第1話 寺へ

文字数 2,296文字

 五月初旬、雨天・曇天が連日続き、春だというのに肌寒い日々だった。
 だがその日は、前日とは打って変わって久々の晴天に恵まれた。強い日差しにより朝から気温はぐんぐんと上昇し、もはや昼過ぎには暑いとさえ感じられるほどになっていた。

 屋外に出て青空駐車の愛車のドアを開ける。中からもわっとした大量の熱気が車外に放出され、俺の全身に(まと)わり付いてくる。
 密閉された車内空間は想像以上の熱気に満ちていたようだ。ドアを開け放ったまま、暑さに耐えながら運転席のシートに滑り込み、イグニッションのスイッチを押す。そしてすかさず四枚のウインドウを下げ、エアコンを入れて車内の熱気を外部に追い出した。
 シートの背もたれが熱い。少し前かがみになり、車内の熱が治まるのをそのまま待った。
 午前中にスマホのエモ子が「今日は半袖でもいいですね」と語りかけてきたが、確かにそうだ。うっすらと全身に浮かぶ汗を不快に感じながら、俺は長袖のシャツを(ひじ)の上まで()くり上げる。もうすぐ半袖の季節になるのか、早いものだ。

 助手席のドアが開き、親が乗り込んできた。車内の熱気はまだ残ってはいるが、先程よりは随分とましだ。エアコンの風はまだ生(ぬる)いが、走り出せば徐々に冷風へと変わるだろう。
 親を乗せたのは、親の実家の親戚の葬儀に親が出席するためだ。亡くなったのは俺とは血縁関係も無いし、顔を見た事も無い人だ。親戚という訳ではない。遠い親戚と言うのなら親戚かもしれないが。
 九十七歳で亡くなったそうだが、もうあと三年頑張れば百歳だったのに、と思ったりもしたが、充分長生きだと思う。人生百年とか数年前から突然大々的に騒いでいるけれど、そんなにみんな百歳まで生きているのだろうか? わりと八十歳代で亡くなっている人が多いような気がするのだが。九十歳代ならとても長生きだったなと感じる。
 人生百年と騒いでいるのは、年金の支給年齢を引き上げたいとか、定年退職の年齢を引き上げて老いても働け、という陰謀のようにも思える。

 今回の葬儀は葬儀場ではなく、お寺で行うそうだ。聞いた事のないお寺だったので事前に場所や道順をググっておいた。カーナビに誘導してもらうほどの場所ではない。街中にあるお寺だが、裏道のような場所にあり、近くの道はたまに通っても車で走行した事はないと思う。子供時代には歩いた事があるのかもしれないが、そんな記憶はもはや忘却の彼方だ。


 お寺には10分とかからず到着した。通りの両側には途切れなく、隙間なく四角い建物が立ち並んでいるが、個人向けの商店などは見当たらない。かつては存在していたのかもしれないが、現在は小さな会社なのか住宅なのかよく分からない、寒々しい感じのする灰色の地味な街並みだ。
 たしかこの通りのもう少し先には、とても小さな模型屋があった気がする。中坊時代に噂を聞きつけて、級友と共に付近を探し回り、通りを何往復もしてやっと見つけられた時にはめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。
 その感動や宝探し的な小さな冒険譚を、丁度その時国語の宿題として出されていた作文に、タイトルはこうで内容はこんな感じで書くと級友に話したら、タイトルごと丸パクリされた。
 級友の書いた作文を読む事はなかったが、同じタイトルで内容も似かよっていたであろう作文を、二つ同時に提出された教師はどのように思ったのか、今でも少し気になる所ではある。
 まだ存命なのか分からないが、あの時の教師にあれは俺のアイデアだと、今さらながらではあるが伝えておきたい気もする。教師はそんな事はすでに覚えていないかも知れないが。
 しかし、あの時の小さな模型店、今でも店は存在しているのだろうか。気にはなるが、わざわざ確認するほどでもなし。

 お寺の前に到着はしたが、路上に何台もの車が対向車線を含め渋滞して停まっている。葬儀の始まる少し前に到着するように来たのだが、考える事は皆同じ。お寺の駐車場は狭いらしい。
 駐車場の入り口にはスリムな高齢の警備員が二人立っている。定年退職後の再就職かアルバイトなのだろう。それにしても、二人共ただ突っ立っているだけでまったく車の誘導をしそうにないのは何故なのだろうか。
 だが、その謎の答えは少しずつ車が駐車場に入り始め、自分も入れた時に判明した。すでに駐車場内は満車状態で、誘導のしようが無かったためらしい。
 警備員としての二人の能力を少し疑ってしまった事を、俺は心の中ではあるが軽く謝罪した。

 駐車場には入れたが、駐車スペースに車を停めるにはまだ時間がかかりそうだった。それで親にその場で降りてもらい、葬儀に出席してもらう事にした。コロナ禍の現在、焼香のみで手早く短時間で終わるだろう。
 俺は葬儀には出席しない。今日はただの送迎の運転手だからだ。

 駐車できたらエンジンは停止させて待つつもりだ。だから事前に窓を半分ほど開け、風通しを良くしてエアコンを切った。
 真夏ならば炎天下での駐車は、たとえ窓が全開でもエンジンを切ってエアコンが止まれば耐えられないだろうが、まだ五月、窓さえ開けていればそれほどでもない。

 すると警備員が近づいて来て「葬儀に参加ですか?」と聞かれた。即座に「はい」とだけ簡潔に答えた。「はい」だけじゃなく「親を乗せてきただけで、親は現在葬儀に参加中で……」とか長々と答えたほうが良かったのか? 少し不愛想だったか? いや、別にどちらでも意味と結果は同じ事だな。
 警備員には、普段着で一人で車に乗っている俺の事が不自然だと感じられたのだろう。関係なかったら勝手に入ってくるな、という気持ちだったのかもしれない。


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