第39話 審判

文字数 2,564文字

土管公園までの道すがら、歩道に転がる青々とした柿の実を、一羽のカラスがついばんでいます。
夕焼けの空は手が届かないほど高くて、背伸びをしたら捕まえられそうな飛行機が、おならをしながら羽田へと飛んで行きました。
古民家の大きな垣根は、深緑から茜色へいつの間にか変わっていて、そこで畑仕事をしているおばあちゃんの背筋はピシャリと伸びていました。
みたらしが軽く挨拶を交わすと、おばあちゃんはいつもにっこり微笑んでくれました。
道路を行き交う車の排気ガスと、遠くから香るお線香の匂い。
ネコジンになって初めて迎える季節の移り変わりは、みたらしに好奇心を与えてくれました。
人間という生き物は不思議でした。
群れをなして集団で生命を育んでいる。
役割もあって協力しながら、自己犠牲も顧みずに毎日毎日を同じように、当たり前に繰り返しては死んでいく。
それは素敵ないのちのルーティーンだとみたらしは思っていましたが、どうやら大半の人間達は違うようです。
自由な生き方や権利。
利便性を追求した社会の主義や主張に、知らず知らずのうちに世界は呑み込まれていたのです。
それでも、生きる理由を健気に探す人間達は、みたらしには興味深い研究材料でした。

何がそうさせているのだろう?

暮らしは豊かになっても、心は貧しくなるばかり。
出来るだけ、自分が優位に立とうとする虚栄心。
子を育て、友と笑い、ひとりで泣いて生きる人間・・・。
急に大きくなったばかりの脳みそで考えても、その理由が解明出来る筈もなく、だったら散歩をすれば何とかなるだろうといった猫脳は、みたらしを日に日に陽気にさせてしまったのです。
淋しさや、世界から取り残された感覚は猫時代でもありましたが、雪之丞と毛繕いをし合ったり、土管公園の仲間達と遊んでいると、その日の夜にはすっかり孤独感はなくなっていました。
ところが人間達は、群れで生活する生き物なのに常に淋しさが付きまとっているのです。
みたらしにはそれも謎でした。
素直に助けを求めたらいいのに。

クサヒバリやマツムシが鳴き始めるこの時期、夕方6時を過ぎると星々もいっそう賑やかになって、葡萄色と濡羽色の空に息吹を散りばめていきます。
街中のネオンよりも美しい、天空のグラディエーション。
みたらしは、土管公園の仲間達との再会に胸を躍らせていました。
恋を語り、愛を奏で、がしゃがしゃぶんぶんの狂喜乱舞に酔いしれた夜の集会。
神ねこ主様の与太話と、隣でジッと様子を窺うびびりのよもぎ。
眠り姫のあんこの鼻ちょうちんと、鈴吉のつまらないジョークを笑うカッコつけのあずき。
ツンデレミィや、のーてんきのぶちや、居なくなったライア。
そして、逃亡を続けるあぶらたにの7つの子たち。
その後の運命は違えども、みたらしの想いではおもちゃ箱の中で歩き続けておりました。
真っ白なスニーカーも今ではすっかり足に馴染んで、四つ足時代とは違う風景を躍動させています。
みたらしには、やってみたいこともありました。
高ぶる気持ちを抑えきれなくなった人間達が好む動作です。
片足で軽く飛び跳ねる動作を交互に連続させる業。
スキップしながらのお散歩に憧れていたのです。
立ち止まって左足をピンと踏ん張って、右足で2回ステップを踏んだ後からの続け様の左足。
前に出そうとしても、生まれて初めてのスキップはなかなか上手くはいきません。
どったんばったんうさぎ跳びみたいになりながら、周囲の目線もお構いなしに進んでいくと、ようやく土管公園が見えてきました。
ところが、見慣れた風景は一変していました。
公園の周囲には鉄条網が張り巡らされ、みんなでおしくらまんじゅうをした土管も撤去されていたのです。
残っているのは大木だけで、その枝は哀しげにしくしくと風に泣かされていました。
日も暮れた空の下、立ち入り禁止の看板の赤い文字が不気味に見えて、みたらしはしばらくその場所から動けませんでした。

「見てみなよ、人間に魂を売りやがった裏切り者のお出ましだ。偉そうに2本足でおいら達を見下してやがんだ。いやだねえ、おいらなんてよお、鴨を辞めたいなんざ一度だって思ったことはねえよ、それに比べて猫ときたら・・・」

「そうかい?おらはやっぱりやんだなあ・・・願わくばいっぺんくらいは人様になってみてえもん」

「おうおうおう、2号! おめえ今なんつった!?」

「願わくばいっぺんくらいは・・・」

「その後でい!馬鹿野郎のこんこんちきめ!」

「人様・・・あっ!」

「おうよ、なんでわざわざ人間なんかに様なんて付けるんだよ!様は鴨様で充分でい!」

呆然自失のみたらしをからかう声は、かもちゃんず1号と2号でした。
大木のいちばん低い枝に乗って、黄色いくちばしをやいのやいのと開いても、みたらしは何の反応も示しません。
段々心配になった1号と2号は、今度は羽根をバタつかせながら言いました。

「おうおう、何とか言ったらどうなんでい。四つ足から逃げたのはおめえなんだぜ。おうおう・・・てか・・・大丈夫か? べ、別にみんな保護された訳じゃねえんだからよお・・・そう大根みたいにぬぼ~っと立っててもしょうがねえじゃねえか・・・ん?」

「んだよお。てか1号・・・おらたち鳥目だからさ・・・よく見えねえんだども・・・こいつ泣いてんのけ?」

「男が泣いてたまるかってんだ! 泣いてんのか?」

みたらしはゆっくりと口を開きました。

「保護って・・・?」

すると1号がすかさず。

「2週間預かってくれんのよ。それが過ぎたら殺されちまうけどな」

「こんれえ1号・・・無神経だっちゃ・・・」

「ああああああっ!!」

青白く見える月明り。
血の色をした立て看板の文字。
みたらしはへたり込んでわんわん泣いてしまいました。
1号も2号もどうする事も出来なくて、ただただ枝の上から見守るしかありませんでした。
するとそこへ、とても巨大なしゃぼん玉がふわりふわりと近付いて、みたらしの頭の上をぐるぐると回り始めたのです。
1号が叫びました。

「おい!いつまでも泣いてんじゃねえやい!ほら、眠り姫の鼻ちょうちん玉が呼んでるぜい!」

みたらしが顔をあげると、はなちょうちん玉から声が聞こえました。

「かも~ん!」

その言葉を聞いて、みたらしはみんなが生きていて自分を呼んでいるのだと気が付きました。
眠り姫のあんこの声を、初めて聞いた瞬間でもありました。
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