第1話 フルサトRadio

文字数 5,781文字

 朝6時。
 農作業用ロボット、コタローは音声を録音再生からラジオに切り替えた。

『おはようございます。木口弘行(キグチヒロユキ)が、ウェブラジオで放送しております、〈ふるさとラジオ〉。
 統一暦2546年5月20日火曜日。各地の作業場で働いている方、避難先でお聞きの方、お元気にお過ごしですか? 本日も東域12圏内からお天気の情報が寄せられています』
 男性パーソナリティーの明るい声がコタローの内蔵スピーカーから流れた。
 コタローは、脚部のキャタピラー動力部に電気を送りゆっくり回転させると、農作業用の小屋の引き戸を開け、五月晴れのもとへと移動を始めた。
『各地6時現在、安平(やすだいら)地区、ロビン。気温20.8度晴れ。宮根(みやね)地区、マリー。気温22度晴れ。山井(やまい)地区、メイ。気温21.3度曇り。花緒沢(はなおざわ)地区、コタロー。気温18.7度快晴……』

 ついさっきコタローが送信したデータも読み上げられた。
 手にした箒で庭先から道路までを掃除する。
 地面に落ちる影は、小さめの段ボールを縦に二段重ねたようなかたち。上部の大きな二つの円盤、太陽光発電パネルがまるで目のようだ。
 先がすり減った箒で表の門口まではいていく。
 途中、モニターのチェックにひっかかった雑草を抜く。
 庭に牡丹が小ぶりながら淡い紅色の花を開かせていた。
 牡丹・手入れ・オカアサン……関連するキーワード。今現在、必要なアクションは無し。
 コタローは写真を撮り、送信した。

『……生活保障金の手続きは今月中に済ませてください。ご不明な点は現在お住まいの市区町村役場まで。行政関係のお知らせは以上です。あ、コタローからきれいな花の写真が送られてきましたよ』

 今日の作業予定。
 りんご畑の下草刈り。
 受粉の進捗率を調査。

『メイからは、春先に産まれたかわいい子羊の写真が来ました。野生化しても牧場に残っている羊たちもいるんですね』

 コタローは母家の前を通って果樹園のほうへ進んだ。コタローの頭をかすめるようにして、つばめが軒下に戻ってきた。停止して胴体部分を伸ばし、つばめの巣を観察した。
 雛が5羽、黄色いくちばしを思い切り開け、親鳥に餌をねだっていた。
 するすると体をもどし、再び移動。
 りんご畑ではミツバチが羽音をたてながら、盛んにりんごの花粉を集めていた。
 受粉は順調。コタローの太陽光発電も順調。
 コタローは4本のアームを動かし、草刈りを始めた。
『マリー、海の写真をありがとう。みなさん、ふるさとは美しい5月です』
 ウグイスの声が無人の山里にこだました。



 統一暦2547年8月30日。
 最高気温29.2度。
 作業記録日報。
 下草刈り。フジの摘果。
 早生(わせ)品種、千秋(せんしゅう)・津軽に鳥避けネットかけ。
 キズのある実を落とし破棄。
 オトウサン不在。
 オカアサン不在。

 夕刻、コタローは小屋の中で省電力モードに切り替え、防犯用に録音したラジオ番組を鳴らした。
『……耕作できない田んぼには、蒲や柳の木が生えてしまいました。一部残った作業用のロボットが活動を続けていますが、手が回らないみたいです。
 ぼくたちも線量が低いときしかシェルターの外へは出られません……それでも、いつかまたこの故郷に皆で帰って暮らせる日を信じています』

 コタローの目の前を蛍が漂う。
 ゆらゆらと川面に映る小さな炎みたいに。




『めっきり冷え込むようになりましたね』
 統一暦2548年11月22日。
 最低気温、-0.4度。
 コタローは天気の状況を把握分析する。雪が降る確率、20%。予想最高気温5度。

 本日の作業予定。
 フジ、すべて収穫。
 夕刻よりサイズ選別。

『山沿いでは、そろそろ雪が降るようです。ロビンから駐車場の車が霜で真っ白になってる写真がきました』

 コタローはりんごを入れるケースをりんご畑までなん往復もして運んだ。
 オトウサン、オカアサン、収穫、箱詰め、発送。
 関連キーワード。

 注文、0件……。

『実りの秋なのにね。こちらの地域でできたものは食べられないって、お達しがきてます。スタッフと毎日冷凍食品とかレトルトとかそんなのが中心。みなさんは美味しいもの食べてますか? 体も心も健やかでお過ごしですか?』

 りんごはヘタを残してもぎ取る。コタローはアームを伸ばし、薄いガラスの細工にでも触れるようにそっとりんごを掴む。

 オカアサン。
ーそっとだ、そっと。

 カゴに入れるのも静かに。コタローは丁寧に作業を進めた。

『このラジオステーションも来年の春に撤退することが決まりました』

 鳥獣の食害、はじく。
 虫食い、はじく。
 枝によるキズ、はじく。

ーケッツまで赤くなってなくても大丈夫だぁ。ちゃーんと蜜ば入ってっがら。

 オトウサン。

『……注文待ってるのか、コタロー。今日もりんご畑の世話してるんだな。写真ありがとう。できるなら、今すぐ駆けつけて手伝いたいよ。甘い香りがするのかな? ああ、好きなときに外に出て思い切り深呼吸したい』

