第十七話 隠れ郷

エピソード文字数 5,251文字

上流に向けて進みだしてから少しもすると、川の流れは一段と速くなり、辺りに大きな岩が目立つようになった。
おそらく上空から眺めると、深い灰緑の布に、一筋の白い糸を縫い走らせた様に見えるだろう。頭上で輝く満月の光もあってか、川面を跳ねる白い飛沫が闇の中で一層と煌めき、次々と目に飛び込んでくる。
その白い飛沫のものとは違い、時折、足元に蛍ような淡い光が点滅している。その淡い光にシルキーの足元が近づくと、上下に跳ねる動きを見せ、森の草むらへと消えていく。
「今宵は満月か……。【ヨヅリ(夜釣り)ガエル】が多いの」
川音に半ばかき消されながら、グリンデの呟きが耳に入った。
オリビアの住んでいるチェルネツの森の周辺にも【ツリビトトカゲ】の愛称で親しまれる蜥蜴が生息しており、夜になると餌となる虫達をおびき寄せるために、頭の触覚を瞬かせていた。おそらくこの蛙達も、満月に向けて飛び交う羽虫を求め、川辺に集まっているのだろう。
蛙達が逃げていった森は、相変わらず黒い闇の壁を作り出しており、シルキーの足は導かれるようにして川の沿いを進んで行く。
不思議と、大きな獣達の気配を感じないのが奇妙だった。故に、狼の群れから逃れてから、歩みを止める事なく前に進めているのだが、違和感は拭えない。
"この川の上流を目指せ"と言ったグリンデも、たいして口を開かない。ごうごうとした川の流れの音に、石の上を歩くシルキーの足音が重なり、その歪な律動を黙って聞いているほかなかった。

月灯りと輝きの花を頼りに、シルキーを川岸に歩かせていると、突如、行く手にぼうっと二つの灯りが現れた。
見ると、全身黒みがかった服、そして顔を布で覆った、松明らしき揺らぐ灯りを持つ、二人の人影が行手を塞いでいるではないか。そしてその二人の奥でもう何人かがいるのがうっすら見える。奥のその者たちは何かをこちらに向けており、月の光に照らされてそれがきらっと瞬いた。
(……盗賊!?)
オリビアは幼い頃、帝国の城下町に憧れを抱いたが故に、家を飛び出した事があった。集落の端に住む家の人に見つかり、事なきを得たのだが、その後こっぴどく叱られた。たまたまその際、ランハルトが家を訪ねており、彼からこの"盗賊"という者達の存在を聞かされたのであった。
なんでも、帝国に行く途中の道中には、その盗賊が彷徨いていて、並の人間では中々に危険なのだとか。子供など捕われては、まずまともに帰れないだろうと。
その話を聞いた際、家の外に出るのも恐ろしくなったのだが、チェルネツの森は忌み嫌われているのもあって盗賊もあまり近づかない事を教えて貰うと、次の日からいつものように家の外で遊ぶようになったのも覚えている。
幼さ故か。どのようにしてランハルトが危険を掻い潜り、集落に辿り着いていたのか。それを聞く脳がない事が、当時のオリビアの浅はかさを物語っている。
「グリンデさん!盗賊です!」
オリビアはシルキーの鬣を強く掴み、後ろへ向きを変えようとした。が、グリンデがオリビアの腕を掴み、それを拒んだ。
「待て。こやつらは盗賊ではない。安心しろ」
盗賊ではない?思考を巡らすこの最中にも、見るからに怪しそうなその連中達は、じゃりじゃりと音をたてながら距離を詰めてくる。シルキーは興奮し、ばかばかと大きな足音を鳴らした。
シルキーと、たいまつを持った二人との距離が徐々に近づくにつれ、ちらちらと炎に揺れる、その者たちの身なりが自然と目に入ってきた。全員首から奇妙な木片のようなものをかけ、腰に短剣を携えている。皆、細身だががっしりとした肉付きをしている。おそらく全員、男だろう。
たいまつを持ったうちの一人が声を上げた。
「手を上げろ。下手な真似はしないで頂きたい」
身なりにしては丁寧な口調で、その男は言った。オリビアは振り返り、後ろに座るグリンデを見つめると、彼女は黙って頷き、両手を挙げた。
(……グリンデさんが大丈夫っていうなら)
彼女に戦意がない中、自分一人ではどうしようもない。オリビアは近づいてくる男達を見て、鼓動が速くなるのを感じていたが、その言葉を信じ、同じように両手を挙げるほかなかった。
シルキーは依然として、足元をばたつかせており、徐々に近づいてくる炎の揺らめきが作る二人の影が、森の木々に大きな靡きを見せる。
たいまつを持った二人の後ろには三人いるようだ。手にしているものが弓矢であるのも月光は曝け出した。きらりと光る、鋭い矢先をこちらに向けている。
じわりと緊張が走る中、突如、聞いた事のない甲高い旋律が耳に飛び込み、とっさにオリビアの背筋をより正しくした。何の理由かはわからないが、グリンデが背後で口笛を吹いたのであった。
その旋律はじゃりじゃりとした、気分の悪い打音を沈めた。近づいてくる男たちは足を止め、互いに顔を見合わせ、たじろんでいる。
「こ、この旋律は!やはり族長の仰るように、客人が参ったのか?」
弓を持つ男は、未だこちらへ矢先を向けている。オリビア達に最初に声をかけた男は続けて言った。
「……そなた達を一度族長の元へ連れて行く。引き続き下手な真似はしないで頂きたい」
オリビアは後ろを振り返り、グリンデを見ると、彼女は眼差しを自分に向けたまま静かに一度頷いた。

