本編

文字数 9,911文字

 恋愛物ドキュメンタリーを見るのは好きだけど、私ではない遠くの世界の話だと思っていた。
 だってテレビで格好いい人が出てきたって学校に行ってもその人はいないし、今をときめくイケメン俳優が電車に乗っていたって、毎日乗る満員電車にイケメン俳優はいない。
 だからここではない別世界。私とは関係ない遠くの話。これはテレビ、スマートフォン越しでしか見られないもの。

「恋ステ、新シーズンかあ」

 現実はバイトの休憩中。スマートフォンで恋リア動画を見ていた時にコマーシャルが入った。『恋する週末ホームステイ』の新シリーズが始まるらしい。どこか遠くの話だ、なんて言いながら視聴予約のボタンをポチッと押しちゃう。来週火曜日だから忘れないようにしなくちゃ。
 私も高校三年生だからコマーシャルに出てきた六人の高校生と同じ――だけど、スマートフォン越しで見ているってだけで別世界に思えちゃう。フィルター一枚挟んでいるみたいに。
 恋リア動画を見終わったら今度はショートムービーのアプリ。これも今流行っているやつで、音楽に合わせて口パクで踊ったり変顔をしたり。

「今日の紫音(しおん)は……あ、公開されてる」

 アプリを開くとお気に入りの動画配信者が新着動画をあげていた。新作は紫音が踊る動画。歌っているふりをしながらキレキレのダンス。今回使った曲は私もお気に入りの曲だから、同じものを好きみたいな気がして嬉しい。
 何度も再生しているうちに休憩時間が終わった。慌てて片付けて店内に戻る。

 恋ステとかキラキラする恋愛はやっぱり憧れる。でもそれは画面の中だけであって、現実はこの通り。肉まん補充して商品の整列をして――やることを頭に入れて、ため息をつく。キラキラなんてほど遠い。鏡に映るコンビニの制服は悲しいほどダサい。流れる音楽だってレジの電子音で。

「五五〇円になりまーす」

 ペットボトルのミルクティー。そういえばこの時間いつもミルクティーを買う人がいる。

「袋わけて」
「ミルクティーだけ別の袋でしょうか?」
「そ。小さいレジ袋欲しいんだよね」

 別にいいけど、それなら袋詰めする前に言ってほしかったな。その作業をしていると今度は。

「レシートいらない」
「かしこまりました」
「あ。君の名字、白野(しろの)って言うんだ」

 何言ってんだこの客。うんざりしながらちらりとお客様の顔を見上げる。黒マスクとキャップを着けているからよくわからないけれど、目元はどこかで見たことあるような。
 住宅街にあるコンビニといえ客層はなかなか。テンション高めの高校生や大学生、あと夜は酔っ払いのサラリーマンもいて、たまにこうやって店員に絡んでくる変な人もいる。
 今回の人は若いと思う。高校生ぐらいかな。男の子で、背がすらりと高いから威圧感があった。

「ねえ、シロちゃんって呼んでいい?」
「……五五〇円になります」
「無視しないでよー」

 これ以上ひどくなったら店長を呼ぼう。毅然とした対応を続けるうちにお客様はお金を払って去った。この時間に来てミルクティーを買う男の人には気をつけなきゃ、気持ちを入れ替えてバイトしないとね。


 次にきたお客様はおばあちゃんだった。この近くに住んでいる人らしく顔も覚えちゃった。穏やかな優しい人で、会えると嬉しくなる。

「お久しぶりです。怪我、大丈夫でしたか?」
「ええ。ようやく治ったの。年取ると怪我の治りが遅くてだめね。あの時は助けてくれて、本当にありがとう」

 今日の話題は、おばあちゃんがコンビニを出た時に自動ドアの前で転んでしまった時の話だった。あの時は運良く転ぶ瞬間を見ていてすぐに駆けつけたけれど、ここの入り口は転びやすいから大変だ。

