拾い子
文字数 1,520文字
村の人は病気にかかると、洪庵のところに行くようになった。しかし洪庵は、相当に重度である流行病 に限り、呪術での治療を行うと伝えた。それ以外は、若い時分に学んだ薬学の知識を活かし、自らが煎じた薬を患者に処方した。村の人も村に医者がいないうえに、わずかばかりの代金で洪庵が薬をだしてくれるため、呪術を使って治療をしろと、わざわざ文句を言い立てるような心得違いをするものはいなかった。
ある日、村から少し離れた山に、ハチを連れて薬の原料となる草花を探し歩いていると、前方にある竹やぶの中から赤子の泣くような声が聞こえた。洪庵はとても嫌な感じがした。そのまま何もなかったかのように通り過ぎてしまおうかと考えたが、そうすることができなかった。泣き声がする竹やぶの中に入っていくと、予期した通り、おくるみに包まれた赤子が捨てられていた。
(ああ、やっぱり……)
「ハチ、どうしよう?」
ハチはまるで聞こえていないかのように見向きもしなかった。
赤子は洪庵の気配に勘づいたのか、さらに激しく泣き始めた。洪庵はハチを横目でみたが、顔をあらぬ方向に向け、何も見えていないかのように振る舞っていた。
(ハチにたずねても仕方ないか)
(俺が拾って育てる義理も縁もない)
「すまないが、許してくれ」と赤子に向かって小さな声で祈るように言った。
「ハチ、行こう」
さざなみたっている気持ちを抑え、その場を立ち去った。足取りは自然と重くなったが、どうしようもないことなんだと己を納得させた。
それからしばらく歩いていると、突然、春の暖かな一陣の強い風がゴォッと、まるで洪庵の行く手を遮るかのように吹いた。風は周辺の木々の枝と青葉を大きく揺らした。その途端、平生を装えていたはずの洪庵の心が激しく揺り戻された。
(あの赤子はなぜ生まれてきたのだろうか? 何の因果でああならなければならなかったのだろうか?)
疑問が頭をもたげると、体は反対方向を向き、足早に来た道を戻りはじめていた。ハチは首をうなだれながら付いていった。
竹やぶが見えるところまで戻って来ると、密集した竹越しに野犬の姿がちらりと見えた。
(しまった!)
洪庵の身体に戦慄がはしった。
急いで赤子のいる場所に駆け付けた。そこには、赤子に襲いかかろうとしている黒い体毛の飢えた野犬が三匹いた。
(間に合ったか)
野犬は近付いてきた洪庵をみとがめると、牙を剥き低いうなり声をあげ威嚇しはじめた。洪庵は草花を入れる籠しか持っていなかったため、手近に野犬を追い払うことができるようなものはないかと焦り探したが、小さな木枝くらいしか見つけられなかった。このまま素手で戦うしかないと腹を括ると、ハチが洪庵の後ろから野犬に向かって牙を剥き、目を怒らせ、威嚇するように一歩づつ野犬の群れへと近付いていった。野犬の群れは、近付いてくる同程度の体躯のハチに対し、襲いかかる体勢をとりはじめた。ハチはそれに臆するところなく、全身の毛を逆立てて、さらに数歩近付くと、一声に吠えた。その吠え声は、洪庵でさえも慄くほどの威圧感と威厳があった。その瞬間、野犬の群れは急に恐れをなして、山の中へとちりぢりに逃げ去っていった。
洪庵は野犬が居なくなると、徐々に落ち着きを取り戻し、ハチに向かって、
「ありがとう、ハチ」と言った。
ハチは威嚇の顔つきを変えずに振り返り、洪庵を見上げた。
「すまない、ハチ」と洪庵は幾度も謝り、
「もう二度とこんなことはしない」とハチに言った。
するとハチは表情を崩しはしたが、不満気で何か言いたいのを我慢しているようにみえた。
洪庵はまだ少し震える手付きで、赤子にケガはないか全身を確認してみた。幸いにもケガはなさそうであった。
ある日、村から少し離れた山に、ハチを連れて薬の原料となる草花を探し歩いていると、前方にある竹やぶの中から赤子の泣くような声が聞こえた。洪庵はとても嫌な感じがした。そのまま何もなかったかのように通り過ぎてしまおうかと考えたが、そうすることができなかった。泣き声がする竹やぶの中に入っていくと、予期した通り、おくるみに包まれた赤子が捨てられていた。
(ああ、やっぱり……)
「ハチ、どうしよう?」
ハチはまるで聞こえていないかのように見向きもしなかった。
赤子は洪庵の気配に勘づいたのか、さらに激しく泣き始めた。洪庵はハチを横目でみたが、顔をあらぬ方向に向け、何も見えていないかのように振る舞っていた。
(ハチにたずねても仕方ないか)
(俺が拾って育てる義理も縁もない)
「すまないが、許してくれ」と赤子に向かって小さな声で祈るように言った。
「ハチ、行こう」
さざなみたっている気持ちを抑え、その場を立ち去った。足取りは自然と重くなったが、どうしようもないことなんだと己を納得させた。
それからしばらく歩いていると、突然、春の暖かな一陣の強い風がゴォッと、まるで洪庵の行く手を遮るかのように吹いた。風は周辺の木々の枝と青葉を大きく揺らした。その途端、平生を装えていたはずの洪庵の心が激しく揺り戻された。
(あの赤子はなぜ生まれてきたのだろうか? 何の因果でああならなければならなかったのだろうか?)
疑問が頭をもたげると、体は反対方向を向き、足早に来た道を戻りはじめていた。ハチは首をうなだれながら付いていった。
竹やぶが見えるところまで戻って来ると、密集した竹越しに野犬の姿がちらりと見えた。
(しまった!)
洪庵の身体に戦慄がはしった。
急いで赤子のいる場所に駆け付けた。そこには、赤子に襲いかかろうとしている黒い体毛の飢えた野犬が三匹いた。
(間に合ったか)
野犬は近付いてきた洪庵をみとがめると、牙を剥き低いうなり声をあげ威嚇しはじめた。洪庵は草花を入れる籠しか持っていなかったため、手近に野犬を追い払うことができるようなものはないかと焦り探したが、小さな木枝くらいしか見つけられなかった。このまま素手で戦うしかないと腹を括ると、ハチが洪庵の後ろから野犬に向かって牙を剥き、目を怒らせ、威嚇するように一歩づつ野犬の群れへと近付いていった。野犬の群れは、近付いてくる同程度の体躯のハチに対し、襲いかかる体勢をとりはじめた。ハチはそれに臆するところなく、全身の毛を逆立てて、さらに数歩近付くと、一声に吠えた。その吠え声は、洪庵でさえも慄くほどの威圧感と威厳があった。その瞬間、野犬の群れは急に恐れをなして、山の中へとちりぢりに逃げ去っていった。
洪庵は野犬が居なくなると、徐々に落ち着きを取り戻し、ハチに向かって、
「ありがとう、ハチ」と言った。
ハチは威嚇の顔つきを変えずに振り返り、洪庵を見上げた。
「すまない、ハチ」と洪庵は幾度も謝り、
「もう二度とこんなことはしない」とハチに言った。
するとハチは表情を崩しはしたが、不満気で何か言いたいのを我慢しているようにみえた。
洪庵はまだ少し震える手付きで、赤子にケガはないか全身を確認してみた。幸いにもケガはなさそうであった。