たいまつを持つ男二人を先頭に、オリビア達の乗るシルキー、そしてそのシルキーを囲むように少し距離を置きながら男二人を両脇、最後尾に一人の形を取りながら前へ進み始めた。両隣と最後尾にいた男たちは弓を肩にかけ、腰に携えていた短剣に手を当てている。
シルキーは、オリビアが背に乗っているのもあってか、かろうじてこの状況に耐えることができているのだろう。隣を歩く男の武器が、音を立てる度にピクリと身体を震わせる。
風音と水音に阻まれているが、微かに声が聞こえてくる。前を歩くたいまつを持った男たちが何か話をしているようだ。
「……うそ……ろ。まさかこの方……でんせつの……。それになんだ、この馬……」
どうやら私達に対して何か余計に驚いているようだった。
先ほど、たいまつを持った男が言っていた”族長“という言葉から、この人たちは何人か仲間がいるのが伺える。
(グリンデさんの言っていた伝手って、この人たちの事なのかな)
いくら信頼している者に、大丈夫だ、と言われても、武器を持っている姿を見ては気が休まらない。
(自分は決心したのだから)
偶然とはいえ、魔法の存在に触れており、コインを預かった。そして、自分には家で帰りを待つ者はいない。気にかける者が少ない自分だからこそ、こうして、旅をすぐに始められたと思う節があった。
もう戻ることはできない。まして自分で決めた事なのだから。何度そう言い聞かせただろう。
こうしてゆっくりと歩くと、余計に思考が巡らされる。オリビアは、ひたすらに川の音に耳を傾け安息を得ようとしたが、それは自分の運命に同調するかのように激しさを増し、より心臓の鼓動を高めるだけであった。