 変わったことなんてない。テレビに映るのは別世界のお話。恋リアなんて自分には関係ないんだ。
 だって私は、普通だから。


***

 事件が起きたのは数日後のこと。バイトが終わって二十二時前、コンビニを出て家への道を歩いていると後ろからガラガラと引きずるような音が聞こえた。何の音だろうと振り返れば、そこにいたのは旅行用キャリーバッグを引いた背の高い男の人。
 これからどこかに出かけるのかな。明日から土曜だし旅行に行くのかも――とその人物の顔を改めて見た時、気づいた。

「もしかして紫音(しおん)さん!?」

 何度も動画を見ているから気づく。あの髪型、顔。特徴的な服のアイテムもそのまま。まるでスマートフォンから飛び出してきたかのように。
 すると彼は目を丸くしてこちらを見ていた。

「君、俺のこと知ってるの?」
「はい! あの口パク踊ってみた動画とかゲーセンクレーンゲームチャレンジとか好きで何度も見てます!」
「わ、嬉しい。めっちゃ見てくれてるじゃん。いつもありがと」

 その人はふわりと微笑んでいた。
 私はというと心臓がばくばくと騒いで、頭は真っ白。ファンでいつも見ている、応援しているって言いたいのにうまく喋れない。声かけていいのかさえわからない。あの紫音がここにいることが嬉しすぎて、握手とか写真とかそんな発想は二の次だ。

「ゆっくり話したいけど、これから『旅』なんだよね」
「そうなんですね! 新作動画楽しみにしてます」
「動画……うーん。ちょっと違うかも」

 ってことはショートムービーのアプリじゃないってことかな。紫音の動画って他の配信アプリで見れたかなあ。考えていると紫音が再び口を開く。

「ね、恋ステって知ってる。恋する週末ホームステイ」
「見てます。面白いですよね。あんな恋愛に憧れるけど別世界っていうか……」
「ふうん――あ、ごめん。時間だ。続きは

ね」

 そんな簡単に会える人じゃないと思っていたのは私だけで。紫音は見せつけるようにペットボトルを振る。どこかで見たラベル。そのミルクティーって確か。
 瞬時に思い出した。いつも同じ時間、ミルクティーを買うあのお客様。

「またね、



 答え合わせのように名を呼んで、紫音は歩き出す。キャリーを引く音がどんどん遠ざかっても私はぽつんと立ち止まっていた。
 私をシロちゃんなんて呼ぶのは一人だけ。同じ時間に来てミルクティーを買う馴れ馴れしいお客様だけで。

「つまりあの変なお客様が紫音さん……?」

 大好きな動画配信者とコンビニの要注意迷惑客が同一人物なんて、誰が想像しただろうか。嬉しい気持ちと嫌な気持ちがごちゃ混ぜ。最高と最悪がいっぺんにやってきた気分。

***

 これだけだったらまだよかったのに。

『今週の恋ステは――三日目に追加メンバー登場!』

 火曜夜の日課となっていた恋ステを見ていた時、キャリーを引いてやってきたその人物に飲みかけのミルクティーを吹き出しそうになった。

『追加メンバーのシオンです。みんなよろしくね』

 唖然とするしかない。コンビニの変なお客様で、憧れの動画配信者で、恋ステ参加者。どれも紫音だ。『動画配信者のシオンだ!』『現物の方が格好いい』と恋ステに参加している子たちが話している。液晶に映し出される紫音は柔らかく微笑んでいて、コンビニで会った時のようないたずらっ子の顔はしていない。
 いつも別世界のように感じていた恋ステの世界が急に近づいてきたような、不思議な気分。

***

 再びの接触は恋ステ放送を見た翌日のことだった。
 また同じ時間にキャップをかぶった男の人がやってくる。手にはいつものミルクティー。陳列のために菓子棚の前にいた私の隣に並んで、彼は着けていた黒マスクをずいと下げた。『俺のこと覚えてる?』と言いたげな仕草だ。

「ね、今週の恋ステ見た?」
「……」
「前はあんなに『紫音さんの動画見てますぅ』なんて尻尾振ってたくせに、今日は無視?」
「……」

 今日は『シロちゃんと呼んでくる迷惑なお客様』の紫音だった。憧れの人が隣にいる喜びはもちろんあるけれど複雑。どう反応しようか迷っているうちに紫音は並べたばかりのお菓子を手に取る。

