第11話 決戦

文字数 5,389文字

シーガルズは日本シリーズ第4戦、第5戦を落として、2-3とミリオンズに王手をかけられた。
 雅美が抜けた中継ぎ陣のせいではない、中継ぎ陣は無失点で切り抜けている。第4戦は第1戦に先発したエースの佐野が早い回につかまり、中継ぎは踏ん張ったが打線が追いつけず敗戦、第5戦は終盤まで1点リードを守って林に繋いだのだが、その林が2ランを浴びてサヨナラ負けを喫したのだ。
 

 そして、雅美が戻ってから3日後、寮に松田が戻って来た。
「どうだ? 調子は、疲れは取れたか?」
「うん、午前中にランニングと軽いキャッチボールしかさせてくれないんだもん、午後はテレビで試合見て、後はゴロゴロしてただけ、元気いっぱいよ」
「連敗しちゃったよ」
「明日、明後日勝てばいいのよ」
 松田はこの2試合は出番なしに終わっている、リードされた展開、延長戦も念頭に置かなければならない状況だと守備固めとしての出番も回ってこないのだ。
「明日からまたブルペンに入るから、お願いね」
「ああ」
 当たり前だ、雅美が投げないことには松田も出番がないのだから。

 翌日の第6戦、ホームに戻っての試合は、シーガルズが序盤に一挙5点を挙げ、その後も小刻みに加点して引き離して行く展開。
 雅美はブルペンには入ったが、出番はやって来そうにない。
 それは林も同じ、並んで投球練習はしたものの、ウォームアップと言うより明日に備えての調整だ。
 終盤、9-3となったところで松田が守備固めに呼ばれて行ったので、雅美もブルペンのベンチに腰を下ろした、すると林も隣に腰を下ろした。
「調子は良さそうだな」
「はい」
「俺もちょっと肩が張っていたんだ、サヨナラホームランをそのせいにはしないけどな、でも昨日、今日と肩を休められてラッキーだったよ」
「決戦は明日ですね」
「ああ、二人で締めくくろうな、今シーズンを最高の形で」
「はい、1年目からここまで来られるとは思いませんでした、林さんのおかげです」
「大したことはしてないよ、ちょっと気付いたことをアドバイスしただけだ……ところでさ」
「なんでしょう?」
「明日の先発は誰だろうな」
 順当なら第1戦、第4戦に先発したエースの佐野だが、第4戦の出来は散々だった。
 チームメイトにも公表されていないが、故障があるのかも知れない、それほど球が走っていなかった。
「ひょっとするとひょっとするかもしれないぜ」
「え?」
「お前が先発かも知れないってことさ」
「言われてないですけど……」
「まあ、どっちに転んでも最終試合だからな、定石通り佐野で行って、早め早めに細かくつないで行く可能性が高いけどな」
「きっとそうですよ」
 女子プロ野球時代は先発だったがプロではここまで中継ぎ専門、大事な試合でチームが賭けに出るとは思えないが……。

 だが、試合後、監督と高橋ピッチングコーチは膝を突き合わせていた。
「佐野ですが……正直無理だと思います、肘が相当痛むようです」
「そうか……誰を先発させる?」
「石川では?」
「さすがに荷が重くないか? 女性であることを別にしてもルーキーだぞ」
「石川は女王戦も経験してますし、女子ワールドカップも経験してます、元々先発型ですし、第4戦で打たれた後、先に帰して調整させてます、打たれた時も会心の当たりはなかった、ホームランだって狭い球場だからフェンスを越えたんです、うちの球場ならフェンスギリギリで捕れてますよ」
「う~ん……賭けになるな」
「ドラフト前の会議で監督も言ってましたよ、石川には賭ける価値があるって」
「あれはGMからの受け売りだよ」
「でも、そうは思いませんか?」
「思うよ……考えれば考えるほど石川しかいないな……」

 日本シリーズには予告先発の規定はないが、シリーズ前の監督会議で予告先発を実施すると取り決めてある。
 新聞、TV、ネットで明日の先発予告が発表されると、当日券を求めて前夜から長蛇の列ができた。

 日本シリーズ第7戦、開門と同時に雪崩れ込んで来た観客は、スコアボードの大画面に雅美の顔が映し出されているのを目にした。
 ことあるごとに『プロ野球史上初』を記録して来た雅美だが、今日も『プロ野球史上初の女性先発投手』に加えて『プロ野球史上初の日本シリーズにおける女性先発投手』の二本を記録した、シーガルズファンはそこに『プロ野球史上初の日本シリーズにおける女性勝利投手』が加わるのを期待しないではいられない、そしてその1勝はシーガルズを日本一に導く1勝なのだ。

