鉄色の星

文字数 2,135文字

 白い護謨の壁に囲まれた特殊能力試験室の中、医務課の看護師、四宮は(おもり)の準備をしていた。
 ひとつは不純物がほぼ含まれていない鉄の球体、ひとつは不純物を含まないポリエチレンテレフタラートの容器に入った精製水、そして、金属成分の混入が無いと確認されている白い紙の束。
「急に申し訳ありません」
 記録用紙を持った池田は四宮に会釈する。
「いえ、用具の貸出には問題無いですが……測定を先生ご自身が行うと言うのは、どうしてです?」
「環境による能力変動の激しい対応管補佐の方が一人居るので、看護師ではなく医師や上司が監督している状況で、どの様な能力を発揮するのかを確かめる必要がありましてね」
「まぁ、精神的影響を大きく受けるのが特殊能力ではありますが……しかし、そんな脆弱な精神で此処での任務が務まるのでしょうか。ましてや、改めて測定をするという事は、実働部隊への配置が検討されているのでしょう?」
「四宮さんの仰る事は一理ありますけれど、上司の命令によってより強い力が発揮出来るのであれば、それはとても有益な事ですから、悪い事ばかりではありませんよ」
 池田は穏やかに笑い、四宮は納得した様子で肩を竦める。
「それじゃあ、お昼には回収しますので」
「ありがとうございます」
 四宮が試験室の扉を閉めたところで、池田は安堵に溜息を吐いた。そして、こんな時ばかりは、北海と同じ様に話をはぐらかせたらどれほど良かったか、と、内心で苦笑した。
 
 女を連れた春月が二十一階に戻ったのは午前九時を過ぎた頃、背広姿の女は少し息を上がらせた様子で試験室に入った。
「制御親和性については省略しますので、まず、念力程度の確認をお願いします」
 池田にそう告げると、春月は錘の置かれた場所から少し離れて壁際に立つ。
「おはようございます」
 困惑した様子で立ち尽くす女に、池田は穏やかな声を掛けた。
「あ、あの、昨日は……」
「痛みは引いていますか?」
「い、今は……」
「なら、良かったです」
「それはそうと、その」
 女は視線を泳がせ、部屋の中央に置かれた物体を見遣る。
「これから、貴女の特殊能力について、少し調べさせて頂きたいんです。あそこに有るのは念力の強さを確認する為の錘で、金属と非金属の固体と液体、いずれも丁度一キログラムに調整されたそれを、それぞれ、念力だけで何センチ持ち上げたり動かしたり出来るのかを測定し、念力の強さを判断します。床にマーカーがあるので、そのマーカーの間に立って、持ち上げたり、動かしたりして下さい」
 池田は用具の置かれた場所を示しながら、試験内容を説明する。
「もし、試験中に気分が悪くなったり、体が痛くなったら、すぐに教えて下さいね」
「は、はい……」
 女はただ困惑したまま、部屋の中央へと進む。
 池田はその後ろ姿を見て、思わず眉を顰める。足が十分に上がらず靴底を引き摺る様に歩いているだけでなく、歩く度に体幹が動揺している様子だった。
「……それじゃあ、まずは鉄球から持ち上げて下さい。大体一メートルくらい持ち上げられたら、ゆっくりと降ろして下さい」
 女は困惑した表情のまま、小さく頷いた。だが、一向に鉄球は動かない。
「もし、持ち上げられないなら、その場から動かすだけでも構いませんよ」
 池田の言葉に視線が動き、再び女は鉄球を見る。
 しかし、一行に動く様子はなかった。
 その後、容器に入った精製水と紙の束に対しても同様の指示が出されたが、結果は同じだった。
 池田が困惑して春月を見ると、春月は女の方へと歩き出す。
「私達は一度外に出ますから、これに着替えて下さい。袴が、少し長いかもしれませんが、それは勘弁して下さい……着替え終わったら、声を掛けて下さい」
 春月は梱包されたままの稽古着一式を女に手渡し、池田の方へと向かう。
「一旦出ましょう」
 池田はやや渋い表情を浮かべながら、春月に従い室外へと出る。

 二人が外に出てから十分ほどで、稽古着姿の女は扉を開けた。そして、春月はもう一度同じ事をして欲しいと女に告げ、同じ様に壁際に立ってその様子を眺めていた。
「それじゃあ、もう一度、鉄球を念力で持ち上げて下さい。一メートルほど上げたら、静かに降ろして下さい」
 池田の指示に従い、女は再び鉄球を見た。そして、そのまま目を伏せると、鉄球が宙に浮かぶ。ただ、それはまるで池に浮かんだ紙風船の様に、床から僅かに浮いているに過ぎなかった。
「鉄球は終わりにしましょう」
 鉄の塊は、音も無く床に落ちる。
「では、水のボトルを同じ様に持ち上げて下さい」
 女は樹脂製の容器を見遣るが、すぐに目を伏せ、その視線を別の方へと動かす。
 容器は微動だにせず、中の水は一切動いていない。
「……紙の束は、どうですか」
 池田の問い掛けに、女は答えなかった。
 その意味を解し、池田は春月を見遣った。
「先生、申し訳ないのですが、一度診察室か執務室の方に、彼女を案内してくれますか? 片付けをしますので」
 春月は部屋の隅に脱ぎ捨てられた背広の残骸を見遣る。
 池田は女の方へと進み、少し聞きたい事があると診察室への移動を促した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み