55 傷を負いながらも 俺は武器を取る
文字数 2,528文字
その時だった。
ソフィアの耳に、誰かが近くを駆け抜ける音がかすかに響いた。
遠くには、見覚えのある緑のマントが、薄暗い森に見え隠れしている。
ソフィアが一度首を横に振って、もう一度その青年の後ろ姿を見つめる。
ソフィアの口が動くと同時に、トライブもほんの1秒だけ、ソフィアの目が指す方向へと顔を向けた。
剣を失ったトライブは、ソフィアが彼の後ろ姿をじっと見つめている中でも、リオンをまじまじと見ようとはしなかった。
それでも、トライブの表情は、少しだけ引きつっていた。
使命というか……、リオンには守りたいものがあるのよ。
だって、いま一番危険な目に遭っているのは、アーディス。
レインボーブレードを持ったアッシュに、言われもない罰を受けようとしている……。
そのアーディスと、リオンはともに戦った仲。
同じ騎士団で戦った、強い絆がある。
ソフィアは、赤い髪のアーディスの表情をうっすらと思い浮かべながら、トライブに語り掛ける。
ようやくトライブの目が、すっかり見えなくなったリオンの姿を追おうとした。
足を前に出そうとしても、トライブはその一歩が出なかった。
普段より軽い体。大切なものを背負っていない現実。
それらを前に、どうすることもできなかった。
だが、そのトライブを尻目に、ソフィアだけは一歩だけ前に出た。
たとえ剣を持っていなかったとしても、トライブにどんな剣を持たせても、誰よりも強くそれを操れる。
トライブは、アルフェイオスしか力が出せないって言っているけど……、私も、みんなも、そう思っていない。
どんな剣を持っても、トライブは「剣の女王」。
そのことだけは間違いない。
そう言い残して、ソフィアはゆっくりと前に出た。
トライブを振り返ろうとはしなかった。
トライブの目に映る、ソフィアの後ろ姿が少しずつ小さくなる。
その時だった。
森の中にもはっきりと聞こえるような声で、剣士リオンは力強く叫んだ。
その手には、おそらく慣れない武器を持っているはずだが、そのことは彼にとって全く気にするところではなさそうだ。
やがて、「ゲームマスター」の薄笑いが風に乗って聞こえ、二人の体が動きだすのをトライブは全身で感じた。
その時だった。
トライブは、何千回、何万回も聞いた波長の音を、その耳ではっきりと感じた。
武器と武器が激しくぶつかり合う、力すら感じる音だ。
その音は、最初よりも二回目、三回目になるにしたがって徐々に大きく、激しいものになっていく。
心臓の鼓動と同じようなテンポで鳴り響く、武器と武器とのぶつかり合い。
それは、トライブの心の中でも響き始めた。
リオンは、このゲームから脱落しても……、たとえ傷を負ったとしても……、戦い続けている……。
私だって、剣さえあれば……、今すぐにでも立ち上がれる……。
でも、立ち上がるだけなら、この場に剣なんて必要ない……!
どんな剣を持っても、トライブは「剣の女王」。
そのことだけは間違いない。
ソフィアの声とはっきりと被さるように、トライブはついに一歩を踏み出した。
剣は、アッシュと戦う場所にあればいい。
どんな剣だっていい。
そう思ったとき、トライブはあることを思い出した。
1本。オルティスの刀は間違いなくある。
それ以外に、アーディス自身が持っている剣がある。
それはおそらく、リオンが来る前からアーディスが使っていた武器であり、それこそがコピーとは言え、ヘヴンジャッジだった。
無意識のうちに、トライブの足は武器と武器とがぶつかる場所に、それでもしっかりと向かっていた。
気が付くと、その歩幅は少しずつ大きくなって、やがて走り出しそうな足の運び方をしていた。
それほどに、トライブはそれまでの「遅れ」を取り返そうとしていた。
その時、トライブの目の前に広がる景色が大きく開けて、その向こう側でリオンの姿をはっきりと見た。
だが、リオンの体は既に後ろに傾いており、リオンの手にした武器が七色の光を放つ剣に今にも跳ね飛ばされようとしていた。
同時に、トライブは真っ二つに折れた剣の先を、その足で感じた。
思わず足を離すと、それは紛れもなくヘヴンジャッジだった……。
五聖剣の力が全て集ったレインボーブレードの破壊力は、それほどまでに凄まじく、名の知れた武器でさえ簡単に折ってしまう。
そうと分かっていても、リオンはアッシュに立ち向かっていく。
それでも、その勇気すら限界に来ていたのだった。
リオンの手からオルティスの刀が舞い散り、次の瞬間、アッシュがその体をレインボーブレードで鋭く突き刺した。
力なく崩れ落ちるリオンを、トライブはあと数歩のところで見届けるしかなかった。