7.トレーナー・由佳

文字数 1,915文字

7.トレーナー・由佳

 幸い、肋骨の怪我もたいしたことはなく、俺は万全の状態で秋のリーグ戦を迎えることが出来た。
 初戦の相手はA学院。
 春の時ほどの大差はつかなかったが、終止リードを保って快勝を収めた。

 春の時は圧勝だったが、それは相手を格上と見てリスクを恐れずに闘志全開で戦った結果、今回は勝ち切ることを意識して冷静に戦った結果の快勝だ、むしろ自分たちに力がついたことを実感できる勝利だった。

 翌週の第2戦、相手はA学院より実力的に劣る。
 試合は一方的な展開になり、俺は前半だけで2本のタッチダウンを挙げた。
 一方的にリードしている展開であれば、俺は無理にハードヒットを受けるリスクを冒す必要はない、それはむしろチームにとってマイナスになる、とは言っても自分で自分に課した課題はあるし、リードしている戦況であれば時間を消費するのも重要な戦術、俺は極力サイドライン際のコースを取ることを避けて内側に切れ込むプレーを多用した。
 相手は昨年までの俺のイメージがあるのか、サイドライン側にフェイントをかけると簡単に引っかかってくれて、俺は思う存分走り回ることが出来た。
 
 ハーフタイムで引き上げて来ると、監督から『ご苦労さん、後半は2年生に譲ってやってくれ』と言われた、もちろんそれが来年以降のチームの為でもあるし、俺にも異存はない。

 トレーナーたちが忙しく立ち働いている、俺はその中に由佳の姿を探したのだが……。

「由佳は?」
 俺は下級生のトレーナーを捕まえて訊いた。
「先輩、急に倒れちゃったんですよ」
「倒れた?」
「調子が悪そうだなとは思ったんです、でも先輩、率先して働いて……で、急に膝をついたと思ったらそのまま横になって動けなくなっちゃって」
「どうしたんだ?」
「わかりませんけど……優子さんが監督の車を借りて病院に」
「あのな、そういう時は救急車を呼ぶもんだ、早く着くし、病院の対応も違うから」
「あ……そうか」
「よく覚えておいてくれよ……ところで、どこの病院だ?」
「さあ……」
「優子が戻るまでわからないか……」

 後半はサイドラインから試合を見ていたが、俺の気持ちはどこかわからない病院に飛んでいた。


「よう……倒れたんだって?」
「あ、鷲尾君……お見舞いに来てくれたの?」
「まあな、脳震盪だとか肋骨だとか世話になってるからな、どんな具合だ?」
「今は落ち着いてる」
「貧血か何かか? ダイエットしすぎとかで」
「ギラン・バレー症候群だって」
「何だ? それ」

 きっかけは5日ほど前にひいた風邪だったらしい。
 体が抗体を作って病原体を攻撃する際に、間違えて自分の体そのものを攻撃してしまうことがある、それがギラン・バレー症候群なのだそうだ。

「じきに直るんだろ?」
「この1週間で何もなければ……呼吸もできなくなっちゃう人も居るんだって」
「それって……拙くないか?」
「うん……亡くなる人も稀にいるわ……でも、大丈夫、死ぬ気しないもん」
「死ぬ気がしないって……そんなの当てになるかよ」
「看護学科だもん、一応の知識はあるよ……多分大丈夫」
「多分って……」

 由佳は俺が脳震盪で気を失った時、『怖かった』と言った……俺もその気持ちが痛いほどわかった。
 由佳がこの世から居なくなるかもしれない、そう思った瞬間、頭の中が真っ白になりかけた。
 安っぽいメロドラマだったらピアノの不協和音と同時に暗転して俺だけにスポットが当たる所だ。

「試合、どうだった?」
 由佳の一言で現実に引き戻された。
「あ、ああ……前半ほどじゃなかったけど、後半も少し点差を広げて勝ったよ」
「後半は出なかったんでしょ? 監督がコーチと相談してた」
「ああ、2年生にも経験を積ませないとな」
「やっぱり鷲尾君がいるといないとじゃ違うね、前半は着実に点が取れてたもん」
「あのな、今は試合の事より自分のことを考えろよ」
「だって、点滴しながら寝てるしかすることないんだもん」
「絶対良くなれよ、またサポートしてくれよ」
「ごめん……それはちょっと無理みたい……リハビリが終わるのが、どんなに早くても3ヵ月後くらいになると思う、リーグ戦終わっちゃう」
「じゃ、入れ替え戦だ、サイドラインには立てなくても見に来るくらいは出来るだろう?」
「うん、多分」
「多分じゃだめだ、必ず来いよ、俺たちも絶対に入れ替え戦に出るからさ」
「うん……わかった、指きり」
「え? あ、うん、指きりだ」
 俺は由佳と指切りをして病室を後にした、本当は指切りなんかじゃなく、抱きしめたかったのだが……。

 
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