第1話 出逢いです。

文字数 2,278文字

簡易テントの中を天井からぶら下がる一つの小さなランプが照らしている。しかし、明かりは小さく部屋和薄暗い。無造作に置かれた荷物の上にはホコリが被っており、長い間手を着けていようだった。  
ランプの真下にあるテーブルに向かう会うように座っている二人。四十二歳 になる直樹は堅苦しい表情で一人の少年の言葉を聞いていた。十三歳の少年には息苦しい空間だった。しかし、少年にも目的があり、このテントへと自ら足を踏み込んだのだった。一通り喋り終えたのち、少年は頭を下げて言った。
「ごめんなさい」
少年は顔をあげることが出来ず、ずっと机を見続ける。直樹は何も喋ることもなく、少年をただ見ているだけだった。何も言わない直樹に、少年は恐る恐る顔を上げる。そして、そっと直樹の顔を確認するが、何も表情が変わること無かった。
「人間は簡単に死ぬ。それはあの子も理解していたはずだ。そう教えてきたからな。」
そう言って直樹はテーブルの隅に立てかけてある写真に目線を向ける。
そこには今と変わらない無表情の直樹の姿とその子供の姿が映っていた。
「関係を持てば、その分別れは辛くなる。だが、その関係に後悔だけはするな。」
直樹の声が少しだけ優しくなっていた気がした。
そう、この子。この子の出会いが私に大きな変化を与えてくれた。この子と出会いが私にどの様な影響を与えたか、実際の所は分からない。けれど、今の私の中で間違いなく大切な存在だ。全てを飲み込むかのような真っ暗な夜空の中、一際大きく輝く月のように。




今から四年前に遡る。私はインドのとある郊外にいた。
馬車や車など、色々の国の文化が入り混じっている大通り。なんの整備もされていないとても大きな通路だったが、行き交う人々によって、この通路は踏み固められていた。大通りの雑音は、この街の活気を表しているようでもあった。
高層ビルのような高い建築物はなく、見えるのは石や土で作られているような建物ばかりだ。全体的に高い建物がないため、太陽の光は遮られることなく、大通り全体をギラギラと照らしている。しかし、通る人々は皆、不思議と笑顔だった。
太陽の光や熱に負けないような笑顔と活気は、飽和しているかのように大きな陽炎が大通りを包んでいる。皆が幸せを運び、幸せを配り、幸せを育んでいるようだった。辛いことがあっても不思議と笑顔になれるこの場所が、私を一瞬でも現実を忘れさせてくれた。夢でも見ているかのように、幸せに浸ることができた。
そんな三十過ぎの男の視界の隅に映る、薄暗く細い路地。光の差し込まない、その路地はまるで別世界のようだった。現実へ引き戻されるように、目線を奪われる。
そうだ、私はそっち側の人間だ。これは、間違ってはいない、極めて自然で必然の事だ。今まで何人もの人間を殺して生きてきた私には、この明るい場所は似合わない。いや、いるべきではないのだ、と改めて実感する。
私は一人、その薄暗い路地へと歩いて行った。日の差す大通りとは対照的に日の差し込まない細く伸びる道。すべてのものを飲み込むようなその空間。それは、自分の足音すら吸収されているかのように、物静かだった。
 小さな道を塞ぐように寝ている子どもたち。体は痩せ細っていて、まるで干からびているかのようだ。生きているのか、死んでいるのかもわからないような子どもたちを跨ぎながら、前へと進む。路地を進めば進むほど、大通りから離れれば離れるほど、座り込んでいる子どもたちは徐々に少なくなっていく。その代わりに、異臭が強くなっていった。
 そう、腐敗臭だ。それでも私は歩みを止めることはない。その途中、通路に横たわる子どもたちを何人も目にした。もう死んでいる。ただの死体。
 それから少し進んだ所だった。私は立ち止まり、左に短く伸びる通路へと目線を向ける。その通路の奥に動く影があった。普段なら通り過ぎる私だが、なぜかその日は違った。
私はその通路を左に曲がり、影のもとへと近づく。近づくにつれだんだん見えてくる、小さく動く何か。その体は凄く汚く、野犬のようでもあった。よく見ると汚い体は体では無く、布だった。ここまで来たら見間違えるはずもない。影の正体は子供だった。死体の前でかがみ、何かをしている子どもの後ろ姿。あまりにも臭く汚れていて、後ろ姿では性別の判断もままならない。その子どもは弱々しくも手と口をなんとか動かしているようだった。その子どもは私が近づいても振り向きもせず、何か行動を続けている。
気づいていないのか、私はその子どもに声をかけた。
「おい、なにをしている」
私の声に肩を動かした子どもはゆっくりと、後ろを振り返る。
その子の視界に映っているのは、私の足だった。それから、ゆっくりと顔を上げて、私の顔を見る。その子どもは、口と手を赤黒く染めていた。それが何なのか、子どもが何をしていたかは考えるまでもなかった。死体を喰っていたのだ。
その異様な光景に一瞬息を飲むが、それと同時に一つの考えが浮かぶ。今考えて見れば、何を血迷った事をしているのかと、自分に言ってやりたい。
私は子どもに聞いた。
「生きたいか」
しかし、じっと私を見つめる子どもに反応はなかった。言語が通じなかったのだろうか。そもそも、言葉がわからないのかもしれない。
もう一度、声をかけようと口を開く。しかし、私の口から言葉が発せられることはなかった。子どもの目を見て、声をかけるのをやめた。その目は死んではいなかった。腐ってはいなかった。このゴミのような環境、光のささない暗闇の中、たった一つだけ、その子どもの瞳だけは光をはなっていた。


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