「『いじめはいじめられるほうにも原因がある』に決まっているワケ」

文字数 1,573文字

「いじめはいじめられるほうにも原因がある」
 もう、耳にタコというぐらい聞いたことがある意見である。
 こういった意見をお持ちの方もいるだろうし、自分自身はそういった考え方ではなくても、言われたことがあるという方も多いのではないだろうか。

 私はどういう考え方かというと、「いじめはいじめられる“原因”がない人間など存在しない」というものである。
 というのも、どんな個性だとしても、いじめる側がいじめる大義名分にしてしまえば、原因になってしまうからだ。

 私が小学校高学年のころ、いわゆるジャイアンとスネ夫タイプ(どちらも女生徒だが)の二人組がいた。
 二人組はそれはもう気が強く、多くの生徒に恐れられていた。

 私は二人とはクラスが違ったのだが、二人と同じクラスで、運悪く目をつけられてしまった女生徒がいた。
「あいつ、おとなしいからいじめる」
 そこでジャイアン(仮)が、堂々と大勢の前で言った言葉である。

 おとなしいからといじめられていた女生徒とは、私はほとんど関わりがなかった。だが、数回話した感じでは、笑顔がステキな、とても好印象の人だった。
 確かにどちらかといえばおとなしいほうだったと思うが、話していて楽しかった覚えがある。

 おそらく、おとなしいというよりは、ジャイアン&スネ夫と話したくなかっただけなのだろう。
 第一、おとなしいということは、何も悪いことではないので、本来、いじめられてもいい原因にしていいわけがない。
 ただ、ジャイアンとスネ夫にとっては、それがいじめる大義名分だったというだけの話だ。

 私自身も、そりゃないだろうと呆れ果てた、いじめっ子の言い分がある。
「(小学校)低学年のときにいじめていたから、またいじめる」
 というものである。高学年のときにこれを言われたのだが、ドラえもん繋がりで言えば、「のび太のくせに生意気だ」に通ずるものがあるだろう。
その際は『まあ、そんなものか』となんとなく納得してしまった自分だが、今思えば、明らかに理不尽である。

 ただ、確かに、“いじめられやすい人”というのは存在すると思う
 実は自分自身がまさにそうで、幼少期から社会に出てからも、ずっといじめを受けてきた。
 それは見た目でいえば、不潔なことだったり、内面でいえば暗かったり、とにかくさまざまな理由があったのだろう。
『これはいじめられるのもわかるな』と感じさせる人が、皆さんの身近にも一人ぐらいはいないだろうか。私はそういうタイプの人間なのだ。

 もちろん、いじめはいじめる側が悪いに決まっている。いじめ自体が許しがたい犯罪行為だ。
 なら、いじめられる側はまったく反省すべき点はないのだろうか? そう考えたときに、それもそれで違和感がある。
 ただし、それは決して、加害者や第三者、ましてや大人が言っていいことではないとも、同時に思う。

 私は今は親の立場だが、もしわが子がいじめを受けていると相談してくることがあったら、決して、いじめを受けたことを責めたくはない
 まずはいじめの解決から、そして被害者(この場合はわが子)の心の傷のケアが最優先だと思うからだ。

 決して、「いじめを受けたのは、被害者側にも原因があるから、変わらないといけない」とは思えない。
 それはいじめが解決し、心の傷が癒えたときにはじめて“いじめを受けた本人が”考えることではないだろうか。
 わが子のことを前提にしているから甘く見てしまうのかもしれないが、私のいじめに対する考え方はだいたいこんな感じだ。

 冒頭の言葉を言う前に、なぜいじめ問題は根深いのか、今一度考えてほしい。
 本当に「いじめられるほうにも原因がある(いじめられるほうが特殊)」なら、いじめの犠牲者は増え続けないはずなのだから。
 誰もが、いじめの加害者にも被害者にもなり得る。だからこそ、いじめは恐ろしいのだ。
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