文字数 2,231文字

「あ……雪?」

 炎に包まれた空気の中で、真実の目の前に落ちてきた白いもの。
 今年初めて目にした雪。しかし、この時期珍しい大きな結晶の雪。この近辺では春先に多く降ることが多い雪で、牡丹雪(ぼたゆき)と呼ぶ。

その名の通り、花びらのような大きな結晶は、粉雪と違って水分を多く含んだべったりとした印象なのに、この雪は、フワフワと羽のように軽く、肌や衣服に落ちて触れても、溶けて濡れることがない。
 それは、次々と数を増し、勢いを増す。吹雪ではない。ただひたすら、雪の結晶が、舞い落ちてくる。それはやがて、真実を、加奈を、周囲の皆と、地面を白く覆いつくし始めた。

 このままでは、雪まみれになってしまう!
 ただでさえ、加奈の体は、目に見えて冷たくなってきているのに。

 そんな危機感を覚え、何か覆うもの! と自分のコートに手をかけた矢先、その雪は消えた。溶けて水になった様子もない。
 そして、周囲の木々を包む炎は小さくなり、やがて消えた。辺りに立ち込めていた生木の焼ける燻った臭いも、かなり少なくなった気がする。

「幻?」

 不思議なことに、地面を覆っていた雪も、すっかり消えてしまった。

 そして、駆け付けた救急隊員(らしき人々。救急車のサイレンなど、全く聞こえないうちに、彼らはやってきた)が、加奈の救護に当たり、搬送していった。

「今、雪降っていたわよね?」
「ああ、降っていたね。とても

が」

 健太の言葉は、おかしい。が、真実自身も、そう実感していた。まるで、山の木々を慰撫するかのように、降って消えていった雪。ついさっきまで、「山火事になるかも」と危機感に満ちた斎の言葉を裏切るように、あっという間に消えた炎。

 血まみれの地面や、美矢のコート、健太や俊の手を見れば、確かに惨劇は起きていたはずなのに。いや、まだ加奈の容態は予断を許さない状況のはずだ。安心できない。

「……とりあえず、このままじゃ帰るに帰れないから、家に来なよ」

 いつになく疲れた(やつれた?)斎の提案に従って、一同は唐沢家にお世話になることにした。血まみれではないが、真実も煤だらけだったので。何となく燻り臭いコートに顔をしかめながら、唐沢家の自家用車に乗り込み、ほんの五分ほどで到着する。



 樽筆山のふもとに唐沢家はあった。噂には聞いていたが、ちょっとした学校、少なくとも石高くらいの敷地があるのではないか、というくらい、広い、まさにお屋敷だった。

「三上さん、大丈夫だったよ」
 広いお屋敷のこれまた広いバスルーム(てっきり和風のヒノキ風呂とかをイメージしていたが、洋風タイル張りの、でもやはり大浴場だった)でお湯を使わせてもらい、汚れを落とした真実や美矢が客室で休んでいると、斎が声をかける。

「本当? ホントに?」
「ああ、もう意識も戻っている」
「どこ? どこの病院? 今から会いに行ける?」

 矢も楯もたまらず立ち上がり、その瞬間窓の外の暗闇が目に入る。

 ああ、でもこんな時の面会は、家族しかダメなのかな?
 しかもこんな時間に、押しかけたらマズい?!

「行く? 今から」
「行きたい……けど、いいのかな? あ、それに服が……」
 焦げ臭くなってしまった服は、唐沢家で洗濯してくれている。今は、二人とも借り物の作務衣を着用している。

「大丈夫だよ、そのままで。隣だし」
「は?」
「病院になんて運べないからね、こんな事案。警察沙汰になるのはごめんだから、うちに運んだんだよ。あ、大丈夫。そこら辺のERより、設備もスタッフも揃っているから。でも、内緒だよ。一般開放していないから」
 それは、いわゆる、山の上のお屋敷に住む、あの黒い人、的な?

 口にしたいのを必死で我慢して、真実は美矢とともに加奈のもとに訪れた。
 途中で俊も合流し(俊は斎の私物を借りたのか、普通にTシャツにパーカー、ジーンズ姿だった)、渡り廊下でつながった隣の建物に入った。小さな診療所のような、白い建物は、病院っぽいアルコールや塩素の消毒のにおいがした。その一室のベッドの上に加奈は横たわっていた。
 
 目は閉じているが、呼吸は安らかである。近づくと、ゆっくり目を開けた。
 真実達の姿を認め、そっと口元を緩める。まだ顔色は悪いが、死の影は消え失せていた。

 そっと伸ばされた手を握ると、確かなぬくもりと脈動が感じられた。疲れているから短時間で、とスタッフに追い立てられ、部屋をあとにする。

 まだ現実感が薄く、健太の顔を見てもっと安心したいと思ったが、彼は、おそらく別の場所にいる。本来なら、加奈の一番そばにいたいはずの、英人の姿がないことが、その証明のような気がした。

 狂ったように加奈の名を呼び続けていた英人が、健太の声には反応し、すがるような表情を見せた。その瞬間、自分が知らない二人の絆が見えた。

 そういえば、小さい頃の知り合いって言ってたもんね。でも、英人さんは、健太を違う名前で呼んでいたような気もしたけど。気のせいかな?

 目の前で愛する女性が死にかけたのだ。それも、おそらくはマリカの逆恨みのせいで。心の傷は大きいだろう。
 仕方がないので、今だけは、健太を貸しておくことにする。心の中とは言え、上から目線の物言いだったが、そうでも思わないと不安でたまらない。その絆の強さに、嫉妬を覚える。

 唐沢家のふかふかの布団の中で悶々としながら、寝不足の翌朝、再び加奈を見舞った。

 朝日を浴びて、すっかり血色を取り戻した加奈の笑顔に、ようやく真実は、心の底から安堵した。
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  • 序章

  • 兆し
  • 第一章 麗しき転校生

  • 2
  • 3
  • 4
  • 第二章 甦る悪夢

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第三章 黄昏の魔性

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第四章 凍てつく瞳

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第五章 疾風の帰還者

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第六章 忘れられた守り手

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第七章 嵐呼ぶ遭遇

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第八章 蔦絡まる紅葉

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第九章 消しえない絆

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十章 交錯する狂気

  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十一章 見えない虹

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十二章 哀哭の二重奏

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十三章 冬空を貫く雷光

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十四章 蒼き氷雪の曙光

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 終章

  • 火種

登場人物紹介

高天 俊(たかま しゅん) 17歳 県立石町原高校2年生。美術部所属。

 黙っていても威圧感があり、目を合わせると人をフリーズさせることから、ついたあだ名は「氷の視線を持つ男」。でも、本人には威圧する気も凍らせる気も全くなし。コミュニケーションは苦手で周囲と壁をつくりがち。

 親友の正彦に冷淡に接しているように見えるが、言葉が少ないだけで、ちゃんと大切に思っている。

 転校してきた遠野和矢の妹、美矢に対し、他とは違う関心を寄せ始めているが……。

遠野 和矢(とおの かずや) 17歳 県立石町原高校2年生 美術部所属。

 俊のクラスの転校生 父が日本人、母がインド人のハーフ 1歳下の妹の美矢とともに美術部に入部した。

 白薔薇や蓮に例えられる華やかで超然とした美貌の持ち主。

 両親と離れ叔母の家に居候している。

 常に笑顔を絶やさないため、あらぬ誤解を(主に女子に)受けがちだが、性格は生真面目。意外とミーハーなところもある……らしい。

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