第62話良かった、成功したぞ

文字数 2,707文字

すると混合液の注入から、3分ほどが経過した頃であった。
真知子の体に異変が現れ始めた。
全身に細かく痙攣が起き始めたのと同時に、辰男が触れていた真知子の頬の体温も、急上昇を始めたのである。
その急激な変化に、辰男は咄嗟に手を離してしまった。
そして次の瞬間、マウスの実験の時に見た現象と同じく、緑色の光が真知子の全身にある血管の中を、高速で駆け巡る様子が確認出来たのである。
それは真知子の着ているパジャマの上からでも分かるほどの、強い光を放っていた。
その神秘的な状況に、看護師さんたちも思わず声を発していた。
「え、こんな事が本当に起こるの?
まるでLEDのイルミネーションを見ているみたい」
すると三澤さんも、その現象を見てこう言った。
「私も新薬のヒントになるものを探すために、色々な山へと登っているのですが、数年前に見た、長野県にあった洞窟の中に自生していたヒカリゴケの明るさにソックリです。
この緑色の蛍光色の輝き方もそうですし、それと何と言っても神々しさも感じられますね」
そして辰男も、改めて真知子が素肌をさらしている両腕と首回りとを凝視してみたのであった。
するとそれは、動物実験の時に見たマウスたちの光景とは比べ物にならぬほど、荘厳であり、また美しかった。
その状態が10分間ほど続き、そしてその緑色の光は徐々にスピードを緩めていった。
すると真知子の素肌の色も、徐々に血色を取り戻してゆき、紫色に近かった地肌が、元のピンク掛かった肌色へと変化していったのである。
その後、辰男が真知子の顔へと視線を移してみた時であった。
つい先ほどまで、痛さや辛さに眉をひそめていた真知子の顔が、柔和な元の表情へと戻っていたのである。
それは、長い苦痛の世界から解き放たれた瞬間でもあった。
それらすべての様子を見ていた他の4人からも、思わず拍手が沸き起こっていた。
その後、真知子の全身を駆け巡っていた緑色の光も、終いには牛歩の如く低速となり、そしてユックリと消え去ろうとしていた時であった。
動物実験での現象と同じく、最後にパッと金色の耀きを発したのである。
その光景に、皆んなの目はテンになっていた。
その後、三澤さんから看護師さんたちに対しての指示が出された。
「真知子さんの体温と脈拍数、それと血圧も測ってもらえますか?」
すると看護師たちが手分けをして、測定を開始してくれた。
その結果、すべての数値が少々高めではあったのだが、心配するほどの値では無かった。
そして三澤さんからの
「大丈夫です、成功しました。
娘さんたちも連れて来てあげて下さい」
の言葉を聞いて、辰男はやっと安堵することが出来たのである。
しかし真知子の顔を眺めていて、一つだけ気になる点を見つけていた。
それは真知子の顔の表情であった。
辰男にとっては長年に渡り、見慣れてきた真知子の寝顔ではあるのだが、今までとは明らかにどこか違うのである。
見方によっては、すべての煩悩をまだ身に付ける前の、あどけなさを持った、産まれたての赤ん坊のようにも見えたのだ。
「やはり、脳の記憶障害が起きてしまったのであろうか?」
予測していたとはいえ、現実問題となってしまったと考えると、辰男には大きな不安感が覆い被さってきていた。
しかし辰男は自分に言い聞かせていた。
「真知子のことを苦しませ続けてきた憎き癌が、治ってさえくれていれば、それが一番だ」
そう気持ちを切り替え、娘たちを迎えにリビングへと向かった。
そして扉を開けるなり、梓の声が聞こえてきた。
「お父さん、お母さんはどうだった?
治療は成功したの?」
すると辰男は答えた。
「うん、治療は成功したよ」
その言葉を聞いた姉妹はソファーから立ち上がり、辰男の胸の中へと飛び込んできて、号泣し始めた。
娘たちにとってもリビングで待たされていた時の流れが、如何に不安で、しかも長く感じられた事であったのか、辰男には理解できていた。
そして娘たちの肩に手をやりながら、真知子のいる和室へと導いていった。
そうして扉を開け中へと入ると、そこには穏やかな表情で眠る真知子の姿があった。
すると娘たちは、左手に持ったハンカチを口にあて、真知子の枕元へ近づいてゆき、そして膝を下ろした。
そして二人して顔を近づけてみた。
すると治療前に見せていた、苦痛に耐える母の顔とは別人のようになっていた。
その姿を見て安心したのか梓が、真知子の耳元に向けて囁いた。
「お母さん良かったね、助かったよ。
もう大丈夫だからね」
すると、その向かい側に座っていた祥子が、思わず自分の右手の掌を真知子の口元に当ててから、こう言ったのであった。
「ああ良かった、お母さん息してる」
その時、周りから一斉に笑いが起きた。
それから20分ほど真知子の容態を観察したのち、三澤さんから
「リビングの方へと移動しましょう」
と声が掛かった。
そこで看護師さん二人を残し、5人でリビングへと向かったのである。
そして梓がインスタントコーヒーを入れている間、何やら三澤さんが鞄からノートを取り出していた。
そしてそのコーヒーが、各々の前に置かれてから、三澤さんによる説明が始まったのであった。
「本日は皆さん、ご苦労様でした。
今のところ、真知子さんの様子を見た限りでは、今回の治療は成功したものと思われます。
しかしその結果を正確に知るためには、今後の精密な検査が必要となってきます。
そこで私が危惧していることが、一つだけ有るのです。
それはと申しますと、恐らく真知子さんに発生してしまったのであろうと思われる脳障害のことです。
今回の治療に使用した、不思議なマリモと孔雀の羽との混合液は、国からの承認は、まだ受けていません。
それを承知した上で、医療医薬品関係者が使用した事になりますと、重大な法律違反に問われてきてしまう可能性が出てくるのです。
そこで私からの提案です。
このあとで真知子さんを大学病院へと送り届けるのですが、その後早いうちに、私の知り合いが経営している病院へと転院させてもらいたいのです。
それはと申しますと、今お世話になっている大学病院で、真知子さんの脳障害のことが発覚してしまいますと、マズイことになるのです。
当然、こんにち行った治療は極秘という扱いになっておりますので、他の人には絶対に漏らさないで下さい。
そのことは、本日来て頂いている二人の看護師さんたちにも口止めしておきますので。
どうぞ、それだけは宜しくお願い致します」
すると、その話を真剣に聞いていた4人は深く頷いていた。


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