「お仕事熱心なシロちゃんのために……はい」

 何をするのかと思いきや、手に取ったお菓子を再び棚に戻す。といっても元あった場所と違うところ。人がせっかく並べているのに横から邪魔するなんて、何考えてるんだこの人。

「迷惑です」
「やっと喋ってくれた。じゃあもっかいやろうかな」
「やめてください」

 それでも紫音はやめてくれない。他のお客様がいないからいいものの、タイミングによっては店長から怒られそうだ。
 きりっと強くにらみ返すと、紫音は意地悪い瞳をすっと細めて笑った。

「聞いてよ。俺、恋ステに参加しててさ。シロちゃんに放送を見てほしいんだよね」
「よかったですね」
「それだけ? 放送見てくれないの?」

 無視していると、またしてもお菓子の箱を取られた。違う場所に置かれてしまったので元の位置に戻そうと手を伸ばした時――耳元に何かがくすぐった。

「俺、誰かに恋しちゃうかもよ?」

 囁かれている、と気づいて飛び退く。慌てて逃げた私の様子に紫音はくつくつと笑っていた。

「わ、顔真っ赤じゃん」
「……やめてください」
「わかったから怒らないで。大人しくいつもの買い物して帰りまーす」

 諦めたようにため息をついて紫音は去っていく。他の棚に姿が隠れる前、こちらを振り返って言った。

「来週の恋ステ、見てね」
「見ません」
「俺が出てるのに?」
「見ませんから!」

 と言い返すけれど紫音はさらりと手を振って去ってしまった。
 まだ耳や頬には熱が残っていてなかなか冷めてくれない。勝手に耳元で囁くとか、最低な人。紫音なんて嫌いだ。


 と思っているのに、癖で見てしまうのが恋ステ。紫音が嫌だからって見ない理由にはならず、他の子たちの恋がどうなるのか気になっていた。
 今回の女子メンバーでもとびきり可愛い子が桃希(ももき)。雑誌でもよく見かける読者モデル。桃希とセイジがいい関係になりかけていたところで追加メンバーのシオンが登場してしまったのだ。シオンとセイジが桃希を奪い合っていて、来週も見逃せない――けれど。

『第一印象は桃希だよ。もっと話してみたい』

 スマートフォンから聞こえてくる紫音の声。コンビニで見るような意地悪な笑い方じゃなくて、格好いい微笑み。恋ステを見ろと言ってたのは紫音なのに。他の子と2ショットしている場面はなんだかイライラする。

***

 バイトが終わってコンビニを出る。家に向かってとぼとぼ歩いていると、住宅地の小さな公園のブランコに誰かが座っていた。誰だろうと気になったけれど不審者だったら怖いからあまり見ないでおく。そうして通り過ぎようとしたところでブランコの主が声をあげた。

「こんばんわ、シロちゃん」

 その人物はブランコから軽快に飛び降りてこちらに向かってきた。

「……紫音さんですか」
「そ。シロちゃんこの近くに住んでるんだ? 俺は隣駅だよ」
「隣駅なのにどうしてここにいるんですか?」
「何ってシロちゃんに会いにきたんだけど」

 なんだそりゃ。呆れてため息をつくも、うんざりとしたこの気持ちはミリも届いていないらしい。公園の柵に座ってカバンからいつものミルクティーを取り出している。またそれを飲むのかな。

「それ、好きですね」
「うん。甘くて美味しいでしょ。練習終わりにコンビニで買って、ここで飲むの」
「だから同じ時間にコンビニに来ていたんですね」
「そうそう。シロちゃんに会えちゃうし一石二鳥」

 さらっと軟派なことを言ってしまうのはすごいけれど、どう反応するべきか困ってしまう。悩んだ末、流しておくことにした。隣にもたれかかって、私も飲み物を出す。

「シロちゃんも同じの飲んでる。おそろいじゃん」
「あんなに買い続けてるのを見たら気になっちゃうじゃないですか。これ美味しいですね、ちょっと甘いけど」
「やった。シロちゃんと気が合う」

