2章―1
文字数 3,799文字
[家族]を乗せた銀色のキャンピングカーは、寂しげな郊外を駆けてゆく。
双子、デラとドリは窓から身を乗り出し騒いでいる。アースはその後ろ姿を見て肝を冷やしていた。万が一落下したら大怪我どころではないだろう。だがこちらの心配をよそに、彼らは窓から首を引っこめた。
「ねぇねぇ、次の場所ってどこー?」
「そうねぇ。この辺りでいいんじゃないかしら?」
助手席で双眼鏡を覗きこむメイラは隣に話を振る。運転中のノレインは「そうだな」と呟き、こちらを振り向いた。
「よし、この周辺にしよう。停まり次第体を慣らしてくれ!」
「きゃあ! ルイン、前見て!」
「え、ぬああああ⁉」
アース達も悲鳴を上げる。いつの間にか道路を反れ、街路樹に衝突しそうになっていたのだ。ノレインは慌ててハンドルを切る。間一髪、車体は街路樹の真横に止まった。
「ふぅ、危なかったな。皆、大丈夫か?」
ノレインは再びこちらを振り向き愕然とする。アース達は座席から投げ出され、床に折り重なっていた。
ミックだけがシートベルトをしており無事だったが、彼女は呆れたように溜息をついている。アースは「今度からはちゃんとシートベルトをつけよう」と、反省するのだった。
ここは都市部にほど近い、国道沿いの広い空き地である。周囲に家屋はない。道沿いに街路樹が点々と連なっている他には植物もなく、茶色の地面が地平線の奥まで広がっている。
アースは窓に目を向ける。オレンジ色の太陽が、じわじわと地平線に消えてゆく様子が見えた。あと数分もすれば、あっという間に暗くなるだろう。
[家族]は外で思い思いに練習しているが、アースはノレインと共に車内に残っていた。食材の下ごしらえも終わり、後はシチューを煮こむだけ。テーブルと椅子の用意も済んだため、アースは練習風景を眺めていた。
彼らは火の輪に怖気づいて逃げるスウィートを追いかけ、「大丈夫!」、「スウィートなら出来る!」と必死に励ましている。その様子を見ているうちに、ある想いが膨れ上がってきた。
「あの、ルインさん」
「どうした?」
ノレインは鍋から目を離し、こちらを振り向く。アースは勇気を振り絞って要望を伝えた。
「僕もみんなの、[オリヂナル]の力になりたいんです。僕にもできることはありますか?」
ノレインは笑みを零す。そしてコンロの火を弱め、こちらに歩み寄った。
「アース。逆に聞くが、君が『やってみたい』ことはあるか?」
「えっ」
予想外のことを聞かれ混乱する。アースは[オリヂナル]の舞台に立つ自分を想像した。[家族]はそれぞれが特技、または[潜在能力]を生かした演技をしているが、自分の場合はどうだろうか。
すると突然、ある記憶が脳裏を過る。肌をくすぐる冷たく心地良い感覚。地上の音を全て掻き消す透明な世界。[潜在能力]も活かせる特技があったことを、アースは思い出した。
「僕、泳ぎたいです」
「よく言った。ありがとうな」
ノレインはアースの頭を撫で、続いて口髭を弄りながら考えこむ。
「そうだな、君には『水中ショー』が合ってるかもしれないぞ」
「水中ショー、ですか?」
アースは首を傾げる。ノレインは壁際の棚から一冊のアルバムを出し、テーブルの上に広げた。
「水中を優雅に泳いで、美しさや力強さを表現するんだ。水族館のイルカショーみたいに、な」
ノレインはページをぱらぱらと捲り、一枚の写真を指差した。アースは覗きこむ。そこには、水面からジャンプするイルカの姿があった。
「サーカスの中の、水族館……」
「そうだ。世界中の誰にも真似出来ない、君だけの演目だ」
左肩に温かな掌が置かれる。アースはイルカの写真を見つめたまま、拳を握りしめた。上手く出来るだろうか、という不安も大きいが、あの熱狂の舞台を思うと気分が高揚した。
「よし。そうと決まれば、公演は衣装の水着が出来た後にしよう。君の初舞台、華々しく飾ろうじゃないかッ!」
「えっ、ま、待ってください。泳げる場所はあるんですか?」
アース達がいるカルク島は、[島]全体に水道が整備されている。川のない乾いた土地も多いが、このような場所では地下水源から水を汲み上げるらしい。この近辺にも蛇口があるため、(利用量分の硬貨が必要だが)生活水には困らないはずだ。
しかし、問題は水を溜める入れ物が無いこと。このキャンピングカーにはプールどころか、バスタブすらないのだ。ノレインは途端に薄い頭を抱えたが、何か閃いたのか、「ぬはは」と笑いながら反り返った。
「それなら心配はいらない。プール代わりになる『とっておき』があるんだ!」
――
数日後。午後の練習も終わり、時刻は既に夕方である。今日も眩い夕日が辺り一帯を照らしていた。この様子だと、雨はしばらく降らないだろう。
