コミックミッドナイト

文字数 7,295文字

タイトル:コミックミッドナイト
書いた人:甘らかん(かんらかん 深夜のタクシー帰りはもう勘弁)

~プロローグ~

 昔ばなしをしよう。
 あの頃、私は文京区の印刷会社で働いていた。
 東京都新宿区から文京区にかけてのエリア。主に東京メトロ有楽町線が走る飯田橋、神楽坂、江戸川橋、護国寺。ここら一帯は出版社、印刷会社、製本会社がひしめき合っている。あの有名な出版社も、おおきな印刷会社の本社も、ラーメン激戦区のように集まっているのだ。
 そのなかの1社で私は派遣社員として漫画雑誌の校正という稀有な仕事に勤しんでいた。

 校正という仕事についても語る必要があるだろうか。校閲とは似て非がある(校閲のほうが上級者がする仕事と私は思っている)とだけ言っておく。それは語れる機会があったらでいいと思う。本編とはわりかし関係がない。
 さて、この印刷会社での労働は大変ハードなもので、途切れることなく近所の親会社(出版社)からデータやら生原稿がやってきて、オペレーターが編集部の指定通りに新規組みをしたり修正を施したりし、それが正しく仕上がっているのかどうなのかというのをチェックするのが校正に課せられた仕事であるが。そう簡単に印刷できる状態にもってはいけないのである。
 トラブルの原因は編集部の指定にもあるし印刷会社の失敗もある。作家が薄アミ印刷の限界を理解していないのも一因とか。どっちがどうとか、誰が悪いとか、印刷会社をあとにした今となっては懐かしいだけなので割愛する。
 前置きはこのくらいでいいだろう。

~コミックミッドナイト~

 社員、契約社員は従って仕方ないだろうと思われる残業量を派遣社員にも等しく分け与える会社だった。
(あぁ、終電で帰れない)
 たった一人の作家の原稿待ちで終電で帰れなくなることなど当たり前であった。
(大御所だからって毎週入稿遅れやがって、いろいろ呪ってやる)
 とはいえ流石大御所だけあって話は面白いのだ。面白いから待たされても仕方がないと思えてしまうところもある。そのへんのジレンマも結構なストレスになる。
(なんのために派遣という働き方を選んだんだ。入ったときと話が違うじゃないか)
 朝の9:30に出社して、コンビニおにぎりかじりながら陽は沈み、あれよという間に時計は0時を指している。こんな働かされるなら保証のある内部の人間にして欲しいとさえ思う。
(胃だか心臓が重苦しい。……いや大丈夫心配するな、たいしたことない、次週には治っている……漫画なら)
 月曜から毎日退社時間は早くて21時。金曜は雑誌の下版日(最終締切日、もう印刷にまわさないと雑誌が出ない)だから最後の1ページまで残業して仕上げないといけないのだが、眠気と疲れで意識朦朧だし、中途半端な空きっ腹にドリンク剤流し込んでボディーブロー食らったような重苦しさが胃に襲いかかっているし。血流に異常をきたしているのか心臓の鼓動も早くなっている。
(それでもやらねばならぬ。プロの校正者として)
 残業代とタクシーチケットでるだけホワイト企業と思わなければ。
「これで、ヂ・エンドやーっ!」
 最後の1ページを確認し終えたとき、時計は深夜1時をまわっていた。
「お疲れ様でした」
 社員さんが残っている人にタクチケを配ってまわる。
(これで、見落としあったらクビになるんだよな)
 それが一介の派遣社員の辿る道。私は会社のモブキャラだ。ストーリーにいなくてもなんら問題はない。
 真っ白に燃え尽きたのでカバンをひっかけて裏の扉から退社する。この時間、大通りに出るには親会社である大手出版社の敷地内を通らなくてはならない。
(いっぱい灯りがついてるなぁ)
 キリンほど背の高い親会社を見上げると半分以上の窓が明るくて、まだまだやれるだろ。と言われているような気持ちになる。
(老眼入ってきた派遣社員には無理でございます。それとも高給取りのあんたらが私の健康保証してくれるんですか? 国産うなぎ奢ってくれるんですか?)
 上の瞼と下の瞼が互いを求め合っている。
(タクシー……へいっタクシー)
 親会社の正門を抜ければそこはもう大通りで、舞踏会の終わりを待っている馬車のように、タクシーが行列でお姫様もとい残業戦士を待ち構えている。
 電話で呼ばなくてもわかってくれているタクシー会社。風がひんやりしてきた10月中旬のことだった。

