第1話

文字数 908文字

 俺は、そっと赤姫(あかひめ)の部屋に忍び()った。幸い、青鬼(あおおに)は外で居眠(いねむ)りをしている。寝る時にわざわざ外へ出るのだから、ヘンな奴だ。もっとも、おかげでこうして夜這(よば)いができるのだが。

 赤姫は、その名の通り赤い(ころも)(からだ)(まと)っている。
 ことが終ると、俺は何事もなかったように、さりげない(ふう)煙管(きせる)に手を伸ばし、(おもむろ)に一服つける。
 俺の口から吐き出された煙は、宙に輪を描く。その輪に赤姫が指を通して、きゃっきゃと笑う。
 しどけない姿ではしゃいでいる赤姫を、俺はつまらなそうに眺めている。いっぱし遊び慣れた若旦那みたいに。
「ねえ、あたいの軀、すき?」
 赤姫の顔がいきなり近づく。俺は〝への字〟にした口の端から、わざと煙を相手の顔に吹きつけてやる。
「ねえ、ねえ、ねえったらさ……あたいの軀すき?」
 軽く()き込みながら、赤姫が仔猫みたいに自分の顔を()りつけてくる。
 
 男好きの女には珍しく、肌が荒れていない。いつも纏っている赤い衣を()ぎ取れば、ちょうどよく(あぶら)の乗った、抜けるほど白く滑らかな肌が(あら)わになる。触れればしっとりと(てのひら)に吸いつき、しかもツボを押さえれば、()ね上がるような弾力がある。汗をかけばその白い肌が一面、桜色に染まるのだ。その汗には独特の強い芳香がある。
 とにかく、俺は赤姫の軀に酔うている。
「よさねえか、煙管(きせる)火玉(ひだま)が落ちてやけどするぜ」
 俺は眉を顰め、顔を引き離そうとするが、赤姫は逆に両腕を俺の首に巻きつける。頬ずりをしているのか、口づけをしているのかわからない、一種奇妙な愛撫(あいぶ)が続く……。

 梯子段(はしごだん)跫音(あしおと)が響く。俺は、はっとする。
 しまった。長居(ながい)が過ぎた。赤姫の顔もさっと(あお)ざめる。
「青鬼が戻って来たわ。どうしましょう!」
 俺は慌てて着物を身につけかけ、いや、とにかく逃げるのが先だと気づき、色男も形無(かたな)しの周章(しゅうしょう)狼狽(ろうばい)ぶりで窓から飛び降りる。庭の木々の、密に繁った葉がゆらゆら揺れていた。

 ……気がつくと、俺は(くわ)え煙草で、ぼんやり水槽を眺めている。水底の、人の部屋の形にしつらえた陶器の飾りの(かげ)に、小さな赤い金魚が一匹、あわれげな風情で、しどけなく(ひれ)を動かしている。

 もう一匹の、一回り大きな青い金魚が、じっと真正面から俺を睨んでいた。
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