 いっぱいになったケースを作業小屋に運ぶ。そしてカラのケースを持ってくる。
 山の向こうに日が沈む。気温が一気に下がる。
 秋の虫はとうに鳴かなくなり、りんご畑にはコタローが作業する音ばかり。


『お便りをいただきました。「お天気を教えてくれている、ロビンは中古車屋さんにいたロボットですか?」。はい、そうです。中古車が盗難にあわないように見守っているようです。そうそう、個人情報だから、あんまり話せないんだけど』

 コタローは収穫したりんごを選別していた。
 等級ごとに分けていく。
 贈答用、加工用、自家消費用。

『いま東域12圏内は、うちみたいな報道関係と作業従事者くらいしか人がいません。あとはロボットたち。メールにはそれぞれマスターの名前が添付されてきます。でね、コタローのとこは”オトウサン“なんですよ。可愛くないですか? オトウサンって。個人情報ですからね、内緒ですよ』

 オトウサン、内緒。

ーお父さんには、内緒な。

 コタローは、メモリから検索にかかったデータを再生した。
 ゆったりとしたメロディが流れてくる。

ーお父さんには内緒な。仕事中に、こったな不景気な歌聞ぐなーって、くられっからさ。

 オールディズ。女性ボーカル。ビロードのような闇にとける。
 オカアサンが318回再生した。
 口ずさむオカアサンの画像データ。
 コタローはりんごを選別し続ける。終わるまで。



 統一暦2549年1月2日。

『お正月をいかがお過ごしですか? 木口弘行です。圏内、どこも雪降りですね』

 昨夜降りだした雪は、作業小屋の入り口を塞いだ。
 コタローは引き戸を開けて除雪作業用のアタッチメントを胴体部分に装着した。
 モーターの回転数が一気に上がる音とともに、雪を取り込み、高く宙に吹き飛ばす。
 まずは道路まで。つけた溝がまるで迷路の一部のよう。戻りながら幅を二倍に拡げる。
 繰り返す。
 オトウサンの車が通れるくらいまでに。
 けれど道路を除雪するものはいない。コタローがよけた分しか空間がない。
 そうしている間にも雪が降り出した。
 太陽光が少なすぎる。
 バッテリーが減っていく。コタローは完全に停止する前に、小屋へと戻った。

 今日の予定。
 充電。
 明日の予定。
 母屋の前を除雪。
 屋根の雪おろし。

 雪は降り続く。
 りんごは貯蔵庫のなか。
 電源の入っていない貯蔵庫のなか……。


『新年の大雪のあと、ロビンから連絡が来なくなったんです。雪に埋もれて壊れたのかな……全住民避難から今年で、5年ですか』
 屋根の雪おろし。
 二階の窓ガラスが割れていた。
 修繕箇所のメモに登録。

 コタローは、日没まで除雪作業をした。



 統一暦2549年3月。
『今日はあの大震災から、7回目の日です』

 南の斜面には、ふきのとうが顔を出している。昨日までの暖かさは一転、今朝はみぞれ交じりの空模様だ。

『あの日もこんな天気でしたね。前日までの数日間、春めいてきて心が浮き立ったのを覚えています。
 震災以降ぼくらの生活は一変しました。大津波での甚大な被害と発電所の事故と。
 平凡ながら幸福な日常は失われ、結局は自治州の東側、東部全域を≪閉鎖≫ということになったわけで……それでも、いつかまたここに帰って来られたならと、願っています』 

 コタローはリンゴ畑で剪定して切り落とした枝を拾っている。

『黙祷』

 今年もりんごの花は咲く。

『この追悼番組を最後に、ぼくらもここを去ります。 今まで「ふるさとラジオ」お聞きいただきまして、ありがとうございました。ぼくは、あの日も、あの日からもマイクの前に座ってきました。
 震災のとき、ぼくは亡くなった方のお名前を読み上げることしかできませんでした。自分の無力さに涙が出ました。ラジオはもう終わったメディアだと言われて久しいです。けれども、たった一人のあなたの心に何かしらを届けられたなら、ラジオにはまだ存在意義があると思います。
 ……そんな放送ができていたでしょうか。どうかお元気で。またお会いできますように』
 
