第2話

文字数 2,207文字

 祖母が亡くなったのは、わたしの誕生日の翌朝のことだった。
 前の晩、ささやかなごちそうとケーキで祝ってくれた祖母。
 おやすみと笑顔で言いあって、灯りを消した。いつもの夜と同じだったのに、夜が明けたら、祖母は布団のなかで冷たくなっていた。

 近所の人たちの手を借りて簡素な弔いが営まれ、わたしは数年ぶりに母と会った。
「花菜、私のところで一緒に暮らしましょう」
 納骨が済んだお墓の前で、切り出された。
「……ここに居たい」
 精いっぱいの意思表示だった。
「一人暮らしなんてさせられないわ」
 母は目を赤くし、沈んだ表情をしていた。
「いずれちゃんと話さないといけないけど、あなたに手伝ってもらいたいことがあるの」
 仕事が忙しいので家事でも任せたい、ということだろうか。
「お友達と別れるのは、さびしいかもしれないけど」
 わたしに友達とよべる相手がいない可能性など、母は考えてもいないようだ。
「高校やめて働いてもいいから、ここを離れたくない」
 必死に言葉をしぼり出して言うと、母は泣きながらわたしの手を取って強く握りしめた。「ごめんね」と何度も謝られ、これ以上あらがえないことを悟った。

 春休みのうちに母のところに転居して、新学期から新しい高校へ通うことになった。
 ここに居られるのは三月末まで――都会は遠く、そこで母と暮らす自分を想像するのは難しい。それでも、わたしは自分の荷物をまとめ、祖母の遺品を整理するしかなかった。
 使いこんだ食器や買い置きの日用品など、片付けていると涙があふれた。古い写真を見つけ、眺めているうちに日が傾いてしまう日もあった。夜には、祖母の残り香のするカーディガンを抱きしめて眠りについた。
 そして暗闇のなかで、泣きながら目を覚ます。
 祖母が逝ったかなしみ。ここを離れるさびしさ。意思を通しきれなかった自分のふがいなさ。ユウのこと。涙の理由はいくらでもあった。
「もうすぐ……」
 ユウに逢える日が近いことだけが、わたしにとって唯ひとつの灯り。

 早く逢いたい。でも今回は、逢うのがこわい。

 祖母が裁縫箱の底に隠していた一枚の写真をみつけた。
 それを目にしたときの、まるで雷にうたれたかのような衝撃――それは、わたしのなかに眠っていた「都合の悪い記憶」が目を覚ましたことによる衝撃だった。

 もし、わたしが思い出した全てを話したら、ユウは何と言うだろう?

 遠くに引越すのだと言ったら、どんな顔をするだろう?もう逢いに来れないかもしれないと告げたら、さびしがってくれるだろうか?かなしいと思ってくれるだろうか?
 ユウを憂い顔にさせたくないと思う一方で、わたしのために涙を流してくれるのを望む自分がいた。

「そろそろ迎えに行くわ」
 彼岸に入ると母から電話がきた。
「ちゃんと顔を見て話したいことがあるの。大事なことよ」
 記憶がよみがえったことで、わたしは察することが出来た。
 たぶん父のことだろう。祖母が語らなかった父の死の真相……そしてきっと、ユウのことも。
 その夜、わたしは祖母の布団にくるまって泣き明かした。
 母がどうして会いに来なかったのか、今ならわかる。わたしは母にあいされていないかもしれないけれど、それを特別つらいとは思わなかった。
 それよりも、もしユウに「逢えなくても平気」と言われたら、そのほうがずっとつらい。彼が姿を現してくれるのは、わたしをあいしているからだと思いたかった。

 たとえそれが、わたしが望むかたちの愛ではなかったとしても。



「遅くなってごめん」
 その日、ユウは朧な月が昇りはじめるころ闇から浮かびあがった。
 かすかに白い霞みのようなものが、細長いシルエットに変わり、そこから抜け出すように姿を現してくる様子が、ひどく幻想的だった。
「今年も会えてうれしい」
 ユウは夜目にも紅い唇でやさしい言葉をささやく。
 白いシャツ、手には小さな黄色い花束。いつもと変わりないいでたちだが、ユウは前の年より大人に近くなっていた。

 生身の人間のような存在感をもちながら、生命活動の痕跡がない。肌に温もりがあっても、吐く息から命の匂いはしない。

 それでも、わたしはユウをあいしているのだと、そう思い知らされて泣きたくなった。
「わたしも逢いたかった」
 三日月のようにやさしく細められた切れ長な目を、わたしはじっと見つめる。
 こんなに特徴のはっきりした目なのに、どうして思い出さなかったんだろう?

 祖母が隠していた写真のなかに、別人のように明るく笑うわたしとユウがいた。二人とも幼いとは言えない年齢で、最初に墓地で逢ったときとそう変わらない姿だった。
 その写真を見た瞬間、わたしのなかでぐるりと世界が転換するのを感じた。
 父はどうして死んだのか。わたしが誰にも尋ねなかったのはなぜなのか。
 友だちは「出来ない」のではなく、望んで「作らなかった」のではないか。「真実を知らされたくない」という卑怯な気持ちが、わたしのなかにあったからではないのか。

「ずっと忘れてて、ごめんね」
 口にするのはつらい。だが、黙っているわけにはいかなかった。
「お兄ちゃん」
 三日月の目がゆっくりと潤んでいく。
「思い出したの?」
 ユウは静かに口をひらいた。
「お父さんが僕を殺そうとしたことを」
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