明日はいよいよ[オリヂナル]の公演日だ。リハーサルをするため、[家族]総出でテント設営を始めた。
「皆、いつも以上に素早く組み立てるんだぞ! 早く出来た分だけ、リハーサルの時間も多めに取れるからなッ!」
ノレインはテントの部品を地面に下ろしつつ、[家族]を鼓舞する。夫婦とスウィートはキャンピングカーから大道具を搬出し、双子と兄妹は外でパーツを組み立てている。アースは次から次へと現れる物品を呆然と眺めていた。
「この車にこれだけの量が載ってるとは思わなかっただろう?」
「は、はい。驚きました」
ノレインに話しかけられ、アースは何度も頷く。[家族]になった日は疲労に襲われ、気絶するように眠りこんでしまった。テント解体の様子も見ておらず、どこに部品を片づけたのか謎だったが、どうやら車内屋根裏に保管しているらしい。
「さぁ、君も手伝ってくれ。怪我をしないようにな」
「はい!」
アースはノレインから工具箱を受け取る。視線の先では、モレノ達が笑顔で手招きしていた。
その時、視界の隅で何かが光った。アースは目線を少し上げ、前方の街路樹を注視する。綺麗な一筋の曲線が一瞬だけ見えたような。
「おーい、アース! 何かあったか?」
「えっ……あ、ごめん、何でもないよ!」
モレノに呼びかけられ、アースは慌てて街路樹から目を逸らす。そのまま設営の手伝いに加わったが、先程目にした煌めきが頭から離れない。
「(あれはどう見ても髪の毛だよね? 誰かがこっちを見ていた、のかな……?)」
――
翌日。開演まで数時間あるというのに、赤と黄色のテントの前には既に行列が出来ていた。
道路の数キロメートル先には町がある。そこから往来する人々が目をつけ、立ち寄ったのだろう。空き地には数十台が停車していた。淋しげな風景の中で、この近辺だけが賑やかである。
この状況を考慮し、開場・開演時間を早めることになった。アース達はそそくさと準備を始めるが、モレノと双子は窓にかじりつき動こうとしない。
「おぉっ、こんな数の客初めてだな。なんかワクワクするぜ!」
「ねぇデラ、僕緊張してきたよ」
「ねぇドリ、てか僕たち助手じゃん」
すると彼らに気づいたメイラが、化粧道具を床に叩きつけながら叫んだ。
「いつまでも外ばっか見てないで、さっさと着替えなさいよおおおおおぉぉ‼」
三人は同時に飛び上がり、一目散に逃げてゆく。アースも部屋に戻ろうとするが、ミックに引き止められた。
「……アース、がんばってね」
ミックは心配そうに俯いている。そういえば、昨晩はあまり眠れていない。初舞台を思うと緊張で倒れそうになるが、彼女の励ましは嬉しく、勇気が湧いた。アースはミックの手を取り、恥ずかしげに礼を述べた。
「ミック、ありがとう。お互いがんばろうね」
着替えと準備を済ませ、舞台裏に移動する。間もなく拍手が耳に届き、[オリヂナル]の公演が始まった。アース達は舞台袖から様子を伺う。満席の上、立ち見の観客も大勢いるようだ。
「わぁ、すごい人数!」
「おい。お前らはルインさんについてないと」
「あっ、そうだった。行ってきまーす♪」
双子は舞台袖の両端から、同時に歩みを進めた。シルクハットを取ったノレインの薄い頭にスポットライトが反射する。アースはそこから目を背け、隣にいるモレノに小声で話しかけた。
「ねぇモレノ。新しい[家族]、見つかると思う?」
「うーん、どうだろうな。何年もやってきたけど、初めて見つかったのがお前だしなー」
モレノは「まぁ焦らずいこうぜ!」とこちらの背を叩き、その場を離れる。まさか自分が初めての成功例だったとは。[家族]を探し当てるのは、予想より遥かに難しいらしい。
だが、アースはふと気づく。ノレインはモレノとミックのことを『[オリヂナル]初期メンバー』と紹介したはずだが、兄妹は公演で見つかった訳ではないのか。
疑問に思う中、野太い悲鳴で我に返る。舞台に目を向けると、火の輪潜りに失敗したスウィートが双子(多分ドリ)に消火されていた。
アースの演目は最後である。出番が徐々に迫り、緊張で体が強張ってきた。体をほぐさなければ、一歩も動けなくなりそうだ。
舞台袖から振り返ると、ノレインの言う『とっておき』の姿が見えた。猛特訓の日々を思い返し、アースは静かに闘志を燃やす。
応援してくれた[家族]、期待に胸を膨らませる観客、そして、新しい人生を往く自分のために最高の演技をしたい。アースは平静を取り戻し、最終調整をしながら出番を待った。
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