 こく、と一口飲んで「確かに甘いね」と紫音が笑った。恋ステと違う、ちょっとずるい微笑み方だ。直視していられなくて目をそらすと、紫音が言った。

「ねえ、恋ステごっこしようよ」
「恋ステごっこ?」
「そう。今は俺と2ショットしている時間――第一印象で気になった子って誰? 恋ステ見ていた時、どの男の子が気になった?」

 と言われても。別世界の話だと思って傍観者のような感覚で見ているから気になる子ってのも難しいし、紫音が出てからは紫音ばかり見ている。それを明かせばこの人はまた私をからかうのかな。紫音が望む展開にはさせないぞと意地になって嘘を吐いた。

「リョクかな」
「へえ。シロちゃんの好みってあのタイプなんだ」
「好みとは違う気もしますけど……紫音さんは?」

 どうせ紫音は桃希だろう。だって番組でも言ってたし。けれど次にその唇が動いて紡がれたのは想像と異なるものだった。

「俺はね。雨の日が始まりだった」

 第一印象の話どこいった。とツッコミたくなるけれど隙はなく、どこか楽しそうに紫音は続ける。

「事務所から連絡がきて恋ステ参加が決まったと聞いた夜だったんだ。コンビニ前を通りがかったら、おばあさんが転んだ。怪我していたと思う。駆けつけようか迷っている間に、店員ちゃんがコンビニから出てきておばあさんに声をかけていたよ」
「……あ」
「誰かのためにひたむきになれる、優しい子だと思った。この子に近づきたいって強く思った」

 覚えてる。だってその時のコンビニ店員って私だもの。
 お会計終わったおばあさんが店の外に出てすぐに転んでしまったこと。自動ドアが閉じる前に転ぶところが見えたから、慌てて駆けつけたこと。それらを紫音が見ていたなんて知らなかった。思い返していると、こちらを覗きこんだ紫音がにいと口元を緩めた。

「覚えがあるでしょ? つまり第一印象はシロちゃん。いま、ちょっと悩んでるけどね」
「悩むって、私と桃希で?」
「そう。俺が気になっている子はその二人」
「……からかうのはやめてください。紫音さんは恋ステに参加してるでしょ、私は参加していませんから」

 もうすぐ紫音は恋ステで素敵な相手を見つけるのだと思う。普通すぎる私とは違う世界を生きている。けれど紫音は首を横に振った。

「からかってるのはシロちゃん

でしょ。さっき嘘ついたくせに」
「嘘ついてません」
「俺は騙されないよ。さっき『第一印象はリョク』って嘘ついてた」

 確かに嘘はついたけれど。どうしてそれに気づいたのかと驚き、息を呑む。そのわずかな仕草を紫音はちゃんと見ていたらしい。にたりと笑ってから、私の耳元に唇を寄せた。

「本当は俺でしょ?」

 何するんだこの人。飛び退いて距離を開ける。鼓動は急いて顔も熱い。紫音を強く睨みつけようと思ったけれど――

「認めなくても嘘でもいいから、今は『俺』って答えてよ」

 寂しそうな顔をしていたから、言い返すなんてできなかった。
 ずるい。紫音がわからない。コンビニで、ショートムービーアプリで、公園で、恋ステで。色んな場面で見る紫音がバラバラだから、どれが本物なのかわからなくなる。

***

 その後からも帰り道に紫音を見かけることが増えた。コンビニにも相変わらず来ていつもの飲み物を買う。
 そんな日々が続いた金曜日。バイト終わって帰る時のこと。

「シロちゃんみーっけ」

 コンビニを出てすぐの道路。ガラガラと引きずる音と共に名前を呼ばれて振り返れば紫音がいた。

「……キャリーってことは、」

 夜に旅行用キャリーバッグを引いてどこかへ向かっている。頭の中でカレンダーを探し、今日の曜日を確認しようとしていたところで紫音が答えた。

「これから恋ステ。明日から週末でしょ」

 それを聞いて胸がずきりと痛んだ。この週末、紫音の隣に誰かが座る。きっと桃希だ。
 あの番組は別世界のようで、あたしはただの視聴者で。だから関係ないはずなのに、桃希が羨ましいと思ってしまう。一緒にいられる。一緒に旅ができる。
 もしも紫音が恋ステで桃希に恋をしてしまえば――この現実に戻ってこない気がした。