 目的地を告げるとタクシーは静かに動き出す。
(マンションに着くのは2時を回る。それからシャワーするか。いや、無理、朝にしよう。なんだかんだで寝るのが3時になってしまう。
頭ぼーっとする。寝たいわ。でもこういう状態で3時近くに布団入って寝付けるか。明日というか今日半日潰れるし。昼くらいに起きてもぜんぜんスッキリしないから土曜日は丸潰れコース。ヘソの上あたり押されているようで息苦しいし。両目の奥はパチンコ玉入ってるみたいに痛い。目が痛いのか頭が痛いのかわからない。20代、30代まではこれくらいの重労働なんて笑い飛ばしていたのに。いまじゃ体の節々が笑ってる。それにしても、あの少年は真夜中にマラソンなんて元気だな。ずーっと並走してるよな。どこまでいくんだろ)
 このとき、私の頭は眠気と疲労に支配されていたので、事態の異常性にしばらく気づくことができないでいた。
(おや、よく見るとイケメンじゃないか?)
 信号でタクシーも少年も停止したとき、私は重要なことに気がついた。
 軽く目にかかる前髪とか、長いまつげとか、くりっとした瞳とか、大変色っぽい。
(マスクとったら残念、なんてことは決してないと見た!)
 何故なら私のイケメンレーダーが眠気を押し返そうとしているから。
 月明かりに蜃気楼のように浮かび上がる白い少年は正に夜の神。月に映える夜世界の神。
 疲れと眠気が手をつないで夜空に飛び立とうとしている。深夜残業もするものだ。まさかタクシーの窓からこんな絶景が拝めるとは。
 信号が青に変わり、タクシーも少年も動き出す。
(それにしても足早いな~。時速60キロはあるのに……あれ?)
 運転席のスピードメーターに目をやる。深夜で道も空いているので時速60キロの道路を軽快に飛ばしていた。
(あの少年、人間じゃない……)
 なぜ気がつかなかった。
 普通の人間はタクシーと並走できるわけがない。
 そこから分析がはじまった。
 己のミジンコ程度の脳みそを使って5W1Hを検証するのだ。

 When:10月某日
 Where:青梅街道で
 Who:可愛い系のイケメン少年が
 What:タクシーと並走
 Why:なぜマスク?
 How:howってなんだっけ

 流れる車窓。走る少年は汗もかいていなければ息もあがっていない。彼はサイボーグなんだろうか。人とは思えない速さで動くことができる加速する装置を作動させて敵から逃げているのだろうか。マスクしてもイケメンが隠しきれていないが大丈夫なんだろうか。
 敵はサイボーグを量産して戦地に送り込み私腹をこやそうとしている真っ黒い幽霊のような団体。そんな悪の秘密結社から脱走を図った試作品サイボーグのイケメン少年。孤独な闘いの幕がいま上がる。
 どこかで聞いたようなシナリオに眠気が戻ってきそうになる。
(それとも幽霊か妖怪の類かなぁ)
 しかし私に霊感があるという話は聞いたことがない。
(だれにでも見える人ではない存在)
 といわれたら、それはなんだ?
 車と同じ速度で走り、マスクをした美しい人。
 少年はマスクを外しながら言うのだ。
「これでも、綺麗?」
(あっ、口裂け……)
 導き出された答えに息を飲む。
(まさか男だったとは)
 深夜にタクシーに乗るとこんな不思議なことに遭遇する。これも月明かりのせいなのだろうか、それとも人類は真夜中を知らなすぎるのか。
 なんてことを考えていた時だった。
(あ、目が合った?)
 真夜中の妖怪をまじまじと見るものではなかったのか。次の信号で止まった時、ついに少年が私の視線に気付いてしまった。
「おつかれさまです!」
 つい職場にいるようなあいさつが飛び出してしまう。運転手さんの肩がビクッとなった。
「え、なんですかお客さん」
「すみません、なんでもないです独り言です」
 車中で慌てふためいているところまで見られていたかはわからない。運転手さんのほうを向いていた間に。
(あ、消えた)
 少年は忽然と姿を消していた。

