02 幼馴染といざ初詣
文字数 2,403文字
「はあはあ」
白い息が、ドブネズミ色の空に上がっていく。
石段の中段あたりまで上ったところで、俺はすでに帰りたくなっていた。
振袖娘の後を、家来のように従い付いていく俺と絆。はたから見ると、さぞかし滑稽な眺めに違いない。
「そういえば、最近空き巣の被害が出てるらしいわよ。知ってる?」
「知ってるよ」
唐突な花凛の問いかけに、絆がすぐ反応する。
「隣の石田さんちも空き巣に入られたって」
「うちの家は、除雪機の燃料を抜かれたのよ。嫌になっちゃうよね」
農家の娘と息子は、深刻な表情で情報交換をしている。
ちなみに、この町の住人の八割は農家で構成されている。
俺から言わせれば、倉庫にきちんと鍵をかけていない不用心さがむしろ問題なのだ。
「許せないわね、こんな高齢者ばかりの田舎町を狙うコソ泥がいるなんて」
将来の夢は警察官だという花凛が、憎々しげに吐き捨てた。
俺は、頭の中で花凛に婦人警官の恰好をさせてみる。和装よりずっと良い。
ついでに、自分が痴漢容疑か何かで捕まるシチュエーションも想像もしてみた。少しだけテンションが上がってきた。
「ところで、祈は? 何をおいのり するの?」
わざわざ『いのり』を2回も強調して、振り向いた婦警さん……じゃなかった、花凛が尋ねてくる。軽いウインクまでしやがった。なにキメちゃった、みたいな顔してんだ。
「……ん」
何を祈ろうか――?
去年は3人とも大学合格祈願だった。結果、全員見事に合格し、市外の大学へ進学したわけだが。
そういえば花凛は、去年の夏休みはアルバイトに明け暮れていたらしく帰省しなかったので、ほぼ1年ぶりの再会である。
「特に決めてねえな。絆は?」
「オレはあれだな、やっぱり。うちのサークルに女子が入会してくれるようお祈りするよ」
息を弾ませながら、絆が答える。
同じ大学に進んだ絆と俺は、学部は別々だが、腐れ縁よろしく同じサークルに入った。推理小説研究会。
絆に誘われたから、といえばそれまでだが、他に興味があるものがなかったことが要因だ。しかし、その選択が大失敗だったのである。
サークルのメンバーは、留年を繰り返す長老と称される四年生、妙な関西弁を喋る三年生、そして俺ら二人――総勢五名。女子がいない推理小説研究会。
それつまり、『マリア』がいない京都の某私大推理小説研究会そのものだ。何のトキメキもドキドキもない。
「そうだ、『有馬 まりあ』みたいな美少女が入ってくれるように祈るんだ」
「馬鹿じゃないの、絆。そんな回文みたいな名前の女子いるわけないじゃない」
嗚呼かみさま。
俺と寸分変わらない発想の絆にも、無粋なツッコミを入れる花凛にもウンザリだ。
なんだか無性にイライラしてきて、ふたりに挟まれていた俺は、振り向きざまに絆の体を思いっきり押した。
「なにすっ……うをぉおお!!」
バランスを失った絆は、手を前について転び、雪のすべり台を滑降していった。
身に着けていたダウンジャケットも滑りやすい素材だったせいか、いっそ何かの競技を連想させるハイスピードだ。
「祈てめェーっ!」
「ぶわっはははっ」
「何やってんのよ! ガキかお前らは! 早く助けにいきなさいよ!」
ほぼスタート時点に逆戻りした絆の姿に爆笑していると、花凛にど突かれた。
昔から、怒った花凛には絶対に逆らえない。憐れな幼馴染を救出すべく、俺は渋々と昇ってきた道を下りていった。その間にも、花凛は振袖姿で、林に囲まれた石段をずんずん上がっていく。
