらいの未来を話されていたな)

 キルアは穏やかな口調で、用件を切り出した。
「そうでもないですよ。妖精さんから夜に届く素敵なプレゼントもある。月の囁きってのも、言葉にすると、ロマンチックですよ。俺は、悪魔ですけどね」

 エルマは、きつい視線をキルアに向けると、はっきりとした口調で告げる。
「冗談は不用です。用件を仰ってください。もう、夜も遅いので、あまり時間を取られたくない。私は選挙戦の準備に忙しいのです」

(ピリピリしているね。まるで、初めて戦争に来て歩哨を任された新兵のようだ)
キルアはエルマを見据えて頼んだ。
「では、単刀直入に言いましょう、立候補を取り下げてください。そうすれば、貴女は忙しい責務から解放される。夜もゆっくり眠れるでしょう。街の人だってゴブリン軍から襲撃から守られてよく眠れますよ」

 エルマは厳しい顔で即座に拒否した。
「嫌です。私は戦わず負けたくはない。街の人間だって、同じ志の人は多いんです」
(意志は固いか。でも、(もろ)さを伴なった固さだ。脅しには屈しないが、揺さぶりには動揺するタイプの人間だな)

 キルアは言い方を柔らかくする。
「何がそう貴女の態度を(かたく)なにさせているんですか。よければ、教えてください。事情がわかれば解決できる問題もある。何も対立だけが道じゃない。お互い手を取り合って街の未来を考えましょう」

 エルマは毅然とした態度で言い放った。
「ノーズルデスは、自由と自立を志した街です。ゴブリン軍に頭を押さえつけられれば、ノーズルデスはノーズルデスでなくなる」
(ノーズルデスがどうこうは表向きの理由だな。誰が吹き込んだか知らんだ、こんなに付け焼き刃の洗脳のような方法は感心しないね。理屈ぽくて、エルマの心が抑圧されているのが、料理に添えられたパクチーのように丸わかりだ)

 エルマの意見に嘘を感じた。
(さて、どうやってエルマの心を自由にして本心を語らせようか)
 キルアは、まずは理屈を説く。
「よく考えてください。アーブンはゴブリン軍の兵士ではない。この街できちんと納税していて職を得ている善良な市民です。貴女との違いは政策だけです」

 エルマが目に力を入れて強い口調で発言する。
「では、私が立候補して選挙戦を戦うのも街のルールです。街の人間の全てがゴブリン軍による支配を望んでいるわけではない」
「残念だが、貴女は少数者だ。この街の人間は、防衛を他人に委ねて、戦いに命を(さら)そうとしていない。志願兵の数を数えればわかる。街の大勢の人間は大多数が血を流さず、金で解決する結末を望んでいる」

 エルマは頑として譲らなかった。
「たとえ少数であろうとも、意見があるなら議論して結論を出すべきです」
 キルアは穏やかな口調で語り掛ける。
「選挙戦はゴブリン軍にとっては関係ないイベントです。そんな、少数者のお祭りのために、大多数の人間の命を懸けさせるおつもりですか」

「父なら選挙戦を戦ったでしょう」
(父なら、か。これがキーワードかな? ここから、エルマを切り崩せるかもしれない)
「ヘンドリック市長だって少数派の意見を切り捨てる決断を何度もしてきた。それが政治です。なのに、今度は自分が少数派に回ったら、やれ議論だ、自由だ、と叫ぶ態度は虫が良すぎる」

 エルマが怒りの籠もった瞳を向ける。
「キルアさんに、何がわかるんですか」
 キルアは真剣な態度を演じる。
「わかりますね。ヘンドリック市長はゴブリン軍を受け入れる決断を既にしていた。私には決意を打ち明けてくれていました」

 エルマの表情に動揺の色が現れた。
「本当ですか。そんな話は、聞いていません」
「ヘンドリック市長は弱腰だが、馬鹿ではなかった。きちんと、現実を見ていた。だから、最後は自分だけが悪者になって街を救うつもりだったんですよ」

 エルマは怖い顔で、強い口調で意見する。
「嘘よ。なら、何で、ゴブリン軍に殺されたのよ」
「ヘンドリック市長を殺した犯人はゴブリン軍ではありません。人間だと私は見ています」

 エルマの顔が強張(こわば)った。
「そんな、同じ人間に殺されるだなんて。信じられないわ」
 キルアは迫真の演技を続ける。
「現実を見てください。人間なんて四六時中どこでも争っているでしょう。今は争っている場合ではない。ですが、それがわからない人間がいるんです」

 エルマがキルアから視線を外して、投げやりに発言する
「信じられません」
(心が揺らいできたね。あと一押しすれば、エルマの表面を覆う洗脳のコーティングは、熔ける。そう、火で炙ったチョコレートのようにな)
「まだ、時間はあります。一日、ゆっくり考えてください」

 ヘンドリックの家を後にすると、ユウタがどこからもなく現れる。
「どうだった? エルマは立候補を取り止める決断をしたか?」
「いいや、あと一押し必要だ。ヘンドリックの手紙を偽造するぞ。俺は、ヘンドリックの書いた文書を入手する。ユウタは筆跡を真似るのが上手い悪魔を探してくれ」
「わかった。どうにか探してみる」
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