「なんでシロちゃん泣きそうなの?」
「ち、ちがいます! 泣いたりしません!」
「まあいいや。時間ないから、またね」

 悔しい。羨ましい。そんな気持ちが胸中を渦巻く。この感覚は何だろう。
 遠ざかっていく姿とキャリーの音。彼と私の生きる世界が違うような、寂しい金曜の夜だった。

***

 火曜日の夜。恋ステの放送が始まった。
 桃希を巡ってセイジと紫音が争っている。二人とも桃希と2ショットをして、桃希はというとどちらのことも好きだから選べずに悩んでいた。
 夜景の見える展望台にのぼった紫音と桃希が、仲よさそうに話している。それを見ているだけで胸の奥が締め付けられたように苦しい。

「いいなあ……」

 別世界だと思っていたものを、こんなにも羨ましいと思ったことはなかった。あの場にいることができたなら。私が参加していたなら。
 考えれば考えるほど辛くなって顔を背ける。今日は見るのをやめようかとスマートフォンに手を伸ばした時、ちょうど番組は終盤にさしかかっていたのか次週予告がはじまった。

『提出された告白チケットは二枚。次週、告白するのは誰なのか。三角関係の行方は』

 流れから行くと、セイジか桃希、紫音のうち誰か二人が告白するのだろう。

「紫音……告白するのかな」

 憂鬱な気持ちだった。
 こんな気持ちになるのなら紫音と知り合いたくなかった。恋ステだって見たくなかった。



 翌日も気持ちは沈んでいてバイトにも身が入らなくて。ぼーっとしていると、レジカウンターに何かが置かれた。見覚えのあるミルクティーが二つ。紫音だ。

「シロちゃん、元気ないね」
「……どうも」
「ちゃんと寝てる?」
「それなりに」

 考えごとばかりして眠るのが遅くなったなんて口に出せず。私はミルクティーを袋に詰める。

「桃希に告白するんですか?」

 作業しながら、つい聞いてしまった。どうしても気になっていたから止められなかった。

「なんだ。シロちゃんも恋ステ見てるんじゃん――どうだろうね。シロちゃんはどうだと思う?」
「わ……かりません」
「嫌なら嫌って言ってよ」
「私、恋ステ参加していないので」
「参加していないと恋しちゃだめ、なんてルールはないでしょ」

 それは紫音の言う通り、だけれど。
 恋ステに出てくる子たちはみんなキラキラしていて、モデルをしていたり、SNSで話題の子だったり、芸能事務所に入っている子たち。鏡を見ても輝いていない、ごく普通の平凡女子な私があの世界と交わることはない。所詮ただの視聴者、恋愛ドラマの傍観者だ。

「そういえばシロちゃんは、恋ステのことを別世界だって言ってたね」
「……はい」
「俺も別世界? 今、君の前にいる紫音は現実じゃない?」

 聞かれて、答えられなかった。現実だけど。恋ステで見る紫音は別世界の人で。
 私の沈黙を察したのか紫音がお金をカウンターに置く。ようやく彼が口を開いたのはお会計を終えての去り際だった。

「俺、誰かに恋しちゃうかもよ?」

 自動ドアが開いて、彼の姿を飲みこむ。ドアが閉まればもう紫音を見ることはできなくなっていた。
 胸が苦しい。誰かに恋をする。紫音が桃希に恋をするのなら。
 からかってくる姿も、悪戯っぽい笑顔も、恋ステや動画配信でのスマートでクールな表情もぜんぶ遠ざかる。ぜんぶが別世界になる。


 店長に休憩をもらって、コンビニを出る。今なら走れば、まだ追いつけるはずだから。
 コンビニの制服は着たまま。可愛い高校の制服でもおしゃれな私服でもない。けれど構わない。走って、彼を探した。

「紫音さん!」

 ようやく彼に追いつき名前を呼ぶと、その姿が振り返る。

「シロちゃん追いかけてきたの? バイトは?」
「て、店長にお願いして……休憩もらいました……息切れする……」
「大丈夫? 俺のミルクティー飲む?」
「も、もらいます」
「……うわあ。一気飲みしてる」