「おまえ、マジふざけんなよ! 死ぬかと思ったんだからな!」
温厚な絆がめずらしくキレている。本当に怖かったらしい。
「悪い悪い。でも、ちょっと面白かっただろ」
「……まあな」
ニマァと笑う絆。
スリルと快感は紙一重。コイツもつくづく変人である。
絆に手を貸して、花凛の足跡がついた石段を再び昇っていく。
根っからの体育会系でない俺たちは、すでに息が上がり切っていた。はあはあ息切れしながら、互いに手を取り合って石段をあがっていく男たち――しかも片方は雪まみれ――その様は、はたから見ると……いや、もう考えるのも嫌になってきた。
「もお、遅いよ!」
坂の頂上では花凛が、両腰に両手を当てた格好で待っていた。
わたし怒ってます、のポーズだったが、本当にしてる奴を見たのは久しぶりだな。
幸い、そこからは大まかにだが除雪されていたので助かった。
鳥居をくぐって、薄雪を被った狛犬様の間を通り抜けると、ゴールの拝殿がある。古ぼけた切妻造りの屋根が目に入ってきた。
そろそろ賽銭を用意しておくか。
財布を取り出そうと、コートのポケットに手を入れたところで、
「ありゃ?」
絆が妙な声を上げた。
拝殿へと続く参道を塞ぐよう――巨体の人物が仰向けに倒れていた。
「え? えっ、ええっ!?」
小刻みな悲鳴を上げながら、花凛が俺の腕を掴んでくる。
人は想定しない事態に直面すると、大きく分けて二パターンの反応をするという――。極度のパニックに陥ってしまうタイプ、そして、妙に冷静になるタイプ。
俺は後者のようだった。
慌てふためく幼馴染たちを横目に、そろりと雪を踏みしめながら倒れた人物に近づいていく。
初老の男だ。どこかで見覚えがある。
な、なんてデカい奴だ――。二メートル以上あるんじゃないか?
ウインドブレーカの上下を身に着けている。蓬髪の髪型といい、どことなくガリバー旅行記を連想させる。
「ぎゃあ、し、しんでる!」
背後で絆の悲鳴が聞こえた。
理由はきっとこれだろう――『ガリバー』は死んだように目を瞑っている、その額から鮮血が流れていたのだ。
白い息が、ドブネズミ色の空に上がっていく。
石段の中段あたりまで上ったところで、俺はすでに帰りたくなっていた。
振袖娘の後を、家来のように従い付いていく俺と絆。はたから見ると、さぞかし滑稽な眺めに違いない。
「そういえば、最近空き巣の被害が出てるらしいわよ。知ってる?」
「知ってるよ」
唐突な花凛の問いかけに、絆がすぐ反応する。
「隣の石田さんちも空き巣に入られたって」
「うちの家は、除雪機の燃料を抜かれたのよ。嫌になっちゃうよね」
農家の娘と息子は、深刻な表情で情報交換をしている。
ちなみに、この町の住人の八割は農家で構成されている。
俺から言わせれば、倉庫にきちんと鍵をかけていない不用心さがむしろ問題なのだ。
「許せないわね、こんな高齢者ばかりの田舎町を狙うコソ泥がいるなんて」
将来の夢は警察官だという花凛が、憎々しげに吐き捨てた。
俺は、頭の中で花凛に婦人警官の恰好をさせてみる。和装よりずっと良い。
ついでに、自分が痴漢容疑か何かで捕まるシチュエーションも想像もしてみた。少しだけテンションが上がってきた。
「ところで、祈は? 何をお
わざわざ『いのり』を2回も強調して、振り向いた婦警さん……じゃなかった、花凛が尋ねてくる。軽いウインクまでしやがった。なにキメちゃった、みたいな顔してんだ。
「……ん」
何を祈ろうか――?