「7580円です」
 あの頃は会社から深夜料金でそれくらいの距離に住んでいた。
 タクチケに金額を記入し、1枚目を運転手さんに渡し、会社に提出しなくてはいけない控えとレシートをもらってタクシーを降りる。
「ご乗車ありがとうございました」
「どうも、お世話様です」
 去っていくタクシーを見送り、あとは帰って寝るだけ。時計は2時を指していた。
(今週もハードだった。漫画が好きだから飛びついたけど、本当に好きなら読むだけにしとけ、だな)
 いつまでこの生活を続けていけるのだろう。ご飯もまともに食べていないし寝不足で居眠り絶えないし。牛馬のごとく働かされている分給料はもらえるけれど、ここ最近体調不良で月1万5000円は病院代。プラスして整体に週1で通っている。
 人生に迷いを感じる独身行き遅れ女性の物語。女性漫画でありがちだ。
 真夜中の満月が静かに見下ろしている。
「すみません」
 声をかけられたような。
 月から視線を下ろしてみると、そこには。
「うわああああああああ!」
 口から胃袋がせり上がってくる悲鳴をあげたのはいつぶりだろう。路上に頭文字Gの黒くて平べったい虫が2匹競り合うように公道を全力疾走している様を目撃してしまった暑い夏以来ではなかろうか。
 白いジャージ、マスクを外しても絶対イケメンだと思いたかったけれど口裂けでは仕方がないけどそれでも可愛い少年が大きな瞳の熱視線を私に向けていた。
「おおきな声ださないで」
 マスクの前に人差し指を立てている。声優に例えるならやんちゃアイドル系。いいね、ビジュアルに合っている。
(相手から会いに来たよ)
 奇跡のような少年との再会に少女向け漫画のように胸がきゅんきゅんしている。背景にはお花を散らして。
「こっちの心臓が止まるだろ」
(心臓あるんだ~)
 イケメンには心臓があった。
「静かにたのむよ」
「……」
 いや、ちょっと待て。相手は妖怪だ。油断させておいて触覚のようなものを背中から出して串刺しにしてくる可能性もある。少年漫画なら正体は不死身の人食い。
(マスクの下は人間ひと飲みにできる伸縮自在の口なのだ)
 いざというときのためにチラチラその辺を確認するが、空のペットボトルと棒アイスの棒くらいしか落ちていない。
「心配しなくてもおばさんに手をだすほど女に困ってませんから」
「え?」
 いまの吹き出しのなかの「え?」はQ数あげて新ゴU、闇夜のスミベタに白抜きでお願いしたい。
「ごめんなさい、傷付いたよね」
「マスク取れや
この野郎!!
 マスク取れや:古印体
 この野郎!!:新ゴU
 新ゴUは強調叫びの証だ。
 イケメンでも言っていいことと悪いことがあるくらいのことはママから教わらなかったのか? それともなんだ、妖怪だからママなんていないのか?
「怒ると眉間のあたりシワが増えますよ」
 マスクのまま目だけにっこりする。可愛い声で丁寧に言えばいいってものではない。年齢にはデリケートなお年頃なのだ。
「マスクは取れないんだ」
「私、帰って寝たいんだけど」
 眠気と怒りを抑えるための深呼吸。
「すぐ終わりますから」
 マスクの前で両手をひらひら振ってみせる。可愛い系でなかったら背筋にサブイボが走るところだ。
「すぐ終わる……やっぱり食う気なんだ」
 深夜残業のツケがこれか。私なんか食べても美味しくないと思うけど。最近悪玉コレステロール値があがっているんだよ。
「食う? まぁ食うといえばそうだけど」
「やはり」
 せめてシャワー浴びてからにして欲しかった。
「この辺にリトルストップありませんか」
「はいいっ?」
 せっかく覚悟を決めたのに間抜けな声を出してしまった。
 リトルストップというのはコンビニの名前だが、CMを流す割には店舗数が少なくて私もどこにあるのか聞きたいくらいの店。
「仲間との賭けに負けちゃって、リトルストップ限定のパンプキンプリンシュークリームを買いに出たんだけど。店が見つからなくて」
「パンプキンプリンシュークリーム!」
 あやうく私のぶんも買ってきてくれるなら教えてもいいとか言うところだった。店がどこにあるかも知らないのにハッタリ申し出。絶体絶命の取引だ。青年漫画によく見られる展開。
「夜中なんですから大きな声ださないでくださいよ」
 人差し指をマスクの前にもってくるのがいちいち可愛いからチクショウ。
「知らない? リトルストップ」
 教えたい、リトルストップ。
「美味しそうですよね、パンプキンプリンシュークリーム」
 ハロウィン商品だ。かぼちゃを食すことを愛する者のためにあるといってもいい。
「知らないの?」
