謎解きより難しきは

文字数 4,594文字

 呼ばれて振り返ったら、彼が駆け足で近づいてくるところだった。
「お昼休みですか?」
 彼は平成生まれ最後の天才と謳われているティーンエイジャー名探偵。
「イケイケカレーですね」
 そんなことまでわかるのかい。と返すと彼は。
「今日は半熟卵サービスデーですからね」
 こんなの推理のうちには入りませんよ。と大人を相手に生意気に。まぁ、これくらいはただの会話。からかいのうちには入らない。
 彼がここに来たということは。いつものあれだ。

 彼の完璧な推理の元、逮捕に至った容疑者は拘置所に入る。
 彼は必ず容疑者に面会を申請していた。
 私はその拘置所の職員で、容疑者を面会人のところまで連れて行き、面会が終わるまで不審なこと(容疑者逃亡の手助けをしたりしていないか)を見張る役割をしている。
 普通ならそんな背景の一部を気に留める面会人はいないだろう。なのに彼は容疑者の後ろでただ立っているだけの私を瞬時に記憶していた。
 たぶん偶然なのだが、私服でラーメンをすすっていたら隣に座った彼に声をかけられた。
 彼は一目でわかったと、今と変わらない笑顔をむけたが、私にしてみれば、なんで私なんかのこと記憶しているの? 時間と労力の無駄じゃないの? である。
 世の中に無駄なことなどない。だからあなたのことも記憶する。と彼の口から聞いたときは、宇宙の始まりと終わりについてを真剣に考えてしまったくらいだ。

 そんな彼が本日会いに来た容疑者だが。
「あたしの計画は完璧だったのに」
 そのセリフだけで敗北感が伝わる。立ちふさがった相手が悪かった。
 38歳独身。会社員だった女は同僚の男を殺害した。
 名探偵の彼が絡まなければ事故死認定だったと警察の皆さんが口を揃えて言っている。
 それくらい完璧な殺人を、ドレスの裾をひるがえすように暴いてしまった。
 それも、「被害者宅で猫が鳴いたから迷宮から抜け出せた」と記者会見の席で言い放ったほどに。

「これ以上なんの謎解きよ」
 女は挑戦的な苛立ち。
 私の位置からは女の背中しか見えない。
 逆に強化プラスチックの向こう側にいる彼の顔がはっきり見えるわけだが。
「いえ、謎解きは終わりました」
 彼は容疑者から目をそらさない。どころか那須与一の集中力で相手の表情を読みにかかっている。
 真剣な話をするのに目をそらすなんて、そんな無責任なことできないじゃないですか。と彼は言う。
 容疑者は彼の顔なんか見たくない、という思いが強いのか、横をむいたり下をむいたりイスの背もたれに海老反って聞こえないふりをしたり。
「なにしにきたの」
 女も顔を天井にむけて吐き捨てる。言葉も不機嫌ならイスに座る様も、あぐらをかいているように見えるほどだ。
「あなたに興味があるんです」
 言われて女は唾を吐くように「ケッ」と言ってしまう。
 頭をのぞかせた感情は怒り。彼と対峙する容疑者のほとんどが見せる姿。
「あらそう。どんな女が人を殺すのか知りたいんだ」
 それでも持ち直して挑発を続行する。
「そうです」
 彼があまりにはっきり返すので、女は一瞬たじろいだ。
「僕が暴くのは殺人の方法とアリバイ崩しです。動機は付随するだけのもので。あなたがどういう人生を送ってきた結果こんなことになったのか、までは管轄外です」
「そんなの、当たり前でしょ」
 女の不機嫌は弱味をみせまいとする必死の抵抗だったのかもしれない。だが、この場においても相手が悪い。
「本来ならば」
「なにそれ、どういう意味」
「仕組まれた謎より。人の心の方が複雑で深い」
「犯罪心理学でも学びたいわけ?」
 彼はそれには返さない。
「ふん、どうせ将来は警視庁総監なんでしょ。今から偉そうの練習ってわけ?」
「いえ、K医大に合格しました」
「え? 医者にでもなるつもり?」
 女の語尾があがるのも無理はない。私も彼の進路がそこに行くとは思わなかった。
「そうなります」
「……それは、おめでとう」
「ありがとうございます」
 私も心のなかで祝ったが。彼は警察のキャリアとして活躍するものだと思い込んでいただけに、なにかもったいないような。
「昨日、あなたと被害者が勤めていた会社に伺いました」
 自分の進路なんて、この空間では何の意味もないとばかりに話を切り替えた。
 女の表情はわからない。背中でしか読み取れない。ただ、お尻を浮かせて座りなおした。
「なにしに行ったのよ」
 女から不快感は消えない。
「上司、同僚、部下。あなたと被害者の思い出話を聞きに」
「思い出ばなしぃ?」
 女は脳天からロケット花火を発射しかねない声を出して立ち上がった。
「被害者は上司にはかなり気に入られていました。いい話しかでてこなかった。男性の部下にも好かれてましたが、おごってくれるからという理由ばかりでした。お調子者だったようですね」
 立ち上がったままの女。握りしめる手が白くなっていく。
「同僚のみなさんは、別に。と」
 印象を聞かれてもたいした思い出がなければ「別に」と言うしかない。
 それは私にも、私のまわりの誰かにも当てはまることかもしれない。
 ため息がでた。
「あなたのことですが」
 自分のことに話がふられて、女は前のめりになる。
「女子社員のみなさんが言っていましたが、被害者のセクハラに、あなたは全くあっていなかったそうですね」
 時計の秒針が10秒分、響き渡る。
「それが、どうしたのよ」
「逮捕されたとき、被害者の行き過ぎたセクハラに天誅をくだしたと騒ぎましたよね。あなたがひどい目にあったんだな。と思っていましたが」
「あいつは女子社員みんなの敵よ」
 急に誇らしげになった容疑者の高ぶりはどこからやってくるのだろう。女の顔を見ることができるのは彼だけだ。
「あたしはみんなが困っていたから助けたの。あたしはみんなのためにやったのよ。みんなが毎日笑って仕事ができるように」
「今日があなたの誕生日だとします」
 見ている私がドキッとした。
 それくらい鮮やかに女の鼻っ柱をへし折った。というか、ざっくり切った。
「会社のお得意様がみなさんへとシュークリームを差し入れてくれました」
 彼の切り返しに私も首をかしげてしまう。
「シュークリームは2種類。イチゴとカスタードです」
 その光景を思い浮かべる。
 休憩室に並べられたシュークリーム。おやつにもってこいの甘い物。
 イチゴとカスタードか。私は凝った物よりスタンダードなのでいいが、女性はそういうわけにはいかないんだろうな。
「あなたはイチゴが食べたい。でもイチゴは30個中5個しかない」
 それから彼は20秒ほど黙ったが、女が反論めいたことを言うことはなかった。それどころか、架空のシュークリームについて考えをまとめているように思える。
「誕生日なんだから、イチゴをもらっても僕はいいと思います」
 彼が示した答えに顔をあげた女は、彼と目を合わせるもなにも言い返さなかった。私からでは表情が見えないのがつくづく残念だ。
「率先してイチゴを手に取っても、年に一度の誕生日なら、だれもあなたを責めません。それくらいのペースでいいから、他人のことより自分の気持ちを優先して生きてみませんか」
 彼はシュークリームを包み込むような目を向けている。
 女は言葉を忘れてしまったのだろうか。先ほどまでの威勢の良さが、クリームに埋もれていくように収縮していく。