水音は次第に叩きつけるような轟音へと変わってゆき、その音源が目の前に広がった。暗さ故に正確に把握できないが、この滝は人三人くらいの高さはあるであろう。
チェルネツの森に住むオリビアは勿論このようなものは見たことがない。息を呑んだが、状況も状況である。視線はすぐに、前をゆく男たちに戻された。
ここでも丁寧な口調であった。前を歩いていた松明を持った二人のうち一人……初め、オリビア達に声をかけた方が立ち止まり、彼はもう一人の松明を持った男に着いてゆくよう、指示を促した。
先頭の男は滝壺の沿いをそろそろと歩き、滝が作る水のカーテンへと近づいていく。オリビア達も、足元の苔にシルキーが足を滑らせないよう、ゆっくりとそのあとを追った。
目の前の男の姿が、水のカーテンに包まれた。とは言っても、滝に打たれたわけではない。よくみると滝の裏側には洞穴ができており、男は上手い具合に松明の火が濡れないようカーテンを潜り抜けたのであった。
いくら野生で生きていたとはいえ、シルキーも今までにこのような経験をしたはずがないであろう。ごうごうと叩きつける水に驚き、足を止めた。オリビアが首元を撫でると、彼女の意志を把握したのか、ゆっくりと足が動き始め、滝裏へと周った。
前を行く男のたいまつの灯りが、水が滴る岩壁を照らし出した。滝裏の洞窟の中は、さほど広くはなく、横に並べば四、五人がやっとだろう。天井も高くはなく、シルキーに乗ったまま、思い切り手を伸ばせば届きそうなほどである。
目の前をゆく、たいまつの灯りがゆっくりと左へ曲がっていく。どうやら直線のどうくつではなく、少し左側へうねった洞窟であるようだ。
時折、肩に落ちる水滴に少し驚かされながら前へ進むと、以外にもすぐに額が風でさらされた。風は段々と強まり、木々や花の匂いを鼻へと運んでくる。その匂いも束の間、次は何かを焼いたような焦げ臭い匂いがやってきた。その匂いを感じたすぐ後には、岩の天井がなくなっていた。変わりに、さきほど川面を照らしていた、あの銀色の満月が木々の間から姿を覗かせている。
「しばしここで待たれよ。族長を連れてくる」
前を歩いていた男は、久しぶりに口を開くと一人闇夜を駆けだしていった。
背後からも何やら駆ける音が聞こえてくる。やはり族長とやらは厳格な人なのだろうか。随分と重々し気な様子である。オリビア達の後ろを歩いていた四人が、洞窟の出口に辿り着き、自分達と向かい合うように、横一列で整列し始めた。依然、三人は腰の短剣に手を当てているが。
向き合っている男のたいまつの灯りが、うっすらと辺りを照らし出している。見渡すと、獣除けなのか、大きな甕から白い煙が出ているのが見えた。その甕は雨を避ける為か、立派に屋根がついている。そしてその奥にはうっすらと、木で作られた家屋のようなものが、数棟建っているのが目に入った。
(……ここは、何なのだろう。集落……?)
しかし、深く考える余裕を与えてはくれなかった。暗闇の向こうから、たいまつの灯りが二つ戻ってきた。
「待たせたな。族長を連れてきた。……族長、こちらです。」
やや駆け足で来たその男の後ろから、ゆっくりと細身の人影が近付いてきた。その者は、この連中の他の者とは違い、黒いローブのようなものを来て、すらりとしており、手にしたたいまつの灯りが、ちろちろとその者のきめ細かい綺麗な肌を照らしていた。周りの男達より、頭一つ背が低い。そして何より特徴的なことがあった。
(……銀色の髪)
その髪は驚く事に銀色をしており、腰元まで伸びている。コインを渡してきたあの女性のものとは違い、やや少し黒みがかって見えるが、その髪は月の光を浴びて、磨いた鉛のように神秘的に輝いている。
「ごくろう」
その者が発した、細く高い声を聞いてオリビアは驚いた。男達をまとめる族長……その事ですっかり、男性なのだと想像していたのだが、なんとその者は女性だったのだ。
思えば久しぶりに聞く声色である。長く沈黙を貫いていた、グリンデの言葉が背中に響いた。
「久しいな、ルドラ。……久しいとは言っても昨年ぶりかの」
ルドラと呼ばれたその女性は、その声を聞いて驚き、跪いた。
「グ、グリンデ様!なぜこの郷へ!」
その様子を見た周りの五人の男達も、驚き、跪いた。やはりこのお方が……と囁く声も交えている。
ルドラと呼ばれたその女性は、跪きながら話しだした。
「ルルージャ様との交霊術で、今宵大いなる出会いがあるとの預言を頂いたのですが……まさかグリンデ様、貴方があの森を抜けてここへいらっしゃるとは……。」
「あぁ。ちといろいろあってな……。よもや我も森を出るとは思わなんだ。ルドラよ、変に気を遣うでない」
グリンデの言葉を受け、ルドラは立ち上がると、シルキーに跨るこちらを見上げながら続けて口を開いた。
「……とにかくこちらでは難です。一度我が家へいらして下さい。カシム、案内して差し上げなさい……少ししたら私も向かいます。他の者は持ち場に戻りなさい」
そういうとルドラはグリンデに一礼し、暗闇へと歩き出した。それぞれの持ち場へ戻っていったのだろう。男たちは、はっと威勢の良い返事をすると、各々ちらばっていった。
カシムという男はたいまつを持った二人の片方で、最初にオリビア達に止まれと声をかけた男だった。
カシムは、立ち上がるとオリビア達に一礼し、声をかけた。
「……まさかグリンデ様とは。知らなかったとはいえ、先ほどは大変失礼しました。カシムと申します。今から族長室をご案内致します。馬に乗ったままで構わないので、私について来て下さいますか?」
違うといえば微笑みを交えていることぐらいだろうか。先程までと変わらず、丁寧な口調でそういうと、彼は右手を差し出して合図をし、歩き出した。
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