去年は3人とも大学合格祈願だった。結果、全員見事に合格し、市外の大学へ進学したわけだが。
そういえば花凛は、去年の夏休みはアルバイトに明け暮れていたらしく帰省しなかったので、ほぼ1年ぶりの再会である。
「特に決めてねえな。絆は?」
「オレはあれだな、やっぱり。うちのサークルに女子が入会してくれるようお祈りするよ」
息を弾ませながら、絆が答える。
同じ大学に進んだ絆と俺は、学部は別々だが、腐れ縁よろしく同じサークルに入った。推理小説研究会。
絆に誘われたから、といえばそれまでだが、他に興味があるものがなかったことが要因だ。しかし、その選択が大失敗だったのである。
サークルのメンバーは、留年を繰り返す長老と称される四年生、妙な関西弁を喋る三年生、そして俺ら二人――総勢五名。女子がいない推理小説研究会。
それつまり、『マリア』がいない京都の某私大推理小説研究会そのものだ。何のトキメキもドキドキもない。
「そうだ、『
「馬鹿じゃないの、絆。そんな回文みたいな名前の女子いるわけないじゃない」
嗚呼かみさま。
俺と寸分変わらない発想の絆にも、無粋なツッコミを入れる花凛にもウンザリだ。
なんだか無性にイライラしてきて、ふたりに挟まれていた俺は、振り向きざまに絆の体を思いっきり押した。
「なにすっ……うをぉおお!!」
バランスを失った絆は、手を前について転び、雪のすべり台を滑降していった。
身に着けていたダウンジャケットも滑りやすい素材だったせいか、いっそ何かの競技を連想させるハイスピードだ。
「祈てめェーっ!」
「ぶわっはははっ」
「何やってんのよ! ガキかお前らは! 早く助けにいきなさいよ!」
ほぼスタート時点に逆戻りした絆の姿に爆笑していると、花凛にど突かれた。
昔から、怒った花凛には絶対に逆らえない。憐れな幼馴染を救出すべく、俺は渋々と昇ってきた道を下りていった。その間にも、花凛は振袖姿で、林に囲まれた石段をずんずん上がっていく。
「おまえ、マジふざけんなよ! 死ぬかと思ったんだからな!」
温厚な絆がめずらしくキレている。本当に怖かったらしい。
「悪い悪い。でも、ちょっと面白かっただろ」
「……まあな」
ニマァと笑う絆。
スリルと快感は紙一重。コイツもつくづく変人である。
絆に手を貸して、花凛の足跡がついた石段を再び昇っていく。
根っからの体育会系でない俺たちは、すでに息が上がり切っていた。はあはあ息切れしながら、互いに手を取り合って石段をあがっていく男たち――しかも片方は雪まみれ――その様は、はたから見ると……いや、もう考えるのも嫌になってきた。
「もお、遅いよ!」
坂の頂上では花凛が、両腰に両手を当てた格好で待っていた。
わたし怒ってます、のポーズだったが、本当にしてる奴を見たのは久しぶりだな。
幸い、そこからは大まかにだが除雪されていたので助かった。
鳥居をくぐって、薄雪を被った狛犬様の間を通り抜けると、ゴールの拝殿がある。古ぼけた切妻造りの屋根が目に入ってきた。
そろそろ賽銭を用意しておくか。
財布を取り出そうと、コートのポケットに手を入れたところで、
「ありゃ?」
絆が妙な声を上げた。
拝殿へと続く参道を塞ぐよう――巨体の人物が仰向けに倒れていた。
「え? えっ、ええっ!?」
小刻みな悲鳴を上げながら、花凛が俺の腕を掴んでくる。
人は想定しない事態に直面すると、大きく分けて二パターンの反応をするという――。極度のパニックに陥ってしまうタイプ、そして、妙に冷静になるタイプ。
俺は後者のようだった。
慌てふためく幼馴染たちを横目に、そろりと雪を踏みしめながら倒れた人物に近づいていく。
初老の男だ。どこかで見覚えがある。
な、なんてデカい奴だ――。二メートル以上あるんじゃないか?
ウインドブレーカの上下を身に着けている。蓬髪の髪型といい、どことなくガリバー旅行記を連想させる。
「ぎゃあ、し、しんでる!」
背後で絆の悲鳴が聞こえた。
理由はきっとこれだろう――『ガリバー』は死んだように目を瞑っている、その額から鮮血が流れていたのだ。