 面会は終了した。

 それから3ヶ月後、偶然なのか、推理されて待ち伏せされたのかわからないタイミングで彼と顔を合わせることになる。
 イケイケカレー。今日は半熟卵サービスなうえにポイントも2倍というお得すぎる日だった。
 店の前で会ったので、一緒にランチをすることにした。というか、彼の思惑どおりなのかもしれない。
「初公判の日が決まりましたね」
 あの女のことだなと思えた。
「シュークリームの話、覚えていますか」
 覚えている。彼と容疑者の面会で私が立ち会ったものはすべて覚えている。
「あれは推理で言いました」
 スプーンに乗せた福神漬けを落としてしまった。
「僕が会った女子社員たちは、だれも彼女に感謝していなかったんです」
 女は犯罪まがいのセクハラからみんなを守るため。己の正義にのっとって行動したと主張していた。
「逆にドン引きでした」

 被害者はキモかったけど、殺してくれなんてだれも頼んでない。
 逆にこっちがアイツ(被害者)を遊んでやってたのに。
 被害者はなんでも買ってくれるし、おごってくれるし。あたしら同僚はうまいことホテルはかわしてたわよね。
 若い子は泣かされてたのいたみたいだけど、自己責任じゃん。
 なんでも言うこときいてくれる人(加害者)だったから便利だったわよ。
 加害者は好きでも嫌いでもない。ただなんでもやってくれるから一緒にいると楽だった。
 加害者は仕事でも飲みでもワガママきいてくれるし。
 自分がミスしたわけでもないのに残業やってくれるしさ。
 こっちが酔い潰れると介抱してくれるし。
 あ、そうそう。彼女がいると安心して飲めるのよね。なんとかしてくれるから。
 みんなが心配で自分は酔えないとか言ってたよね。
 いてくれて重宝。ありがとう的存在。

「自分は常に我慢して、他人を優先する傾向があるんでしょう」
 彼はリズムよくカレーを口に運ぶ。
「理不尽で納得ができなくても、身近な人のためなら尽くして感謝されたい。他人に喜んでもらえることに生きがいを感じるタイプだろうなと」
 他人のために殺人までするのか? それって、おかしくないか。
 いや、普通の神経じゃないから殺人するのか。
「今度は卵が落ちそうですよ」
 黄味が半分ずり落ちていた。
「彼女に必要なのは、ほんのすこしの自己主張。と思ってシュークリームの話をしたんですけど」
 しまった、カレーの上に半熟卵が逆戻りだ。どっかはねなかったかな。
「いいアドバイスだったかな?」
 え?
 なぜ疑問? それ私に聞いているのか? 私の目を見てる? あの場にいたから? どう言えばいいんだ? 私はしがない刑務官だぞ? あれ、なんで自分の職業疑問形?

 えっと、その……大学はどう? 楽しいかい?

 私は逃げた。答えようがないから仕方がない。
 だって想定外だったんだよ。私なんかに問いかけとか、医大に行くとか。
 カレー、口からあふれるほどかっ込んだ。
 彼もカレーを口に運ぶ。
 美味しいよな、イケイケカレー。ランチは特にお得だよな。
「事件は簡単だけど。人間は難しいです」
 皿を空にした彼がつぶやいた。
「それでも解けない謎はないと思っています」
 私も皿が空になった。
 焦ったから米粒は散らばっているし、皿の端っこに黄身の筋。
 彼の皿は軽くこすれば落ちそうなくらいきれいだ。
「心の仕組みを解くことができたら、犯罪減少に繋げることができるんじゃないか。って思うんです」

 彼は必ず拘置所の容疑者に会いに行く。

 あくまで私の推理だけど。君は、精神科医になるのかな。
「どこまでやれるのかわかりませんけど」
 彼は、はにかむように笑った。   
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