 体育の授業だってこんなに全力疾走しなかったかも。とにかくそれぐらい慌てて走っていたから喉も乾くもので。ミルクティーの甘さが体にしみる。こんなに美味しい飲み物だったなんて。

「で、話があって追いかけてきたんでしょ?」
「……桃希に告白してほしくない、です」
「どうして? 理由も教えてよ」

 ここまで来たら引き返せない。手をぐっと握りしめて、正直に伝えた。

「紫音さんが好きです。だから恋ステに行かないで」

 言い終えると、紫音は嬉しそうに目を細めて「うん」と頷いた。

「ありがと。俺もシロちゃんが好き」
「え……じゃあ……」
「両思い記念にいいことを三つ教えてあげる。一つ、恋ステの収録はとっくに終わっているんだよ」

 その言葉を聞いて、さあっと血の気が引く。
 ということは『次週二人が告白』の部分はすでに終わっているということ。紫音は桃希に告白した後で二人は付き合っているのかも。最悪の予想が頭を巡って体が動かない。

「シロちゃん、フリーズしてるよ」
「だって……終わってるってことは告白済ってことですよね」
「まあまあ話を聞いてよ。二つ目、撮影ないくせにキャリーを引いて君の前を通り過ぎたのは俺の作戦。そうしたら恋ステをリアルタイムに感じて、シロちゃんも焦ってくれるかなって」
「はい? 作戦?」
「三つ目。わざと同じ時間、特徴ある買い物をしたのも作戦。まさか君が俺の動画見てると思わなかったから、あれはめちゃくちゃ嬉しかった」

 作戦だのとっくに撮影終わっているだの、理解が追いつかない。

「ちょっと待ってください。作戦ってそれ……何が本当なのかわからなくなります」

 聞くと紫音は微笑んだ。

「恋ステ参加が決まった日コンビニの前で君を見つけて一目惚れした。君と知り合いたくて作戦を立てた。これが現実(リアル)

 どこからどこまで作戦なのかわからなくなる。混乱している私の手を握って、紫音は続ける。

「来週、一緒に恋ステを見よう。それで答え合わせになるから」

 恋ステの紫音、コンビニの紫音、動画配信の紫音。全部、本当の紫音なのかもしれない。繋いだ手は温かいから現実だと思う。きっと。

***

『ごめん。俺は桃希と付き合えない』

 火曜日。恋ステ最新話では、予告通り二つの告白があった。告白チケットを使ったのはセイジと桃希。セイジは桃希に、桃希は紫音に告白をしていた。けれど紫音は桃希の告白を断っていた。

「どうして断っちゃったんですか?」

 せっかく桃希から告白されたのに、と付け足して聞くと真後ろに座っていた主が「んー」と気まずそうに答えた。

「桃希って、ミルクティー嫌いなんだってさ」
「え? それだけ?」
「俺、同じ物を一緒に楽しんでくれる人がいいんだ。慌てて走ってきたからって、俺のミルクティー一気飲みしちゃうような子」
「あの時は本当にすみませんでした……」
「いいよ、二本買ってたから気にしてない。よく考えて、俺が付き合いたいのはシロちゃんって気づいた。だから作戦を立てたんだよ」

 恋ステの収録はとっくに終わっているなんて知らず、キャリーを引いて歩いていたから収録があるのだと思い込んでしまった。紫音が仕掛けた罠に、私はまんまとそれに引っかかってしまったのだ。
 でもそれがなかったら、紫音への気持ちにちゃんと気づけなかったと思う。あの時だけは傍観者の私も、恋ステに参加している一人のような気持ちだった。弾かれるように走って紫音を追いかけたあの瞬間は、私なりの恋ステだったと思う。

「俺、幸せだよ。シロちゃんと一緒にいられる。今日も明日も、シロちゃんに恋してる」

 スマートフォン越しに見ていたはずの紫音は現実にいて、隣にいて、実物の紫音の手はこんなにも熱い。見上げると彼は嬉しそうに微笑んだ。
 恋に制限なんてない。傍観者だって巻き込まれる。
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