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 学生としての最後の夏休み、テツヤは仲間たちから誘われた自主制作参加を断り、ただ何もせず部屋にいた。このまま進路が定まらなくても、故郷東北の実家に帰るつもりは無かった。六畳のワンルームは机と本棚、そしてシングルベッドを置いたら他に足の踏み場も無かった。壁は薄く、隣室の物音が手に取るようにわかる。いつもミライとのセックスで、ベッドがきしむ音が漏れているのはわかっていた。時々、夢中になって、声を上げそうになるのを堪えねばならなかった。深夜まで抱き合って激しく揺れている時、隣室から、初めは静かにコンコンと、やがてガンと一発壁を叩く音がして、二人はよく顔を見合わせたが、それも初めのうちで、慣れてしまえばさほど気にならなくなった。
 この日も、山口の実家には帰省せず、劇団の稽古とボイスレッスンとを済ませたミライと新宿で待ち合わせ、ミライの希望で焼肉を二人で食べた。ゆったり座れるボックス席に専用の炭火焼コンロがあり、各テーブルごとに排煙フードが付いている。隣の席との境が緑で遮られ、こじんまりとして落ち着いた雰囲気の店だった。ミライは細い体に似合わず、よく食べる。
「今度ね、ある有名劇団のオーディションを受けることにしたの。今いる素人劇団ではなくて、プロの劇団」
「へえ、凄い、受かるといいね」
 ミライが劇団の所属俳優の名を挙げた。
「そんなに簡単なものではないのよ、すっごく難しいんだから」
 窓に映る自分と目を合わせる。
「でも、きっとダメだろうなぁ、ああ、私の人生、花開かないかなぁ」
 思わず溜息が漏れた。
「大丈夫、ミライならいけるよ」
「そうだといいんだけど、何だミライのオーディションで人生が決まってしまう、そんな気がするのよね。もう、女優になる人なんて、努力とか、そういうんじゃなくて、初めから決まっているというか、オーディション受けた時に、ビビッと伝わるオーラがあって、受かる人は一発で受かるような気がするのよね。私がそうであればいいんだけど」
 少し飲み過ぎたのか、いつもより顔を紅くしながら、時折、力無く微笑み、珍しく弱音を吐いた。
 店を出て、もう一軒知っているショットバーに誘ったが、ミライは少し疲れたから帰ろうと言った。新宿から京王線で調布まで行き、そこから酔い覚ましに歩いてテツヤの部屋へ向かった。夜の十一時過ぎ。途中、いつものコンビニエンスストアで飲み物とつまみ、それといつもの避妊具を買った。
「夏休みは帰省しないの?」
「帰らないわ、だって私、忙しいんだもの」
 テツヤは何か言いかけて、口をつぐんだ。
「なあに?」
 好奇心に溢れた瞳が揺れている。
「夏休みの間だけ、僕と一緒に暮らさないか?」
 瞳の奥を覗き込んだ。そして、しばらく無言のまま歩き続けた。自転車に乗った若い男女が二人でじゃれ合いながら通り過ぎた。
「いいわよ、でも、どうして?」
 急に気恥ずかしくなり、
「だって、いちいちミライも部屋に帰るの面倒だろう?」
 道端の街灯を見た。蛾がはためいて、電灯の周りを旋回し、コツンとガラスにぶつかっている。
「確かにそうね、面倒よね」
 コンビニエンスストアの袋をぐるぐると回した。京王線の特急電車が通過して、踏切が鳴っている。
「これって、何かの練習?」
「何かって?」
 今度は逆にミライの方が恥ずかしくなり、首を横に振った。
「いいの、気にしないで、着替えは明日取って来るから」
 部屋の扉を開けると、日中に温められた空気が淀んでいた。額には汗が浮き、首筋が濡れている。
「この部屋、テツヤくんのにおいがする」
 玄関の明かりをつける。
「暑いね、今すぐエアコン入れるから。クーラーつけっ放しにして部屋を出ときゃよかった」
「いいのよ、勿体無い、私は平気。さぁ、飲み直しましょう」
 缶チューハイを開けた。ミライは甘いカクテルを口にした。部屋は二人で住むには狭かったが、例え広い部屋があったとしても、きっと狭いベッドで一日中過ごしていたに違いない。丸テーブルの上に酒とつまみを置き、二人はベッドの上で軽いキスをした。いつもなら、キスはそこそこに交わろうとするのに、今日は丁寧にキスをしてくれる。それを見て、ミライは急にテツヤが愛おしくなった。
「もっと強く抱いて」
 唇を強く吸う。互いに舌を絡ませる。履いていたジーンズがきつくなって、ベルトを一気に外し、脱ぎ捨てた。スカートをたくし上げ、そのまま左手を下着の中に滑り込ませると、指先が濡れた。
「ちょっと、待って」
 するりと下着を脱いだ。シャツを脱がせ、薄いピンク色のブラジャーだけを身に着けたミライが目の前にいた。胸元に顔を埋め、そのブラジャーと汗ばむ肌の匂いを嗅いだ。下半身が熱くなり、激しく脈打った。最後の一枚を丁寧に外し、陽焼けした小麦色の肌とは対照的に、白く透明感のある膨らみが揺れた。その膨らみの先の硬くなったものを口に含む。するとミライが仰け反るようにして喘いだ。張りのある少し筋肉質の引き締まった裸体は美しく、それでいて膨らみは柔らかい。腰のくびれをなぞると、吸い付くような木目細かい肌が、うっすらと紅みを帯びていた。そしてやはり茂みの奥は魅惑的で、触れているだけで、愛しくて、愛しくて、たまらない気持ちになる。茂みの奥は濡れていて、深い海の底にゆらゆらと沈んで行くような錯覚におそわれた。もう、どうなってもいい。
「来て」
小声で呟いた。まるでアーモンドの粒のような女性器が、小麦色の肌の隙間から覗いている。両脚を抱え、目を閉じた。テツヤは耐え切れなくなって果てた。そのままミライに覆い被さって体を密着させる。片肘をついてミライを見ると、目を閉じて肩で息をしていた。額に汗が浮いている。
「凄い汗」
「ちょっと、シャワー借りるね」
 ミライが立ち上がり、浴室へと消えた。テツヤは全身に力が入らず、自ら果てたものが溜まった濡れたゴムを、ティッシュペーパーで包んで捨て、またベッドに倒れ込んだ。目をつむると、水が滴る音がした。耳の奥でさらさらと重なり合うようだった。その時間がとても長く感じられた。その間に、何の前触れも無く、自分が映画作りの仕事に就くことは無いだろうと悟った。幼い頃から感じていた、また何かが消え、興味を失いかける瞬間。ただこの時は、自分が何を『失いたがっている』のか知る由も無かった。
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