後編

文字数 3,069文字

 志乃が学んでいた教室にも、当然のごとく非常ベルは鳴り響く。忍びの末裔である彼女は、その場にいただれよりも早い反応を見せ、俊敏(しゅんびん)に立ちあがる。同時に震えた自身のスマートフォンをさっとうかがいみると、それは『志乃チャン、家庭科室で火事!』と空木からのメッセージ。それにひくりと表情を引きつらせたのも一瞬で、志乃は授業を担当していた隣クラの先生(※36歳独身、担当は国語教師)へびしっ、と声をかける。
「家庭科室で火事でござる! 避難指示お願いできるでござるか先生!?」
「あっ……ああ!」
 そう言いはなつと、志乃は忍者頭巾を装着し、信じられない速度で家庭科室のほうへ向かっていった。
「空木殿には拙者のID、教えてないでござるのに~っ!!」
 その怒りと非難を(にじ)ませた叫びは、生徒たちや教師らの動揺や混乱の声でかき消える。彼への報復について考えながら息も切らさず駆けているところで、もう一度彼女のスマートフォンが震えた。


✿✿✿✿✿


家庭科室のある2階、志乃は取り残された生徒を保護するため、忙しなく走りまわっていた。
「もう、だれもいないでござる?」
 事前に空木たちが、随分(ずいぶん)といい仕事をしてくれたらしい。ほっと息をついていると、
「志乃チャン……っ!!」
 振りむくとそこに、息を切らした空木とそれを追う山城がいた。
「空木殿、山城殿! 生徒さんがたは!?」
 いつも飄々(ひょうひょう)としている空木としては珍しく、躊躇(ためら)うような仕草を見せる。煙にむせながらも、彼は意を決したように告げた。
「コホっ、……あとは無事だけど、――委員長だけ、いないんだ」
「!!」
「あのね、志乃チャン……その、」
 言いよどんだ空木を見据(みす)え、志乃はスマートフォンを取りだし、それを持っていないほうの手で山城を示した。
 映しだされているのは、悲しげな絵文字が踊る、山城からのメッセージ――。
「説明は不要でござる。ね、山城殿」
 気まずけに(うなず)く山城を、愕然(がくぜん)と空木は眺める。
「山城っ?! お前いつの間に志乃ちゃんのIDを! おれだって裏のツテ使ってようやくゲットしたのにっ――あ、」
 彼は多少なりとも動転していたらしい。普段なら確実に出さないであろう尻尾をこれでもかと出してくれた。
「はい、ダウトでござる」
 志乃は、そんな空木を……めいっぱい引きよせた。
「もう逃げて。拙者の『お仕置き』受けるまで――死ぬのはゆるさない」
 少々頭巾をずらして耳許でささやくと、空木のからだがぶわりと熱を帯びる。彼を見上げる志乃の瞳は、どこまでも気高く――美しかったからだ。
「山城殿、よろしくでござる」
 夢うつつのようになった空木の肩を支えた山城へ頭を下げ、志乃は駆けだす。
「待って、志乃チャンこそ、絶対……っ」

 空木の声は、あっという間に志乃から遠くなり、かき消えた。


✿✿✿✿✿


 煙はますます濃くなってゆく。頭巾を被りなおした志乃は全神経を集中させ、燕子を探して駆けた。
 忍者の末裔(まつえい)の血筋は伊達(だて)でなく、まもなく火元から一番離れた教室の隅で、咳こみながらすすり泣く少女の気配に感づく志乃。その対象を驚かせないようにしながら、自身の存在を主張するようにゆっくりと歩みよる。
「逃げようでござる、燕子嬢」

「……けほっ、」
 悲しそうに顔を背け、その場で丸まる燕子。その動作で、自分は逃げる気がないことを強く示していることが、志乃にはよくわかった。
 ――しかし。
「事情は全部、山城殿から聞いたでござる」
 そう言って件のスマートフォンを取りだし、燕子の前で軽く振ってみせる。むせて涙目の燕子は、更にかあっと顔を赤くし、より一層ぽろぽろ涙をこぼしはじめる。
「じゃ、じゃあっ、けほっ、もう、ほうっておいて! 私には『資格』なんてないっ、救われる、こほ、『生きていい資格』なんて……っ」