「ただのパンプキンじゃないんですよね。パンプキンプリン」
「知らないんですね」
「いや、そうじゃなくて」
「急いでるんですよ」
「……」
 同意してくれてもいいじゃないか。ノリの悪い少年だ。その顔に免じていろんなことを許してやっているのに。
「なんでキレてるんですか?」
「はぁあ?」
 だれがどうしてキレてるって?
 ギャグ漫画路線にいってしまうのか。それとも持ち上げといてホラーになるのか。結局食われるのか。満月にスミベタの血しぶきが舞う。深夜で目撃者もいない。首のない猟奇殺人事件としてマスコミがわんさか押し寄せるのだろう。
 美人校正者深夜残業の悲劇。どうか、美人にトル赤字は入れないで。
「おばさん、ねむいの?」
「妖怪におばさんって言われたくないわ」
 本当にキレたので少年が後ずさった。私にこんな力と書いてパワーがあったとは。
「妖怪って、俺のこと?」
 丸い目をさらに丸くする。対する私の目は疲れと眠気でいつもより細くなっている。
「ほかに誰が?」
 びっくりするような能力に目覚めて背後に炎をたぎらせたいところだ。
「正体ばれるのヤダからマスク取れないんだろ!」
 残念ながら私には感情論と図々しさしか武器がない。しがないおば姐さんだ。深夜に妖怪に喧嘩を売った時点で人生の最後を迎える。悔いのないように罵倒したい。
「ばれたくないのはそうだけど。妖怪はひどいな」
 妖怪だけは勘弁して、みたいなことを言う。
「じゃあお姉さん」
「え?」
「って呼べばニコニコするの? それって痛くない?」
 あやうく満面の笑みになるところだった。二度言うが、デリケートなお年頃なのだ。
「困ったな。早く買って帰らないとボコボコにされちゃうよ」
 タクシーと同じ速度で走る少年をボコボコにできる仲間とはいったい……。
「君たち、なにしてるの」
 そのとき、君たち怪しいぞという声がした。
(助かった!)
 そいつの名前はポリスマン。こういう場合、モブキャラが食われてヒロインは助かる。
「ちょうどよかった。おまわりさん」
 少年がニコニコしながらおまわりさんと向き合った。いよいよ、殺戮の夜がはじまるのか。
「なんだ、君未成年じゃないのか、だめだろこんな遅くに出歩いちゃ。襲われたらどうするの」
 ちらっと私を見るおまわりさん。
(ちょっと待て、襲われそうなの私なんですけど)
「この辺にリトルストップありませんか?」
 この後に及んでリトルストップにこだわる少年。
「二つ先のK駅前にあるよ。なに、パンプキンプリンシュークリームでも買いにいくのか?」
 破顔するおまわりさん。なんてことだろう、パンプキンプリンシュークリームが私たちの中央に鎮座している。
「K駅前。ありがとうおまわりさん!」
 少年はそう言い残すと走り出した。もちろん彼のペースで。
 青梅街道を走る750ccライダーと並走してあっという間に見えなくなっていく。
(食われなかった。助かった)
 おまわりさんを見たら真顔のまま固まっていた。これで襲われていたのがどっちだかわかっただろう。
「君も、はやく帰りなさい」
 その一言が搾り出せたのはさすが日本の平和を守る職業の人とほめてあげたい。
「はい、おやすみなさい」
 立ち尽くすおまわりさんをあとにワンルームマンションに帰り、顔も洗わずにベッドに倒れ伏す。時計は2時30分を指していた。

~エピローグ~

 それからほどなくして私は印刷会社を退職した。
 幻覚を見るほどに疲労が溜まったから……というのは冗談だ。体調不良で倒れる前の決意。ヒロインには新たなステージに立つステップが必要だった。
 退職までに5回タクシーに乗って帰ったが、あの不思議な少年とは遭遇していない。
 サイボーグだったのか妖怪だったのか人食い鬼だったのか、真相は闇の中。昼間はなにくわぬ顔をして普通の高校生をやっていたりするのかもしれない。
 あの夜のことを思い出すたびこう願う。
 少年は真夜中の街を舞台に巨悪と闘っている。私たちの日常は彼のような異形の者によって守られているのだ。それを人類は決して忘れてはならない、と。
 もう一度少年に会いたいような、会わないほうが身のためなのか。
 全てが謎で、いまだに胸の奥でなにかがくすぶっている。

 余談だが、プリンが丸ごとシュー生地に入ったパンプキンプリンシュークリームは絶品だった。それも人類は忘れてはならない。

                  〈完〉  

※エブリスタ 超妄想コンテスト テーマ「真夜中」参加作品
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