 エンディングに、唱歌『故郷』がかかった。

 壊れたラッパのような鳴き声をあげ、五羽の白鳥が空にブイの字を描いて飛んでいった。

 検索。ブイ字飛行、白鳥、オトウサン。

ーあんなふうなのはな、鉤になって飛ぶ、真っすぐなのは、竿になって飛ぶっていうんだ。

 コタローは白鳥の姿をメモリに追加した。

 歌は続いていた。子供たちの澄んだ歌声で。
 忘れがたき故郷……と。




 花緒沢地区、気温25.8度。
 6月3日。
 統一暦2551年

 コタローはりんご畑で木にからまる葛を処理していた。
 気の早い蝉が鳴いている。コタローは葛の根を掘り、抜く。しつこい蔦類は、夏ともなれば、人が住まなくなった家や電柱にすきまなく絡みつく。
 ただでさえ、家を囲む防風林が野放図に高く育ち、さらに幹や枝に蔦がからまる。小高い位置にあるりんご畑から見下ろすと、集落は暴走した緑に制圧されている。
 コタローは風景を写真に収めた。

 突然、不穏なチャイムがコタローから流れた。

『緊急地震速報、地震が発生しました。緊急地震速報、地震が発生しました。身の安全を確保してください』
 機械的な音声だ。
 コタローのセンサーが地鳴りをとらえたとき、ドンと地面が一度、突き上げるように動いた。
 続いて横に縦に地面は大きく波打った。
 コタローは近くの木にアームを固定し跳ねる機体を押し留めた。
 防風林の杉が、ゆさゆさと大きく左右に揺れた。

 長い揺れが収まるか収まらないうちに、次の放送がなった。

『大津波警報発令。海岸付近にいるかたは直ちに高台へ避難してください。また河口付近のかたも避難してください。津波は川を遡ります』

 コタローはりんご畑から母屋へ移動した。
 家の基礎がひび割れ、とうに錆び付いた電気温水器が傾き、地面には屋根瓦六枚が落ちて割れていた。
 熊手を持ち出して、コタローは屋根瓦を集めた。

『大津波警報発令』

 地震、津波、オトウサン、オカアサン……。

ーコタロー、電気! 停電だ。テレビ点けろ。
 コタローのバッテリーにプラグをさして数分後、テレビの前で動かなくなる二人。


ー避難しろってさ。なに、一週間くれだってラジオでも言ってら。すぐに帰るがら。留守番、よろしぐな。

 オトウサン。

ーすぐだ。この辺は放射能は心配ねぇべ。家(え)のごど、お願いな。

 オカアサン。

 時は進む。

 夏の花。赤いタチアオイ、オレンジ色のノウゼンカズラ。オカアサンが好きな黄色のグラジオラス。

ー蝉の幼虫は、ノコノコっていうんだ。
 しゃがんで脱け殻を指差す、オカアサン。

 秋の空に鰯雲。
ーコタロー、見ろ。秋津(アギヅ)飛んでら。
 空を見上げるオトウサン。アギヅはトンボのこと。

 農作業が一段落つく晩秋には庭終いの宴会。親戚や近所の人たちが集まって賑やかに過ごした。

 冬、降りやまない雪。
ーこりゃ、除けても除けても、おっつかねぇな。でもやらねば、明日クルマ動がせねえし。
ガンバるか、コタロー。

 ひばりが鳴く、ウグイスの声がこだまする。
 雉の親子が庭を横切る。
 熊が木に登り、ゆうゆうとりんごを食べる。

 いつしか、アスファルトは割れた。
 オトウサンの青いトラックにはホコリが白く積もった。

 その日もコタローはりんご畑に移動した。

 そして、戻らなかった。


『皆さん、お久しぶりです。統一暦2577年5月1日です。またお会いできました、木口弘行です。
 今日から地区ごとに一時帰宅が始まりますが、半年の期間中「ふるさとラジオ」28年ぶりの復活です。東域のみ限定での配信です。日帰りという短い時間、大切にお過ごしください。
 みなさん、おかわりはありませんでしたか? お元気でおすごしでしたか? そんなことないですね。全員避難が告げられ、いきなり故郷から去らなければなかったんですから。どれほどの苦難があったでしょうか。
 始めに……お話ししたいことがあります。
 一昨日、局に来たとき驚いたことがありました。
 かつて、各地からお天気情報を伝えてくれていたロボットたちのことです。
 ロビンはここを去る前に音信不通になりました。マリーは26年前に発生した津波以降、連絡なし。メイもそれから間もなく活動を停止したようです。
 ただ、りんご農家で働いていたコタローはつい5年前まで毎日気象データと写真を送信していました。
 ずっと働いていたようです。帰って来ない、お家の方を待っていたようです。
 ぼくは詫びなければなりません。
 避難勧告の放送をしたとき、ぼくは短期間で戻れると言ってしまった……すぐに帰れると。まるで無責任に。
 あれから二度と故郷の地を踏むことなく、亡くなったかたもいらっしゃるはずです。
 そして、マスターの命令を守り、帰りを待ち続けたロボットたちもいたのです。
 どんなに悔やんでも悔やみきれません。どんなにか謝っても、時は戻せません。どうか、このわずかな時間、故郷を目にやきつけてください。そして来られなかった同胞に伝えてください』

 コタローの最後の写真は青空のもと、りんごの枝にアームを伸ばしているものだった。
 最初で最後のキャプションが一行だけ添えられてあった。

[オトウサン・オカアサン]


『伝えてください。ふるさとは、変わらずに美しいと』
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