第1話

文字数 794文字

 近所を散歩していたら、カラカラに乾いた桜の枝を一本見つけた。
 それを持ち帰り、お祖母ちゃんの形見である箪笥の一番下の引き出しに
 新聞紙を敷き、土を広げて、その上にそっと置いた。
 時々覗いて霧吹きをかけたりしていたが、あまり変化がないので
 そのうち忘れてしまった。


 でもある日、仕事から帰ってくると
 箪笥の下のほうが騒がしいので、久しぶりにその引き出しを開けてみた。
 すると、古い枝から伸びた新しい枝の先で、
 桜の花が小さくこんもりと、満開になっていた。
 その間には、十軒ほどの家が建ち、小さな村のようになっていた。
 しばらく眺めていると、村人の一人が私に気づいて挨拶したので、
 私も挨拶を返した。そのまま世間話になった。
 「──ところで、この前、私の姪に子供が生まれましてねえ」
 「それは、おめでとうございます」
 「どうもありがとうございます。…だけど、三つ子だったものだから、
 用意していた名前が足りなくてねえ。…よろしければ、あなた、
 何かいいのを付けてくれませんか?」
 突然の話だったが、その子が生まれたのに、私は関係がないと
 言えないと思ったので、うーん、うーんと首をひねり、
 「 “桜”なんて、どうですか?」
 と言ってみたら、村人のおばさんは顔をしかめた。
 「あなた、この村の殆どの女が、“桜”という名前なのですよ?
 私もそうだし、村の名前からして、桜村なんです。
 それじゃあ、ちょっと、困るのよねえ」


 すみません、安易でした、と私は頭を下げ、
 この次引き出しを開ける時までに、
 きっといい名前を考えると約束して、別れた。
 そしてメイクを落とすのも忘れ、
 ネットで『素敵な赤ちゃんの名前』を検索し始めた。



 〈おわり〉

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