 その瞬間、なにかが決壊したように、志乃は己の頭巾を取りさり、吠える。
「ええいっ、しゃらくさい! 忍法・水龍招来(すいりゅうしょうらい)の術っ!!」
 スカートのポケットから目にも留まらぬ速さでスイッチのようなものを取りだすと、かちりとそれをオンにする。すると――。

 どん、どぉおん、という凄まじい破裂音とともに、大量の水があちらこちらから吹き出す。
「きゃっ、なに……!?」
 恐怖の声をあげる燕子にさっと覆いかぶさる志乃。その片手にはいつのまにかクナイが握られ、飛んでくる雑多な破片の重心を器用に捉え、次々に弾きかえしていった。

 そしてその()、水しぶきが容赦なく志乃たちを襲うのもほんの数瞬。涙目の燕子がおそるおそる顔をあげると、そこには。
「拙者の一存で水道管、

でござるよ! 一緒に怒られてくれたら心強いでござるけれど。――それが『資格』には、ならないでござるか?」
 泣きくずれる燕子の前には、眩しく、されど優しく微笑む志乃がいた。


✿✿✿✿✿


 なるほどフェレス学院は裕福な学校である。
 たまたま騒ぎの勃発(ぼっぱつ)が夏休み直前だったのも功を奏し、校舎は二学期明けには、不死鳥のごとく(よみがえ)りを果たした。生徒たちは(すで)に、(とどこお)りなく青春を謳歌(おうか)している。

 そしてランチタイムを迎えた今、いつもの裏庭で志乃はハムスターよろしく、もきゅもきゅとおにぎりを頬張っていた――後ろ手を縛られ、ベンチの上に正座する空木の膝上で。
「志乃チャン、ごめんて。ほんとは段階踏んで()()りするつもりだったよ~?」
「ふんっ、もきゅ、こくん。どう言い訳して、もきゅ、遣り取りに持ち込むんだか、こきゅん!」
「おしゃべりしながらご飯する子に叱られてもなぁ。ていうかこの状況、ほんと勘弁してよ。いろいろ限界なんだけど」
「ふー。食べた食べた、でござる。空木殿ともあろう御仁(ごじん)が知らないでござるか? これは『石抱(いしだき)』と呼ばれる拷問(ごうもん)のアレンジバージョン。本当は人間ではなく石を乗せて、下に三角形の木も()くでござるが……。まあ、JKが乗っかれば大概(たいがい)重いしつらいでござろう!!」
「いや知ってるしツライのはそこではなくて」

 唐突に、志乃の声のトーンが落ちる。
「……燕子嬢のことでござるが。夏休み中に海外へ発ったってメッセージが来たでござる」
「……そう」
 神妙(しんみょう)な空木を横目に、口をとがらせながら志乃は続ける。
「留学して、料理をいちから叩きこんでくるそうでござる。諸々(もろもろ)の原因は拙者にあるみたいだし、気にしなくていいでござるに……」
「んー、彼女の立場だったら正直、学院(ココ)に居づらいとは思うよ。志乃チャンこそ、そこまで気に()まないほうがいい」
「はぁっ!? もっ……もうもう、空木殿の唐変木(とうへんぼく)!! 血も涙もないでござるか!!?」
「――血も涙もないのは、志乃チャンのほうでしょ」
「なんっ――」

 瞬間、噛みつくように空木は志乃に口づけする。いつの間にか手を縛る縄は()かれていた。
「ずっとの『おあずけ』は、……おかしくなりそう」
 その(まなこ)は情欲に()れ、(うる)んで。
 再度志乃へ寄せた顔に空木は――。

ごんっ!!

 ――近距離からトルネード頭突きを()らった。

「こっ、このど変態っ、妖怪()いつき(わらし)~!!」

 空木の上から瞬時に飛び退()いた志乃は、これ以上ないというくらい赤くなり、ぴゃーっと駆けてゆく。それを呆然(ぼうぜん)と見送った空木は、おもむろに額に手を当て、()でさすり、それから恍惚(こうこつ)と天を(あお)ぐ。くっくっ、と笑いがこみあげて止まらない。
()いつき(わらし)ってなに。あー、ほんと、狂わせてくれる……!」

 それは利発(りはつ)で優秀すぎるがゆえに、なにもかもが退屈だった空木にとって、信じられないほど鮮やかな感覚()だった。


 彼女を(おも)えば(おも)うほど――しのぶればしのぶるほどに――彼は深みへ、()ちてゆくのだ。



【完】
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