 スタンドには今季の女王戦で連覇を決めたばかりの横浜レッドシューズの選手と関係者が詰めかけていた、昨年までは自分も着ていた馴染みのあるユニフォームの一団を見つけ、雅美が手を振るとスタンドからも声援が飛んだ、その中にはサンダース時代から一緒だった、日本代表の一番打者・川中由紀と二軍で苦しんでいた時にアドバイスをくれた浅野淑子の姿もある。
 雅美はその淑子に向かってストローで飲み物を飲むしぐさをして見せた。
「雅美ちゃん、落ち着いてる」
「え? どういうこと? 今のしぐさ何なの?」。
 淑子の笑顔に由紀が怪訝そうに聞いた。
「タピオカミルクティを飲むしぐさよ」
「つまり相手を飲んでかかるって意味?」
「ちょっと違うの、何が起きても太いストローで飲み干しちゃうって意味」
「ふ~ん……」
 事情を知らない由紀は何のことかよくわからなかったが、淑子がそう言うなら大丈夫なのだろうと思う、こと野球に関しては淑子が言うことが間違っていたことなどないのだから。
 そして、昨日の予告先発発表を受けて、サンダース時代、サンダーガールズ時代、高校時代のチームメートも、チケットを得るために徹夜で並んで応援に来てくれている。
 ポジティブ思考の雅美の事、声援はいくら多くてもそれで固くなるようなことはない、声援を全て力に変える、それができるから雅美は今ここにいられるのだ。

「プレイボール!」
 日本シリーズ第7戦が始まった。
 松田が出した第一球のサインはストレート。
 中4日の休養を取れた雅美はストレートの切れとスピードを取り戻していた。
 ナックルを予想していた一番打者は完全に振り遅れて空振り。
 その一球をミットに収めた松田は大きな手ごたえを感じていた。
(球が走ってる、今日は行ける)と。
 二球目のナックルも左右にぶれながら決まりノーボールツーストライク。
 三球目は高めに外す釣り球のストレートだったが、ナックルとのスピードの差に思わず出てしまったバットは空を切った。
 湧き上がる大歓声。
 ストレートの伸びもナックルの切れも戻っている、林を始めとする頼もしいリリーフ陣も後ろに控えてくれている、広田を中心とする野手陣も頼もしい味方だし、受けてくれているのはキャンプの時からずっと一緒に過ごして来た松田、懐かしい顔も大勢応援に来てくれてるし、大歓声も後押ししてくれる……。
 後は落ち着いて投げれば良いだけの事。
(タピオカミルクティ、タピオカミルクティ)
 雅美は魔法の呪文を唱えながら松田のサインを覗き込んだ……。

 試合は投手戦となった。
 雅美はソロホームラン一本を浴びたものの、8回まで被安打4、四死球なしの好投、しかし相手のピッチャーもさすがにエース、毎回のようにランナーを許すものの、失点は初回に広田に打たれたタイムリーの1点だけ、1-1の同点で8回裏を迎えた。
 先頭打者は8番の松田、打力にはほとんど期待されていなかった松田だが、このシリーズでは7打数3安打、打数は少ないものの.428と結果を残していて、この試合でも1本良い当たりのヒットを打っている。
 監督は松田に代打を送るかどうか悩んだ、雅美は8回までと決めていたので松田を下げることに問題はない、当たっていると言っても本来あまり期待をかけるべきバッターではないのだ。
 だが、監督は松田をそのまま打席に送った。
 今日のリードは冴えている、そんな時、キャッチャーは相手の配球の読みもズバリと当たるものだ、そこに賭けてみようと思ったのだ。
 2-2からの5球目、相手エースのストレートが高めに入った。
(来た!)
 松田が待っていたの正に高めのストレート、前の回あたりからボールが高めに浮き始めたのを松田は見逃していなかった、おそらくは握力が落ちてきている、ストレートは高めに浮く可能性が高いし、長打力に欠ける自分に対してはストレートで勝負して来るだろうと読んでいたのだ。
 カキーン!
 松田のバットが快音を響かせ、打球は左中間を破った。
 二塁ベースに立った松田がこぶしを突き上げると、スタンドが大きく沸いた。
 そして監督がベンチから飛び出すと、ネクストバッタ―サークルにいた雅美の肩を叩いた。
「お疲れさん良く投げてくれた、代打だ」
 このチャンスに1点を挙げて林で逃げ切る、監督はそうプランを立てた、何故ならシーガルズにはとっておきの代打が残っていたのだ。
「バッター、石川に代わりまして武内」
 アナウンスが響くとスタンドは再び沸いた。
 このシリーズ、武田は.500、ホームラン2、打点6と当たっている
 第1戦こそベテランの田口が先発したが、途中出場のその試合でホームランを放ち、2戦目からは武内が先発マスクをかぶっていたのだ。
 だが、今日は雅美が先発、松田が先発マスクをかぶり、そのままここまでベンチを温めていた。
 ミリオンズもすかさずクローザーをマウンドに送り防戦体制を作る。
 そしてカウント2-2からの5球目、内角高めのストレートを武内のバットが捉えた。
 ガン!
 決して会心の当たりではなかった、だが好調の武内のスイングが球威に勝った。
 打球はショートの頭を超えて左中間に落ちた、間を抜けるほどの勢いはなかったが飛んだコースが良く、センターが回り込む等にボールを掴んだ。
 打った瞬間ヒットコースとわかる当たりだったので、センターが送球態勢に入った時には二塁ランナーの松田は既に三塁を大きく回っていた。
 センターは諦めてボールをセカンドに送り、松田がホームベースを駆け抜けた。
 シーガルズ1点勝ち越し。
 球場全体が大きな歓声に包まれた。

「やったね!」
 シーガルズのベンチでは雅美が松田に抱き着いていた。
 女性同士ではごく自然にやっていたので、興奮した雅美は相手が男性だと言うことも忘れていたのだ。
「お、おい」
 そう言われて気づき一旦は離れたが、雅美の歓喜は止まらない、改めて松田に抱き着く姿はスコアボードに大きく映し出されていて、スタンドはもう一度沸いた。

 9回の裏、シーガルズのマウンドには当然林が立っていた。
 第5戦にはリリーフに失敗したものの、移動日、第6戦と休養できた林にもボールの切れが戻っていた。
 そして100キロのナックルを駆使する雅美から最速158キロの林へのリレー、打ちにくい事この上ない。
 林は簡単に2アウトを取った。
 しかし、さすがにミリオンズが誇るクリーンアップの一角、三番バッターには二塁打を浴びてしまった。
 そして迎えるのはリーグを代表するバッターの一人と言っても過言ではない4番。
 松田は慎重にサインを出した。
 1球目は外角低めへのスライダーを見逃されてボール。 1-0。
 2球目も同じところへスライダー、今度は振って来て空振り。 1-1。
 ストレートを待っていると読んだ松田はチェンジアップのサインを出し真ん中低目へ、2個目の空振りを取って1-2.
 そして、外角のスライダーを決め球にすると決めて、4球目は内角高めへの釣り球を要求した。
 だが、その配球は相手も読んでいた。
 ガツン!
 要求通りの釣り球だったが、わずかに低かった、それを見逃さずに4番が強振すると、どん詰まりの当たりではあったが、ファースト後方へのハーフライナー。
 ツーアウトだっただけにランナーはスタートを切っている、ファースト広田が懸命にバックし、ライトが突っ込んでくる、だが当たりが弱いだけにライトは間に合わない、落ちればヒット、セカンドランナーは既に三塁を回っている、球場内の全ての視線が広田に注がれ、その広田はダイビングキャッチを試みて倒れ込んだ、広田を追った塁審が膝をつくようにしてボールを凝視する。
 どっちだ……。
 起き上がった広田が高く掲げたファーストミットには白球が収められていた、そしてそれを確認するように一塁塁審の右手が上がった。
 アウト!
 そしてそのジェスチャーを確認した主審も右手を高く掲げた。
「ゲームセット!」
 それぞれの守備位置で選手たちがグラブを放り上げてマウンドめがけて走り出し、一塁側ベンチからも選手たちが飛び出して行く、もちろんその中には雅美の姿も。
 あまり足は速くない上にベンチ内で跳び上がっていたために出遅れた雅美は、選手たちが作った輪の一番外側でぴょんぴょん跳ねている、広田は雅美の背後から近づいてポンと肩を叩いた。
「おめでとう、これはお前が持ってろ」
 広田が雅美に差し出したのはウイニングボールだった。
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